第二章 月読会(三)
潮兵庫の屋敷の前に来たので、月浄は月念に別れの挨拶をした。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
月念が月浄を見て感情の篭らない声で返事をした。
「月浄も、粗相のないようにな」
合掌して、先輩の月念がきちんと館の中まで入るのを見送ったものの、月浄は心の中では舌を出していた。
月念を見送って少し歩くと、女性が来て、親しげに道を聞かれた。
「あの、お坊さん、ちょっと、いいかい。潮兵庫様のお屋敷って、ここでいいんだよね?」
月浄は被っていた笠を少し上げた。
雀斑だらけの顔で、背が低く、月浄と同じくらいの年齢の女性が立っていた。
「土塁の南側にこれだけ立派な屋敷を堂々と構えられるのは潮兵庫様だけですよ。拙僧も前を通る度に感嘆するばかりです」
月浄はそれとなく皮肉を込めて簡単に答え、場を去ろうとした。ところが、相手の女性は、すぐには月浄を離さなかった。
女性は声を潜めて聞いてきた。
「ねえ、お坊さん。潮兵庫様って、弟の海左衛門様と仲が悪いんだろう。潮兵庫様のところで仕事を引き受けると、他から仕事が回ってこなくなるって、本当?」
噂好きの女性が多いのは檀家周りをしていると、よくわかる。でも、こうもあからさまに、屋敷の近くで僧侶を捕まえ、正直な言葉を口にする女性も珍しい。
「おそらく、本当でしょう」と、正直に口にすれば、お喋り好きな女性はどこで何を言うか、わかったものではないので、正直な感想は言えない。
月浄が潮兵庫の悪い噂を振り撒いていると疑われれば、月念になんと、説教されるかわかったものではない。月念に対して行われる小坊主たちの悪戯を見逃している件が露見するのならまだしも、自らの口が招いた禍で説教の的には、なりたくはなかった。
それに、檀家の内情は、他人には言わないのが僧侶の常識だ。
もっとも、寺の内では僧侶同士では、よく「ここだけの話」として、誰それの時はお布施はいくらで、誰それとの時はお布施がいくらだったとか、話題にしている。
月浄は寺では一番下の僧なので、先輩方が貰うお布施の額を参考に、お布施を寺に過少申告して、抜いたお布施で飴などを買い、幼年の小坊主に与えたりもしていた。
月浄は惚けてさっさと、去ろうとした。
「さあ、あいにく、拙僧は潮兵庫様のお屋敷に入る機会がないので、なんとも。それに、僧侶は檀家の内情を軽々しく口にしないのです。では、これで」
月浄は、女性と話すとあまりいい方向に話が進まない気がした。そこで、すぐに立ち去ろうとした。だが、女性は軽い口調で声を掛けてくる。
「ああ、あと、家の月のお参りを頼みたいんだけど、今ここで頼んでいいかな」
月浄は微笑を浮かべながら笠を取って、剃髪された頭を見せた。
「すいません、拙僧はこれより、別の檀家での法要があるのです。拙僧の頭はこの通り剃髪されておりますので、文字を書こうと思えば書けますが、拙僧の目では頭は見えないので、予定を書いてもらっても、人に教えられないのです」
女性は面白そうに笑って言い返した。
「じゃあ、その頭でいいから貸してよ。私が住んでいる場所と、小菊と名前を書いてあげるからさ。法要が終ったら、他の坊さんに、文字を書いた頭を見せなよ。他の坊さんなら、あんたの頭に書かれた字を読めるだろう」
「拙僧が頭に書かれた文字を見せるとするなら、墨と筆が必要でしょう。坊主の頭に字を書くために潮兵庫様のところで筆で墨を借りたいといえば、断られるに決まっています。となると、小菊さんは檀林寺まで行って筆と墨を借りてこなければいけません。どうせ檀林寺まで行くなら、わざわざ硯で墨をする手間を掛けずとも、他の者に口頭で伝えたほうが、手間が省けるでしょう。ですから、檀林寺まで行って他の者に口で伝える方法をお勧めしますよ」
小菊は軽い口調で文句を行った。
「それじゃあ、結局は、檀林寺に行って頼め、ってことでしょうが。遠回しに言ってるけど、頼みを断っているってことじゃないか。お坊さん、ケチだな」
「ケチといわず、倹約と言ってください。檀林寺は貧乏寺なのですから、倹約しないとやっていけないのですよ。贅沢は仏の道と反すれど、倹約は仏の道でも、黄金と同じなのです。それは小菊殿も同じ、結局は檀林寺に行って頼むほうが、貴女にとっても倹約になり、得なのですよ」
