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少年と剣  作者: 茂治
12/14

011

 夜の静寂をついて、高い金属音が軽やかに響いた。剣を交える二人の動きはまるで定められた演武を踊っているように美しく、無駄がない。研ぎ澄まされている。


「ま、待て待て」


 はっと我にかえって目の前のラディスを見やる。剣を持つ彼の右腕が力無く垂れさがっており、左手でかばうように押さえていた。月明かりの落ちる芝生の上で、ぜいぜいと肩で息をする。


「もう限界だ。痺れて動かん」


 彼の右手からあの名剣が、音もなく芝の上に落下した。薄暗い視界の中で目を凝らして見つめると、ラディスの右腕が小刻みに震えているのが分かった。ロジエルは途端にしゅんとして、構えていた剣をゆっくりと下ろした。


「……ごめん」


 無意識に言葉が口からこぼれる。あまりの楽しさにまた夢中になってしまった。何でだろう。どうしてだろう。

 言い表す事の出来ない感情がロジエルの胸を満たしていった。

 怪我を負う以前はきっともっと強かったんだ。

 怪我さえなかったらラディスは今よりも凄くて、ずっと強いままだったのに。


「何でだよ」


 何に対してかは分からないが、憤りを感じて呟いた。

 ラディスは朗らかに笑い、右腕を押さえたまま芝の上に腰を下ろす。


「お前の相手が出来ないのは申し訳ないが、俺は後悔していないよ。右腕が無くなろうが構わなかったからな。それよりももっと大事なものがあった」

「分かんないよ」

「意外に剣の腕なんて、役に立たないという事だ」


 ロジエルは僅かにむっとしつつ、どすんと胡坐をかいて座った。


「じゃあ俺のやってる事は無意味なのかよ」

「使い方次第だ。本当の強さってのは剣術では計れないもんなんだぜ」

「そんなの分かってるよ」

「ああ。そうだったな。お前は賢いし大人だ」

「……そんな事ない」

「いいや。お前は相手の視線や口調で、気持ちを読み取る事が出来る。自分を避けようとする人間に敏感に反応する。分かってるよ。向こうが先に壁を作るんだ。お前はそれに気付いてしまう」


 ラディスの言葉に驚き、それからぎゅうと心が痛んだ。息がつまる。鼻がつんとして、自分が涙ぐんでいるのが分かった。暗闇に揺れる緑の芝をじっと睨みつけ、かすかに震えながら大きく深呼吸を繰り返す。ここにいた。


 自分の事を知ってくれている人が、ここにいた……。


「俺は……臆病だ……」

「繊細なんだよ」


 ゆるやかな風が吹いて髪を揺らした。心地の良い風に吹かれ、二人は無言で夜空を見上げる。強い光を放つ月が薄い雲に隠れると、小さな星達が姿を現し無数に瞬く。深い紺色に広がる、煌めく銀の砂粒。


「剣術以外の事も勉強すると良い。きっと役に立つ」

「あんたの子供の頃ってどんなだったの?」

「それはそれは聡明で美しかった」

「ふん。だろうね」

「だが生意気で可愛げのないガキだった。だいたいの所で嫌われた」

「……だろうね」


 ロジエルがぽつぽつと、とりとめのない質問をして、ラディスはそれに淡々と答えていった。彼の言葉は簡潔で分かりやすく、ごまかしたり子供扱いするような事は言わなかった。真っ直ぐに答えが返って来た。


「あんたさ、最初に思いっきり俺を負かして、その後俺がグレたらどうするつもりだったの」

「そんな事にはならないよ。お前が来なかったらこっちから行くつもりでいた」

「へえ」

「それにお前はずっと悩み続けていただろう。答えを探し続けていただろう? 必死にもがいていた。だから俺は安心してお前を叩きのめした」


 静かに語る落ち着いた声が、ロジエルにはひどく心地良く聞こえた。心の隅っこでずっとひっかかっていた塊がころりととれたような気がした。こんな気持ちはいつ以来だろうか。自然で平静で、安心して自分を休ませる事が出来る。家族三人で暮らしていたあの頃。

