第三章 師の教え(三)
夕方の空の下、月浄は月明の後ろを歩いて行った。
寺の建物を出てすぐに、月明が飄々とした顔で感想を述べた。
「今日は風が強いですね」
十三湊は強い風が吹く地方であり、夏には冷たい山背と呼ばれる風が吹く年もある。山背が吹くと、農作物には悪影響が出た。
天気について語る師の後姿はいつもと変わらず、不安も怯えもない。揺るがない態度こそ、逆に月浄には異常に思えて心穏やかではいられなかった。
月明が檀林寺を出る前に、三門付近にある宝篋印塔の前で止った。月明が背を向けたまま、厳かに月浄に問うた。
「月浄よ。宝篋印塔とは、何か」
突然の問いに戸惑った月浄だが、すぐに、以前に教えてもらった知識を答えた。
「元々はインドの王様が仏舎利を取り出し、八万四千に分納した行為を尊び、王様の行為を真似て、滅罪や追善のためにて作られた供養塔です」
月明は月浄の答に何も語らずに三門を潜り、檀林寺を出て鍛之介の家に向って歩き出そうとした。
三門を出たすぐのところで、月明が若い女性に呼び止められた。
「すいません、お参りを頼みたいのですけど」
月明は若い女性の顔を見ると、どこか悲しげな顔をして優しい口調で答えた。
「いいですよ。愚僧はわけあって、もう行けませんが。別の者がまいりましょう。いつがよろしいですか」
若い女性が月明の顔を見ると、驚きに顔を曇らせた。
「あ、あんた、あの時のお坊さん」
聞き覚のある声だった。
(そうだ、潮兵庫様の館の前で会った、小菊だ)
どうやら、月明と小菊は知り合いのようだった。小菊の態度が変った。
小菊はどこか拗ねたような顔をして背けて、月明の申し出を断った。
「いいよ。あんたには、頼みたくない。あんたの顔を見ると、思い出すんだよ」
小菊はプイと月明に背を向けると、言い放った。
「それに、あんたに頼むと高そうだし、別の坊主にお願いするよ」
小菊はそのまま、二人の横を通りすぎて、走り去るように寺の玄関に向った。
小菊の後姿に月明は合掌したが、月浄は不快感を持って感想を漏らした。
「なんですか、あの女性。失礼な方ですね。もう少し、物には言いようがあるでしょう」
月明の顔が険しくなり、静かな口調で久々に叱られた。
「わかったような口を利くではない、月浄」
月浄は突然、怒られた理由がわからなかった。
そんな月浄を見て、月明が諭した。
「あの女性と愚僧には縁があるのです。それを貴方は知らないのです。詳しい経緯も知らないで、人を蔑げすむように言っていけません」
小菊と月明にどんな縁があるかわからないが、月明は結局、どんな縁かを教えてくれなかった。月明は黙って歩き出した。
鍛之介の家に着くと、出迎えた鍛之介は、月明と月浄を見て驚いた。
「どうした、二人とも。月のお参りを頼んだ覚えはないぞ」
月明は驚く鍛之介を見て、楽しそうな顔で問いかけた。
「ご迷惑でしたが、兄上。たまに、兄上の顔を見たくなり、弟子と共に訪れても、時にはいいと思いませんか、二人しかしない兄弟ではないですか」
鍛之介は日焼けした顔で、少しだけうろたえて答えた。
「いや、迷惑とは思わんが。予め来ると言っておいてくれたなら、水飴とか雁モドキとか、持て成しの準備もできたものを、こう急に来られたのなら、米くらいしかないぞ」
月明は鍛之介の狼狽を楽しそうに笑った。
「兄上、弟に気を使って、どうするのです。愚僧は、白湯の一杯もあれば充分です。今日は寺から蝋燭を少し頂いてきました。夜まで話しましょう」
鍛之介は「まあ入れ」と、家の中に月明と月浄を入れたが、明らかに月明の態度に違和感を持っていたようだった。
鍛之介の家では月明の突然の来訪に驚きはしたが、邪険にはされなかった。
持て成しはできないとぞ、と断った鍛之介だが、胡蝶が近所に頼んで回ったのか、夕食時には、玄米、豆腐の味噌汁、大根の糠漬けにワラビの漬物といった料理が並んだ。
