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少年と剣  作者: 茂治
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002

 練習試合を済ませ、リィンは汗を拭って周囲を見渡した。

 大学校の広大な敷地内の一角に併設されているベレンダイの道場は、四方の壁が取り払われた開放的な空間で、今はその広い道場に十数名の精鋭達が鍛錬に励んでいた。女性や男性、年齢もまちまちだが皆鍛え上げられた体躯をしている。剣術を教える師範は三名いて、眼光鋭く剣士達の指導に当たる。


「リィン。どうかしたかね」


 師範の一人がきょろきょろと落ち着かないリィンの様子に気付いて、声をかけた。立派な口髭を生やし、紺色の道着に身を包んだ壮年。前合わせで腰の紐で止めるボタンのない上衣に、対のズボン。足元は裸足だ。この道場では基本的に、全員が同じ道着に身を包み裸足という格好である。

 じろりと睨まれてリィンは肩をすくめた。


「ロジエルは? また来てませんか」

「……今日はまだ顔をみておらん」


 髭の師範はため息を吐き腕を組む。少し憮然とした表情。


「あいつはどうも、気分にムラがあっていかんな」

「僕、見てきます」


 リィンは道場を出て、裸足のまま芝の上を歩いて左右を見渡した。道場の周りは広大な芝生の庭が広がり、そこでも剣術の稽古が出来るようになっている。もう昼前だ。顔を出さないつもりだろうか。

 大きな木の根元に目当ての人物を見つけ大声を上げた。


「ロジエル!」


 シルエットの少年がこちらを振り返る。リィンはずんずんと相手に近づいて、手に持っていた練習用の木剣を投げた。少年はそれを片手で受け止めて見上げるようにリィンを睨みつける。


「手合わせしよう」


 ロジエルはむっとした口元を作り、面倒臭そうに立ち上がった。


「……何度やっても同じだと思うけど」

「今日は勝つ!」


 言い放って自分の木剣を相手に突きつける。リィンと同じ背丈、黒髪で細身の少年はブラウスにズボンという普段着。前髪がやや長すぎるようで、目元は陰になっていて表情が良く見えない。


「また勝手に道場以外で手合わせしてたら怒られるんじゃないの」

「どうせ怒られるのは僕だから良いだろ」


 しぶしぶという風で、少年はリィンと対峙する。表情に乏しく暗い雰囲気。けれど僅かに見え隠れするのは、やはり怒りや苛立ちといった感情。

 リィンは当初からロジエルの心の底にある負の感情を感じ取っていた。少年は無口で、いつもつまらなそうな表情をしている。黒髪の間から見える目つきは懐疑的で、態度は斜に構える。要は、ひねくれているのだ。彼が何に対してそれ程イラついているのかは分からないし、リィンにとってそれは二の次の問題だった。


 ロジエルとこのベレンダイの道場で初めて顔を合わせた時に、少年は初対面のリィンに絡んできて、勝負を申し出たのだ。周囲の人々から後で聞いたが、彼がこのように感情を表に出したのはその時が初めてだったらしい。

 彼は鬼のように強かった。まだ十四という年齢を考えると、末恐ろしい程だ。リィンはこてんぱんにやられてしまった。負けたのは悔しかったが、それだけならまだ良かった。その後に少年が呟いた言葉が問題だった。それはあたかも独り言のようで、しかし明らかにリィンを意識して呟かれた言葉だった。


「なんだ。イリアス族って聞いて面白そうだと思ったけど、全然弱いじゃないか。こんな奴を護衛にしてるラディスとかいう奴だって、たかが知れてる。みんなが騒ぐからどんなもんかと思ったけど、大した事なさそうだ」


