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第一章 月光菩薩の導き(二)

 月明が普段は使われていない境内の路を歩いて行った。月明が歩いて行く先には、別堂がある。別堂は檀林寺本堂から離れた小高い場所に建てられており、緩い坂道が続いていた。


 別堂は四角い二階建の建物で、床面積は二十畳ほどしかなく、普段の修行では出入しない場所だった。


 月浄にしてみれば、なぜ檀林寺の奥に他人目(ひとめ)に付かないような場所に別堂があるのか、いつも不思議に思っていた。


 いつしか月明に尋ねてみたが、ただ「古い仏具や仏像をしまってある」としか教えてもらえなかった。


 月明は滅多に嘘と吐かないが、別堂に関してだけは、あからさまに嘘を教えていると感じていた。それにしても、下手な嘘だと思った。


 別堂は普段、誰も立ち入ることがない。なのに、夏には別堂へ続く道に生えた草取りをさせられ、冬には除雪もさせられる。


 ただ、古いだけの物をしまっておくにしては扱いが丁寧であり、内部の掃除も小坊主や月浄のような下級の僧に命じれば良いものを、寺の上級僧が掃除をしていた。


 小坊主たちの中には、あの中に入っている物は古い仏具などではなく、きっと海から引き上げられたお宝が眠っているに違いないと噂する者もいた。ただ、別堂に関しては、噂をしているところを他の僧侶に見つかっただけでも怒られた。


 噂をしただけで怒られ、普段は正直な月明ですら嘘を教えるので、月浄は逆に別堂に俄然、興味を持った。


 月浄は他の小坊主たちと真相を知ろうと、率先して仲間内で計画を立てて忍び込もうとした。ところが、忍び込む前に、仲間内で最年少の小坊主の新月が、御住職の誘導尋問に掛かり、うっかり計画を話してしまった。


 忍び込む計画を立てた小坊主一同は、きつい罰も受けた。主犯格たる月浄にいたっては「寺を追い出す」と御住職が一度は明言した。


 多少の悪戯(いたずら)にも寛容な御住職のあまりの怒りように、他の小坊主たちは皆ぎょっと驚いた。


 結局は月明が頭をこすり付けるように下げて、寺からの月浄の追放は免れた。寺から追い出されれば行き場のない月浄を真摯に庇ってくれた恩は、今でも忘れていない。


 さすがの月浄も、この時ばかりは、他の悪戯と違い、罪悪感を覚えなかった時はなかった。


 自分がした悪戯が露見したのなら、怒鳴られようが、打擲(ちょうちゃく)されようが、作務を増やされようが。文句はなかった。


 ただ、月明の頭を下げて月浄を庇う行為を目にして以後は、別堂に侵入するをいくら計画を考えても、どうしても月明の頭を下げる姿が心に浮かんできた。そのため、別堂に関してだけは、月浄の心の中でも別格扱いだった。


 それゆえ、別堂は一部の僧侶しか入ってはいけないとされる未知の場所であり、好奇の的だった。

 小坊主の半月から僧侶となった月浄だが、まだ一度たりとも、別堂には入った経験がなかった。


(やはり、別堂の中には、なにかあるんだ。いったい何があるんだろう。やはりお宝があるんだろうか。だとしたら、絶対、この機に見たい)


