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バケツリスト

 ◆


 会場の皆は酒が回り始めて、次第に声も大きくなり始めた。とは言っても上級市民たちの集まりである。喧騒とまではいかない。ただ、酔わせた方がオークションの価格も釣り上がるというものだ。

  庭に面したバルコニーに避難したシアリスは、夜空を見上げていた。

 都心で育った前世のシアリスは、星をほとんど見たことない。田舎に行ったときに眺めた星空も、こちらの世界の星空とは比べ物にならない。街の灯りが少なく、空気が澄んでいるからだろう。

 その彼の背後には、オノンが立っていた。


「あなたの扱いについて、私は決め兼ねている。あなたは命の恩人だし、友人の命を救ってくれた。この恩は返し切れない。けれど、あなたが……」


  オノンは誰もいないことを確かめてから、シアリスの背中に語りかけた。シアリスは振り返って、にこやかに答えた。


「扱いなんて言い方やめてくださいよ。僕は普通の子ども(・・・・・・)です。あなたとも初めて会ったのですから、恩人だとか言われても困ってしまいます」


 次は少し近付いてささやく。


「僕たちは身近な人間を襲ったりはしません。むしろ知り合いになったことで、ここの人たちは安全になったと言えるでしょう」


  シアリスは溜息をついた。


「この話はここまでにしていただけませんか。僕の父に聞かれれば、あなたも僕も命はありませんので」


「……⁉ じゃあ父親も……。ええ、わかったわ。別の話題にしましょう」


  気を取り直したオノンは前髪をかき上げて微笑んだ。


「あなたのせいで酷い目にあったわ。私は社交界なんて興味がないのに。あなたの言うことを聞いたら、こんな会にも出席させられるなんてね」


 シアリスはニコリと微笑んだ。


「今回のオークションの売り上げの一部が、あなたたちの懐に入ると聞きましたよ。さすがに慰労会くらいには出席しておかないと、バツが悪いですものね」


  オノンは目線を逸らして耳の裏を指先で掻いた。


「そんなことより、なんだか貴族だけでヒソヒソとやっていたみたいね。どんな企みごとかあなた知らない?」


「知っていますよ。厄介事がありまして。けれど、その話は我々には関係のないことです。それよりも……。いえ、少し待ちましょうか」


「何を待つの?」


  にわかに背後が騒がしくなり、その音が近づいてくる。オノンが振り向くと、やけに派手なドレスを着た女が、フラフラとバルコニーへと出てくるところだった。

  トピナである。オノンの相棒の魔術師だ。

  彼女は体格が良い。冒険者としてやっていくには、やはり筋肉が必要なのだろう。肩の出たドレスはその筋肉と豊満なボディラインを強調している。

 シアリスの魔術師のイメージとはかけ離れているが、彼女は割りと有名な魔術師のようで、このパーティが始まってすぐに人に囲まれていた。そのためシアリスは、なるべく彼女には近付かないようにしていた。


「コラコラコラ、主役がなにをサボってんだよ! あたしに全部任せっきりにするわけ?」


「トピナ……。ちょっと飲みすぎよ」


  相変わらずヤカマしい女だと、シアリスは苦笑した。オノンは彼女のことを、いつもは騒がしい人ではないと言っていたが、とてもではないが信じられない。


「おっと、そちらのお子さんは? あんたの子?」


「なんでそうなるのよ……。シアリスよ。覚えてないの?」


「シアリス? さあ?」


  慌ただしい出会いではあったし、顔を暗がりだったから仕方ないが、面と向かって話したことも覚えていないというのは、いささか問題がある気がする。

 トピナはシアリスに一歩の距離まで近付いてきて、その顔をマジマジと覗き込んだ。酒の匂いがする。


「子どもの知り合いなんてほとんどいないけど。近頃、知り合ったのなんて闇夜仮面マスクオブダークネスくらいしか」


「ああ、闇夜仮面のことは忘れてくださると助かります。ただのタワムれへすのへ…」


  トピナは眉間に皺を寄せて、シアリスの頬っぺたを両手で抑える。


「まぁ、いいや。あたしはトピナ。魔術師をしている。よろしく、シアリス」


  トピナはにこやかにそう言うと、その手からシアリスを解放した。


「ええ、よろしくお願いします。さて、話の続きをしてもよろしいでしょうか?」


「なになに? なんの話をしていたの」


「まだ何も聞いてないわ。あなたが来るのを待っていた……、のよね?」


  シアリスはニッコリと人好きする笑顔で答えた。

 トピナはがたいは良いし、喋り方も乱暴なところがあるものの、感性は女性的である。その笑顔に頬を赤らめている。その笑顔は、主役二人が集ったバルコニーを眺めていた、他の来訪者たちも、男女に関わらずシアリスの玉のような笑顔に惑わされるだろう。

