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第三章 師の教え(二)

 別堂に到着し、二階に上がった。


 月浄は最初に見た手順を思い返した。別堂の四隅の蝋燭に火を点け、鎧戸を開けて月を確認する。次に衣桁から敷物下ろし、月の標から離した場所に敷いた。


 月明が敷物には座らず、窓から月を眺めながら、風流に月見でもするかのような顔で穏やかに語った。


「月浄、ご覧なさい。今日は満月が綺麗に出ていますよ。月読菩薩経を唱える機会は、月読心経を唱える時間帯と一緒です。ただ、毎日いつも月が出ているわけではないので、窓枠の印だけに囚われてはいけません。普段から月を見るようにしなさい。それでもわからない時があったら、早めに時間を置いて、何回か唱えてもいいでしょ」


 これで月明とは最後の別れとなるのに、何を言っていいか、わからなかった。ただ「はい」と答えるのが精一杯だった。


 月が高く昇り、窓枠に記された傷と傷の間に月が来て、いよいよ月光送の時間になった。


 月浄は悲しみを胸に、師に促されるままに、月読菩薩経を唱えた。

 月の標の前に、光る扉が現れた。光る扉が前回と同じように、ゆっくり横に滑るように開いた。


(師が行ってしまう。かといって止めれば、月光菩薩様の怒りを買って灰となる。拙僧は、どうすれば)


 月浄はどうにもできない事態に苦しんだ。けれども、月明が一向に動かなかった。月明が月への扉へ入らないのだ。


 月浄は恐る恐る月明の顔を覗った。月明が、目を細めながらも、何か恐ろしい物と対峙するような険しい顔で光る扉を見つめていた。


 今晩、現れた月への扉は、いつもと違うのだろうか。


(それとも、修行を積み、長年月読の守人を勤めた師には、やはり月光菩薩様のお使いが見えて何か告げられているのだろうか)


 師の顔からすると、月光菩薩様の御使い様は師にだけ聞こえる言葉で何かを伝えている。だとしたら、あまりよい話ではない気がする。


 月浄は、あまりにも月明が動かないので声を掛けた。


「お師匠様、月への扉が開きましたが、何か、不都合でも? それとも月光菩薩様のお使いからなにか言付けでもありましたが?」


 月明は月浄の問いには答えなかった。

 やがて、時間が経つと、開いていた光る扉が滑るように閉じて消えた。


 月明が扉を潜らなかった事態に安堵したが、月明の考えが全くわからなかった。

(ひょっとして、お師匠様でも、踏ん切りがつかない時があるのだろうか?)


「お師匠様、もう一度、月読菩薩経を唱えましょうか」

 月明が月の標に背を向けた。


「無駄です。一度、開いた扉が閉じて消えたら、何度も唱えても、次の月光送の満月の晩まで月への扉が現れる事態はありません。月へ赴く機会は、一度きりなのです」


 月浄は言葉を失った。月明が月読会で月光送中止の詮議を、月明の月光送の後にして欲しいと言ったのは、扉を潜るためではなかった。


 月明が月への扉を潜らなかったので、ひとまず、いなくなる心配はなくなった。だが、今度は別の心配が出てきた。


 月明から以前に聞いた言葉が本当なら、月明は次の満月の、月光の呼掛けの晩までに、黄金の炎を包まれて灰になる。月明は自ら灰になるつもりなのだろうか。


 こうなると、月明が何をしたいのか、月浄には全くわからなくなった。

「お師匠様はこれから、どうなさるつもりなのですか」


 月明は背を向けたまま、月光送になった人間が座る敷物を衣桁に掛けながら答えた。

「月浄に最後に教えたい理があります」


 月浄は緊張した。月明自身が望んだ月光送を拒否し、命を懸けて教えたい理とは、なんなのだろう。

 月明は振り向くと、それこそ本物の菩薩様のような笑顔を浮かべて声を掛けた。


「最後の教えは、言葉では教えられるものではありません。ただ、己の両の眼で見て、貴方の頭で考えを出すのです」


 結局、月明は後始末をすると、別れる時に解定の時の挨拶をして、何事もなかったかのように宿坊に戻ってしまった。


 次の日、朝課(ちょうか)【朝の読経】が始まった。月浄は月明の態度を窺うも、月明の振る舞い変化はなかった。粥座(しゅくざ)【朝の食事】の時も同様に、月明はいつも通りの態度だった。


