風前
◆
この世界には魔物と呼ばれる生物がいる。
その中には、単体で国ひとつ滅ぼせるほどの力を持ったドラゴンから、粘菌の集合体であるスライムや、植物の魔物であるアウネウラ、人間と生息域の争いをしているオークやゴブリンなどなど、様々なものがいる。
吸血鬼もその一種として数えられている。
魔物の定義はかなり曖昧である。
人間に害を成すかどうかが基準と言える。例えば、野生動物である比較的安全な鹿などでも人を襲ったものは魔物とされるし、魔法を使わない虎や狼などの肉食獣も、場合によっては魔物として討伐される。
人や国の文化によっては、エルフやドワーフなどの人間種さえ魔物扱いすることもある。
この世界では人間同士の戦いは、余程のことがない限りは起こらない。なぜなら魔物に対処することに兵力を割くことが多く、むしろ各国ともに協力し合うことの方が多いからだ。
大きな国の成り立ちも、侵略占領によって吸収合併されるより、魔物討伐による同盟から王家婚姻による併合のほうが、圧倒的多数派だ。
そのため兵士と言えば、それら魔物を倒すことが主だった仕事となる。しかし近頃では、民間に霊薬が出回ったおかげで、その仕事すら無くなりつつある。傭兵の中には魔物を狙って倒す、賞金稼ぎのようなことをする狩人もいるからだ。
シアリスのここまでの知識は、書物や家庭教師から習ったものである。見たことがある魔物は、およそ魔物らしくない吸血鬼のみで、あまりピンと来ない。
前世でもファンタジーの物語などほとんど触れたことないので、挿絵でもない限りはそれがどんな魔物でどんな特徴があるのかは判らない。ただなんとなく聞いた事のある名前の魔物がいるということは、前世との繋がりを感じさせる。が、それについて考察しても、シアリスには理解できるほどの前提知識がなかった。
◆
到着するなりミクス伯爵に呼び止められたデラウとシアリスは、その豪華な城へと強引に連れて行かれた。街の喧騒から抜けた高級住宅街の一角である。
オールアリア城も豪華な造りではあったが、あくまで実利を重んじたものであった。連れてこられた城は、城ではあるのだが、居城か、あるいは屋敷と言ったほうが近い。もっともこの屋敷もミクス伯爵の別宅の一つでしかないだろう。
屋敷の一室に通された。ここの調度品もかなりのものである。余程の待遇をしなければならない相手に使う部屋だ。
その部屋の中には、場にそぐわない格好の戦士ひとりが手持ち無沙汰に待機していた。
「街に吸血鬼が入り込みました」
シアリスはドキリとしたが、話をし始めたミクス伯が、デラウとシアリスのことを言っているとは思えない。
馬車の中で一通りの世間話を済ませたミクス伯爵は、席に着くなりいきなり本題を話し始めた。
普通は茶の一杯でも飲んでから始めるのが礼儀だが、相当焦っていることがわかる。それに跡継ぎとはいえ、子どものシアリスまで同席させることさえ気にしていない。
「この者はその吸血鬼を追っていた魔物狩りの代表です。吸血鬼はこの辺りの住宅街に逃げ込み、その姿を晦ましたとのことで、現在その行方を追っているところです」
デラウは表情を変えずに、話の続きを促した。
「なるほど。それでどうしてそのような話を私に?」
「デラウ殿には、是非ともその武力をお借りしたい。吸血鬼が慰労会の会場に入り込んだとき、対処をお願いしたいのです」
デラウもシアリスも何かの罠かとも思ったがその様子もない。本当に吸血鬼が入り込んだのだ。そして、その問題を一人で抱え込んで、何らかの事件が起きたとき、責任問題を回避・緩和させるため、スケープゴートとして同僚であるデラウに話を持ちかけたのだと考えられる。
(全く、吸血鬼には縁があるのか。他の魔物も見てみたいんだけど……。この吸血鬼はデラウの知り合いか? だとすると話がややこしくなりそうだ)
シアリスは心の中で愚痴る。
メネルたちのデラウに対する認識は、軍人気質の伯爵である。
パニックが起きたときの指揮官としては心強いし、なにより戦闘能力に優れている。助けを求めるにはこれ以上ない人材という訳だ。
しかし、疑問がある。
「解せませんな。どうやって吸血鬼が、この街にはいりこんだことを知ることができたのですか。それになぜその吸血鬼は逃げようとせず、ここに留まっているのでしょうか。お聞かせ頂けるのでしょうな」
