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死人に口なし

 ◆


「なんなんですか、この化け物は」


蛇の首を両断したのはシアリスであった。

 彼は小さな体と細い腕で、自分の身丈に届きそうな長さのある長剣を振るっていた。そして、その荒々しさにも関わらず、その声は冷静である。

 切り落とされた蛇の頭は、黒い塵となって消えていく。襲いかかってきた蛇の頭をすべて払い除けると、倒れ込んだオノンたちを見る。


「まさかあれが例の収集家コレクタルですか。ルシトールさん」


正装が妙に似合ってない男は、吸血鬼狩りのルシトールであった。


「あいつのガキ……か。父親もバケモンなら、子もバケモンだな」


「酷いな。助けてあげたのに」


シアリスは傷付いた表情を作る。


「ありがとう。助かったわ、シアリス、トピナ」


オノンが起き上がりながら言う。


「いったい何がどうなってるのさ。あれ、なに?」


トピナは持ってきていたオノンの武器を差し出しながら、のたうち回る多頭の蛇を見ていた。


「あんなハイドラ見たことない。首が伸びるやつなんて」


先程の攻撃は明らかに首が伸び、変形していた。ハイドラの首は大小様々で、切られればまた生えてくるものだが、変形して太くなったり、伸びるようなことはない。

 さらに切り落とした蛇の首は、溶けるように黒い灰となって崩れ去ってしまう。シアリスはその様子を見て、吸血鬼の影の力と同様のものだと感じとった。

シアリスとトピナという援軍の登場とともに、兵士たちは勢い付き、攻め手を増やした。

 蛇の頭が次々と切り落とされていく。逆に押され始めたハイドラは、その首を引っ込めはじめる。それは一つに纏まっていき、竜巻のようにそそりたった。それは一瞬真っ黒になり、手が生え、足が分かれ、今度は巨大な人型となる。


「サイクロプス!」


兵士の一人が叫んだ。一つ目の巨人である。その背丈は成人男性の五倍はありそうだ。

 その巨体に圧倒されてしまった若い兵士が、横から飛んできた巨大な手に掴まれる。兵士の悲痛な叫びも虚しく、巨大な手に握りつぶされ、血反吐を吐き出す。サイクロプスは彼を振りかぶると、シアリスたちに向かって投げつけた。

トピナが魔術による壁を作り出し、彼を受け止める。衝撃を殺すような柔らかい壁だ。投げつけられた若い兵士はまだ絶命していなかった。霊薬による強化のお陰だ。しかし、すぐにでも治療しなければ、命を落とすことは明白である。

シアリスは息を吸い込む仕草をしてから、声を発した。


「兵士諸君、聴け! この化け物は私たちで相手をする。動けるものは負傷者を抱え、今すぐに撤退せよ!」


父が命令を下すときの声色を真似する。子どもの声ではあるが、貴族然としたその口調に兵士たちは従わざるを得ない。そのように訓練を受けているからだ。

 撤退を開始しようとした兵士たちを止めようと、部隊長が声を出そうとするが、いつの間にか目の前に現れたシアリスに止められた。


「これだけ派手に暴れたんだ。もうすぐ守備兵が駆けつけるよ。あなたたちがここに、その格好でいることがバレると、まずいことになるのじゃないかな?」


隊長はその言葉を聞いて逡巡をする。この子どもはすべて知っている。こいつを殺すべきか。しかし、かなりの使い手。さらには貴族の子ども。撤退するしかない。だが、エルフは。この化け物は。


「……っ。撤収する! ひとりも見捨てるな!」


隊長は半ばヤケになって叫ぶと、自身も負傷者を抱えて走り出した。


「ルシトールさん。あなた達は逃げないでくださいよ。狙いはあなた達のようですから。街の中に逃げ込んだら、あなた達、死罪じゃ済まされませんよ」


 サイクロプスは兵士たちには見向きもしない。どうやら興味があるのは、こちらだけということらしい。

 シアリスの露骨な脅しに、ルシトールは逃げようとしていた足を止めた。街の中に化け物を引き込んだとなれば、それだけでも罪に問われる。

 トピナがシアリスに、逃げ出した兵士たちを指して言う。


「おい、いいのかよ、シアリス。あいつら逃がして」


「まぁ、大丈夫でしょう。彼らがどこの部隊のものか判りましたから」


シアリスとしてもまさか正規軍に所属するものを動かしてくるとは思ってなかったのだが、黒幕は相当にイカレている。もはやなりふり構ってはいられないのだろう。


「それよりも目の前のこいつです。オノンさま、まだ戦えますか」


「問題ないわ」


サイクロプスは牙を鳴らして、その単眼でこちらを睨みつけている。いや、見ているのはひとりだ。ルシトールの後ろにいる少女である。彼女がなんだというのだろうか。理由はわからないが、相手の目的がそれならば阻止するのみだ。


