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第二章 月読会(一)

 月明に月読の守人を継ぐと告げた翌々日から、月浄の一日の予定が少し変わった。午前中の朝課(ちょうか)【朝の読経】はいつもどおりだが、後の作務出頭【午後の労働】がなくなった。


 月浄は作務出頭を免除された代わりに、寺の奥にある小さな部屋で、月読菩薩経と月読心経の修得を御住職から命じられた。


 作務出頭の免除はありがたかったが、ゆっくりと習得するわけにもいかなかった。

 月浄が正式な僧になってとはいえ、二年あまり。


 小坊主たちの大多数は月浄の過去の半月時代を知る者も多く、僧になるまえにはガキ大将的に小坊主たちを纏めていた月浄なので、小坊主たちへの指示は月浄が主にしていた。


 月浄は小坊主たちを本堂に一度、集めてから、指示を出した。


「拙僧はこれより、御住職より重要な修行を命ぜられた。今日よりしばし、作務には立ち会えないが、各自、手を抜かないように、なお、拙僧の邪魔はくれぐれもしないように、いいな」


 月浄が「返事はどうした」と聞き返すと「はーい」と小坊主たちが元気よく答えた。だが、当てにできなかった。

 すでに何人かは重要な修行と聞き、ひそひそと話をする声が聞こえたので、小坊主が邪魔しに来るのは明白だった。


 さっそく経を覚えていると、月浄がどこにいるかを探しに来たであろう小坊主の影が障子に映った。

 月浄は経文を伏せると、落とした物を探す振りをして身を屈めから、障子に近付き、いきなり障子を開けた。


 急に障子を開けられて驚いた幼年小坊主の隠月が、固まった。そこで、隠月をガバッと抱き上げ「こら、何しに来た」と擽った。


 隠月は喜んだような、擽ったいような奇声を上げた。

「ははは、御免なさい。月浄様。ははは、つい気になって、あははは、お許しを」


 月浄は隠月を放して言い聞かせた。

「よし、わかれば、よろしい。お前は、まだ小さい。一度はこれで勘弁してやろう。それで、誰に頼まれた」


 隠月は「それは――」と答えたところで「アッ」と声を上げて口に手を当て黙った。どうやら、隠月は他の小坊主の手先として、月浄の居場所を探らされたらしい。


 月浄は隠月の目線まで腰を落として、視線を合わせた。

「む、やはり、黒幕は他におるのだな、円月だろう」


 隠月が「え、それは」と口ごもったので、月浄の勘は当ったと思った。

「よいよい、答えたくなければ、それでよし。答えれば仲間内で怒られるのだろう」


 月浄が鎌を掛けると隠月は引っかかり「はい」と答えてしまった。

 隠月の頭を撫でて「お前は失敗したから、もう金輪際、するなよ」と、その場で帰した。


 隠月一人に発見されると、すぐに円月なり新月なり、次がやって来るのが目に見えているので、布団を丸めた偽物を置き、別の部屋に移動して、習得を再開した。


 小坊主たちにも 作務や修行があるので、大勢で月浄を探しに来るのは不可能だった。精々、目を盗んで動けるのは数人だったので、その日はもう邪魔が入らなかった。


 けれども、翌日になると、別の部屋も見つかった。悪戯好きで絶えず人の気配を気にしていた月浄はすぐに、次なる新手が数人で来たのを察知した。


 次は経文を書いた紙を白紙の物と取替え、隣の部屋へと襖を開けて移動して、隣の部屋から小坊主たちが部屋に入ってくる気配を窺った。


 月浄がいなくなり、小坊主たちがゆっくり障子を開けて中に入って紙に手を掛けた時に襖を勢い良く開けて、大声でどなった。


「こら、修行の邪魔をするなと言っただろう」


 いきなり現れた月浄に、小坊主三人――新月、海月、花月は、ビクッと、棒立ちになった。月浄は「これは罰だ」と宣言して、新月、海月、花月の頭を平手でペシャリと音がするように軽く叩いた。


 月浄は罰を与え終わると、三人の内で一番幼年の花月に自然に尋ねた。

「円月の姿は見えんな。円月は、どうした?」


「いえ、円月は別の場所を探して――」

 そこまで花月が言うと、慌てて隣の新月が、花月を肘で小突くのが見えた。


 月浄は花月を肘で小突いた新月の頭を、もう一度ピシャリと叩いた。


「こら、幼年の者を苛めるでない。それに、一度でも仲間に入れたら、信用せぬか。それに、たとえ喋ったとしても、咎めてはいかんぞ。それが、一緒に行動するものの義務だ、わかるな」


 新月はおずおずと謝罪した。

「わかりました。月浄様。邪魔をして、申し訳ありませんでした」


 月浄は、萎れたような顔で謝る新月の頭を、ぐりぐりと撫ぜた。


「わかれば、よろしい。見つかったら、素直に謝る。それが正しい道だ。ただしお前たちも、一度こうして失敗したからには、今後は、もう金輪際、するでないぞ」


 その後、二日間は小坊主が来なかったが、三日目に誰かが近づいてくる気配を感じた。


 月浄は隣の部屋に移動すると見せかけて、大きく部屋を迂回して、忍び足で近付き、突如、後ろから小坊主の円月に向って「喝」と大声を上げて驚かした。


 円月は驚いて腰を抜かした。

 月浄はさっそく、驚愕の表情で固まっている円月に手を貸して立たせた。


「やっと来たか、円月よ。拙僧、実はとても、お前の所業に怒っている。なぜだか、わかるか?」


 円月は斜め下を向き、ボソボソと答えた。

「月浄様の修行の邪魔をしに来たから、でしょう」


「修行の邪魔をしに来たくらいでは拙僧は怒りはせぬ。怒っているのは、お前が先頭に立って悪戯をしなかったからだ」

 月浄の言葉を聞いて円月は「えっ」と驚きの表情を浮かべた。


「修行の邪魔は本来、してはいけない行為だ。だが、もっと悪いのは、自分の手を汚さずに、弱い者に危険な役目を負わせる所業だ。お前は頭もよくて、腕力もある。だが、それに、徳がついてきていない。それが、お前の悪い所だ。悪い所を改めないと、結局は皆、お前の側を、いずれは離れてゆくぞ」