 環境は最悪でも、父さんと母さんが傍にいてくれた、あの頃。


 会話が途切れ静寂が訪れた。闇夜に響く虫の音に、耳を澄ます。


「……俺の父さんは国を出る時に見つかって、捕まったんだ。俺と母さんに、逃げろって言ったんだ。俺は父さんって叫んだ。一緒に行こうよって。だけど父さんはとっても恐い顔をして、先に行けって怒鳴った。母さんは俺の腕をものすごい力で引っ張った。腕が抜けてしまうかと思ったんだ……」


 ぼやぼやと星空が滲んでゆく。


「どうして俺、ロガートに生まれたんだろう。ロガート族にしてくれって頼んだわけじゃないのに」


 この世界は、とても不公平だ。

 ロガートに生まれなかったら、ロガート族じゃなかったら、今だって父さんはここにいた。たとえばザイナスで生まれたアルム族だったら、今だって家族三人で暮らしていたかも知れない。

 どうして自分には父さんがいなくて、どこに行っても居場所がないんだろう。


「そうか。大変だったな。お互い厳しい時代に生まれたもんだ」


 さらりとラディスが言って、俯いたロジエルの小さな頭にぽんと手を置いた。何の思い入れもないような言葉だったのに、それを聞いて涙が出た。大きな手の温かみに、また涙が流れた。ぽんぽんと撫でられ、その手はゆっくりと離れていった。

 上を向いて素早く涙を拭い鼻をすする。泣いているのが恥ずかしくて、言葉を続けた。


「こ、ここに来れば、ベレンダイ先生に会えると思ってたんだ」

「ベレンダイが何故死んだか知ってるか?」

「イグルに襲われそうになった子供を助ける為に、自分の身体を楯にして戦ったって。英雄の偉大な死だったって師範が言ってた」


 視線を感じて顔を向けると、ラディスがロジエルを見つめてにいっと笑った。眼帯も眼鏡もしていない左目は、右目よりも闇を多く含んでいるように見える。


「それは嘘だ」

「えっ!?」

「ベレンダイは無類の酒好きでな、朝まで酒盛りなんてしょっちゅうだった。その日もたらふく好きな酒を飲んで、良い気分でふらふら歩いてた。それで足を滑らせて転んで、打ちどころが悪くてぽっくりだ」


 ロジエルはじとっとラディスを睨みつける。


「そんなの信じるかよ」

「あんまりな死に方だったからな、格好つかんだろう? だから弟子達がでっち上げたんだ」

「嘘だっ」


 ラディスがくくく、と笑った。


「俺の剣術の師はベレンダイだが、実はまともに稽古をつけてもらった事は数える程しかない」

「はあッ!?」

「道場の師範達に剣術を学んだ。俺がいた頃には既に、ベレンダイは単なる酒好きの親父だったよ。だから俺はあそこの師範達が今でも苦手だ」


 ロジエルは口を開けて絶句した。


「そ、そんな……」

「なあロジエル。世界は広いぞ。通り一遍で分かったような顔をしていたら恥をかく。実際の経験に勝るものはないんだ。道場に通えよ。基本も学べるしそれが一番の近道だ」


 ショックから覚めきれない状態のままラディスを見つめる。


「人の噂や評価なんて気にしていたらきりがない。本当の中身は外からじゃ分からない。そうだろう?

 他の誰かがどうかじゃない。誰が何を言ったって関係ない。まず第一に、お前自身がどうしたいのかが重要なんだ」


 ロジエルは二、三度、瞬きを繰り返した。


 ああ、そうか。


 風が吹いて芝がさわさわと音を奏で、ラディスの髪がそれになびく。綺麗な顔がこっちを見ている。

 ごまかしや嘘を、許さない瞳。全てを見抜く、青い瞳。

 ロジエルの髪も風に揺れ、黒の瞳が月の光に反射して銀灰色に輝いた。


「お前は幸運の持ち主だ。ロガート族だからどうした。どんな種族だって、ここへ来るのには苦労するんだぜ? どんなに頑張ったって、誰にも気づかれずに終わる奴もいる。だがお前は女帝の目にとまった。お前の目の前には全てが用意されてる。それに手を伸ばすか伸ばさないかは、お前次第だ。人のせいにするなよ? お前の、人生だ。

