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第一章 月光菩薩の導き(三)

 経文は四百文字くらいの短いものだったが、経文を唱え終わると、不思議な現象が起きた。

 石版と敷かれた畳の間に、高さが七尺、幅一間の、眩い光を放つ扉が現れたのだ。


 扉は現れると横に滑るように開いた。扉の向こう側は光りで満たされていた。中がどうなっているのかは、眩しくて見えない。


 月浄が眩しい光に目を細め、不可思議な現象に驚嘆していると、月明が娘を促すように声を掛けた。

「月光菩薩様がおわします月への扉が、開かれました。月光菩薩様の許で、心安らかにお仕えください」


 娘が立ち上がり、月明と月浄に一礼すると、光る扉の中に歩いて行った。光る扉の中に入ると、娘は光の中に消えた。


(人が消えた! いったい、どういう仕組みなんだ? これは、悪戯という領域じゃないぞ。ひょっとして、これはお師匠様の法力! もし、法力なら、拙僧も使えるようになりたい)


 月浄は思わず早足で進み出て、扉を横から見た。


 扉の厚さは一尺もなく、娘の姿はどこにも見当たらなかった。まさに、眼前で人が光る扉を通って、どこかへ行ってしまったかのようのだ。


 月浄は娘の啜り泣きの過去なぞ忘れて、興奮していた。

 すかさず月明から、叱責の声が飛んだ。


「月浄。扉の周りを、うろうろしてはいけません。月光菩薩様のお使いに失礼ですよ。ちゃんと愚僧の横に来て、月光菩薩様の使者を拝むのです」


 目の前で光る扉の中に人が消えたのは驚きだった。けれども、普段より師の月明に躾られていた月浄は、反射的に月明の側に駆け寄った。


 月浄は頭を垂れて合掌し、お経を唱えている月明の横に行って同じように頭を垂れて、合掌した。合掌の合間、頭を少し上げて、光る扉の中を見た。でも、月光菩薩の使者の姿は、一向に見えなかった。


(拙僧には、徳が足りないのだろうか? だとしたら、悪戯のせいだ。悔しい、拙僧も悪戯を控えて、徳を積んでいたのなら、月光菩薩様の使者が見えたかもしれぬのに)


 師が頭を垂れているのに、あまり頭を動かすのはまずいと考え、後は素直に頭を垂れた。


 しばらくすると、扉は音もなく閉まり、忽然と消えた。後には月浄と月明しか残されておらず、娘の姿はどこにもなかった。今までのどんな悪戯の結末よりも驚いた。


 月浄にとっては正に『狐に化かされたような』心境だった。

 すぐに、何が起きたのかを月明に早口に問うた。


「お師匠様、今の、いったいなんですか? 何が起きたのですか? どんな大掛かりな仕掛けが別堂にあるのですか。それとも今のが、お師匠様の法力なんですか」


 眼が月への扉の強い光に慣れてしまったせいか、別堂の中はとても暗く感じた。月浄は顔を上げて月明の顔を見たが、暗くてよく見えなかった。


 月明の表情は見えないが、いつもの穏やかな声が返って来た。


「愚僧に月浄が期待するような法力なぞ、ありませんよ。今のが、月光送と呼ばれる、満月の夜に行われる儀式です。月読菩薩経により月への扉が開き、月光菩薩様にお仕えする方を月へ送る、重要な行為です」


 月に人を送るなんて、目の前で起こった現象と、師の言葉でなければ、とてもではないが、信じられなかった。

 月浄は驚き、いつもより大きな声で聞き返した。


「お師匠様、月って、あの、空に浮かぶ月ですか。人は月に行けるのですか。それで、月に行った人は、いつお戻りなられるのですか」


 月明は悲しい顔して首を振った。


「月への扉を潜った人間は、もう娑婆には戻って来ません。月光菩薩の許で天寿まで仕え、そのまま浄土へ赴くのです」


「それじゃあ、本当に月に行ったかどうか、わからないじゃないですか」と月浄の声は喉まで声が出かかったが、寸前で言葉を飲み込んだ。


 師に意見するなんて恐れ多くてできないし、おそらく月明もわからないから、先ほど悲しい顔をしたのだと悟った。


 月浄は半月と呼ばれていた、文字通り半人前の小坊主時代、悪戯を何度もしてきて、一つだけ学んだことがあった。学んだのは、何がどこまで許されるか、何を言ってはいけないか、の線引きだ。


 もし、本当に月光菩薩様が住む月に行けるとすれば、月は極楽に近く、娑婆より苦もなく、安らぎに満ち、過ごしやすい場所のはず。


 それに、御仏に直接お仕えできるなら、この上ない喜び。月明の言葉が正しいなら、悲しい顔をするはずがない。

(月光送は、ひょっとして仏道とは関係ないのだろうか。もしかすると、逆の類の妖術なのかもしれない)


 月浄は頭に浮かんだ考えを、すぐに打ち消した。月明が妖術の類を使うはずがない。

 まだ、月への扉の強い光から眼が慣れない月浄に、月明は静かに言葉を掛けた。


「月浄、ゆくゆくは愚僧の跡を継いで、月読の守人になってくれませんか」

 月読の守人とは、おそらく、今晩のように、人を月に送り届ける役目をする人間を指すのだろう。


 師である月明の言いつけには、ほとんど逆らった記憶のない月浄だったが、このときばかりは「お受けします」とは即答できなかった。


 娘の啜り泣きが頭から離れなかったのと、月浄自身が親から引き離された子の気持ちを、身を以て知っていたからだ。


 すぐに返事をしない月浄を、月明は怒らなかった。ただ、黙って後始末し出した。月明は敷物を再び衣桁に掛ける。次に、提灯の蝋燭の蝋燭に明かりを灯すと、四方の蝋燭を消した。


 別堂二階の中が提灯の灯りだけとなり、別堂の中は再び暗くなった。つい先ほど光る扉の眩い光に照らされていた光景が、嘘のようだった。

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