二話
〝居場所〟そんなものは自分で作るしかない。
そんなことくらい、わかっている。誰に言われるでもない、当然とある〝当たり前〟だ。
わかっている。わかってはいても、上手くいかない。上手くいかないからわからない。何が正解なのかわからない。自分自身のことが、わからない。
大きくなれば勝手に大人になるものだと思っていた。ちゃんとした大人に。
今はそれがなんなのかわからない。体は成長した。知識も、考えられる領域だって、行動範囲だって広がった。
でも、私は大人じゃない。大人は〝しなければいけない〟ができている人だと思う。小さい頃に学校で習う〝義務〟ってやつだ。教育の義務、勤労の義務、納税の義務、それら全てを果たせている人がちゃんとした大人なのだろう。
子供でもない。大人でもない。そんな曖昧で不確かな私は、世界の〝しなければいけない〟ことばかりわかっていく。いろいろなことばかりわかっていく。それを自分ができていないことばかり、わかっていく。
上手い人、できている人に言わせれば、これも『当たり前』なのだ。それが、ただ、私には難しい。それだけのこと。
その〝当たり前〟ができない私はとても不出来で、誰にも必要とされず、いらないものなのだろう。
――だから、私はここにいる。
視界が揺れた。また、ぐわんと。
感情が込み上げてくる。私と同じ行き場のないものたちが私の中を埋め尽くす。
瞳の水分が少し増す。
溢れることはない。
だいぶ慣れてしまった感覚。
いまさら溢れるものなんて何もない。
絶望や悲しみに感情が溢れてしまうほど、自分に期待などしていない。
小さくなって膝を抱えたら暮れるだけ、そんな繰り返しだ。
沈んだ気持ちはよく回る。すぐさま近くの仲間を連れてくる。
嫌な出来事。――就職活動。――面接。――昔の瘡蓋。
躓いた私の記憶たち。
記憶の断片が次々と胸を抉りながら勝手に思い出していく。
私の意思なんてそこには関係ない。
負の連鎖は止まらず、いろんな感情にぶつかりながら押し出される。
大概、こういうときに思い出すのは人との関わり、至らない自分、上手くない自分。――いらない自分。
言葉が私を埋め尽くしていく。
捉えきれない、否定だけがわかる言葉が奥の方からぞろぞろと私を蝕む。
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私は就職活動で面接を受ける日々を繰り返していた。
いつもと同じ。事務的で淡々とした進行。
『先ず自己紹介を……』『志望の動機について……』『次に自己PRを……』『入社後はどのようなことが……』
更には、単純な対応力を試すような質問。柔軟な対応力を試すよう突飛な質問。
それに対し、具体的な意欲、体験、喜憂を交えて精一杯。誠実に自分の言葉で話す。わからないもの、咄嗟に理解の及ばなかったものにはハッキリとわかりません、と伝えるようにしてきた。
答えに詰まったのは過去の躓き。瘡蓋で覆った〝空白の期間〟その説明。
『あなたを説明してください』その質問のどれもに私は自信をもって答えることができない。
私には不登校の過去があった。多くの当たり前ができなかった過去があった。
そんな過ぎたこと。
もう世の中でも珍しくない言葉の一つ。世の中に馴染んだ言葉でも私にとってはいつまでも当たり前ではないこと。
転んだ痛みは血が滲んでいるときよりもズキンと痛むときがある。
だから、言葉を繕い、狡さで隠すことも覚えた。そんなこともあった、と。曖昧に、無かったみたいに。
面接官の遠慮のない言葉が向けられる。『この期間はどうされていたんですか』と、嫌味も探りもなく、ただ淡々とした質問。『病気の療養をしていました。現在は回復しております』と、なんでもないことを伝える。
そんな私の恐怖も、では次に、であっさり終えて次の質問に移る。
そこで問われた『あなたのしたいことはなんですか』という問いにまた躓いた。身近な目標でも、将来的な展望でもかまいません、と続いたであろう言葉はあまり聞こえなかった。
自分のこと、それがどうしてもわからない。わからないまま、不安に急かされるまま〝何か〟に〝ならなければならない〟と、そう思うようになっていった。だから、そんな何でもない言葉が怖く感じるようになっていた。
そんなある日の就職面接。
変わらない日常の一つ。
変わらない面接の一つ。
私はいつも通り、誠実に、面接官の問いかけに回答していた。
ただ、そのときは少しだけ違った。
〝耳のない言葉〟――意味のない言葉。
質問や語調は淡々と。しかし、言葉の中で笑う声が聞こえた。
『――という経験から私は――』ふっ
『――を活かせると考え――』ふふはっ、と。
初めに聞こえた笑い声は『あなたの特技はなんですか』その答えの後だった。
これも誇れるものや特別など持ち合わせていない私には困ってしまう質問だったが、唯一胸を張れるものでもあった。
『私は、言葉が見えます!』そう、声を張った。
そのあとで緊張から足りていない説明に気付き、自分は言葉から相手の気持ちを推察できる。自分自身の考えや感情をしっかりと伝えることができる。などと続け、言葉を大切にしている事、相手を慮ったコミュニケーションが取れることを主張した。
その直後だ。『小学校じゃないんだから』そう小さく聞こえたあとに、笑いが起こった。
わかっていた。求められている回答ではないことも、それが笑われるような、当然の範疇であることも。そういうものが社会なのだということも。
対面に座っていたのは若い面接官が二人。一人は椅を斜めに座り、足を組んでいた。私に対しては半身で、片肘をつきながら質問だけを問いかけてくる。もう一人も手持ち無沙汰にペンを回しながらあくびをしている。
回答中、二人のやり取りが少し見えたが机の影で何をしているかまではわからなかった。ふざけ合っているようにも見えた。
私は、相手の無気力は自身の至らなさに原因があるのでは、と考え、もう一度、身を正してから、声を張り上げてみた。
すると、苛立ち交じりの小さな舌打ちのあと、また『ふふふっ』と。
私の言葉は返されることはなく、淡々と居所のないまま一方的な言葉だけが交互に投げかけられる。
明らかに相手にされていない。そう感じる態度。
私はいったい誰と言葉を交わしているのだろう。
圧迫面接の一種なのだろうか、思った。初めての経験ではない、わざと相手に威圧的、嘲笑的、やる気のない態度を向けることで、受け手のストレス耐性や対応力を見るもの。そう飲み込むことにしていたものだ。
しかし、返されることはない、私の言葉。
私の向かいには確かに人はいる。いるはずだ。なのに……、私の言葉は誰にも届いていない。
まるで耳のない言葉だけが投げかけられ、意味のない言葉を吐き出している。誰もいない。
私はどこにいるのか。誰に話しているのか。相手との距離は。私は声を出せているのか。ただ、ただ、足場のない感覚に追いやられた。
返らない言葉には得意ではない笑顔を貼り付けるしかなかった。
すると『一応、笑えるんだ』と、声のあと、また笑い声が『ふふふっ』と。
ずっと脳裏で響く声。
へばりつく音。
あの笑いに大した意味は無いのだろう。個人の何かに向けられたものでもないのだろう。きっと私の何かに向けられたものではないのだろう。