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始のアトリエ

 ◆


 廊下を誰かが音を立てて歩いてくる。シアリスの従徒、ファスミラだ。

 わざとらしく音を立てるのは偽装のためだ。常に音を立てない人間など不気味すぎる。ノックの音が響き、ファスミラが部屋の中に入ってきた。


「おはようございます。朝食のご準備が整いました、シアリスさま」


  ファスミラはかなり機嫌が良さそうだ。人の血を飲んだからだろうか。


「ああ、おはよう。すぐ行くよ」


  普通は着替えなどを手伝うのだろうが、シアリスにその必要はない。夜眠る必要がないので、着替えの時間を気にすることがない。既に準備は整っていた。

 デラウは翼で服を作っているが、シアリスは何となく落ち着かないため、普段は用意された服を身につけるようにしていた。まだまだ完全な偽装には時間が掛かりそうだ。

  朝食の席には既にデラウがおり、朝食を食べている。


「おはよう、シアリス。よく眠れたようでなによりだ」


「おはようございます、父上。今日もお忙しいのですか」


「うむ。やることは尽きんよ」


  適当な社交辞令を交して、シアリスも朝食の席に着く。ここには人間たちの目があるから、偽装は丁寧に行う。

  テーブルには、卵にサラダ、燻製、漬物、パンなどなど様々な物が並んでいる。シアリスはそれらを十分な量食べた。

 どれも美味しそうな料理ではあるのだが、残念ながら今のシアリスにはただの物体でしかない。料理人には悪いが、どれだけ美味しく作ろうとも、吸血鬼の食欲はそそられない。

 味覚がないわけではないので、人が食べたとき、それを美味しいと感じるかどうかの判断はできる。明らかに腐っているものを、美味しいと言って食べてしまうことはないが、感想には注意が必要だ。明らかに人と違った味覚を表現するわけにはいかない。

 もっとも幽閉暮らしだったシアリスの生い立ち(これも偽装だが)から考えれば、どんなものでも美味しいと言って食べても、違和感がないはずだと考える。だから、何でもおいしいと言って食べた。

  デラウは無言でさっさと朝食を済ませ、席を立つ。去り際にシアリスに声を掛ける。


「後で執務室に来なさい」


  そう言って去っていった。何の話だろうか。彼の方から公の場で話があると言ってくるのは珍しい。

 昨夜、エルフに正体を明かしたことがバレたのだろうか。もしそうであるなら、残念だがエルフを殺せと言われるだろう。いや、既に父が殺したあとかもしれない。

  朝食も早々に、ソワソワとしながらデラウの執務室へ訪れたシアリスは、父に何用かと問うた。


「随分と従徒に甘くしているようだな。生き血を飲ませたのか」


  そっちの話か。胸を撫で下ろす。


「ええ、狩りに連れていきました。役に立ちましたよ」


  デラウは小さく「そうか」と言って、窓の外を見つめた。


「わかっているとは思うが、従徒は友人にはなり得ない。従徒が力をつければ、束縛は緩む。ヤツらを縛っているのは、生への執着と恐怖に過ぎない。ゆめゆめ忘れぬことだ」


「かしこまりました」


  従徒の生死は、本体である不滅者の意のままではあるが、もし従徒が覚悟を持って逆らえば、処理をするしかない。

 完全に意識を奪って操り人形にすることもできるが、そうなれば臨機応変が効かなくなり、役に立つ場面は限られてくる。デラウの従徒や、ファスミラのように、人間として潜伏させることはできないだろう。デラウとしては、生かさず殺さずの状態にしておくことが望ましいのだ。

  デラウはシアリスをその生気のない目で見つめる。


「それで、影の中に何人捕えておる」


「……お気付きでしたか」


  デラウはシアリスの影の中に潜む者を、何らかの感覚で察知する。それがどれ程正確であるか、隠し通すことできるか、試してみたかった。

 シアリスは影の力を解放して、中から人を取り出した。昨夜の倉庫でどさくさ紛れに捕らえた三人の盗賊である。彼らは眠るように意識を失っていた。


「ひとりは従徒にできそうでしたので、攫って連れてきました。他二人はオヤツにでもしようかと思いまして」


「別にどうしようと構わんが、死体の処理には気を付けなさい。それとあまり長く影の中に閉じ込めておかぬことだ。血の味が落ちるぞ」


  初耳である。人を攫うとき、影の中に閉じ込める方法は習った。しかし、味が落ちるとは聞いていない。

  気を失い、身動きが取れなくなった者ならば、影の中に生きたまま閉じ込めることが可能である。影の中では、行動を制限し意識を混濁させることが可能だ。しかし、意思の強い人間ならば、脱出されることもあるという。だから長時間、影の中には入れておくなとは習ったが……。


