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お仕事

伝わるもの

作者: 御田文人

春の推理2024参加作品

 佐々木陽平は大学まで陸上部に所属し、長距離走、駅伝をやっていた。

 卒業後はスポーツ用品店に就職する。理由はそのスポーツ用品店チェーンは、商品販売だけでなくパーソナルトレーニングも行っていたからだ。

 入社して2年、まだ仕事は販売とトレーナー半々だが、ゆくゆくはトレーナーメインでやりたい、そして独立したいと思っている。


「あれ、Aさん世良さん指名なの?」

 佐々木は、いつも出社後最初にパーソナルトレーニングの台帳を確認する。そこで嫌なものを眼にした。

 Aさんは3回まで自分が担当していた方だ。それも趣味でマラソンをやっており、記録の向上をしたいという、正に自分の専門分野の方。それだけに指導内容も自信があった。

「何日か前に電話があったわ。『店長に相談』って言うから世良さんに変わったよ。聞いてみたら?」

 近くにいたスタッフの一人が答えた。指名交代やNGを食らうのはトレーナーにとってデリケートな話題なので、それが分かっているスタッフは必要以上のことを話さない。

 佐々木は努めて冷静に『ありがとう』とだけ答えて開店準備をしつつ、店長である世良の出社を待った。


「Aさんなんですけど・・・何かクレームですか?」

 佐々木は間もなく出社した世良に、台帳を持って単刀直入に聞いた。何と切り出そうか随分迷ったが、上手い言葉が見つからず、覚悟を決めた形だ。

「ん?いや、そこまでじゃないよ」

 世良は一瞬考えつつ、そう答えた。『そこまではいかない』とは逆に言えばその手前だということになる。自分のトレーニングは不満だったことに間違いない。

「気になるだろ?」

 うつむいて言葉が出ない佐々木に対して世良はニヤリとして言った。

「それはもちろん!」

 佐々木は顔を上げて答えた。

「別にお前がAさんに指導した内容自体、特に間違いはない。むしろ最近じゃ定番の内容だと思う。それはオレからもAさんに言ってある。でも、あれじゃ『Aさんは』満足しない・・・」

 世良はそこまで言って、一旦考えた。


「そうだな・・・答えるのは簡単だけど、いい課題だからちょっと考えてみな。大丈夫。そのうちAさんはお前に戻すから」

 そう言って世良は、後でまた考えを聞くと約束してこの話を打ち切った。


(自分で考えろか・・・)

 佐々木は、世良が離れてから吐き捨てるような溜息を付いた。結局クレームじゃないか。それなら、余計な配慮はいらないからハッキリ言って欲しい。

 『こういうクレームだ。原因と再発防止策を提出しろ』と。


 とはいえ、考えなければ先に進まないので、彼は頭の中で状況を整理した。


 Aさんは28歳、女性、ランニング歴5年。もともとはダイエットで始めたのだが、今は積極的にレースに参加して記録向上の為にトレーニングを続けている。


 こういう場合、まず気になるのはセクハラと捉えられた言動があったかどうかだ。接客業として公には口にできない言葉だが、Aさんは率直に言って魅力的な方だった。社交的にハキハキと話し、よく笑い、笑顔が素敵な方だ。だからこそ、馴れ馴れしくならないよう気を使ったつもりだ。それが逆に冷たく捉えられた?可能性としては無くは無いが、これ以上考えても分からない。これは一旦保留で別の要因を考えよう。

 やっぱり指導の中身の問題だ。


 Aさんは、目下の目標はフルマラソンで3時間半切りと10kmのベスト更新。

 フルマラソンは年に2回程度、10kmはほぼ毎月何かしらのレースに出ている。

 10kmは初レースは65分で、そこから42分までは順調にレースに出るたびに記録が伸びたが、ここ半年記録が伸び悩んでいるとのこと。


 これらを鑑みて、佐々木はメインターゲットを10㎞に絞った。フルは頻繁には走らないし、10㎞のタイムから見てもフルの目標は今すぐ達成してもおかしくはない。

 それより停滞している方をやろうと。逆に10kmのスピードが今以上に上がればフルの目標達成はより確実になる。

 このターゲット設定が間違ったか?本当はフルがメインだったか?

 しかし、このターゲット設定はAさんにも理由を説明し、了承を取っている。それにはAさんも賛同したはずだ。

「いいですね!そういう自分で出来ない所をお願いしたいです!」

 そう言ってた時の表情に嘘は無いように思える。


 では手段だろうか?まずスピードアップをする場合、ただ追い込んで走れというのはプロの指導とは言えない。『こうすれば速くなる』という手段を提示する必要がある。

 その手段として、佐々木はスプリント力強化を指導した。

 即ち、つま先で着地し、アキレス腱のバネを利用して跳ねながら走る走法だ。


 Aさんは、かつての典型的な市民ランナーの着地をしていた。踵からつき、つま先に重心移動する。重心移動を主な推進力にしており、上下動が少なくピッチが速い。逆に跳ねる力をほとんど使っていないのでストライドはかなり狭い。

 これに対して、佐々木は『今以上にピッチを上げる』か『スプリント力を強化しストライドを広げる』の2択を提示した。

 一番効果的なのはスプリントと思いつつ、難度が高い技術なので、念の為、市民ランナーが取り組みやすいであろう別案を用意したのだ。

 

 幸いAさんはスプリントを選んだ。今流行りのこの走り方は興味があり、動画等を見て何度か挑戦してみたが、どうもしっくりこないとのこと。

 もっと言えば、今はランニングシューズも厚底シューズを筆頭に、跳ねる走法前提の物が増えている。この走法が出来ないとシューズ選びも選択の幅が狭くなっていることをAさん自身感じていると言う。


