あなたの萎えは私の萌え、上等です。
「ほんっと、萎えるんだよなあ」
笑いながら吐き捨てるように言われ、ジュディットはびくっと身を震わせた。
とある貴族の屋敷での晩餐会、若い男女が集まった一角でのことである。
「陰気っていうかダサいっていうか……。もっと華やかにしてくれないとさ、こっちが恥をかくんだよ。本が趣味だかなんだか知らないけどさあ」
得意げに喋っているのは、ジュディットの婚約者、サイモンだ。
その両隣にはまさに『もっと華やか』なドレスのご令嬢たちが座り、「やだあ」などと言って笑っている。
ジュディットは、テーブルの下でドレスを強く握りしめた。
サイモンが、読書ばかりで内向的なジュディットを気に入っていないのは知っていた。だが、人前で笑いものにされるいわれはあるだろうか。
まったく声をひそめていないから、向かいに座っている男性の耳にも届いてしまったらしく、気まずげにこちらをちらちらうかがってくる。
そのサイモンは、気をよくしたのか、さらに声を張り上げた。
「あー、結婚したらもちろん、すぐにやめさせるよ! 夫を萎えさせる女なんて、妻失格だからな!」
──それを聞いた瞬間、ジュディットに何かがとりついた。
毎日終電間際まで続く仕事。
行き帰りの通勤電車、限られた時間にスマホで愛でる推し。
デスクに置いた小さなアクスタ。
それを、否定され鼻で笑われた悔しさ。
あっ、これ、前世の記憶だ。
ばあん!
認識した瞬間、ジュディットはテーブルを叩き、椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がった。
そして高らかに宣言する。
「上等です。あなたの萎えは私の萌え。ご理解いただけないようですから、婚約は破棄といたしましょう」
場は、騒然となった。
☆
ジュディットとサイモンは、共に伯爵家の子供である。
二人の婚約は、家格に釣り合いがとれている、ほとんどそれだけの理由で結ばれたものだった。
よって、そのとりやめには大して支障がなかったが、さすがに晩餐会を終了間際とは言え騒がせてしまったことは少し問題があった。
ただ、状況を周りの人が見聞きしていたため、ジュディットにはむしろ同情が集まった。
主催の伯爵夫妻などは、よく言ってやった、胸がすかっとしたと褒めてくれたくらいだ。
とはいえ、スキャンダルになってしまったことは間違いない。
ジュディットは両親から、しばらくの間の謹慎を命じられた。
……ちょうどいい。
ジュディットに蘇ったのは、多忙な日々に疲れた心をオタ活で支えていた、そんな前世の記憶である。例のセリフもその一部だ。
今生にはアクスタもクリアファイルもないが、自由になるお小遣いはある。そこに時間が降ってわいた。
この機会に、気になっていた本を全部買って、公式へのお布施としよう。
「お嬢様、買ってまいりましたわ。ご希望の本は全部そろっておりますか?」
メイドがお使いから帰ってきた。手にはたくさんの本を抱えている。
「ありがとう、重かったでしょ。……これとこれと……うん、全部ある。助かるわ」
「いいえ、お安い御用です。……シリーズものの続刊が多いのですね?」
ジュディットはにんまりした。
「そう、よく気づいたわね。今月は続刊が豊富で。忙しいわ、前の巻も読み返さなくちゃ」
「ははあ、そういうものですか」
ぴんとこないようなメイドであるが、ジュディットは気にしない。
「うん。ねえ、気になるのはあった? また読んだら貸すわよ」
このメイドは本に興味があったようなので、読書仲間にならないかな、と布教している最中なのである。
「ええと……前にお貸しいただいた、短編集のようなものがあれば」
「それならこれね」
ジュディットは積まれた本から一冊抜き取った。さらに、本棚にも手を伸ばす。
「それに、こっちとこっちも似たような感じよ。これは長編だけど、前の短編集と同じ作家さん。先に読んでみる?」
「よろしいんですか? では、お借りします」
にこにこしながら手渡すジュディットに、メイドがそれにしても、と口を開いた。
「お嬢様はほんとうに物語が好きでいらっしゃいますね」
「まあね! この世界に本がいっぱいあってよかったー。ほんと……神様に感謝だわ」
心からそう言うと、メイドはふふふ、と笑う。
「神様ですか、大げさでいらっしゃいますね。私ならその前に、物語を書いてくださった作家さまに感謝するところですけど」
「…………それだ!?!?」
☆
なんで気づかなかったのだろう。うっかりしていた。
