死者の王
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オノンの横でルシトールは剣の柄に手を掛け、シアリスを睨みつけている。とてもではないが歓迎しているという雰囲気ではない。
「どうやってここまで来やがった。どうして、その姿のままでいられる……?」
ルシトールが噛み締めるように声を出す。この部屋には大きな窓があり、日当たりも良い。吸血鬼の力を削ぐための対策なのだろう。正午のため日は高く、窓からは直射日光は差し込まないが、従徒であったならこの明るさでも充分に効果はある。
「歩いて来ました。もし、僕が日中に出歩けない体であったなら、どうするおつもりだったのですか?」
「そんなわけが……」
ルシトールは不気味なものを見るような目で、シアリスを見据えている。冷や汗が伝い、顎から落ちた。吸血鬼が日光に弱いことは、彼ら狩人にとっては常識である。何かを言おうとするルシトールを抑え、オノンが割って入る。
「ルシトール、少し落ち着いて」
今にも飛びかかりそうなルシトールを制して、オノンはシアリスに向き直る。
「シアリス、あなたは本当のシアリスなの? そして、本当に吸血鬼なの?」
オノンはあらゆる可能性を考慮してそう尋ねた。
オノンはシアリスの夜の姿を見たことがあるし、一緒に影の力を使って空を飛んでいる。疑う余地はないが、日の光に当たっても平気な吸血鬼は見たことがないということだ。
「オノンさま、まずは謝罪をさせてください。正気を失い、オノンさまに爪を立てるなど、我が一生の不覚です。申し訳ありません」
オノンは傷付けられた方の腕を上げてみせる。かなり深く爪で抉られたはずなのに、その絹のような肌にはほとんど傷は残っていなかった。
「この程度、エルフにとっては何でもないわ」
シアリスが何か言おうとする前に、ルシトールが動いた。
一足でテーブルを飛び越えると同時に抜刀し、シアリスの首筋に刃を当てる。皮膚が薄く切れ、赤い血が滴る。既にルシトールは鎖瓶薬を飲んでおり、臨戦態勢にあったようだ。
「問答の必要はねえだろ。吸血鬼と話し合いなどできるか!」
ルシトールは叫んだが、シアリスは動かなかった。もう少しで首を切り落とされるところであるのに、表情ひとつ変えず汗も垂らさない。ただ小さく溜息をつくと、ルシトールに憐れみの目を向ける。
「……ルシトールさんもこういった無駄な駆け引きはやめませんか。あなたも気付いているはずです。あなたは僕に勝てない。剣を止めたのは、それがわかっているからだ」
「黙れ! 首を落とされたいのか!」
「ルシトール」
オノンがゆっくり呼び掛ける。
「さっき話した通りよ。こんなところで殺り合えば、被害が大きくなる。剣を引いて」
オノンがいつもの優しい口調とは違い、有無を言わさぬ力強さのある声色で言う。シアリスはそれを補足するように畳みかける。
「ルシトールさん、僕は吸血鬼でもありますが、同時にメネルの貴族でもあるのです。そして、僕が日の光に当たっても問題ない以上、あなた達は僕を吸血鬼であると証明する方法を持たない。
ああ、あなたには、もう一つの証明方法がありましたね。外にいるあなたの連れに会わせて下さい。どうして僕が正気を失ったのか、直接本人に聞いてみたいので」
外に待機しているルシトールの仲間、少女と女戦士のことを知っていると、暗に示す。もし、敵対するならば、彼女たちも無事に済まないと伝えてみせる。
それにシアリスは、本当にもう一度、あの少女に会ってみたいと思っていた。心構えをして挑めば、血への渇望を抑制できるのか実験してみたい。
現代のメネルたちが使う、吸血鬼を暴くためのもっとも簡単な手段は、直射日光のもとに晒すことだ。そうすれば変装を維持できず、吸血鬼としての本性を表す。
それをシアリスに行った場合、告発者は虚偽で告発したことになる。不滅者は日の下でも、変装を維持できるからだ。
しかもそれが貴族の子息となれば、捕らえられ、獄門という事態になりかねない。それをルシトールは理解しているからこそ、刃は止まったままなのだ。
シアリスはすでに勝っている。デラウが貴族の地位に固執しているのも頷ける。こういった事態になったときの保険としての意味があるのだ。
「てめぇこそ、わかってねぇな。この剣は銀でできた不死斬りの魔剣だ。日の光で証明できなくても、殺してしまえば、正体を現すだろ」
それでもルシトールは退かないのは、さすがと言うべきか、愚かと言うべきか。
「不死斬りですか……。そんなものもあるんですね。ではその剣で、僕を本当に殺せるか試してみますか?」