  こういったことが狙ってできるようになったのは、吸血鬼としての性質なのだ。

 潜むときは全く目立たないのに、目立ちたいときは十二分に目線を集める。カリスマ性の陰と陽を使い分けられるのは、様々な場面で役に立つ。


「実はこれからお二方の腕を見込んで、お仕事を依頼したいのです。内容は……、ここでは人目に付きますので、場所を移してから話しましょう」


 ◆


「というわけで、オノンさまには、また捕まってもらいます」

  シアリスは事も無げに言ってのけるが、捕まるのはオノンである。まずエルフがわざと捕まるのは難しい。

 会場とは少し離れた別の部屋で話していた。ミクス伯にはこの部屋を自由に使って良い言われている。


「それで、あなたたちがコソコソやっていた作戦がこれ?」


  どうやらトピナも会場での違和感に気付いていたらしい。


「ああ、それはまた別件ですね。侵入者がいたので対処しているだけです。そちらに父がかまけているので、僕は自由に動くことができるというわけです」


「厳しい父親なんだ?」


  トピナが同情するように言う。


「いえいえ、心配性なだけですよ」


  オノンがトピナにシアリスの正体を話していないことに、シアリスは少しの驚きを覚えたが顔には出さなかった。シアリスとしては話してもらっても構わなかったのだが、オノンなりの敬意なのだろう。


「まぁ、とにかくです。僕が自由に動けるのはオークションが終わるまでです。その間に終わらせてしまいたい」


「……」


  シアリスの提案とはこうである。

  以前にオノンを狙った誘拐犯は、今この街にいるとシアリスは予測していた。

 前回の襲撃が、誘拐からその目的地に運ぶまでが早すぎた。かなりの焦りを感じる行動だと感じたのだ。

 普通であれば、誘拐したその場から馬車に入れて運び出すようなことはしない。どこか別の地点で監禁し、潜伏。ほとぼりが冷めてから、受け渡しを待つのが定石である。

  ここでオノンが独りで街をブラついていれば、黒幕は必ず何らかの行動を起こしてくるはずである。

 オノンには敢えて捕まってもらい、襲撃者に黒幕の元まで連れて行ってもらう。それができなければ、襲撃者を捕らえて聞き出せば良い。


「多分、今も狙われてますよ。というか、この会場にあなたを呼んだのも、その黒幕の差し金なのではないでしょうか」


「ハッ! 本気でエルフ食えば永遠の命が手に入ると思ってるのか。どんな化け物だよ、その人。笑える。あ、いや全然笑えないわ。ごめんね、オノン」


「別に気にしてないよ」


  トピナが言うことは、もっともである。食べただけで命が延ばせるなら、エルフは今頃狩り尽くされているだろう。例え、その力が強大で、捕獲に甚大な被害が出るとしても、権力者の欲望は尽きない。

  人を食べる吸血鬼でも、人の力を手に入れるわけではない。

 あくまでもその血から生命力を手に入れるだけである。例え魔術師を食べたとしても、魔術が使えるようなるわけではない。吸血鬼でさえそうなのに、ただの人間がそれを行っても、結果は見えている。


「それであたしは何をしたらいいんだ」


  トピナがワクワクした様子でシアリスに訊ねる。


「トピナさまは、このままこの会場でパーティを楽しんでいてください。トピナさまの姿がここにあれば、オノンさまが孤立していると思われるでしょうから、襲撃の確率は上がるでしょう」


「嫌だ」


  トピナは即答で拒否した。シアリスもそう言われそうだなとは予測していた。


「実を言いますと、この作戦について、あなたには話す必要はありませんでした。相手側の作戦に乗って、トピナさまとオノンさまを引き離すように動けば良かっただけですから。それでもこうしてお話したのは、お二方に僕を信頼してほしいと思っているからです。どうか、オノンさまのことは僕に任せて頂けませんか」


「わかった」


  トピナはやけあっさり引き下がった。


「わかって頂けて何よりです。パーティを楽しんでください」


「嫌だよ。一緒に黒幕はボコボコにする」


「全然わかってないしゃないですか!」


  トピナはシアリスの両肩を掴んでその顔を覗き込む。


「お前のことは信用するよ、シアリス。けど、あたしだけ遊んでるなんて絶対に嫌だ。あたしだけ味噌っかすなんて、絶対許さないから」


  シアリスの肩が強く握られる。普通の子どもであれば痛くて泣き出すだろう。


「しかし、作戦を実行するには……」


  バンバンとシアリスの肩をトピナは力強く叩いた。


「わかってるって、要はあたしとオノンが引き離されたように見えればいいんだろ? 任せておけって」


「どうなさるつもりですか」


  トピナはベルコニーに出て、何事かを呟き始める。呪文だ。

 シアリスはその囁き声を、耳をそばだてて聞き取る。オノンの魔法は願い事だったが、トピナの魔法は前に会ったときは、よく理解できなかった。この場合は、魔法ではなく、魔術というべきなのだが、そのあたりの知識は、シアリスは乏しい。

 呪文は声と言うよりは、音だった。

 言葉ではなく、機械から発せられるノイズに近い。だが不快ではない。音楽に近い。

 トピナの身体から、吸血鬼の影の力に似た気が湧き上がるのを感じる。それが音に乗って形を取ると、中庭にトピナそっくりの幻がその場に立っていた。さらにはその横に長身の美男子が立っていて、トピナの幻影となにやら意味深な表情で話し合っている。

 これならば目立つ上に、なかなか邪魔をしに来るものはいない。多少は時間が稼げるはずだ。


「これは……」


「ここでこうして置けばしばらくは誰も近付からないだろ。じゃあ、外で会おう」


  さっさとバルコニーから外に飛び去ったトピナを見送って、オノンとシアリスは、怪しく囁き合うトピナの幻影を後目に、なんとも言えない気持ちでその場を離れた。


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