「それについてはこの者がお話します」
ミクス伯は腕を組んで黙っていたこの場に相応しくない格好の男を見た。
明らかにあらくれと言った風貌の戦士の男は、ソファにどっかりと座っているが、既にソファが汚れている。体臭も酷いものだが、ミクス伯が気にもしていないのは、それほど切羽詰まった状況ということだろう。
「話すのはいいが……」
戦士は嗄れた声を出した。
「こんな優男と子どもに話して何になると言うのだ。それよりも、さっさと家を虱潰しに調べるべきだ。こちらには吸血鬼を見分ける魔術師がおるんです。こんなことをしてる場合じゃない」
シアリスは興味深いと思った。吸血鬼を見分ける魔術師がいるのか、デラウの方も興味を示すだろう。と思ってそちらを見たが、座っていたはずデラウはそこにいなかった。
そこにいる誰もその動きを見切れなかった。同じ吸血鬼であるシアリスでさえも、その動きをなんとか捉えることができた程度だ。メネルであるミクス伯も、戦士も、この不意打ちには反応すらできない。
デラウは戦士を床に押し付けていた。首を掴み、敢えて打ち付けず、ただ抑え込むだけだ。
ソファを跨いで持ち上げて落としたはずなのに、戦士はダメージを受けていない。どうやってやったのだろうか、影の力使ったとも思えない。
戦士は何が起きたか分からなかったことだろう。デラウの囁き声で目が覚める。
「その点は心配及ばんよ。私はお前よりも強い。その血を受け継いだ我が息子も、吸血鬼を取り逃した貴様より役に立つぞ」
戦士は咄嗟に腰の得物を探すが、屋敷に入る前に取り上げられている。
「て、てめぇ、何のつもりだ」
戦士は強がるが声が出ていない。喉を押さえられているからだ。息ができないほどではないが、その手をどかそうとするもビクともしないらしい。
「お前のように学のない者には、この方がわかり易いだろう。霊薬がなければ何もできない出来損ないが……」
「父上、あんまりいじめないでくださいよ。話が進みませんので」
シアリスが助け舟を出す。どっちが保護者なのだろうか。
「デ、デラウ殿、ご子息の言う通りです。あとでこやつは私が罰しておきますので……」
デラウは渋々と言った様子で手を離した。優雅にジャケットの襟を正して立ち上がる。
「お優しいですな、ケーヒト殿は。シアリス、下々の者にはときに厳しく接しなければならんぞ。こやつらは躾てやらねば、増長するばかりだ」
「その通りでしょうね。ですが、その戦士も格の違いが理解できたでことしょう。さぁさぁ、お立ちください、戦士さま。そういえば、お名前を伺っておりませんでしたね」
シアリスはさりげなく、自分の三・四倍の体重はある男を片手で引き起こす。城の人間たちにはとても評判の良いスマイルで戦士を見つめた。
戦士は少し身震いしてから、シアリスから離れた。
「俺の名は……、ルシトールだ」
「そうですか、ルシトールさん。では今がどのような状態なのか、お聞かせください」
シアリスは席に戻ったが、ルシトールは立ったままだった。
「俺たちは一匹の吸血鬼を追っていた。これがそいつの手配書だ」
彼が懐から出したのは、古びたヨレヨレの紙だ。
その紙には似顔絵が描かれていたが、それはまるで生きているように動くと、別の顔に変わった。男になり女になり老人になり若人になり。まさに百面相と言った様子だ。
シアリスにとっては初めて見る動く絵画だが、別に驚きはしなかった。動画のようなものだ、見飽きている。
魔法によってこのようなことができるのは興味深いが、驚くほどのものでもない。魔法で動こうが科学で動こうが、シアリスには仕組みはどちらも理解できないから同じことだ。
デラウも驚いた様子はないが、その紙を真剣に眺めている。
「それは……何十年前の手配書だ。その吸血鬼で間違いないのか」
手配書には金額や発行元、そして発行年月日が書いてある。
「悪いけどな、旦那。吸血鬼に時間や年月なんて関係ないのさ。だからこの手配書は今でも有効だし、間違いねぇ。これこそ、こいつがここに留まっていることがその証拠だ」
狩人商会が発行した手配書の名前欄には『収集家』と書いてある。
「この吸血鬼は血を飲むだけじゃねぇ。出土品を集めて回ってるんだ。出土品を盗むついでに血を飲んでいるのか。血を飲むついでにそれを盗むのか。それは分からねぇが、こいつは偏執的に出土品を集めて、それで武装している。捕まえるのは至難の業なんだよ」