 リィンは日中ビーダの腕輪をしている為に、『力』を発動させても腕輪のお陰で無効化される。

 その呟きを聞いて瞳が深紅に燃え上がったのは言うまでもなく、もし腕輪をしていなかったら相手を吹っ飛ばしていた事だろう。


 ロジエル少年はグナーという村からやって来た。レーヌ国の南東のはずれに位置するその村には、母国から亡命してきたロガート族が集落を構えている。ロガート国は軍事国家であり、規制や統制が厳しく民衆も常に監視されていると聞いた事がある。その為全ての権利を放棄して移民としてロガート国を離れ、命がけで他国へと亡命する国民も多くいるのだ。ロジエルもそういった移民の一人だ。母と二人きり、ひっそりとグナーの村で生活していたところを女帝に見出され、この剣術道場に親子でやって来た。今はこの近くに家を用意してもらって暮らしていると聞いた。特待生である。母は大学校の職員として雇われ、食堂で働いているという。

 きっとたくさんの辛い経験をしてきたのであろう。彼の瞳が暗い影を落としているのはその為だ。


 彼は独学で剣術を身につけたという。確かに基本は滅茶苦茶だ。しかし天性の才能なのだろう、誰も彼には勝てなかった。ベレンダイの剣術道場と言えば、国内外から腕に自信のある者達が勇んで集い来たる場所である。驚いた事にその誰もが、一度もまともな剣術の稽古を受けていない十四歳の少年に、勝てなかったというのだ。

 ロジエルはそれから全てに興味を失ったようになり、稽古にも顔を出したり出さなかったりする日々を送っていた。最近では道場に通う剣士達から疎まれはじめているようだ。指導に当たる師範でさえ、強すぎる彼をどうしたら良いものかと手に余して思い悩んでいる。

 彼は誰にも心を開かない。


「ってえ! このっ。同じところばっかり打ち込むなよっ」


 リィンはぜいぜいと肩で息をしつつ、大声を上げた。


「……あんたが弱すぎるから」

「そんなに強いなら加減くらい出来るだろ!」

「習ってないから知らない」


 ここ数日、ロジエルはリィンに対しては何かと口数が多くなってきている。


「ここにいたのか」


 その声にはっとして振り返ると、枢機議会の制服姿で片手に資料を持ったラディスが歩いてくるのが見えた。隣に同じ制服を着たレーヌ族の青年を連れている。


「ラディス。……何で」


 リィンは少しばつの悪い心地で彼を見上げた。やられてるところを見られただろうか。情けない。


「噂の剣士殿を拝見しにな」


 彼は上手に口角を持ち上げて笑顔を作った。相変わらずの神々しいまでの綺麗な微笑み。今日は左目に黒い眼帯をしており、薄茶色の髪は伸びて、以前のぼさついたスタイルに戻っている。

 ロジエルは足元に木剣を投げ捨て、無言で背を向けて歩き出した。


「随分と自分の腕に自信があるようだな」


 ラディスがその小さな背に声をかけるが、少年は立ち止まらずに遠ざかってゆく。


「何の指南も受けずに独学でそこまで仕上げるなんてな。さすが、ロガートの血だ」


 ぴたりと少年の足が止まる。

 ロジエルはこちらに背を向けたまま、ぼそりと呟いた。


「……みんなが天才だとか伝説だとか言うからどんな奴かと思ったら、ただのおっさんじゃないか」


 おっさん!?

