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第七章 福島城と城を守る者(三)

 刑部が退出し、御住職が立ち上がろうとして「あいたたた」と、縮こまるように体を曲げた。今度は本当に腰を痛めたと思った。


 しばらく、御住職は動けなかった。時間が経ってやっと動けるようになるまで、ややしばらく掛かったが、城の人間は誰も手を貸してくれなかった。おそらく、刑部の命令だ。


 他に方法がないので、月浄は襷を借りて服を縛り、御住職を背負った。

 背負った住職は、とても軽く感じた。


(御住職はこんなにも軽い身体で、武士たちと遣り合っておられたんだな)

 それでも、大人一人を背負いながら城を出るのは、一苦労だった。


 どうにか福島城を出ると、陽はもうとっくに落ちて、暗くなっていた。

 困ったと思っていると、背後から灯りを感じた。


 振り返ると、主水が一人で提灯を二つ持って立っていた。

 主水は少しばかり同情した表情で、ぶっきらぼうに声を掛けた。


「拙者には、其方たちを城に呼んだ責任がある。二人が福島城からの帰り道で怪我をしておかしな噂を立てられたら、(かな)わんからな。道先ぐらい、照らしてやろう。足の悪い拙者と病人を背負った其方なら、速度もそう変わらぬだろう」


 武士の情けというやつだろうか。それとも、体が不自由な辛さを知る人間だからこその優しさかもしれない。どちらにしろ、助かった。


 月浄は素直に礼を述べて、船着場まで御住職を背負って歩いていった。

 月浄は不安だった。


(艀は、まだおるだろうか。だいぶ暗くなってきている。艀がいなければ最悪、腰の悪い住職と船着場で朝まで待たなければならない。そうなれば、御住職が可哀想だ)


 ゆっくり時間を掛けて船着場まで行くと、艀がまだ一艘だけ待っていた。

 船頭が主水の持つ灯り見て、声を上げた。


「主水様、これまた御時間が掛かりましたな。運ぶのは、そちらの二人でよろしいのですか」

 主水が提灯を置き、船頭に銭を渡しながら注意した。


「そうじゃ。ただ一人、腰を痛めた年寄りがおる。船の乗り降りは、そちが手伝ってやってくれ」

 主水はあらかじめ、時間が掛かることを見越して、先に船着場に使いを出して、船頭を待たせていてくれたのだろう。


 御住職を背負いながらだが、月浄はできるだけ礼を尽くした。

「ありがとうございます、主水様。助かりました。これで、今夜中には寺に帰れます」


 主水は表情を和らげて、労わるように声を掛けて、提灯を一つ差し出した。


「なに、武士として当然のことをしたまでよ。とはいえ、拙者は城に用事があるので、ここでまでしか送れぬ。それ、提灯を一つやろう。持って行け。今宵は満月で月明かりがあるが、気をつけて帰るように」


 月浄は満月と聞き、空を見上げた、月は高く昇り始めている。月読心経を唱えて、月光の呼掛けを行うには、御住職をおぶっていては、間に合わない可能がある。


 艀に船頭と協力して、どうにか御住職を艀に乗せた。

 艀は静かに十三湖を縦断して、港湾地区に向けて下っていく。


 月浄は空をゆっくり昇ってゆく月を見ながら焦った。艀がもっと早く進まないかと思うが、夜の十三湖で艀が事故で横転すれば、動けない御住職は確実に助からない。


 月浄が月を見上げながら、やきもきしていると、御住職が苦しげに言葉を発した。

「月浄よ。月は睨んでも、引っ込んだりせんぞ。気を焦らすだけじゃ」


「はい」と答えた月浄だが、気が気でなかった。月光送は続くのだ。月光の呼掛けで、選ばれた人間を知っておかねば、また灰になる人間が出る。


 船着場で船頭に下ろしてもらった月浄は、御住職を背負い、提灯片手に武家町に向って歩いて行った。けれども、御住職を背負って帰れば、月光の呼掛けに絶対に間に合わないのは明らかだった。