「この状況でよくも……」
「あなたが刃を当てているそれ、本当に首だと思いますか。そこを切り落とせば、僕が死ぬのか、さぁ、早く試してみてくださいよ」
シアリスは突き出された切っ先に首を強く押し当てる。さらに血が流れ出し、シアリスの服を汚していく。
「やめろ、二人とも! いちいち挑発しあっていたら、話も碌に話もできはしない!」
オノンが立ち上がって怒鳴る。
これだけ大声で言い合いをしても、外から誰も駆けつけてこない。更に外の音は聞き取ることができるという優秀な結界だ。暗殺にも応用できるかもしれない。トピナの魔術か、オノンの精霊の力なのだろうか。
「オノンさんよ。吸血鬼ってのは、こういう生き物なんだ。適当なことをぬかして、人を惑わせ場を支配する。自分が生きるためなら平気で噓をつく。薄汚ねぇ化け物なんだよ!」
それについては否定できないな、とシアリスは心の中でつぶやく。だんだん面倒になってきたシアリスは、オノンに視線を向けて言う。
「埒が明かないな。この人殺してもいいですか、オノンさま」
物騒な物言いだが、オノンも痺れを切らしつつあった。
「やめろ、シアリス。ルシトール、貴様もこれ以上やるというのなら、私も敵に回すことを覚悟しろ。お前は吸血鬼だけでなく、エルフも敵に回して生き残れるつもりか」
「な……⁉ お前どっちの味方……」
さすがのルシトールもその言葉には動揺したようで、オノンの方を振り返ってしまう。その隙を逃す、シアリスは突き出された剣を持つ腕をつかむと、捻り上げて握力を奪った。
本当はデラウのように、投げ飛ばして抑え込むくらいしたかったが、今のシアリスの体格では難しい。剣が床に落ち、甲高い音が部屋に響く。ルシトールはすぐに掴まれた手を払い除けると距離をとる。
武器を拾おうとすれば、その牙に首を晒すことになる。距離を取るのは正しい判断だ。シアリスは素手ではあるが、吸血鬼の牙と爪は、刀剣よりも鋭いことをルシトールはその身をもって知っていた。
シアリスは追撃せず、床の剣を拾い上げる。
「こういう輩と話し合いをするときは、武器は取り上げて置かなければいけませんね」
オノンは椅子に座りなおすと、テーブルを軽く二回叩いた。
「二人とも座りなさい」
まるで説教をする母親だなと、シアリスは思った。となると、ルシトールとシアリスは、年の離れた兄弟か。
武器を奪われたルシトールは、痺れた腕を庇いつつシアリスを睨みつけていたが、シアリスが椅子に座ったのを見て、彼も席に着いた。
そういえばとシアリスは思い出して、反対側の窓際に座るトピナを見やる。彼女にしては大人しすぎる。腕を組み、目を瞑ったまま微動だにしない。いや、若干揺れている。どうやら夢の中で船を漕いでいる。
(一応、人類の敵なんだけどな、僕……)
こちらの緊張とは対象的なトピナに呆れる。魔術師とは皆こうなのかもしれない。
シアリスは取り上げた剣を机の上に置いた。その刃には血が滴っていたはずだが、それはすでになくなっている。傷つけられたはずの首筋も綺麗に治っており、服も血の一滴に至るまで消えていた。不死斬りと言っていたが、その効果の程には疑問が残る。
オノンは二人が座ったのを見届けると、少し間を置いてから口を開く。
「さっき吸血鬼の見分け方について、何か言っていたけれど、あれはどういうこと?」
シアリスはオノンの言葉を聞いてルシトールも見る。
「おや、あの少女について話していないのですか? オノンさまに味方かどうか訊いていましたけど、とんだ味方もいたものですね」
「少女……、ミラノルのことね」
どうやらルシトールの連れの少女はミラノルと言う名前らしい。
「なんの話だ」
ルシトールはとぼけて見せるが、もはや意味をなさない。
「はぁ、話が進みませんね。では、僕の方から話をしましょうか。この話を聞いたら、そちらの話も聞かせてください。そうすれば公平でしょう?」
「知るか、お前に話すことなど……」
オノンがルシトールを睨む。彼は口籠りながらつぶやいた。
「……話の内容による」
「よかった。では……、そうですね。ルシトールさん、あなたが知っている吸血鬼の特徴を述べてみてくださいませんか」
こちらから話すと言っておきながら、結局、ルシトールに話を振る。ルシトールが渋々といった感じで言う。別に特徴を言うくらいならば、何の害もない。
「……牙があり、血を吸い、人に化ける。不老不死で、高い再生能力を持ち、心臓を完全に潰すか、首を落とさなければ殺せない。にんにくの臭いを嫌い、銀に弱い。日の光で弱体化し、夜しか活動できない。嚙みついた相手を吸血鬼化して数を増やす。……虚言で人を惑わせ、生き汚い。人間にとっては害獣でしかない。……雑把に言えばこんなところか」