「ルシトールさん、こいつが収集家コレクタルなのですか」


再度質問する。まだ答えないようなら先にこいつを殺す。


「そうだ! こいつが収集家コレクタルだ」


殺さずに済んだ。


「吸血鬼というのは、こんな風に変身するものなのですか」


できないことはない。いくつかの形態は持っているし、骨格も変化させることは可能である。しかし、ここまでの大きく急激な変化はできない。そんなことをすれば生命力を使いすぎてしまい逆に力が弱まるうえ、慣れない肉体に脳が混乱して、最悪意識を失うこととなる。

 だが、目の前の相手が吸血鬼であることは、確実である。影の力は吸血鬼か、その従徒のみが使う力である。収集家の影の力を、シアリスは感じていた。


「知るか! 普通の吸血鬼なら、オレたちだけで楽勝だったんだ……」


サイクロプスは動かずにいる。どうやら警戒しているらしい。もし、この吸血鬼がパーティにいたのならば、オノンやトピナの実力は聞いているはずだ。それに、今さっき見せたシアリスの剣技も侮ることはない。

 ハッキリ言えば、収集家には勝ち目はないはずである。それでも逃げようとしないのは、大事な何かがあるということなのだろうか。

吸血鬼の力を解放できないのが口惜しい。

 俄仕込ニワカジコみの剣技だけで、なんとかできるだろうか。城では練習していたものの、これほど大きな得物は得意ではない。

 さすがに吸血鬼狩りの前で、影の力を使うのは避けるべきだ。が、影の力を使えば、収集家のこの変身能力の秘密を探ることができるかもしれない。今後のためにも、この秘密を解き明かしておきたい。


(一瞬だけだ。目だけに集中して、力を解放してみるか)


そういった使い方をしたことはないが、やろうと思えばできるはずだ。収集家にもシアリスが吸血鬼だとバレる可能性はあるが、どうせ殺すのだ。関係ない。シアリスはソビえ立つサイクロプスの巨体をしっかりと目で捉えると、影の力を解放した。


「ぐっ⁉」


思わず呼気が漏れる。

 力は解放され収集家がどのようにして変身しているのか判った。

 それよりも問題は、何か強烈な力に干渉されたような気がしたことだ。この抗い難い感じは、血への渇望だろうか、それに近いものである。

 溢れ出ようとする吸血鬼としての本性を無理やり押さえ込んで、シアリスはなんとか平静を装った。


「シアリス?」


オノンだけが異常に気が付く。


「……失礼。問題ありません」


収集家がその異常に気付いたのはわからないが、サイクロプスの巨体を揺すって、天に向かって咆哮を上げた。自分自身を鼓舞する意味もあるのだろう。

 焦土と化した広い夜の公園、燻る火たちが咆哮の振動で揺れた。

象のような平らで丸い足が踏み下ろされ、地面が揺れる。一歩、二歩と踏み込んで、サイクロプスは間合いを詰めた。離れた位置にいたつもりだったが、サイクロプスの巨体には、三歩程度の距離だった。

巨大な手の平が振り下ろされ、シアリスたちは四方に散る。

 オノンは左に、トピナは右に。ルシトールたちは下がり、シアリスは前に出た。シアリスの髪を巨人の太い指がかすめていく。長い剣が地面を掻く。巨体の股を潜り抜けたシアリスの剣が巨人のカカトを削った。しかし、それだけでは倒れない。

巨人はよろめくがまるで痛みを感じないかのようだ。蛇の頭を切り落としたときもそうであったが、こいつは痛みを感じていない。

 吸血鬼にとっては、痛みはただの情報に過ぎないが、肉体を制御するには必要不可欠なものでもある。それを必要としていないのであれば、この巨体のほとんどが、影の力によって作られた仮の肉体であると想像がついた。

