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寝ずの番

 ◆


 オノンは帰路に着くことを、ミクス家の執事に告げると、コートを返してもらう。

 馬車を用意するとのことだったが、固辞して歩きで外に出た。貴族街では見回りも頻繁に行われ暴漢が出ることも少なく、街灯も一定間隔で設けられているので、暗闇に足を取られることもない。

  オノンは独り、街を歩く。

 オノンたちは貴族街の内にある、ミクス伯爵の別宅を借りている。しかし、今、歩いているのは、貴族街にある公園に向かう道だ。こちらには人は夜になれば、人はほとんど訪れない。


「ふふふ……なんだか……。この間は罠に嵌ったけど、こんどはこっちが罠にかける番だなんてさ。ワクワクしない⁉」


  シアリスとトピナは物陰に潜み、オノンの後ろをかなり離れて追う。

 トピナの裾を掴むシアリスの姿は、暗闇に怯える幼い弟のようである。しかし実態は、ハヤって飛び出そうとするトピナを、力付くで押さえつけているだけである。


「静かにしていてくださいませんか。作戦が台無しになりますから!」


  オノンがわざと捕まり、その後を付ければ黒幕まで案内してくれる。相手は焦っているから、簡単に済むはずだ。

  オノンが公園に入っていった。別の気配を感じ、シアリスはトピナを物陰に押し込む。

 にわかに背後が騒がしくなり、松明を持った兵士たちが連なって公園の方向に走っていく。装備はこの街の兵士の正規の物で、盗賊や傭兵が変装でもしているのかと思ったが、足取りには訓練を受けた兵士特有の規律がある。どうやら本物の兵士のようだ。

  いよいよ黒幕は隠れることを諦めたらしい。


「よしよし、計画は順調のようですね」


  シアリスは頷く。

 正規の兵士たちを無実の一般市民の襲撃に使うようでは、もはや黒幕とは言えない。あとはオノンが上手く捕まってくれれば、確実な証拠となる。が、鋭い悲鳴と金属が擦れるような音が暗い公園に響く。トピナがニヤリと笑った。


「楽しくなってきた!」


  シアリスの掴んでいた裾を引き千切る勢いで前に行こうとするので、なんとか握力を振り絞ってなんとか止めた。


「どうしてそうなるんですか⁉」


  今ここでトピナが出ていったら、乱戦になってわざと捕まるどころではない。それに正規軍とやり合うことになれば、こちらが悪人にされる可能性がある。しかし、シアリスの心配はよそに、オノンの居場所ではそれどころではない問題が巻き起こっていた。


 ◆


  オノンの回りに兵士たちが展開し、弓矢を構えた。

 オノンを飛び越えて取り囲んだところを見るに、鎖瓶薬を既に飲んでいるらしく、動きが尋常の人間ではない。

 わざと捕まらなくも、これだけの数は分が悪い。こちらは徒手空拳である。本気で抵抗すれば逃げ出せるかもしれないが、こちらも無傷ではすまないだろう。

  一撃目の不意打ちは既に回避した。

 痺れ毒を塗った弓矢だろうか。だが、狙った場所は致命傷になる場所のようである。その後も何本もの矢がオノンに襲いかかるが、それを跳んで躱す。脱ぎ去ったコートに矢が突き刺さる。

 相手が捕まえる気ならば、そんな攻撃の仕方はしない。明確な殺意を感じる。

  第二射が来る。これは避け切れない。


「風の精霊さん、お願い!」


  オノンが叫び指差すと、無数に放たれた矢は軌道を変え、彼女をまるで避けるように飛び過ぎる。その矢はまるで意思を持ったかのように曲がり浮き上がり、反対の兵の元へと帰っていく。