小菊は軽妙な会話に心をよくしたように、月浄を解放して潮兵庫の屋敷に入っていった。
月浄は「勝った」と思う悪戯心を隠し、表向きに合掌して屋敷の中に若い女性が入ったのを見届けて、再び歩き始めようとした。すると、後ろから馬を紐で二頭ずつ繋いで一組にして引いてくる、二人の人が見えた。
月浄は最初は気にせず、歩き始めた。
だが、何かが気になって、少しの間を置いて後ろを振り返った。すると、馬を引いた男二人が潮兵庫の屋敷に入って行くのが見えた。
屋敷に入っていった男の格好から推測すると、馬商人のようだが、妙に思った。
確かに十三湊でも馬は使う。でも、よほどの名馬なら別だが、潮兵庫が馬を交易品として船に乗せて交易に行くとは思えない。しかも、頭数は四頭だけだ。
安東氏の主力は海軍なので、潮兵庫が陸で戦うための馬を揃えようとしているとも思えなかった。
男たちが街の北側から歩いてきたなら、男たちは馬商人ではなく、潮兵庫の使用人だろう。
潮兵庫の屋敷から船に荷を運び込むために馬を連れてやってきたと考えられる。だが、男は檀林寺のある南から歩いてきた。
となると、他国の馬商人と思えるが、国境越えて雪の残る季節。
馬四頭だけを潮兵庫に売りに来る商人なぞ、ちょっと考え難い。それに、先頭の男の顔は、どこかで見たような気もしないわけでもなかった。
月浄は十三湊から出た経験がないので、他国の馬商人の顔を知っているわけもない。なのに見たような気がするのも、変な気がした。
不思議に思って考えながら歩いていると、人を避けた拍子に危うく道端の石の五輪塔にぶつかりそうになり、転びかけた。月浄は「潮兵庫に馬を愛でる趣味ができたのだろう」と勝手に納得し考えるのを止めた。
いくら知り合いの家に行くといっても、汚れた僧衣で法要に行くのは失礼に当る。また、僧衣が汚れているのを見つけかれば、小坊主たちに嘘の武勇伝の一つも作って聞かせねばならないので面倒だ。
十三湊は安東康季の代になってから、石塔の建立が増えたので、十三湊に石塔の類は多い。
檀林寺にも奉納された、五輪塔や宝篋印塔があった。聞けば、十三湖周辺にも多く建てられたと聞く。
石塔の多くは津軽平野の物だが、日引【福井県】や関西で作られた物もあり、石塔の産地は多岐に及んでいた。
土塁が見えてきたところで月浄は、鍛治町へと続く道に入った。
十三湊南側の町は大きな中央街路から、外側に伸びる道が何本もある。十三湊の町はきちんと短冊状に区画整理されており、この時代に珍しく都市計画に沿って作られた町であった。
鍛治町が近付くに従って、鉄を打つ槌の音が、どこからともなく聞こえてきた。
月浄が鍛之介の家を訪ねると、鍛之介が愛想よく迎えてくれた。鍛之介は背は高くないものの、がっしりした体格で日焼けした髭顔、いかにも鍛冶師といった感じの男だ。
鍛之介は月浄の坊主頭に手を載せると、気さくに声を掛けた。
「月浄、また少し背が伸びたな。だんだん坊主みたくなってきたではないか」
月浄は抱きつかれた犬が逃げるように、鍛之介の手をすり抜けた。
「鍛之介さん。もう、小坊主の半月扱いは止めてください。それに、坊主みたくではなく、これでも、一人前の僧です。今日の法要も、拙僧が一人で、きちんと勤めさせていただきまず」
鍛之介は気持ちよく笑うと、いちおう謝った。
「おお、そうか。それは、すまなんだ。俺の頭の中には小坊主の半月の姿しかなくてな。まあ、なんだ、お前が経を読み間違えても、俺たち夫婦はわからんだろうから、気楽に経を上げていってくれ」
月浄は法要を行ったが、緊張のせいか、途中とちって経を噛んでしまい、鍛之介がプッと噴き出した件以外、つつがなく、法要が終った。
鍛之介には妻がいて、名を胡蝶と言う。胡蝶は少しぽっちゃりしたお上さんといった具合で、いつもニコニコしていて愛想がいい。
「昨日、突然、近所の人から水飴を貰ったのよ。月浄は水飴が好きだったでしょう。月浄と会うのも久しぶりだから、水飴でも食べて、少し話でもしましょう」
月浄は一人前の僧として、社交辞令を述べた。
「いえ、拙僧には、お構いなく」
今度は胡蝶が笑った。
「まあ、月浄が拙僧ですって、まるで僧侶みたい」
子のいない鍛之介夫妻にしてみれば、月浄ある意味、子供のようなものと思っているのかもしれない。子供のように扱われるのが嫌な月浄だが、半月時代の昔から月浄を知る鍛之介夫妻には、頭が上がらなかった。