「従徒の血が飲めぬのと同じ理由だ。影の力は便利だが、ものに影響を与えすぎる。長時間留めておけば、人の身では持たずに死に至る。力が染み渡って、味が落ちる」


「そうなのですか」


  従徒の血は、自分の血のようなものである。飲んでも美味しいとは感じない。従徒と吸血鬼との影の力による繋がりが、それを拒絶するのだ。

 影に閉じ込めた人間には、自分の影の臭いが染みつく。異臭がする肉を食べたいとは思わないのと同じことだ。


「ついてきなさい」


  デラウが執務室の横の扉を開けた。城の構造上、そこにはほとんどスペースがないはずだ。収納だろうと思っていたので、不思議に思い覗き込む。案の定、そこには棚に細々(コマゴマ)とした物品が収められているだけだった。


「この隙間だ」


  それだけ言うと、デラウは影となって、棚の奥の小さな亀裂の中に消えた。シアリスは少し困惑するも、覚悟を決めてその中に入り込む。

  中は水道管のパイプのようになっているが、かなり細い。途中で曲がりくねり、多数に分岐している。どんどん下の方に進み、パイプの切れ目から抜け出すと、たどり着いたのは城の地下であった。

 城内部はかなり探索したつもりだが、不滅者専用の通路があるとは、全く気が付けなかった。

  地下はいわゆるダンジョン、地下牢獄となっており、使われないときは誰も近寄らない。隠し部屋もいくつかあるが、緊急時の避難用や、使われていない宝物庫程度のものである。

  デラウは更に奥へと下へと進んで行き、行き当たったのは小さな牢獄の扉である。扉は朽ち気味で、蝶番は外れそうだ。その小さな扉の穴に、デラウはどこからか取り出した鍵を差し込んだ。

  デラウが扉を開けると、そこには庭園が広がっていた。よく手入れの行き届いた庭園には、地下とは思えない程の陽の光がさしている。物理的にありえないことである。


「これは、魔法……、ですか」


  そうとしか思えなかったため、そう呟いた。


「そうだ。正確に言えば、魔術。もっとも魔力の純粋な使い方、空間魔術だ。古代の魔術師が作り出したアトリエの空間を、そのまま利用している」


  アトリエとは言えば、魔術の研究所のようなものだと書物の記載を思い出す。

 エルフとメネルの戦争の後、古代魔術師と呼ばれた存在はエルフによって駆逐された。だが、古代魔術師の遺産として、世界各地には『アトリエ』と呼ばれる異空間を有した建造物が残された。


「空間を転移したのですか? どこか別の場所に……」


「いいや、ここはあの地下牢だよ。オールアリア城はアトリエの上に建てられた、世にも珍しい城なのだ」


 地下牢に偽装された空間が引き延ばされて、このようになっているのだ。

 いったい、古代魔術師というものは、どれだけの力を持っていたのだろうか。気になるところではあるが、残念ながらそれを知ることは、長年の研究でも明らかになっていない。

  もうひとつ、シアリスは気になったことがある。確かアトリエはそれぞれが防衛機構を持っており、侵入者に対して容赦しないと書いてあった。


「危険ではないのですか」


「問題ない。ここはとうの昔に無力化され、探索し尽くされておる。今はその空間を残すのみだ」


  デラウによれば、この空間は千年ほど前に無力化され、オルアリウス家が接収した。そして、様々な物品の保管や、秘め事の場所として利用されてきた。

 アトリエ内には水が湧き出しており、気温も安定しているため、戦時には食料品の保管庫や、一時的な避難所としても使われたらしい。そして、この空間こそ、デラウが欲したものなのだと言う。彼は歩みを進め、シアリスもそれに続いた。