月明が夕食を食べながら、鍛之介との昔話を始めて、会話に花を咲かせようとした。
咲かせようとしたが、いつもと違う月明の様子に鍛之介は何かを感じたのか、すぐには話があまり進まない。でも、胡蝶が酒を持って来ると、鍛之介の舌は滑らかになった。
鍛之介が飲み始めてしばらくすると、月明が明るい調子で頼んだ。
「今宵は、愚僧にも一献いただけませぬか」
鍛之介はおや、という顔をしたが酒が回っていたせいか「そうか、遠慮は要らぬぞ」と楽しげに笑い、胡蝶に杯を用意させた。
檀林寺では飲酒は禁止である。月浄も、月明が酒を飲むところを見た覚えがなかった。
月浄は直感的に今晩「月明は月光送に選ばれたが、月への扉を潜らなかった事実を暴露するのだ」と思った。
月明が酒を飲むと顔を綻ばせて「うまい」と感想を漏らした。
少し酔ってきていた鍛之介は、月浄にも「飲むか」と酒を勧めた。
月浄は「拙僧は甘酒で結構です」と断った。
暗くなると、話を続けるために、月明が灯りとして蝋燭を使おうとしたが、鍛之介が「もったいないし、少し寒いだろう」と、囲炉裏に薪をくべた。
季節的に陽のある内はいいのだが、夜になると、十三湊はまだ寒かった。
月明は、それではと蝋燭を胡蝶に渡した。囲炉裏の火に照らされた明かりの中で、月明と鍛之介が酒を飲みながら話をする。
話が交易船の話題になると、月明が杯を進めながら、鍛之介に何気なく尋ねた。
「兄上は、今年は、いつ船に乗って交易に」
機嫌よく飲んでいた鍛之介の杯が止り、不機嫌に述べた。
「今年は船に乗らん。いや、乗れん。俺はいつも潮兵庫様の船に乗って、曲がった刀を直す作業をしているんだが、今年は潮兵庫様が臍を曲げて、弟の海左衛門様の船団には加わらんと言い出したのだ」
刀鍛冶は刀を作って、船長に売るだけでなく、一緒に船に乗って曲がった刀を直すのも重要な仕事であり、大切な稼ぎになる。
鍛之介が不機嫌に、投やりじみた言葉を続けた。
「他の船団長も船田家の兄弟喧嘩に巻き込まれるのを嫌って、潮兵庫様の船をどこの船団にも加えたがらん。御屋形様も、好きにさせろと匙を投げた。あの兄弟、もう行き着くとこまで行き着くぞ」
月浄は船田家の憎しみ合いが理解できなかった。月浄は一人っ子で寺に預けられ、母親とも別れざるを得なかった。
月浄は月明と鍛之介のような兄弟しか知らない。船田家のように同じ家で血を分けた兄弟でも憎しみ合える行為が不思議だった。
月明が、あっけらかんと言い放った。
「潮兵庫様は潮兵庫様。兄上は兄上ではござらんか。兄上が別の船に乗ればいいだけではないですか。兄上なら、潮兵庫様しか船長を知らないわけではござりますまい」
各船団は対外的には安東水軍として結束していても、内部では各船団は独立している。各船団は独立採算で、風水害や合戦時に結束するのが、当時の水軍だった。
なので、鍛之介の場合、海左衛門の船団がだめでも、他の船団の船長に伝があれば交易船に乗れない事態にはならない。
鍛之介は苦い面をして真情を吐露した。
「俺は潮兵庫様には、今まで仰山の刀を買ってもらった義理がある。鍛冶師を始めるに当って、苦しい時に助けてももらった。まあ、来年もどこの船団に加わらないとなれば生活があるから考えなければならんが、一回ぐらいは意地の張り合いに付き合わないわけにはいかんだろう。浮世の義理という奴だ」
刀の製造は軍事機密であり、船に乗らないような刀鍛冶には、注文が回さないのが慣わしだった。鍛之介にしても、一年くらいは潮兵庫に義理立てしても、二年も続けて船に乗らないとなれば、刀の注文がどこからも入らなくなる恐れがある。
鍛之介が刀を打たなくても、農機具や釜や鍋の修理などは回ってくるかもしれないが、刀を打たなければ収入は激減する。そうなれば、貧乏鍛冶に転落するのが目に見えていた。