こんなところに推し活の芽があったではないか。
ジュディットは、机の引き出しを開けた。そこには令嬢らしく、かわいらしい便箋やきれいな色のインクが揃っている。
それらを机の上に並べて、猛然とペンを走らせた。
宛先は数々の神作品の作家。ファンレターである。
「突然のお便り、失礼いたします。私は……」
軽く自己紹介の後、作品全体への賛辞、キャラクターへの愛、発想への感嘆などを連ね、最後は必ず、作品をこの世に送り出してくれた感謝を綴って締めとした。
褒めるところはいくらでもある。でも引かれないように、簡潔にまとめることを心がけた。
前世の匿名メッセージツールで鍛えた文章力が活かされる。
時間はいくらでもあった。
作家へのファンレターを一通り送ったあとは、近頃めぼしい作品につけられるようになった、挿絵画家へのファンレターに取り掛かった。
その後は、出版社へのお礼状だ。
そうこうしていると、たまに、作家や出版社からの返信がくることもあった。
その中に、ある出版社からの打診が混じっていた。
──あなたからのご感想の一部を、新刊の宣伝に使ってもよろしいでしょうか。
「オタク冥利に尽きる……」
一オタクが、前世で言えば新刊の帯を担当するのだ。
ジュディットは二つ返事で了承した。
……それが、こんなことになろうとは。
☆
とあるパーティー会場。
ジュディットはシックなドレスに身を包み、飲み物を片手に放心していた。
というのも。
これは例の出版社が開いたパーティー、招待客は……パトロン、同業者、そして、作家たちである。
居並ぶ貴紳淑女の何割かは、憧れの神作家なのだ。それ以外の人物も、ジュディットが崇拝してやまない物語の出版を支える人々ばかりだろう。
「場違い感半端ない……」
そもそも、オタクがこのような華やかな場所に出るなど、解釈違いも甚だしいところだ。
だが、パーティーへの招待状を両親に見られたのがまずかった。
彼らは、謹慎が解けても家に引きこもりがちで、本ばかり読んでは机に向かっているジュディットを心配していた。
出会いでもあれば渡りに船と、参加の返事を出すよう命じてきたのである。
「あ、いらした、ジュディット嬢」
両親の圧の強い笑顔を思い出してたそがれていると、近寄ってきた壮年の男性に声をかけられた。主催の出版社のオーナーである。
「ようこそいらっしゃいました。今日は楽しんでいってください」
「ええ、お招きありがとうございます」
ジュディットは顔の筋肉を総動員し、令嬢として仕込まれた微笑を浮かべた。
「お陰様であの本は大変売れ行きがよく。……そこで、ご提案があるのですが」
「ええ、なんでしょうか」
「当社の販促用の小冊子に、何度か書評を書いてはいただけませんかな?」
「……えっ、本当ですか?」
「はい。きちんと原稿料もお支払いします」
願ってもないことである。見知らぬ読者向けに、大っぴらに布教活動ができるのだ。
もともと、この出版社の書籍はジュディットと趣味が合う。おすすめできるところならいくらでもありそうだ。
「それは……前向きに検討させてください。家族にも聞いてみないといけませんから」
「もちろんです、よろしくお願いいたします」
ジュディットとオーナーが握手を交わしていると、オーナーの後ろから声がかけられた。
「それで、私はいつ紹介してくれるのかな?」
現れたのは、ジュディットも顔を知っている、公爵家のご令息である。
って、そんな大物がどうしてここに? パトロンだろうか。
ジュディットはちょっと引きつった。
「おっと、失礼いたしました」
オーナーが一歩下がって笑顔を浮かべる。
「こちら、当社の熱心な読者である、ジュディット・ブラックベリー嬢です。そしてこちらは、グレン公爵家のアーサー卿でいらっしゃいます」
「私のことは、もう知っているって顔だね? でも今日は、改めて挨拶させていただきたい。『挿絵画家アルト』として」
「……えっ!?」
思わず声が裏返った。挿絵画家アルトとは、ジュディットがファンレターを送った相手だ。
寡作ながらも繊細な描線に大胆な構図、特にキャラクターの表情の描写が見事で、そのあたりを大絶賛した手紙になったのは記憶に新しい。
僭越ながら、推し絵師の一人である。
「今日は、あなたにお礼を言いたくて、オーナーに無理を言ったんだ」
「おれい……とは……?」
ついカタコトになった。
なぜ私が認知されてるのですか!? いやファンレター送ったからか。そっか。いやおかしいな!?