 それはお前の父親が、お前の為に残したものだ」


 父さん。

 俺……、俺。


 俯くと目から涙が一粒、ぽとりと落ちていった。


「俺……母さんを安心させてあげたい。俺、シャウナルーズ様のお役に立ちたい」


 そう口に出して言葉にすると、身体の底から湧き上がるような力が生まれた。ロジエルは固く目を閉じて両手で握り拳を作り、口の中でまた唱えた。


 母さんを安心させてあげたい。シャウナルーズ様のお役に立ちたい。


「……見つけたな」


 顔を上げるとラディスと目が合った。微笑んでいる。ロジエルはその顔を食い入るように見つめた。


「……え?」

「それが答えだ」


 不思議と心は平静だった。

 落ち着いてすんなりとラディスの言葉を聞いている自分が可笑しく思えてくる。今まで苛々していたのが馬鹿らしく思えてくる。そうか……やっと、分かった。自分が何をしたかったのか。


「でも俺……」

「出来るよ。お前になら」


 最後まで言い終わらないうちにラディスが答えた。少しむっとする。


「俺が何言うか分かってないくせに……」

「くく。そうか。それは悪かった」


 そう言ってゆっくりと立ち上がり、うーん、と腰を伸ばす。ラディスは背が高い。俺もこんな風に大きくなれるだろうか。うらやましい。あんなに身長が高いと、そこから見える景色はどんなだろう。やっぱり違って見えるんだろうか。見晴らしが良いんだろうか。


「ロジエル」


 彼の低い声が、月明かりの落ちる空間に染みてゆく。ロジエルは目の前の高い背を見上げた。


「お前は、希望だ」


 とくとくと、心臓が鳴る。


「種族の枠を超えろ。超える事が出来る。どんなに辛くても、全力でシャウナを護ってみろ」


 その声音は直接に、心を掴んで命を揺さぶる。


「ロガート族の最初の一人として、お前が道を作るんだ。……俺は先に行って待ってる。必ず来いよ」


 振り返ったラディスの表情は、ロジエルからは影になって見えなかった。少年の小さな胸に嬉しさと奮い立つような力が込み上げる。

 こんなにすぐ近くに、目指すべきものがあった。何て強い存在だろうか。

 彼はおもむろに長身を折り曲げて自らの剣を拾い、それをロジエルに差し出した。


「何?」

「お前にやる」

「えッ!! だ、だって、この剣……」


 慌てて立ち上がって後ずさり、首を左右にぶんぶんと振った。こんな伝説の名剣を自分が持つなんて考えられない。

 ラディスはこんな宝のような大事な剣を、やる、のたったの二文字で手放そうとしている。何て奴だ。


「もう俺の腕では扱えないからな。持っていても意味がないんだ」

「あ……」


 何となく気の毒な気持ちになっておずおずと彼を見上げ、それから銀色に光る剣に視線を落とした。持ち手は控えめな黒に近い灰色で、柄頭にある結晶石がきらりと輝いている。両手をそろりと差し出すと、その上にぽんと置かれた。ずしりと重みが伝わる。右手に持ってゆるく振るう。素晴らしい。その感触に感動して心が震えた。目の前にかざすと、月の光を反射させて閃く。刃こぼれ一つなく手入れが完璧に行き届いている。すらりとした刀身の先に、夜空を仰ぐラディスが見えた。


「ほんとに……良いの?」

「それはお前が持つべきものだ。それに俺はもっと素晴らしい剣を手に入れた」

「そ、そうなの?」

「ああ。俺だけの、美しくしなやかで、何にも屈しない強い剣だ。大事な……剣だ」

「すごい。今度俺にも見せてよ」


 ゆっくりとロジエルを見下ろし、彼は目を細めて微笑む。その綺麗な顔にロジエルは息をするのを忘れそうになった。こんな美しい表情をする男の人が、この世にいるなんて思わなかった。


「ああ。そうだな。……だがもう目にしているかも知れんぞ?」












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