 円月は月浄の言葉を聞き、ポカンと口を開けていた。

 月浄は言葉を続けた。


「さて、円月よ。お前には罰として、午後の作務に別堂へ続く道の清掃を追加する。綺麗に掃くのだぞ」

 円月が、すかさず異を唱えた。


「拙僧だけ掃除の追加ですか。それはあまりにも拙僧にだけ厳しくないでしょうか? それにあの広さ、とても独りでは終えられません」


 月浄は自然に言ってのけた。


「説教は説教。悪戯の罰は、悪戯の罰。お前は首謀者だ。罰が重くて当たり前だ。先に言っておくが、掃除が終ったかどうかの点検は月念様にお願いするから、きっちり掃き残しのないようにな」


 円月は項垂れながら、廊下を歩いていった。


 本来なら、次々とやってくる小坊主は邪魔でしかない。他の小坊主たちも、もっと大きく叱りつけてもいいのだが、邪魔をしに来る小坊主たちの気持ちを、月浄は理解していた。


 皆、親を亡くして寺に預けられている、寂しくて、構ってもらいたいのだ。だから悪戯をしに来る。月浄も僧になる前の半月時代は同じだった。


 月浄にとっては、経文を覚える行為も大事だが、小坊主たちの悪戯に付き合ってやるのも、大事な勤めだと思っていた。


 それに、月浄は掃除をするのは円月ただ独りにならないとの確信があった。きっと、新月や海月など、他の小坊主たちも円月を手伝うだろう。円月はそこで仲間の有難味を悟るとの思惑があった。


 月浄が経文の習得を終え、掃除の様子を見に行くと、円月は独りでは終えらないはずの量の掃除を、きちんと終えていた。


 お経の習得を終え、小坊主たちに秘密を知られる前に、日常の作務出頭に戻ると、知客(しか)の月雲に呼ばれた。


 知客とは、毎月の檀家へのお経を上げに行く僧や法要の時に誰を行かせるかを決める役職の、上級の僧侶である。


 月雲は御住職に告ぐ年齢で、髭にもだいぶ白い物が混じってきているが、引き締まった体を持つ頑健な僧である。


「月浄よ。お前もだいぶ僧らしくなってきた。一日は鍛治町に行って無事に法要を勤めてくるように」


 いつも修行三昧で外に出られない僧侶にとって、外に出られ事態は嬉しいものだ。月浄とて嬉しいのだが、あまり楽しそうにすると、他の小坊主たちが悔しい思いさせる。現に月浄は、近くに小坊主たちが潜む気配を感じていた。


 月浄は他の小坊主たちに気を使って謙遜の態度を取った。


「畏れながら月雲様。拙僧はまだ僧になったとはいえ、若輩の身。他の功徳を詰まれた先輩方の僧侶でなくて、よろしいのでしょうか」


 月浄の心境を知らない月雲は、すぐに外出話に飛びつかなかった月浄を、満足そうに見据えて、冗談交じりに説明する。


「拙僧としても、月浄ではいささか心もとない。だが、月浄を指名してきたのは檀家の鍛之介なのだ」


 鍛治町で檀家の鍛之介と聞いて、おおよその理由は飲み込めた。

 鍛之介は月明の兄に当り、本来なら毎月、月明が経を上げに行く。


 おそらく、月明を指定する別の檀家と日が重なったのだろう。月明は武家の間で人気があり、よく武家の法要に呼ばれる。


 十三湊の武士は、だいたいが船を持ち、蝦夷、朝鮮、中国大陸、琉球、暹羅(しゃむ)呂宋(るそん)と幅広く交易を行い、金持ちだ。


 金持ちの武家と一鍛冶師との間で同じ僧の指名がぶつかれば、武家のほうの要望を率先して聞かねばならない。


 御仏の前では金持ちの武家も貧乏鍛冶師も差ない。とはいえ、小坊主八十人も大量に抱える檀林寺の懐事情を考えれば、金持ち武家の要望を優先して聞かざるを得ないのが、娑婆というものだ。


 理由が推察できれば、月浄にとっては鍛之介の家での法要は願ってもない案件だった。


 鍛之介は気さくな人物で、月浄が小坊主でまだ月明に従いて周っている時から、とても可愛がってもらっていた。知り合いの家に外出できる嬉しさは、確かにある。


 僧になったとはいえ、月浄にはあまり法要を任された経験がなかった。なので、たとえ知り合いとはいえ、認めてくれる人物が出てくれるのは、心から嬉しいものだ。


 月浄は顔がにやけないように心がけながら、神妙な面持ちになるように努めて答えた。

「ご指名とあらば、是非もありません。この月浄、きちんとお務めを果してまいりましょう」

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