 朝の掃除になった。月浄は不安が抑えきれなくなり、掃除を抜け出して、御住職の部屋を訪れた。


 御住職の部屋の障子は開いており、小ぶりな枯山水の庭から明るい光が差し込み、部屋にある背の高い阿弥陀如来像を照らしていた。


 部屋は十二畳ほどで、抽斗がついた広い文机があり、大人の背丈に近い仏壇の隣には朱塗りの大きな和箪笥があった。


 部屋の壁には何段もの木組み棚があり、棚の一つ一つに檀家から送られた中国産の天目碗や青磁の香炉、朝鮮の白磁の花入れといった多数の高価な貢物が飾られていた。


 御住職はすぐに、眉を吊り上げて月浄を叱った。

「これ、月浄、日々の勤めをなんと心得る。日々、是、修行ぞ」


 月浄は臥しながら、慌てて弁解した。


「もしわけありません。御住職。でも、師が変なのです。師は月へ赴くような言葉を月読会で仰っていましたが、昨晩、月への扉を潜りませんでした」


 ひれ伏す月浄を、御住職は威厳のある声で叱り付けた。


「朝課の時に月明を見ておる。月明が昨晩、月へ赴かなかった事態は、()うにわかっておるわ。お前は一目で理解できる状況を一々報告に来たのか」


 月浄は顔を上げ、早口に申し立てた。


「そうではありません。師は、月への扉が閉じた時に言いました。最後に教えたい理があると。ですが、拙僧にはわかりません。師はいったい何を伝えようとしたいのでしょう」


 御住職は白い髭を摩りながら、考え深げに教えた。


「お前の心は乱れており、急いてもおる。それでは、月明が伝えようとしている最後の教えは金輪際わかるまい。よいか、月浄。もし、月明が教えようとしている最後の理を学ばんとする気があるなら、今まで通りに修行せよ。月明をただ見よ。それが一番の近道だ」


 御住職の言葉も、月浄には理解しがたい言葉だった。だが、月浄が再び口を開く前に、御住職が厳しい口調で命じた。


「すぐに、掃除に戻るのじゃ。こうして、儂と話しておる間にも、月明の教えは、両手に掬った水のように零れていくのじゃぞ」


 月浄は御住職なら月明の考えを教えくれるか、手掛かりくらい示してくれるかと思ったので、落胆した。

 月浄が掃除に戻ると、掃除を抜けていた行為が月念に見つかった。だが、月念は珍しく、月浄に小言を言わなかった。


 代わりに、滅多に叱らない月明から怒られた。月浄は罰として、午後の作務出頭の作業を増やされた。


 日は沈み、月が昇る。月が昇るたびに、月明の残された時間は減っていく。なのに、月明はこれといった教えを月浄に口では伝えなかった。


 精々、別堂の掃除の仕方と、仏具の掃除の仕方を教えるだけだった。そうして、七日が過ぎた。茶礼の後、月明から声を掛けられた。


「月浄。今日より愚僧は、暫暇(ざんか)【僧侶の休日で数日の休み】を貰って、鍛之介の家に戻るのですが、月浄も従いてきなさい。御住職の許可も、すでに取ってあります」


 暫暇は本来、他の僧と日程を調整して取る。今日、申し出ても、すぐに許可されるものではない。

 今回のような場合は特別な待遇に当たる。ましてや、月浄も一緒となると、かなり特殊な例となるだろう。


 とはいえ、月の扉を潜らなかった人間が黄金の炎に包まれ灰になる話が本当なら、もう月明に残された時間は、長くはない。


 御住職も月明に残された時間が少ないと見て特別な計らいをしてくれていると思って、間違いなかった。

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