 射手たちの悲鳴が上がった。自分たちの放った矢が自分へと帰ってきたのだ。

 メネル族では死に至るほどの毒が、ヤジリには塗られている。訓練を受けているはずの兵士たちも思わずたじろぐ。

 自分たちが相手にしようとしているものが何なのか、ようやく思い出したかのようだ。

 奇襲は失敗し、既にこちらには無数の怪我人。それでも簡単に引き下がることはできない。


「囲め! 逃がすな!」


  兵士たちは隊長らしき男の声を聞いて我に返ると、その指示に従って剣を抜き、オノンとの距離を詰める。


「いきなり攻撃してくるなんて、とても野蛮なのね」


  オノンが挑発的に口元を歪めて言うと、隊長であろう男が額に血管を浮き上がらせて叫んだ。


「黙れ、エルフ風情が! 大人しく捕まっておれば良かったものを、話を複雑にしやがって……。大人しく降参しろ! でなければ命はないと思え!」


  言っていることはめちゃくちゃである。ほとんど自棄の叫びだ。命令に従わざるを得ない立場というのは、厄介なものだ。けれど今は、捕まえてくれるなら万々歳だ。


「わかった。抵抗はしないから、優しくしてくれる?」


  オノンは両手を上げて降参の意を示した。


「え、捕まってくれるのか」


  隊長は拍子抜けしたように言う。


「よ、よし……、大人しくしていろよ。捕らえろ」


  兵士たちがジリジリとオノンとの距離を詰める。罠を警戒しないわけがない。

 だが相手は初めから丸腰の女ひとりである。魔法が使えるからと言って、鎖瓶薬で強化された兵士複数人を相手取ることのほうが不自然である。

  兵士の一人がオノンの手に手枷をしようとしたとき、それは起こった。

  咆哮である。大型の獣の咆哮が公園の暗闇に響き渡った。それもすぐ近くで。

 ほとんど兵士たちがその叫びが聞こえた方へと視線を向ける。オノンも同様に、よく手入れされた森の暗闇の奥に耳と目を凝らした。

 木々がなぎ倒される音。視線の先の暗闇から現れたのは、三人の人間である。

  先頭は正装の男であった。ガタイが良過ぎて似合っていない。その後ろには家政のドレスを着た女が、鮮やかなドレスを来た少女を、半ば抱えるように走っている。

 オノンたちのようにパーティをそのまま抜け出してきたような格好だが、それぞれ武器を持っているのが不釣り合いだ。

  そして、その後ろには巨大な牙が見えた。

 人間などひと口で飲み込んでしまいそうな程の強靭で巨大な二つの顎。見つめたものを恐怖で凍てつかせる四つの眼。黒銀に輝く美しい毛並み。

  双頭の魔犬、オルトロスである。

  犬をそのまま巨大化させたような魔物だが、二つの頭が異様を漂わせている。魔物の中でも、その脅威度は上位に位置する大物である。


「有り得ない……。こんな街の中に!」


  兵士のひとりが絶叫した。

 街とはすなわち魔物に対する防壁に囲まれた安全地帯のことだ。それであるのにこれ程の大物が街中に出現したのだ。まさしく異常事態である。

  オルトロスに追われていた三人は、兵士たちの姿を認めると、こちらに走ってきた。先頭の男が言う。


「アンタら、伯爵の兵だな! 助かったぜ……。あいつだ。あいつが収集家コレクタルだ!」


  兵士たちはそんなことを言われてもなんの事かはわからなかっただろうが、少なくともこの魔物を放っておいて、エルフ捕縛を優先するなんてことは考えも及ばない。

 すぐそこは貴族街である。もし暴れられれば、街に甚大な被害が及ぶのは明白である。部隊長は混乱していたが、やるべきことは明白である。

 こちらは完全武装した兵士二十五人の小隊である。多少の手傷を負っているとはいえ、既に鎖瓶薬を飲み戦闘態勢なのだ。


「全員、聞け! 任務はここに放棄する! この魔物を討ち取るぞ!」


  大きな返事とともに、兵士たちはオノンを包囲から解放した。本来の仕事はこちらなのだから、手際が良い。それだけではない。魔物はこちらの混乱した様子を見ても、なかなか襲って来なかった。さすがにこれだけの数の兵士を前に警戒しているようだ。