うろたえるジュディットには構わず、アーサー卿、いやアルト氏は話を続ける。
「実は、挿絵の仕事は家族から反対されていてね。筆を折ろうかと思っていたんだ」
「えっ、そんなぁ!?」
悲鳴が出た。
「ははは、……ありがとう。いや、思い直したんだよ。あなたの……熱烈な手紙を見たから、ね」
「!?!?」
なんですと。
「それで、一言お礼が言いたくてね。……人物の表情をほめてくれたでしょう。あれは私自身、心を配っている部分でね。表現の方向性もこのままでいいと、背中を押してもらった気持ちになったんだ」
「…………!!」
口をぱくぱくさせているジュディットの代わりに、オーナーが相槌を打つ。
「当社としましても、卿にこれまで以上に挿絵をお描きいただけるのはありがたい限りです。特に最近は筆致も迷いのない確かなものになってきたと編集部でも申しておりましたが、なるほど、そんな理由があったんですなあ」
「うん、そんな理由だったんだよ」
男二人はにこやかだ。
「やはり、ジュディット嬢の書くものには、人を動かす力があるようですなあ」
「そう思うよ。……あなた自身の書かれる物語も、読んでみたいものだね」
「おお、それはいいアイデアですな! ではその挿絵は、もちろん……」
「そうだね、私に描かせてもらえれば……」
「!?!?!?!」
☆
……そういうことになった。
いや、ジュディットとしてもだいぶ抵抗したのだ。
だが、男二人に、それもジュディットのファンレターのファンなのだ、と言う彼らに左右から説得されては勝ち目がなかった。
それでも小説は恐れ多いと、最初は簡単なエッセイから……とハードルを下げてもらうことには成功した。
そしてそれが、バカ売れした。
それもただジュディットのエッセイが売れただけでなく、読書日記として言及した別の作家の本まで売れてしまった。
やっぱり我々の見込んだとおりだ、と祝杯を上げる男たちの前で、ただただ魂を飛ばすしかないジュディットだった。
考えてみれば、前世のオタク時代も合わせれば、この世界の読書人の数倍は活字にも物語にも触れているわけだ。表現の種類も幅も人一倍あって当然だろう。
知識チートではないが、下駄を履かせてもらってる感がひしひしとする。
でも、家族や友人、出版社、そして推しの神絵師が喜んでいるところを見れば、まあいいか、期待にこたえられたわけだし、という気持ちにもなってきた。
順調にエッセイを数冊出版し、満を持して出した恋愛小説もベストセラーになった。
今や、ジュディット・ブラックベリーは売れっ子作家の一員だった。
☆
それは、次の作品の打ち合わせ、ということで、アーサー卿とちょっといいカフェのテラス席にいたときのことだった。
「お前! 俺に未練があってあんなもん書いたんだろ!? 取り消せよ!! そしたら結婚してやる!」
通りから相変わらずの大声を上げたのは、存在をすっかり忘れていたサイモンである。
「はい……? あの……?」
思わず、はてなマークをいっぱい飛ばしてしまったジュディットに、アーサー卿が親切に解説してくれた。ちなみに、さっきまで編集者もいたのだが、今は席を外している。
「ああ、彼が例の……。ほら、ジュディット嬢が書かれた小説に、無様な当て馬男が出てきたでしょう」
なんで私の作品の中身を今? と思いながらジュディットは頷く。
「ええ、はい」
「いやほら、社交界では以前、あなたが婚約破棄なさったことはそれなりに知られていてね。それで、ベストセラーになったあれの当て馬のモデルが作者の元婚約者では……、と噂されているんだよ」
マジか。
「……ペンネーム、使えばよかった……」
「ははは、後の祭りだねえ」
「売れるとは思ってませんでしたから……」
「私は思っていたけどね」
だからそこでドヤ顔しないでほしい。
げんなりしているとサイモンが再び声を張り上げてくる。
「あんた、なんなんだよ! 部外者は黙ってろ!」
「ちょっと、」
反論しかけたジュディットを制して、ドヤ顔からきりっとした表情になったアーサー卿が応じる。
「部外者ではありませんよ。彼女のビジネスパートナーにして、一番のファンです」
「それがなんだってんだよ!?」
「どうせ、噂のせいで新しく縁組をしようにもうまくいかなかったのでしょう。ない頭を絞って、ジュディット嬢と復縁し、出版物を回収させれば噂も打ち消せ、一石二鳥……などと思いついたのではありませんか?」
うぐ、とサイモンは黙り込んだ。……これは、図星ってことなのか?