最後は取ってつけた言葉だ。
「素晴らしい。さすがは専門家。全くもって、全然、違います」
シアリスは馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべて、ルシトールを見やる。
「ここまで見事に引っかかってくれていると、この嘘をばら撒いた張本人たちは笑いが止まらないでしょうね。これからは、無駄に吸血鬼の従徒と戦って、無意味な人生を送る必要がなくなるのだから。僕との出会いに感謝してください」
ひとつ言われたなら、二つ返すのがシアリス流である。が「簡潔に話して」とオノンに叱られる。わざとらしくシアリスは肩を竦めて見せた。
「吸血鬼はメネルたちに嘘の情報を流して、自分たちの安全を確保する企みを始めました。結果として、メネルたちは吸血鬼を真に退治する方法を忘れ去り、不毛な戦いを強いられることになったのですよ。
今、あなた達が吸血鬼だと思っているものは、従徒……、つまりは吸血鬼によって、その力を与えられたメネルであり、真の吸血鬼は陽の光で弱りはしないし、メネルに偽装して、周囲に完璧に溶け込むことができるのです」
ルシトールが鼻で笑う。
「馬鹿なことを。オレが持っている古い手記には、吸血鬼との戦いが事細かに書いてある。お前たちがいかに狡猾で、信用できないかもな」
「へぇ。過去の吸血鬼狩りの手記でしょうか? 何年ほど前のものですか」
「……百年ほど前のものだ」
シアリスはやれやれと首を振る。
「この企みが始まったのは、三百から四百年ほど前のことです。知っての通り、吸血鬼に寿命はありません。メネルが考えもつかないような遠大な時間を、計画に費やすことができるのです。
その手記に嘘が書いてあるとは言いません。おそらく、その狩人も騙されていたのでしょう。
あなたは僕の存在を否定できますか。陽の光に当たっても正体を表さない。メネルの、しかも貴族として活動する吸血鬼の存在を、否定できるのですか」
吸血鬼は昼間しか活動できないため、貴族として通常の職務をこなすことは、この時代では困難である。この世界の夜の闇は深く、吸血鬼には有利だが、メネルとして溶け込むことは難しい。偽装できても浮浪者や犯罪者のような、日中に見かけない人間である。
ルシトールは反論しようとしたが、今この瞬間も出歩いているシアリスの存在は否定できない。言葉を選んでから口を開く。
「……お前は養子なのか。どうやってオルアリウス家に入り込んだ」
「ああ、そこは気になりますよね。僕とデラウは血の繋がりこそありませんが、正真正銘
の親子ですよ。デラウが僕を作り出したのですから」
子どもの存在を隠していたなどというエピソードなど、ルシトールは知る由もない。養子として人間に化け入り込んだと思ったのだろう。
「つまり、デラウも吸血鬼だと……?」
「そうですよ。おや、気付いていませんでしたか」
事も無げに言ってのけるシアリスに、ルシトールは苦虫を噛み潰したような表情をして黙りこくった。それもそうだろう。数日前までは、吸血鬼相手に吸血鬼退治の作戦を語っていたのだ。黙ってしまったルシトールに替わり、オノンが続ける。
「人間が知る吸血鬼の伝承が嘘だとして、何故、ここでそれを話すの? あなたの目的は何?」
シアリスはその質問には答えず、オノンを見つめる。
「オノンさまも吸血鬼のことについては詳しくないのですか。長命の種族であれば、吸血鬼の伝承も伝わっているかもと思っていたのですが」
「エルフと吸血鬼は、あまり関わりがないの。吸血鬼という存在自体、メネル社会に関わるようになって初めて知ったくらいよ。魔物の伝承は多く知っているけど、吸血鬼については……」
シアリスは少し考える。
デラウが二千七百年ほど前に生まれたとして、そのころに他の吸血鬼も誕生したとするなら、エルフとの戦争のあとに、吸血鬼は誕生したことになる。
エルフとの交流が絶たれて三千年ほど経つから、メネル社会に潜む吸血鬼という魔物を、エルフが認知していない可能性は充分にある。しかも、何故かデラウはエルフに興味を示さなったし、シアリスもオノンに対して食欲が湧かなかった。吸血鬼はあくまでもメネルの敵なのだ。
シアリスは椅子に座り直すと姿勢を正し、真面目を装う。
「……僕の目的はひとつです。しかし、僕ひとりではそれは不可能に近い。お願いします。あなた達の力を僕に貸していただけませんか。
化け物の中の化け物。デラウ・オルアリウスを殺すために」