「なるほど。つまりはその収集家はオークションを狙っていると言うことですね」
シアリスは合点がいったと、わざとらしく掌で音とたてる。ミクス伯がルシトールの言葉を補足する。
「そうなのですよ。ただ、オークション会場は厳重に守られております故、その場で凶行に及ぶということはないでしょう。めぼしい物品に目をつけて、それを買った者を襲うつもりではないかと考えております」
確かにかなり厄介な相手のようだとシアリスは感じた。人間からすれば潜伏した吸血鬼に付け狙われるほど恐ろしいことはない。
「けれど、今回はもう解決したようなものでは? 敵が来ることがわかっているし、吸血鬼を見分ける魔術師もいる。そこまで慌てる必要もないのでは」
シアリスは子どもらしく(言い方は可愛いらしくないが)楽観視した意見を述べる。それを否定したのはデラウであった。
「いいや、違うな、シアリス。これは負け戦だ。こやつは、貴族の誰かか、その部下に成りすましている。既に成り代わられた者は死んでいるだろう。会場にてこの吸血鬼を見つけたとしても、暴れられでもすれば、人が多い会場だ。被害は避けられん。そこで会は終了。ケーヒト殿は責任を取らざるを得ないだろう」
「そういうことですか。そうなると先程ルシトールさまが申していた通り、虱潰しに家宅捜索……、ですか」
ミクス伯は肩を落としてため息をつく。憔悴しきった様子だった。シアリスは、ミクス伯がデラウをスケープゴートにするつもりだと考えていたが、どうやらそれどころでは無いらしい。既に貴族に被害が出ているこの状況に、かなり参っているらしい。
ミクス伯は話を続けた。
「現状を把握して頂けたようでなによりです……。デラウ殿が協力して頂ければ、会場での被害は最低限に収められるのではないかと……」
ミクス伯はまた溜息を吐いた。デラウは確認する。
「つまりは会場にて、収集家を取り押さえるつもりなのですな」
「そうですな。それしか方法が……」
「そう結論を急ぎますな、ケーヒト殿。ルシトールとやら、貴様らの吸血鬼を見破るという魔術はどれほどの精度で、どれだけの規模で可能なのだ。何人その魔術師はおる」
デラウが割りと突っ込んだことを訊くので、シアリスは打つことない心臓が、またドキリとした。大胆にもこの吸血鬼は、直接、探りを入れることを選んだ。
「いや、そのような魔術があるとは聞いたこともない。その者と会わせて貰ったほうが早いか。ここへ連れて来い」
ルシトールは険しい表情で、デラウの話を聞く。
「悪いがそれはできねぇな。うちの専売特許だ。おいそれと明かせるもんじゃねぇ」
「ほぉ、まだ理解してないようだな」
デラウが剣に手を掛け、腰を浮かしたので、シアリスは立ち上がってルシトールとの間に入った。
「まぁまぁまぁ、父上。自信があるからここにおられるのですよ。なんにせよ、彼らの力を借りなければ何もできないのですし、今は時間がないのですから」
「ふん……」
デラウは腰を落ち着ける。シアリスは一息つくと、クルリと振り返ってルシトールとミクス伯を見た。
「考えがあるのですが、よろしければ一つ、子どもの愚かな戯言として聞いていただけますでしょうか」
およそ子どもらしくないシアリスが、無邪気な笑顔を向けた。
「まずはルシトールさまにも会場に入ってもらい、吸血鬼を探して頂きます。そのために会食の時間を長めにとってもらった方がよいかと。そして見つけた吸血鬼を父に知らせてもらい、その動向を追って貰います。吸血鬼が獲物をつけ狙い会場を出たところで、二人で取り押さえる。というわけです。獲物となってもらう人には気の毒ですが、会場で暴れられるよりは被害は少なくなるでしょう」
「ふむ。単純な作戦ではあるが、悪くはない。問題は……」
デラウはルシトールを見た。
「この者が吸血鬼を見つけられるか、それに掛かっておる事だな」
ルシトールは少し躊躇しているようだ。
「……問題ない。そっちこそ見失うじゃねぇぞ」
再び二人の間に火花が飛び始めたので、ミクス伯が慌てて細かい話を詰める。
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