「……えぇ……無理にもほどがある」
げんなりしているジュディットの横で、アーサー卿はにっこりした。
「そんなことをして、ご存知の通り、社交界にも数多くいる彼女のファンを敵に回すとは考えなかったのですか? ……ちなみに、私の家族もファンですが」
最後の一言には凄みも付け加えられた。ていうかご家族って、公爵家の!? 初耳ですが。
サイモンは口を開きかけ、なにかに気づいたようだ。
「お前……い、いや、あなたは……」
はぁー。ジュディットは大きなため息をついた。
勢いを失ったサイモンを見据える。
「サイモン卿。あなたは本が好きな私のことを萎えるとおっしゃったけれど、私はそんな自分に愛着を感じていますわ。ですから、こういう私に期待をし、好きだ、と言ってくださる方とだけお付き合いしていくつもりです。今はそれで手一杯なの」
つまり。
「あなたはお呼びじゃありません」
カフェのその席は、今やそこら中の人から注目されていた。
う、とか、あの……、とか、意味をなさない声を出し、尻尾を巻いて逃げ帰った男のことは、すぐにまた噂になるだろう。
「話が広まったら、今度は縁談がまとまらないところではなくなるだろうねえ」
アーサー卿は黒い笑みだ。
「……まあ、そうですね」
広まったら、ではなく、広める気だろうと思ったことは心にそっとしまっておく。
「ともあれ、助かりました」
改めて頭を下げる。
「いえいえ、なんてことありませんよ」
「そうは申しましても、ご迷惑をおかけしたわけですし……。このお礼は何でもいたします」
途端に、アーサーは顔を両手で覆った。
「……あの……?」
「……いや……、その……。男に『何でもする』なんて、言っちゃいけないよ」
くぐもった声で返される。
「えっ……いえ、そこはその、信頼……してますし」
「………………この子は、本当……」
よくわからないが、彼が手を外して向き直ってくれるまで、しばらく時間がかかった。
頬をぽりぽりとかきながら、アーサーは言う。
「はあ……。……まあ、そうだねぇ……。あの男は、実際モデルなんでしょう? 話してみてわかったよ、本当にあんな愚か者がいるんだね」
ずばり当てられてジュディットはちょっと恥じ入った。
「ええまぁ、実は……」
「よろしい。では、次の作品には、私を登場させてくれませんか?」
「えっ」
思いがけない申し出だった。
「いやその、他の男だけがあなたに書いてもらえる、というのはどうにも……」
なんだかよくわからない言い分である。
「それはいいですけど、アーサー卿を登場させても、あんなふうには書けませんが」
よくわからないままに応じると、相手はきょとんとした。
「あんなふうとは?」
「その……面白おかしくというか、醜態をさらすというか……」
「どうして?」
ほんとうにわかってないのだろうか、この人。わざとじゃないのか?
ジュディットはしばらく迷ったが、やがて観念し、蚊の鳴くような声で白状した。
「…………かっこいいので」
──アーサーは、笑ってジュディットの手を取った。
☆
数十年後。とある国の王女殿下が、王宮を訪れた。
なんでも、この国の作家の書く小説の大ファンだという。
「まあ、あなたがあの! お会いできて嬉しいわ、公爵夫人!」
「こちらこそ、光栄ですわ、殿下。どうぞ、ジュディットとお呼びください」
王宮で作者として紹介されたのは、グレン公爵夫人。旧名にして筆名は、ジュディット・ブラックベリーである。
もちろん、夫である公爵がその装画を一手に請け負っていることも有名だ。
ジュディットの本は、今や外交の席で話題になるほどになったのだ。
「ほんとうに、誰かの萎えは他の人の萌えだったわね」
「そのフレーズ、もうだいぶ定着したよね」
そんな言葉を交わす、おしどり夫婦の姿があった。




