一話
あるいは、私が○○ならば――、そんな空想は現実のどこにもなかった。
死にたくなるような景色の中。
私は乗らない電車を待っていた。
いつもの駅。改札を通り抜け、階段を降りて、反対側へ。階段下を数メートル歩いたいつもの場所。備え付けのベンチや自動販売機から少し離れた場所。人込みから少し離れた場所。いつもの定位置。
近年発展したといわれるこの街は、駅の再開発に伴いオフィスや商業施設が多く立ち並ぶようになった。駅は朝のラッシュを過ぎても人の波が途切れることはない。
人と人とが足早に交差していく。
どの人も。どの人も。目的があって、居場所があって、どこかへ向かっていく。
そういう当たり前が広がっていた。
私は急に眩暈がした。
世界がぐわんと、歪んで見えた。
空はあるのにとても狭い。地面はあるのに足音しか聞こえない。
自分が平衡を保てているのかわからない。
苦しい。
ふいに、人込みの方から取り分けて大きい声が聞こえてくる。
「ぶっははは! 似てる! 似てる!」
「――ってお前の感想でしかないからな! っていうやつ」
「ははっ それなーー、老害でしかない」
雑踏の中から大学生らしき男女数人の声が耳に残った。聞こえてくるのは先生か親か、わからない誰かを嘲る言葉。
よくある悪口。
至って普通の会話が、やけに耳に残った。
春は嫌いだ。
新年度の始まり。新入生。新入社員。新生活。四月という季節は嫌でも人の変化を見せつける。
そんな変化の季節。私の既卒一年目が始まった。
自分だけ。何にもなれず、どこへも行けず、ただ一人置いて行かれたような。
そんな気分。
春が嫌いだ。
四月も半ばを過ぎたというのに、駅構内の目まぐるしさは私だけを馴染ませてくれない。
慣れないスーツ、少し擦り減ったハイヒール、使い勝手の悪い鞄。この真っ黒にもいい加減慣れた、慣れたはずだ。
なのに、どこにも馴染めない。
—―番線、列車が到着します。黄色い線の内側までお下がりください。—―
電車が到着した。
周囲が雑多な声と足音に包まれる。
私は人の流れを伏し目で見送った。
発車のアナウンスもそのまま。
—―番線、列車が発車します。ご注意ください。—―
憂鬱さに足が動かなかった。
次の喧騒も。
そのまた次も。
嫌だ、イヤだ、いやだ、いや。
暫くして、ふと視線を上げるとぽっかりと穴があった。
底は見えない。ただの穴。
私は、なんだかその穴に心地よさのようなものを感じた。
足元には何色の線も引かれていない。
ここは居づらい。とても居づらい。
そちらは居やすいだろうか。
ここは辛い。たまらなく辛い。
そちらは幸いだろうか。
私の居場所もあるだろうか。私は居てもいいのだろうか。
この真っ黒な感情も、どこかに馴染むだろうか。
私はそのなんだかよくわからないものが自分をどうにかしてくれるようなもののように思えた。