妻の面影
ふとした瞬間だった。
娘が髪の毛を結び、鏡を見つめ、ため息をつく。
一連の動作に妻がいた。
少なくとも僕にはそう思えた。
「お父さん?」
振り返る娘の顔が幼く感じた。
そう感じたのは成長した君に恋をして愛を語らい共に過ごしたからだろう。
「どうしたの?」
不安そうに歩み寄り、娘がじっとこちらを見つめる。
もし、君だったなら僕の涙を拭っていただろう。
けれど、ここにいるのは君の半身にして僕の半身。
故に気まずそうに僕を見上げるばかり。
「なんでもない」
「泣いてるのに?」
「泣いてるのに」
落ちた涙の理由が自分でもわからない。
ただ、一つだけ。
僕は心から君に恋をしていたのだと思い出していた。
色鮮やかに。
触れれば抱きしめられそうなくらいに。
「お母さん。お父さんが泣いてる」
娘が君を呼んだ。
呆れ声が響き、僕の頭に拳骨が落ちる。
「なーに泣いてんの?」
僕は君に答えられない。
君は察して娘を合図を送り、娘はてぽてぽリビングに走り去る。
「で、どうしたの?」
問い。
返されるまで続く沈黙。
「昔を思い出していた」
僕はどうにか君に告げる。
「ずっと昔。君に恋していた時のことを」
「今は違うの?」
僕は頷き君を見つめる。
衝動的な行動も身を焼くような思いもそこにはない。
胸を支配するのは大きな安心感だけだ。
「愛してる」
「朝からバカなこと言ってるね」
肩をポンッと叩かれる。
今の僕と君の間には言葉も抱擁も必要ない。
「ほれ。とっととご飯食べる!」
「わかってるよ」
妻に急かされ僕はようやく日常に戻った。