「その娘をこちらに寄越せ。でなければ全員死んでもらう」


  オルトロスが唸るように声を出した。上位の魔物の中には人語を解すものもいる。だが、本来、オルトロスは喋る程の知能は持たないはずである。


「オルトロスが喋った……。こいつ……」


  オノンはその違和感に疑問を持つ。その横まで引いてきた正装の三人組の男が叫ぶ。


「こいつはオルトロスじゃないぞ……。吸血鬼の変身した姿だ! 気をつけろ!」


  オノンはその言葉を聞いてさらに混乱した。吸血鬼が変身してオルトロスになる? ありえない事だ。確かに吸血鬼は変身するが、あくまでも変装程度のものである。ここまで大きく姿かたちを変えることなど聞いたこともない。

  オルトロスの口が赤く輝くのが見えた。


「まずっ……。地の精霊さん、私たちを守って!」


  大地が盛り上がり、オノンと近くにいた三人組たちを取り囲むように壁を築かれる。オルトロスの双口から炎が溢れ出した。土の壁に阻まれているのに、その熱を感じる。

  土壁が崩れ、周囲の様子が見えるようになる。緑の公園であった場所は一瞬にして焦土と化していた。一瞬でも判断が遅ければ、辺りの木々と同様に、消し炭となっていただろう。

  兵士たちはほとんどが無傷ではすまなかった。死人が出ていないのが不思議なくらいだが、こういった魔法対策に使われる鎧を着込み、霊薬を飲んでいる。もっとも今ので、その鎧は役目を終えて、文字通り燃え尽きてしまった。

 倒れた兵士たちを避難させるために、動ける兵士が安全な場所へ担いでいく。ただの一射にて、残った兵士は半数になってしまう。

  なんとか左右に躱した無傷の兵士たちは、挟撃するようにオルトロスへと襲いかかった。

 大型の魔物に対しては、まずは足元を攻撃してバランスを崩すのがセオリーである。四つの足への同時攻撃。どこかが躱されても、どこかで攻撃が当たる。よく訓練された完璧な連携だった。

  しかし、オルトロスがとった行動は予想外のものだった。その場で座り込んだ。いや体が溶けて脚が脚でなくなり、代わりに巨大な蛇の頭がそこから生えだした。

  四足の獣を攻撃しようとしていた兵士たちは、突然のことに驚くも、攻撃を止められるわけもない。

 何人かの兵士は蛇の頭を切り落としたが、不意を付かれた兵士の多くは数多の蛇頭に噛みつかれ、あるいは絞めあげられ、吹き飛ばされる。悲鳴と骨の折れる音が響く。

  今度の姿は、多頭の蛇、ハイドラである。無数の蛇が絡まりあったかのような姿のそれは、包囲する兵士たちに牙を掲げて応戦した。


「なんなの、この魔物……」


  オノンの口から息が漏れる。その横で、逃げてきていた正装の似合わない男が、呆然と呟く。


「嘘だろ……。こんな強いなんて聞いてないぞ……」


  蛇の首の何本かが頭をもたげ、オノンたちの方に視線を向けた。その首は明らかに他の首よりも太くなり、長い。それは少し体を縮め筋肉を圧縮すると、一気に解放して四人へと跳かかった。

  正装の男と、家政の女が剣を構えて迎え撃とうする。少女を抱えて躱しきれる攻撃ではない。オノンは術を発動しようとするが、先程の防御で精霊の力を使いすぎてしまった。再発動にはまだ時間が掛かる。


(やっぱり丸腰はまずかった。せめてナイフでもあれば……)


  作戦のために敢えて武装をすべて置いてきたのだが、後悔するしかない。オノンの武器には精霊が宿っている。多少の連発には答えてくれるのだ。

  眩い閃光が背後から放たれ、蛇の大きく開かれた口内に飛び込むのが見えた。イカヅチの槍の魔術だ。

 オノンはすぐに察すると、二人の男女と少女に覆い被さるように跳ぶ。

 霆が炸裂し、多頭の蛇の体が大きく震えた。さらに飛び込んで来た小さな影が、伸びきっていた蛇の大きな首を一本、その手に持った剣で両断した。



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