獄死
◆
かなり長く馬車に揺られる。
何人もの唾が吐きかけられた、年季の入った生臭いずた袋を被された。手足を縛られ猿ぐつわを噛まされ、乗り心地の悪い荷馬車に揺られるのは、吸血鬼の体でも非常に不愉快である。
このような連行の仕方には、誰を連れているか分からぬようにするためと同時に、虜囚の体力を奪い抵抗する気力を奪うという効果がある。
オナイドの街の石畳の音が消え、土の道路を走っていた。この街の城に連れていかれる訳ではないことは、すぐにわかった。
城門が開かれる音がして、乱暴に馬車が止められ、引きずり下ろされた。ロープで全員繋がれ、一列になって階段を降りる。徐々にカビ臭さが増していき、薄暗い地下牢へとたどり着いたようだ。
「おい、下がっていろ!」
兵士の声が聞こえ、鉄の擦れる音が聞こえた。シアリスたちに声をかけたのではないようだった。
シアリスのズタ袋と手枷が外され、背中を乱暴に押される。冷たい石畳の牢の床に体を打ち付ける迫真の演技。
幼気な少年がそのようになれば、誰か手を貸そうとするものだが、残念ながら牢にいる先客には通じなかった。奇妙な呻き声のあと、悲鳴に近い叫びを上げる。
「待て! 待ってくれ、看守! こいつは別の牢に入れてくれ、頼む‼」
鬼気迫る声は聞いたことがある。ルシトールである。
「黙っていろ!」
看守が鉄格子を棍棒で叩くと、地下牢中に甲高い音が響く。嘆きを無視して、看守たちは鍵を閉める。トピナとオノンだけは手枷を外されず、動き辛そうにしていた。
広々とした牢は虜囚を入れておくと言うよりは、戦時に捕虜を収監しておくためのものである。ここは城塞の地下なのだろう。
向かいの牢も同様の構造となっており、オノンとトピナはそちら側に入れられた。筵も敷かれていない、気遣いの行き届いた部屋だが、男女を分けるくらいのことはしてくれたようだ。
「これはこれは、ルシトールさんではありませんか。これ程早く再会できるとは、思ってもいませんでした」
シアリスは裾の埃を払いながら、ニヤニヤと言う。ルシトールは何も言わず、牢の隅でシアリスを睨んだ。ただでさえ危険な存在のシアリスであるし、いつ暴走するかもわからないと思っているのだ。
ルシトールがいるならば、その連れの女が二人いたはずだから、向かいの牢に二人先住民がいるのかと思っていたが、シアリスの入った牢のほうが二人いて、向かい側には一人、ミラノルとか言う少女が入れられていた。
恐らくは、この少女が吸血鬼を混乱させる力の持ち主である。
今この場でシアリスが理性を失う可能性もある。そうなれば武器も持たないこの場の全員が死ぬことになるだろう。
こちら側の牢のもう一人は誰なのかというと、体格の良いルシトールとは真逆の、痩せた男である。このような男には見覚えがないが、その顔には見覚えがあった。
一昨日の夜、パーティ終わりの吸血鬼退治の際には、家政の着るドレス姿であったはずだ。今は狩人たちの着る、丈夫そうなシャツとパンツに身を包んでいる。
線が細く顔立ちは中性的で、女性と言われれば女性であり、男性と言われればそう見える。
「……吸血鬼か」
彼はシアリスを見つめ独り言ちる。
「今日は可愛らしい格好ではないのですね。先日は自己紹介もできず、申し訳ありませんでした。ルシトールさん、紹介頂いても?」
シアリスは、反対の牢の格子を掴みこちらを食い入るように見つめる少女と、中性的な男を指して言う。ルシトールが躊躇していると、先に少女の甲高い声が上がった。それはほとんど歓声に近い。
「すごいすごいすごい! ねぇ、わたしを見ても何ともないの? どうやってるの⁉」
「ミラノル、騒がないでくれ。こいつを刺激するな……」
ルシトールがいつでも飛び掛かれる体勢で言葉を絞り出す。この男は小心だなと、シアリスは口には出さない。
この状況でシアリスが暴れれば、どうやったって助かりはしないのだ。それをこいつはわかっているのに、最後まで抵抗するつもりだ。そういう男だからこそ、生き延びてこられたのかも知れない。
「ルシトール、彼と素手で殺り合うのは無理だ。諦めろ」
中性的な男がルシトールを宥める。その声まで中性的であった。男が名乗る。
「自分の名前はエヴリファイ。そちらの子はミラノルだ。シアリス・オルアリウス」
「ご紹介、痛み入ります。どうぞ、シアリスとお呼びください、エヴリファイさま、ミラノルさま」
「さま、なんていらない」
「わかりました。ではそのように」
「わ、わたしもミラノルって呼んで!」
シアリスは頷く。
短い会話だったが、エヴリファイの方が、肝が座っているようなので、ルシトールより話しやすい。いちいち話の腰を折られるのは面倒だ。だが、彼の話し方にはなにか違和感がある。その表情もどこか心ここに在らずと言った様相である。
「ねぇ、あなたが吸血鬼って本当なの? わたし、こんなに近くで話せるなんて初めてで……」
シアリスは人差し指を立てて口の前に添える。