 武家町の檀家に一度、御住職を預けて、提灯を持って小走りに帰ろうかと思うと、御住職が耳打ちした。


「月浄よ。焦ることはない。月光の呼掛けで御印を持つ人間がわからなくても、問題はない。どうせ、来月からは月光送は行わん。来月、扉を封印せよ」


 月浄は驚いた。それでは、刑部と交わした約束を違える。もし、封印がわかれば、御住職は殺される。

 月浄が背後の御住職の顔を見ると、御住職は笑っていた。


 御住職は小さな声で続けた。


「時が来たのじゃよ。封印の時が、の。封印したら、お前は清兵衛殿を頼って南部に逃げよ。長生きせいよ、月浄。お前が生きている限り、月光送は再開されんのだからの」


「よろしいのですか」と問うと、逆に怒られた。

「これ、月浄。後ろを見ないで、しっかりと前を見よ。夜道で転んだら、愚僧が痛い思いをするでないか」


 月浄は前を向いて、月明かりの中、できるだけしっかりとした足取りで歩き出した。

 御住職は背後で懐かしそうな声で話し始めた。


「ただ、黙って路を歩くのも辛いじゃろう。どれ、一つ昔話を聞かせてやろう。昔、一人の若い月読の守人がおった。若い月読の守人には、年の離れた師もおった。師は、それはそれは立派な僧じゃった」


 御住職はそこでいったん言葉を切り、苦しくまた悲しそうに語った。


「師は悩んでいた。月への扉へ送るべき人間を示す呪文と、月への扉を開く呪文の部分以外を残し、月読式目を渡すように、当時の御屋形様より命じられたからじゃ」


 御住職は声を小さくして秘密を打ち明けた。


「その年は交易船が襲われ、何十隻もの船が沈み、人が死んだ。そのため、檀林寺に子を預ける親が多かった。師は継続的な援助と引き換えに月読式目を貸すという名目で渡した。師は月読式目が檀林寺からなくなった事態を隠すために、偽りの月読式目を編纂した。ただ、師はお役目に必要な二つの呪文を、月読心経と月読菩薩経として経典の形に変えて残した。また、呪文を写し取る時に封印する呪文も、こっそりと月読上申経と名を変えて写し取った」


 月浄は御住職の話を聞き、驚きで足が止まった。今まで信じた物が全て前の世に創作された作り話だったのだ。月光菩薩に供える経すら、本来は経ではなかった。


 御住職が怒った。

「これ。勝手に足を止めるではない。腰に響くではないか」


「すいません」月浄が再び歩き始めると、御住職は滔々と続きを話した。


「師より、真実を教えられた、若い月読の守人は、たいそう驚いた。月読式目の本物を知る師より伝え聞いたところによれば、月光送とは昔から続く儀式であり、ある種の血筋を引く人間を生贄に捧げて、福島城の防備を固める(まじな)いなのじゃそうじゃ」


 月浄は黙って御住職の話を聞き続けた。

 御住職は悲しさと悔しさを半分ほど滲ませた声で話を続けた。


「師匠より、真実を聞いた若い月読の守人は、月読会で月光送を中止しようとした。月光送の中止は月読会で決まったが、結局は今のように城から使者が来て、引っくり返された。もちろん、若い月読の守人は月読上心経で封印を強行する行為もできた。だが、結局はお城に逆らえなかった。若い月読の守人には寺以外に行く場所なく、弓、刀を怖れたのじゃ。いや、弓、刀は、言い訳じゃな。結局、若い月読の守人は僧ではなかったのだ。単なる弱虫で愚か者だったのじゃ」


 そういえば、住職も自分を指す時に拙僧を使わない、いつも愚僧と表現していた。

 月浄は思いあまって聞いた。


「それは、御住職の過去なのですか」

 御住職は笑って小声で述べた。


「さての、どうじゃったかの。ただ、若い月読の守人は結局、五十年も掛かって、やっと、僧になろうと決意したのじゃ」

 月浄は思っている言葉を素直に吐露した。


「最後に御住職のお考えをお聞かせください。一部の血統の人間を犠牲にして得られる城の守りの効果とは、どれほどのものなのですか? 愚僧には大して効果があるとは思えません。城を守るのは、結局は人です。他人の心を疎かにし、他人を騙せば、人の心は腐ります。心が腐った人間が守る城なぞ、たやすく落ちるのではないでしょうか」


 御住職は平穏な口調で同調した。


「城を護る呪いの効果なんてものは、攻められてみなければわからん。でも、愚僧も呪いなんぞ怪奇なだけで、大して効果なぞあるとは思えん。逆に、わけもわからぬ迷信に心を乱して慢心し、人の心を省みず、惰性で続けて心腐らせる人間が守る城が、より早く落ちると思うがの」


 住職が言葉を語るのを止めたので、月浄は、それ以上は聞かなかった。だが、月光送を中止するのは月浄一人だけでなく、月読の守人たちが願ってきた長年の悲願なのだと思った。