 むっとしてリィンが口を開こうとするが、ラディスはそれを手で制した。


「そりゃあお前から見たらおっさんだろうよ。なあ少年。リィンに稽古をつけてくれていたのか? 意外と面倒見が良いな」

「そんな弱い奴、相手にならない」

「そうか」

「こんなに弱くて、しかも女を護衛にしてる奴なんか、最低だ」

「そうか? だが俺は、お前には負けないよ」


 ロジエルが振り返った。口元がひきつったように笑っている。


「右腕が使えなくて、片目で、それで俺に勝てるって? 何の冗談だよ、おっさん」


 黒髪の間から見える瞳に、強い光が宿った。対するラディスは飄々とした態度で続ける。


「これくらいのハンディは必要だろう?」


 少年は踵を返して戻り、足元にあった木剣を取り上げる。


「あんたが恥をかくだけだ。そこの道場の師範の奴らみたいに、黙ってりゃ良かったんだ」


 ラディスは持っていた資料を隣の青年に手渡し、リィンから木剣を取り上げて笑った。


「なかなかのふてぶてしさだな。シモン。リィンを連れて少し離れていてくれ」


 リィンが口を挟む前に、始まってしまった。

 空間が歪んでしまったかのような、重みを伴う殺気。あまりの鋭さに身動きがとれなくなる。一瞬にしてラディスの表情が怜悧なものに変わっていた。研ぎ澄まされた眼光の先にいる少年は僅かに顔を強張らせる。リィンは何とか足を動かして、シモンのいる場所まで下がった。

 両手に木剣を構えたロジエルが、素早い動作で斬り込んでゆく。ラディスはその最初の一撃をぎりぎりのところでかわし、左手に持つ木剣で少年の攻撃をいなした。間髪入れずにロジエルは身体を反転させ、それと同時に攻撃を繰り出す。あまりの速さにラディスの上体が僅かにぶれる。がつん、とお互いの剣先が激しくぶつかって弾けた。ロジエルが身軽に飛び退いて、すぐさま下方からラディスを狙う。

 二人の動きはかなり速く、そして無駄がない。ロジエルは少しばかり大きな振りをするが、それも機敏な動作によって何の支障もなかった。お互いが一歩も引かずに打ち合っている。互角だ。


 リィンの背筋にひやりと汗が伝った。

 ラディスの利き腕は左だが、剣を習得したのは右腕だ。本来であれば右で剣を扱うのだが、以前に受けた傷のせいで前のようには動かない。日常生活では問題はないのだが、剣術となると話は別だ。素早い動作と重い衝撃に、ラディスの右腕はもう耐えられない。だから今も左腕でロジエルと戦っている。それに左目には眼帯をしたままで。

 万全の状態でないにしろ、ロジエルの強さは半端ではない。あのラディスが全力で、小さな少年に向かっているのだ。

 ラディスがじりりと後退したと感じた次の瞬間に、ロジエルの木剣がラディスのそれとぶつかる。少年は素早く手首を返して一撃を叩きこんだ。その衝撃にラディスの手から木剣が弾けてこぼれる。一瞬の事だった。


「つ……強い」


 隣に立つシモンが愕然として呟く。リィンは目の前の光景を信じられないような気持ちで凝視していた。ぐっと胸がつまる。動悸がする。無意識に両手を固く握り締めていた。ラディスが、負けた……。


「なるほど。これは師範の手にも負えんはずだ」


 ロジエルもラディスも、肩で息をしながら睨み合っている。


「これで分かったか、おっさん。あんたはもう終わった人間なんだ」

「俺は往生際が悪いんでね。もう少しあがいてやる」


 ラディスがゆっくりと長身を折り曲げて木剣を拾い上げた。その姿を見て、リィンは嫌な予感がして口の中で小さく呟く。


「ラディス、よせよ……」


 彼は右手で剣を持っている。ロジエルは僅かに口を開け、ラディスを見上げた。


「右は使えないはずじゃ……」

「さあな。試してみよう」


 ざざ、と風が吹き、しんと辺りが静まる。張りつめた緊張が一帯を覆い、戦う二人の気迫がそれに合わさって、リィンもシモンも身動き一つ出来ないでいた。

 ラディスが右手で木剣を構え、僅かに顔を俯かせた。彼の息使いがここまで聞こえてくる。独特の呼吸音だ。これは、極限にまで集中力を高める時に使用する呼吸法。リィンは口元をぎゅっと結び、ラディスの横顔を見つめる。


 駄目だよ。右腕は……。負担がかかりすぎる。


「来い」


 ラディスの低い声が響き、ロジエルが敏捷な動作で斬り込んでいった。




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