「あまり大声では……」
「ああ、ごめん。そ、そうだよね……」
「あなたたちはどのようなご関係なのでしょうか。三人で吸血鬼狩りをなさっているのですか」
シアリスは思っていたことを述べる。ミラノルが鉄格子に齧り付くようにこちらを見ている。
「そうだよ。三人で、狩猟商会で働いているの。ねぇ、シアリスってやっぱり長生きしているの? 百年くらいは生きてる?」
「いいえ、ミラノル。僕はまだ二歳にもなっていません」
「二歳……⁉ じゃあ、わたしと同じくらいなんだ。おじいちゃんみたいな喋り方だから、てっきり年寄りなのかと……」
「おい、そんなことを話している場合か」
ルシトールが割って入る。彼はなるべく情報を渡さないように心掛けているから、彼女の年齢の違和感なども質問されたくないのだろう。ミラノルが狩人商会員だと言ったときも、話を遮ろうとしていたのは気配でわかった。
そのことにミラノルも気が付き、ルシトールを睨みつける。
「ルシトール、あなたは不公平だよ。シアリスは自分のことを明かしたのに、自分は何も言わずに出てきたなんて。あなたがそんな人だったなんて、わたしは不満だよ」
「いや、それとこれとは話は……」
「別じゃない。だいたいこんな貴重な機会を逃して、どうするつもりだったの? 協力的な牙なんてこれから一生かかっても出会えない。むしろ捕まって良かった。こうしてシアリスと話せる時間できたからね」
ルシトールは顰め面で黙り込む。
大きな男が女の子にやり込められているのは、なにかのカタルシスを覚えるシアリスである。牙というのは、たった今ミラノルが考えた、吸血鬼を示す隠語だ。彼女はひと息ついてからまた話し出す。
「わたしとエヴィはホムンクルスなの。エヴィが一番年上なんだけど、ルーシーが長男ってことになってるのよ。そういう設定ね。その方が違和感ないでしょ。小さな古代のアトリエでルーシーに見つけられてから、三兄弟っていうことにして生きてきたんだ」
エヴィはエヴリファイのことで、ルシトールはルーシーと呼ばれているようだ。彼女は饒舌に喋る。どうも興奮しているらしい。吸血鬼と話せることがそんなに嬉しいのだろうか。
「ホムンクルス……? 本当か?」
そう言ったのはトピナである。シアリスはホムンクルスという言葉に聞き覚えがなかったが、トピナの反応からするに、魔術関連の言葉のようだ。
「ああ、ごめんね。喋ってばっかりで……。ほら、吸血鬼に襲われてばかりだったから、こうやって喋れるなんて思ってなかったのよ。それより、どうしてあなたは襲いかかってこないの? 今、かなり我慢してる?」
色々疑問をぶつけたいが、途切れずに質問をされてしまう。
「いいえ。おそらく僕は今、完全にメネルの状態ですので、問題ないのだと思われます。前回は少しだけ牙の力を使ったがために、暴走状態となってしまった……のだと思います」
「そういうこともできるんだねぇ。確かに今まで会ってきたのとは違うみたい」
「今は問題ないようですが、僕にあなたのその力を使わないでいただけると助かります。そうなれば、ここにいる全員を殺すことになってしまう」
シアリスは心配そうにうつむく。ミラノルが悲しそうに言う。
「ごめん、シアリス……。それはできないの。わたしの力は操れるものじゃないんだ。だから、あなたが吸血鬼の力を使うと、影響を与えてしまうかもしれない」
ミラノルが本当に残念そうに言うので、彼女が吸血鬼とすき好んで戦っているわけではないということが伝わってくる。できるならば、戦いたくないのだ。影の力を常に使わないと体を維持できない従徒は、彼女を強制的に襲ってしまうことになる。
「疑問があるのですが、収集家を初めて見つけたとき、どうして逃がしてしまったのですか。その力があれば、逃亡できないのでは……」
ミラノルは相手が吸血鬼だと判って力を発動するのではないとするなら、彼女の力に囚われたときには、既に吸血鬼は暴走状態にあるはずだ。
「ごめん。それも正直、わかってないの……。確かに、初めて収集家と会ったとき、あいつは襲いかかってきた。けど、逃げられたの。丁度、収集家を倒したときのシアリスみたいに……。もしかしたら、わたしの力が弱くなってるのかも」
「そうは思えないが」
最後はエヴリファイである。彼らもミラノルの力について理解しているわけではないのだ。吸血鬼にとっては迷惑極まりない話である。
「ホムンクルス……、アトリエを守っているヤツらとは大分違うな。ヤツらはもっと……、感情のない人形のようだったけど」
そう言ったのはトピナである。どうやら彼女たちにもこのことは話してなかったらしい。トピナはとても興味深げにミラノルを観察している。ミラノルはまじまじと見られ、少し照れたように顔を逸らした。
「わたしたちは特別だからね。ねぇ、エヴィ」
エヴリファイは何かを言おうとして止めた。完全に肯定できる話ではなさそうだ。