 名も知らぬ娘も、月明も、鍛之介も結局は古来の呪いのために生贄にされた。なら、月光送を中止する行為で仇をとろうと、月浄も決意を固めた。


 寺に着くと月雲と月念が起きて待っていた。月雲と月念は御住職を背負う月浄を見るとすぐに駆け寄ってきた。

 月念は御住職を背負うのを月浄と交代した。月念は交代しながら御住職に尋ねた。


「お城でのお話はいったなんだったのですか」

 御住職は顔を苦痛に歪め月念を叱った。


「これ、月念まず。愚僧の腰の養生が先ぞ。それに、お城での話はお前が気にかけるような話ではない。ああ痛い、早く布団へ」


 月雲と月念が御住職についていれば問題ないだろう。月浄は月念と月雲に御住職を任せると提灯を片手に別堂に向った。

 もう月光の呼掛が可能な刻限はとっくに過ぎていた。わかってはいたが別堂に急いだ。


 別堂の四隅の蝋燭に火を灯し、鎧戸を開けた。窓から綺麗な満月が見えていたが、満月は窓の付いている目印の傷より上に位置していた。


 月浄はそれでも、月の標に向って月読心経を読み上げた。


 静まり返った別堂に月浄の月読心経が響いた。されど、月の標は光らず、誰の名前を浮かばなかった。もう一度しつこく唱えても、同じだった。


 月浄は固く己を戒めた。


(これは、来月にしっかりと月への扉を封印しなければなるまい。御印が出た人が気付いて尋ねてくればいいが、御印が出た人は何も知らないかもしれない。失敗は許されないぞ)


 月浄は後始末をして帰ろうとして一階に下りて気が付いた。


(先ほどは急いでいて気がつかなかったが、一階の空気がいつもより澄んでいる気がする。拙僧より誰かが、先に別堂に入ったのか)


 別堂の入口には特段これといって錠が掛っていない。

 檀林寺は周りが壁で覆われているが、壁は高くないので、夜に外から侵入しようと思えば可能だ。ただ、物盗りが入ったとは思えなかった。


 古い仏具はほとんど価値がないので、値がつかないに等しい。それに、仏具は鍋や釜とは違う。無理矢理、十三湊で売ろうとすれば、必ず足が着く。


 仏像を盗みに入ったが、大き過ぎて諦めた間抜けな物盗りがいたにしては、動かそうとした形跡すらなかった。

 月雲と月念が起きていたので、寺の人間が別堂に向ったら気が付くはずだ。


 仮に刑部の指示を受けた月崔が月光送の妨害に来るのなら、月光の呼掛けの日ではなく、月光送の日に動くはず。

(愚僧の気のせいであればよいが)


 心配になった月浄はもう一度、別堂二階に上がってみた。けれども、月の標に異変はなかった。衣桁の敷物にも変化がなかった。


(やはり、愚僧の気のせいか。今日この場所に他の者が来ても、何の意味もないはず)

 次の日、朝に明るくなってからもう一度、掃除を兼ねて調べてみた。だが、なくなった物はなかった。


 月念、月雲に昨日、寺の者が外に出た者はいなかったかと聞いたが、二人とも夜に寺から出たものは見なかったと告げた。 むろん、月雲も月念も別堂には入っていないと証言した。


 念のために、円月たち小坊主も問い詰めた。

 小坊主たちは昨日の夜一は誰一人、床を抜け出した者はいなかったと話した。


 小坊主たちの顔には、誰かを庇っている様子は全くなかった。


 檀林寺に帰ってくる時、すれ違った者は見なかった。帰ってきた刻限には暗くなっていたので、道を歩くには灯りが要る。

 もし、別堂に忍び込んで、檀林寺から十三湊方面に戻る者がいたとすると、灯りを持っているはずなので、帰ってくる時にちらりとでも、灯りを見るはず。


 侵入者が檀林寺から帰る時に、寺の南にある土塁伝いに続く小道を進んで行けば、月浄とは遭わなかったかもしれない。だが、小道の先には潟湖があるのみ、道はない。


 潟湖を遡れば、町屋地区まで出られるが、提灯を持ってとなると、よほど泳ぎの達者なものか、船を使わなければ無理だ。


(船まで用意して、意味もなく別堂に侵入するだろうか? 刑部様も御住職を完全に信頼していないとはいえ、月光送を中止するとは思っていないはず)


 月浄は月光送を中止すると決めて、ありもしない事態が気なっているのだと思い、別堂への侵入は、なかったと判断した。

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