  奥に進み、庭園を抜けると森が広がっていた。まるで自然の中のように、鳥のサエズりや川の流れる音が聞こえる。驚いたことに鹿の群れが逃げていくのを目撃した。


「これは……、一体どれほどの広さがあるのですか。川まであるとは……。それにあれは野生の動物ですよね……」


「広さか、正確にはわからんな。オールアリアの城下町ひとつ分は優に入るだろう」


  山間部にあるオールアリアの城下町は、決して広くはないが、それでも二万人以上の人間が暮らしている。それと同じだけの大きさの空間が城の地下にあるとは信じ難い話である。領地が倍になるとするならば、オールアリア城はその見た目以上の価値があるという事だ。

  森を抜けると小高い丘が見えた。そしてその麓に小さな村が広まっていた。数百人規模だろうか。小麦畑や水車まであり、まるで地下とは思えない。


「あれは……」


「我がもうひとつの領地。奴隷の村だ」


  この吸血鬼は奴隷たちを、大規模に秘密裏に畜産(・・)するための空間を望んでいた。そして、その条件を満たした場所が、このアトリエだったのだ。

 謂わば、ここは人間牧場。血液生産工場である。

  ひとりの人間がこちらに気付き近付いてきた。近くに来ると、それは人間ではないことに気が付く。従徒だ。デラウの三人の従徒の最後のひとりである。

 従徒は質素な服を着た長身の男の姿であった。どこか儚げであるが、立ち姿からは他の従徒とは違った自信が見て取れた。



「ご主人さま。あなたがここにお越しになるとは珍しい。では、そちらの方が……」


「そうだ、我が子シアリスである」


  従徒は恭しくお辞儀してみせる。


「初めましてシアリスさま。私はミグシスと申します。それで本日はどのようなご要件でしたでしょうか」


  この従徒は、他の者とは違う。人の生き血を飲んでいる。そしてそれをデラウは容認しているようだ。デラウの右腕としての、特権があるのだ。


「今は……、村人たちは居ないのですか」


  何となく奴隷と呼ぶのは憚られた。

  村の家(というか小屋に近いが)の周りには、桶や農具が置いてあり、生活感が溢れている。だが人の姿はない。


「ほとんどの者は畑仕事に出掛けているのですよ。健やかな生活は、味の善し悪しに直結しますから。なるべく自給自足を心掛けさせているのです。休んでいる者を起こしましょうか」


「いや、結構。なるほど……、なるべく自然な状態を維持しているのですね」


  確かに不健康な人間の血は、あまり美味しくない。特に悪いもの食っている人間は不味い。噛む前から嫌な臭いがする。


「そんなことより、シアリス、先程の三人を出しなさい」


  デラウが話を断ち切り、シアリスに言う。この異空間の衝撃に忘れていたが、影の中の盗賊のことを思い出した。影を広げ、三人の捕らえた盗賊を引っ張り出す。


「ここに連れてきたということは、この者たちもここで生活させるのですか? しかし、この者たちは無法者です。他の村人たちと不和を起こすのでは」


「問題ありません。そのために私が監督しているのです」


「ああ、それでずっとここに詰めているのですか」


  今までミグシスとは出会わなかったのは、そういう理由だったのだ。


「待ってください。こいつは……」


  三人を連れていこうとミグシスが影を広げたので、シアリスは止めた。連れていくのは二人だけにしてもらわねば、この細身の男は従徒にするのだから。


(待てよ。もし、従徒にできる人間の性質が遺伝するのだとしたら、この男を種馬(・・)にして、繁殖させるのはどうだろうか。何年かの時間は必要になるが……)


  従徒の補充をいつでもできるようになるし、その味は格別だ。シアリスは頭に浮かんだ考えを振り払う。長く生きているデラウが、この程度のことを思いつかないとは思えない。それに自分は、長くここに留まるつもりはない。


「こいつは従徒にしますので、連れていかないでください」


「承知しました」


  ミグシスの影は残りの二人を持ち上げると、少しだけ浮かせて運び出した。この力を見るにミグシスの力は、ファスミラとは比べ物にならないほど強いようだ。おそらく、かなり長いときを従徒として生きているのだ。

  デラウがポンと手を叩いた。


「よろしい。これからはお前もここを使いなさい。足りない血を補充するのも良いし、オヤツの保管に使っても良い。ただ、ここのもの達を殺すときは、私に許可を取りなさい」


「わかりました、父上。ありがとうございます」


  まさかこれだけの規模の奴隷たちを抱え込んでいるとは全くの誤算だった。心の底からの嫌悪感を感じながら、シアリスはニコりと天使のような笑顔を作った。



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