 本来、影の力をこれほど大規模に使うことはできない。

吸血鬼の能力を解放して見たとき、サイクロプスの体にはいくつもの出土品の魔道具が埋まっていた。胴体を中心に、頭肩肘腰膝など各所に埋まっている。魔道具の形は様々で、決まった形のものが必要ではないようだ。

 影の力に取り込んだそれから、その魔力を取り出し自身のものにし、影の力の中継地点のように使っているのだ。これは収集家が身に着けた、一種の技術だと推測する。

その技術とは裏腹に、影の力を使う本体は、とても小さくか弱く見えた。

 手足がなく、胴体と頭のみのそれは、吸血鬼、不滅者ではありえない。従徒、それも主人である不滅者を失った従徒だ。

繋がりの絶たれた従徒は死ぬ訳では無い。主人である不滅者との繋がりは、不滅者自身が望まぬ限り消えることはない。繋がりが絶たれるときというのは、罰として不滅者が従徒に与えるときのみである。

 不滅者と従徒というのは主人と奴隷の関係であるので、その解消は罰とは言い難いはずだが、吸血鬼の従徒は主人がいなければ、ただの醜く弱い獣である。主人との繋がりが肉体を維持し、影の力を行使するために必要不可欠なものなのだ。

主人をなくした従徒は、影の力をワズかしか使えず、再生するにも力が足らず、吸血鬼としての飢えに苛まれ続ける。陽の光で弱体化するだけの、ただの人と変わらぬ……、それ以下の存在と成り果てる。

では『収集家コレクタル』とは、なんなのだろうか。

従徒と不滅者の決定的違い。

 それは、不滅者は生命力を影の力に転化して保存し、肉体を再生させ何日も血を飲まなくとも過ごすことができることだ。

 従徒にはそれはできず人間が食事をするがの如く、人間から血を奪い続けなければならない。常にリスクを背負いながらも、狩りを続けなければならない。生命力を貯蓄できる量が、圧倒的に少ないのだ。

おそらく収集家は、狩りのために出土品を使うことを覚え、更にその魔力を影の力に利用することを会得したのだ。

 収集家は、足らない影の力を出土品の魔力から補い、それを手足の代わりにし、骨格のように使って巨体を維持している。そして、必要ないときは影の中の異空間に仕舞い込んでいるのだろう。

そんなことをできるとは驚きである。シアリスにとって影の力とは、何千年もの間に使い方の確立された、便利だが古びた能力でしかなかった。

 それが今、目の前の弱りきった吸血鬼の従徒(レッサーヴァンパイア)の工夫によって進化しているのだ。


「ハハハッ!」


シアリスは小さく笑った。こちらに来て、吸血鬼と化してからの、初めての心からの笑いである。

 吸血鬼は笑わない。

 笑ったように見えることはあるが、心身を完全に操作できる吸血鬼にとって笑いとは、自ら操作して行うものである。だが、今回シアリスは何故かそれを我慢できなかった。

オノンの放った精霊の矢がサイクロプスの瞳を貫き爆発する。頭部は燃えて弾け、上半分が無くなった。

 それでも巨人は動きを止めず、オノンを目掛けて拳を振り下ろす。オノンはそれを下がって躱した。地面が揺れ、土埃が辺りに舞う。


「こいつ、全然怯まない!」


オノンが嘆いた。どんなに鈍感な生物でも、脳幹を吹き飛ばされても気付かないようなものはない。


「だったらこいつはどうだ!」


トピナが素早く近付き、振り下ろされたままの巨人の手に触れる。触れた箇所が僅かに輝くと、そこから亀裂が無数に走りはじめる。巨人が手を動かしたのでトピナが離れると、まるで砕けるかのようにその腕が破裂した。

亀裂はサイクロプスの肩口まで迫り、腕はその自重によって地面に落ちる。その傷口からなにやら道具らしきものが零れ落ちる。

 体内にある魔道具が、トピナの魔術によって砕けたのだ。頭を砕かれても動じなかった巨人が痛みに吠えた。上体が浮き、胸が逸らされる。

そこに上空から影が飛び込んできた。黒い姿となったシアリスだ。

 翼と影を纏ったシアリスは、もはや変装などしていない。吸血鬼としての本性をアラワとしていた。


「デーモン⁉」


ルシトールが叫ぶ。それを否定するのは、その後ろに隠れていた少女だった。


「あの子も、吸血鬼……!」


シアリスの指がサイクロプスの胸骨を貫き、その中に隠れたものを掴み取る。

 シアリスの影の力が肉を削ぎ、巨人の胸部が炸裂した。

 血肉が雨のように降り注ぎ、皆のドレスを台無しにする。サイクロプスは残った腕でシアリスを振り払おうとするが、シアリスの黒い翼が触手のように変化し、その手に絡みついてねじり切ってしまう。