「無知で申し訳ないのですが、ホムンクルスとはなんなのでしょう。人、ではないのですか?」
シアリスには聞き覚えのない言葉だ。
「ホムンクルス、知らない? ほら人造人間的なアレだよ! なんか液体の中で、裸でプカプカしてて、ちょっと気持ち悪い感じの……」
ミラノルが説明しようとするが要領を得ないため、トピナが説明する。
「魔術によって造られた、人型をした魔物、と言うべきだろうか。人間の形をしていなくても、知能が人間に近かったりすると、ホムンクルスと呼ばれたりもするが。アトリエを守護するために造られた、人造の魔物のことだ」
「その、こういうのは失礼な話かもしれませんが、アトリエから出てきたということは、知能を持った出土品と考えれば良いのでしょうか」
「うんまぁ、そんな感じかな」
シアリスが思うところの、クローンかロボットのようなものなのかと理解する。化学で造られた人間と魔術で造られた人間との違いはあるだろうが、似たような発想で造られたものだ。
「つまり、あなたたちは……、吸血鬼を狩るために生み出された、ということなのですか」
「んー、それはわかんないね。生みの親は多分ずう~~と昔に死んでるし。でもまぁ、多分そうなのかもね。だって吸血鬼に近付いただけで襲われるし」
話がひと段落したところで、シアリスはもうひとつの疑問を投げかけた。
「では、エヴリファイが、女装していたのは……?」
「似合うでしょ?」
それだけの理由だった。エヴリファイは特に気にする様子もないので、ホムンクルスには性別がないのかもしれない。
後で聞いた知った話だが、ホムンクルスはアトリエから離れると死んでしまうらしい。
感情のないホムンクルスはアトリエの維持管理を行うために、古代魔術師が作り出した便利な道具でしかないのだ。
トピナやオノンは、アトリエ探索をすることが生業だから、ホムンクルスと戦うこともしばしばあるのだという。そういったホムンクルスとは全く別の目的で造られたミラノルたちは、確かに特別と言えるだろう。
「話は終わったか。そろそろ本題に入らせてくれ」
ルシトールが話の合間を見極めて言う。ミラノルが不満気な声で返す。
「本題って何」
「今、この状況だよ! どうしてオレたちは牢屋に入れられてる」
「それについては私に話させてくれ」
オノンが静かに口を開いた。
クライドリッツ公爵に命を狙われていること。おそらくだがエルフを食って永遠の命を手に入れたいと考えていること。ルシトールたちは完全に巻き添えだということを謝罪した。
「それでオナイドの城じゃなくて、ここに連れてこられたわけか。けど、オレたちまで捕まえる必要あるのかよ。意味がわからねぇ」
シアリスが話し手に変わる。
「おそらくは体裁を整えるためでしょう。オナイドの街はクライドリッツ公爵の直接の支配領ではありませんから。ここで私兵を動かせば、例え配下の土地でも権利の侵害になり、貴族たちから批難を受けることは必至。
しかし、反逆の罪を着せられた者は、直接、王による裁きが下されます。伯爵より地位の高い王家の血筋の公爵の手に、対応を委ねられてもおかしくはありません。
何人か捕まえておけば、誰が何をどのようにしたのか、事実を有耶無耶にできると考えているのでしょうね。魔物騒ぎの場に居合わせたものを全員捕らえることで、真実を隠そうとしているのではないでしょうか」
ルシトールが大きなため息をついた。
「つまりオレたちは、反逆者?」
「そうでしょうね。ここで逃げても追跡され、拷問の末、さらし首でしょう」
「はぁ……。どうしてオレはいつもこう……、運がないんだ」
盛大に嘆く。
「いちいち大袈裟なのよ。ルーシーはさ」
「死ぬかもしれないんだぞ? 死ぬかもしれないんだぞ⁉」
「うるさいぞ! 黙ってろ‼」
看守室の扉の小さな覗き窓から、看守が叫ぶ。ミラノルたちは押し黙ったが、すぐに声を潜めて話し始める。
「……なんか、ルーシーが死んじゃいそうぉ」
どうやらミラノルはルシトールをからかって遊ぶのが趣味のようだ。
しかし、本当に彼女はホムンクルスなのだろうか、人間でも生まれてすぐにはここまで情緒が育つことはないのに、人形と称されるようなホムンクルスが、これほど感情豊かになるとは考え難い。
エヴリファイは確かに作り物のような気配がするのに、ミラノルからはそのようなことはないと言うのも、シアリスの違和感に拍車を掛ける。と考えてから、自分も似たようなものだと思い至って、追及は止めておいた。
そうこうしていると、看守室の方が騒がしくなる。
この牢屋には看守室を通らないと入ることはできない。内扉と外扉があり、分厚い扉を二枚潜らないと通過できない造りだ。
外扉が開かれ誰かが牢に入ってくるのが聞こえた。ミラノルたちは扉の方に視線を向けた。
この場所に不釣り合いな豪華な衣装の男が、扉から入って来た。
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