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第四章 月光菩薩が求めるものと鍛之介の決断(二)

 五月十五日【陽暦六月二十二日】。


 月浄は一人、月光の呼掛けの儀式のために、別堂二階に入った。別堂二階に入った月浄は鎧戸を開け、窓から月を確認しようとした。だが、月が雲に隠れて見えなかった。


 月明に教えられたとおり、大体の時刻を予想して早めに一度目の月読心経を唱えた。しかし、何も起きなかった。時間を置いて二度目を唱えると、月の標が光り輝き、文字が現れた。


 月の標には『十三湊 鍛冶師 鍛之介秀行』と記されていた。


 月浄は月の標の表記を見て、目を疑った。秀行は鍛之介の諱だ。字に読み間違えがないか、顔を近づけて月の標を見た。だが、読み間違いではなかった。


 月浄は膝から崩れ落ちた。

「そんな。師匠に続いて、鍛之介さんまで」


 月浄は、もう一度、月読心経を唱えれば別の名前が浮き出はしないかと、淡い期待を持った。

 再び立ち上がり、月読心経を唱え直した。


 月の標に記された文字に変化はなかった。さらに、もう一度、月読心経を唱えた。それでも結果は同じだった。


 月浄は月光菩薩様の下した罰だと思った。兄の月明が月への扉を潜らなかったので、月光菩薩様は、弟の鍛之介に責任を取らせようというのだろうか。


 それとも、月明に対しての罰ではなく、月光菩薩を恨んだ月浄自身に対する罰かもしれない。

 月浄は暗い別堂で声を上げて叫んだ。


「月光菩薩様。貴方はどこまで拙僧を苦しめるのですか」


 月光の呼掛けには誰も随伴していない。なので、誰も月浄の言葉を咎めない。同時に、誰も月浄の心の叫びと苦しみが聞こえない。


 四度目の月読心経を唱えようとしたところで、月の標から文字が消えた。

 月浄の心は、再び奈落の底に落とされた。


 月浄の落ち込みは隠しきれるものではなかったのか、数人の小坊主たちが心配そうに寄ってきて、小坊主の代表格である円月が口を開いた。


「あの、月浄様、いったい何があったのですか。よければ、お話くださいませんか、微力ながら、お力になれるかもしれません」


 もう、月浄は小坊主たちでもいいから、悩みを打ち明けてしまいたかった。

 だが、そうはいかない。月浄は月明を思い浮かべた。月明ならなんと答えるだろうかと考えた。


 月浄は穏やかな顔を心掛けて答えた。


「実は今、大きな課題を住職から出されて困っているんだ。だが、これは修行の一環であり、拙僧一人で超えなければいけない課題なんだ。だから、心配は無用だよ」


「心配無用」と答えて、月浄はなぜ、月明がいつも穏やかにしていたか、わかった気がした。月明も本心は苦しかったのではないだろうか。


 月浄は最後まで気付けなかったが、これからは月浄自身が小坊主たちに気付かせてはいけないのだと思った。かっての月明のようにならなければいけないのだと、心に誓った。


 翌日、茶礼の時間に御住職の部屋に出向いた。

 御住職は月浄の顔を見ると、苦い顔をして言い渡した。


「どうした、月浄。今日は満月の翌日。月読の守人の勤めがあるのだろう。だったら、弁事として、寺を出ることを許す。辛くても、お役目を全うして来なさい」


 月浄は頭を下げて御住職に頼んだ。


「師は世を去りました。されば、再度の月読会の開催をお願いします。今度こそ、きちんと月光送の中止を議論させてください」


 御住職は苦い顔のまま、残酷に告げた。


「月読会は月読会の全構成員が揃わねば開けない決まりになっておる。残念だが今、寺の用事で月念と月雲が三戸口へ出向いていておる。すぐには月読会は開けん。月念は実家にも寄りたいと言っていたので、戻ってくるのに少し掛かるじゃろう」


「でしたら、月念様と月雲様が戻られましたら、すぐに月読会の開催をお願いします」

 御住職が白い髭を撫ぜながら諭した。


「月浄よ。お主、月読会の開催の決定を申し出る前に、すべきことがあるのではないのか。月読の守人を継承がどれだけ辛いかは、月明に聞いていたであろう。まず、役目を果してこそ、月明も報われるのではないのか」


 兄の鍛之介が月光送になると知って、勤めを果たす行為で月明が報われるとは、とうてい思えなかった。 


 むしろ、月明がいたらどうしても止めようとしたであろうし、鍛之介の月光送を止める行動こそが、師へ手向けに思えてならなかった。


 月浄は叱られるのも構わず、御住職に意見した。


「確かに拙僧は、務めを甘く考えていたのかもしれません。ですが、あえて言わせてください。師は、月光送を中止の詮議、『この月明の月光送の議式を終えてからにしてはいただけませぬか』と、仰っておりました。先の言葉は師の月光送が終ったら、儀式を止めて欲しいという意味だと拙僧は考えております」


 御住職は月浄の心を見透かしたように発言した。

「月光送の対象となった者は、月明と縁のある者なのか」


「鍛之介様でございまず」

 月浄の言葉を聞き、御住職の髭を撫でる動きが止まった。


 月浄は、御住職が柔軟に対応してくれるのではないかと期待した。されど、御住職の言葉は月明の言葉とは違った。

 御住職は粛々と意見を述べた。


「では、まず。鍛之介に月光送になった事実を伝えよ。月読の守人として、当の月光送の対象となった鍛之介の意見を聞いてまいれ。それが、月読の守人としての務めぞ」


 月浄は平伏して、さらに食い下がった。

「では、鍛之介様が月光送を拒んだ場合。遅くても次の月光送までに、月読会で月光送中止の議題を議論していただけませぬか」


 御住職は怒ったように声を荒げた。


「議論は、あとじゃ。お前は、月光送の中止を申し出る前に、お役目を果たさぬか。お前の前にいるのは、月明だけではない。月明の前にも、その前にも、月読の守人はいたのじゃ。全て立派に御役目を果たし、十三湊を発展させ、次の代に継承してきたのじゃぞ」


 月浄は一旦は引き下がった。とはいえ、鍛之介が拒んだ場合、一命に代えても、月読会を開き、月光送を中止させる決心を腹の中で決めていた。

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