シアリスが手足を踏ん張ると、サイクロプスの胸部から血にまみれた肉塊が取り出される。

 胴体と頭しかないそれは、手足と思われる部分がいくつもの繊維で巨人と繋がっていた。

 どうやら収集家は、肉体を再生できないのではなく、手足を変化させることで魔物の姿を象っていたのだ。

力任せに繋がった筋繊維と神経を引きちぎると、サイクロプスは一瞬硬直するが、すぐに力を失い、崩れ落ちるように倒れ伏せた。そして、跡形もなく塵となり消えていく。

舞い降りたシアリスの手の中には、収集家の本体がもがいていた。

 その肉塊の首筋に、シアリスの吸血鬼としての長く鋭い牙が突き立てられる。その瞬間、収集家は力を失い命尽きた。

 しばらくの吸血の後、長い牙が引き抜かれる。

 誰も動けなかった。

 オノンたちはシアリスの異様に、驚きを覚えながらも味方だと思っていたし、ルシトールたちは混乱の極地にあった。

シアリスが息を吐いて空を見上げた。そして血の滴る口元を拭いもせずにルシトールたちを、およそ人とは言えない赤い瞳で見つめる。


「その子どもを渡せ」


どこかで聞いたセリフであるとオノンは思った。

 サイクロプスがまだオルトロスだったときに言ったセリフとそっくりだ。オノンは脇目で三人組の一人である少女を見る。いったいこの痩せた少女の何が魔物を引き寄せるのか。


「オノン!」


トピナの声で目が覚める。眼前まで音もなくシアリスが迫っていた。爪が振り払われる。オノンは持ち前の反射神経でそれを躱すが、一瞬遅れた分、腕の皮膚を掠めた。

 血飛沫が舞う。

 掠っただけであるのにオノンはバランスを崩し、倒れ込んでしまった。当たれば確実に致命傷になる攻撃。今まで友好的であったシアリスが何故こんなことをするのか。オノンは考えたが、そこは歴戦の勇士であった。

トピナは叫びともに魔術詠唱の最後の一節を唱えると、霆の槍がシアリスに突き出される。シアリスはそれを手で弾くような仕草をするが、自分の足がオノンの矢によって地面に縫い付けられているのを気が付いていなかった。

 ほんのわずかの動き遅れがシアリスの防御を崩し、雷鳴を伴った閃光がその胸を直撃する。驚きを置き去りにして、シアリスの小さな体を、焼けた森の中へと吹き飛ばした。

闇の中に消えたシアリスを警戒して、オノン、トピナ、ルシトールとその仲間は、目を凝らして周囲を警戒する。だが、その警戒とは裏腹に、シアリスは姿を現さなかった。


「気配が……消えました」


少女のことを、身を呈して守っていたドレスの女が言った。

それとときを同じくして、大勢の足音が公園内へと流れ込んできた。みなが松明を持っているので、かなりの明るさになる。

 ようやく本物の街の衛兵たちが駆けつけてきたのである。大体の場合、間に合わないのが彼らの仕事だ。

明るくなった夜の公園は、燻る木々と燃え尽きた芝生、崩れたベンチや東屋、えぐれた大地。戦争でもあったのかという様相である。

 そこに居た、正装に身を包んだ五人は、血にまみれた姿であった。兵士たちはその様子を見て、足を止めてしまう。どうすればこうなるのかという思考が、彼らを混乱させた。仕方のないことである。


「これ、どうするんだ? 黒幕は?」


トピナがオノンにササヤく。

 オノンは自分の事だと言うのに、トピナに言われるまで完全に忘れていた。自分を襲った黒幕を探している途中であった。そして、黒幕の正体に気付いたであろうシアリスは、消えてしまった。

誰ひとりとして今夜起こったことの全容が理解できぬまま、近付いてきた衛兵たちに事情を説明しなければならない。シアリスに関わると毎回こうなるのだろうか、とオノンは少しうんざりした。

兎にも角にも、シアリスとは話をしなければならない。

 自分たちはシアリスの変容を黙っておくことは可能だが、このルシトールとか言う傭兵あるいは狩人をどうするか、それが問題だ。


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