 月浄は緩い坂道を上がりながら、小坊主時代から抱いていた秘密を見られる経験に軽い興奮を覚えた。ただ、前を歩く娘さんがなぜ、泣いているのかが、不思議でならなかった。


 別堂の前まで来ると、月明が提灯を月浄に渡して、合掌してから扉を開けた。


 月浄は提灯を高く上げ、別堂の中を照らしたが、中には確かに古い仏具しか入っていなかった。けれども、物置というには、きちんと掃除がされ、掃き清められていた。


 月明が再び月浄から提灯を受け取ると、別堂二階へと続く扉を開けて、二階に上がって行った。

 娘の後ろを歩く、月浄は胸を高鳴らせた。足を踏み入れる行為が許されなかった別堂の二階に、遂に上がった。


 先に上がった月明が、提灯の蝋燭から、別堂二階に備え付けてある四方の風除けの付いた蝋燭に火を灯すと、ぼんやりとした明かりが別堂の中を照らした。


 四方に明かりが灯ると、月明は提灯の灯りを消した。

 別堂の二階には大きな鎧戸があった。月明が鎧戸を開けると、高い場所に建った二階の別堂からは、満月がよく見えた。


 二階の隅には衣桁があった。衣桁には二畳ほどの大きさの古い綿の敷物が掛けてあった。敷物には夜空に浮かぶ雲と牛車の絵が描かれていた。


 月明が敷物を拡げ、敷物の上で娘に座って待つように指示した。後は窓の外からずっと月を見ていた。


 別堂の二階には娘が座る敷物以外には、奥に頑丈な台座に備え付けられた約二尺四方の灰色の男鹿石製の石版があるのみで、どこにも月光菩薩と思わしき仏像はなかった。


 秘仏があるのでは、と期待した月浄は、いささか、がっかりした。従いて来たはいいが、月明からは何も指示がなかった。することがないので、月浄も開けた窓から月を眺める月明の側に行った。


 月明の側に行くと、月明がどこかもの悲しげな顔で、ポツリと月浄に尋ねた。

「なあ、月浄よ。この世の中に本当に御仏は、いらっしゃるのだろうか?」


 月浄は月明の言葉に激しく動じ、一瞬なんと答えていいかわからなかった。また、何と答えれば月明を満足させられるのかも、皆目わからなかった。


 月明は常に師とし小さい頃から月浄に、数々の仏の教えの尊さを説き、教典の解釈を教え、仏法に帰依する大切さと説いていた。その月明が「御仏は本当にいるのか?」と問うのだから月浄にしてみれば、今までの世界が引っくり返るような発言だ。


(お師匠様は、今日は、どうかしておられる。それに、お師匠様の悲しげな顔。いったい、お師匠様は、どうされてしまったのだろう。これは、ちょっとした戯れの類ではないのだろうか)


 女人禁制を破り、寺の奥に女人を入れたあげく、御仏の存在を疑うような月明は、明らかに今まで見た月明とは別の一面があった。


(拙僧は何か、試されているのだろうか? それにしても大掛かり過ぎる。それとも、大掛かりな仕掛けで拙僧を試さねばならないほど、重大な使いを、この後に申しつけられるのだろうか?)


 月浄は師である月明の変わりようにもうろたえたが、娘さんが泣いているので、小さな声で答えた。


「御仏は、必ずいらっしゃいます。その証拠に、御仏が見ているからこそ、拙僧が小坊主時代にしてきた悪戯の数々も必ず露見するか、回りまわって拙僧に報いとして返って来ています」


 もっと気の利いた言い回しをしたかった。ところが、緊張のせいで名言が浮かばず、思わず本音で答えてしまった。月浄にとって、それだけ言うのが精一杯だった。


「そうでしたね」と月明は悲しげな表情で小さく笑うと、黙った。

 月浄が答えると、娘の啜り泣く小さな声だけが、別堂に流れた。


(娘さんの涙に嘘は見えなかった。もし、これが普段の悪戯に対する御住職の意趣返しだとしたら、やりすぎだ。それとも、今まで露見しなかった悪戯が、思わぬ事態を引き起こしてしまったのだろうか)


 娘の啜り泣きを聞く内に、月浄の興奮は消え、何かまずい事態が起きるのではと、少し不安になってきた。

 月明が悲しげな瞳で月浄をチラリと見た気がした。


 座っている娘に月明が近付き、宥めるように声を掛けた。


「何も心配は要りませんよ。月は極楽ではないですが、苦がなく、極楽に近いものと伝え聞いております。それに、月光菩薩様はお優しい方です。きっと、ご両親が天寿をまっとうした際に、極楽より月に呼び寄せて、再会させてくれるでしょう」


 娘の啜り泣きは止らなかったが、月明は優しい口調で言葉を続けた。

「それでは、月光菩薩様のお住まいになる、月への扉を開きます」


 娘の首が微かに縦に振られたのがわかった。

 月浄は月明が何を言っているのかわからず、一瞬ぼーっと放心した。月浄自身の耳がおかしくなったのかとすら思った。


 月明は石版の前で、月浄が聞いた覚えのない経文を唱え始めた。

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