 既に動画での知識があるとのことなので、まず、どんな知識があるか確認し、実際にやってもらった。

「空き缶を踏みつぶすようにつま先で着地するんですよね。そして、空中で後ろ足を引き付ける」

 Aさんは動画や雑誌でよく言われるフレーズを話し、実演した。

 案の定、出来ない理由は明確だった。

「まず空き缶の意識は忘れてください。これは十分にスピードが乗った時の中間疾走時の意識です。ジョグでこれをやったら上体が後傾しやすいです」


「跳ねるフォームの際は、腕は前に振ってください。昔よく言われてた肘を後ろに引く腕振りは、この走法には相性が悪く、余計なブレーキがかかりやすいです」


「注意点としては、このフォームはアキレス腱の負担が大きいので、最初は距離が踏めません。アキレス腱が出来るに従って走れる距離が伸びますので無理はしないでください。距離を走れない分は他の有酸素運動でカバーしましょう」


 佐々木の解説一つ一つに対するAさんの反応は悪くない、むしろ積極的なリアクションがあった。

「やっぱり本や動画だけでは分からないものですね」

「そういうのは出来ている人が言語化したものですからね。最終的には正解なんですが、それが出来るようになるまでのプロセスでは人によって課題が違うので、やはり最初は見てもらった方が良いですよ」

「本当にそう思いました。今日だけで目から鱗が何枚も落ちましたもん!」

 等と会話は盛り上がた方だと思う。


 となると・・・考えるべきは・・・

「大人は善意で嘘をつくからな。言葉に現れたことが全てじゃないぞ。言葉に現れないメッセージを受け取る感度が必要だ」

 佐々木は世良によく言われる言葉を思い出した。

 反応が良かったと思うのは自分だけ。本当は自分に合わせてくれていたのでは?

 そう仮定し、一回言葉や表情を抜きにして結果だけを振り返る。そして、その結果に対してAさんの心理状態を想像するのだ。


 初回は上々。完全に短距離の指導に特化し、100mのタイムがその日のうちに1秒縮まった。アキレス腱の負担を考え、普段のランニングは1週間休んでもらった。


 2回目は短距離の練習をしつつ、その走り方で200m、400m、1kmと中距離に慣らしていった。普段のランニングも1日に1kmを2本まで解禁した。


 3回目、1kmのタイムが3秒縮まった。そして走法を維持しつつ速度を落として2kmまで走ってみた。新走法の習熟という観点では順調。ただし、体重は増加傾向。走り込みの絶対量が減っているので無理も無いだろう。実際2kmを走った際、速度を落としてもかなり息が上がっていた。

 それらを鑑みて普段のトレーニングは3kmまで解禁。補助トレーニングとしてウォーキングと自転車を取り入れたメニューを作成した。


(やはりキツかったのだろうか?)

 佐々木は考えた。跳ねるように走るフォームは、上下動が発生するので慣れない内は内臓が揺れて腹痛が発生する場合がある。それが無くても呼吸は楽ではなく、疲労感は上がるだろう。

 そして体重増は1km弱で1件大きなものではないが、もともと軽いAさんにとっては体感はかなり変わるのかもしれない。

 また、フルマラソンを4時間切って走るような人が2kmで息が上がるというのは、精神的にキツイかもしれない。

 そういった所に配慮が必要だったかも。


「なるほどな」

 閉店後、佐々木の報告を聞いて世良はニヤリとした。


「大不正解だ。でも、オレ的には大正解だな」

 言ってる意味が分からい。

 ポカンとしている佐々木に対して世良は1枚の紙を渡した。

「オレが電話取った時のメモだよ」

 そこには走り書きで以下のように書かれていた。


 ・知識も技術も素晴らしい

 ・指導も上手い。分かりやすい

 ・ただ、優しすぎる

 ・気を使ってくれるのは分かるが、正直物足りない

 ・2回目以降のトレーニングは正直自分でも出来る

 ・せっかくトレーナーをつけているので、自分で出来ない所まで追い込みたい


「ガチじゃないですか・・・」

 佐々木は呟いた。

「逆になぜガチじゃないと思った?」

「それは・・・」

「市民ランナーからしたら陸上選手は憧れなんだぞ。憧れからの配慮は時に屈辱でもある。『あなたとはステージが違う』と言われてるみたいだからな」

「・・・」

 佐々木は言葉が出ない。過剰に配慮したつもりはない。しかし、実際、自分の振り返りでは『難しいかも』『キツイかも』ばかりで、『物足りないかも』というのは、ひとつも出て来なかった。


「お前は、根本的に市民ランナーを下に見てるだろ」

 世良の問いに、佐々木は『そんなことは無い』と言いかけたが、世良はそれを制するように続けた。

「いいんだよ。実際、競技力は遥かに上なんだから。でも彼らは部活でシゴかれた者にはない強さがあるんだ。そこを知るといいな」

 そう言って世良は佐々木を見る。


「走るのが好きってことでしょうか?」

 佐々木は答える。そして、部活で先輩やコーチに追い込まれてた時のことを思い出す。決して楽しいものではなかった。結果を出して勝つのは楽しいが、走ることそのものが楽しいと思ったことは、ほとんど無い。正直今でも市民ランナーの『好きだから走る』という感覚が良く分からない。


「半分正解だな」

 世良が言った。

「半分ですか?」

「ああ。彼らだって毎日好きで走っているワケじゃない」

「じゃあ、なんで走っているんですか?」

 好きでないのなら意味が分からない。

「彼らだって走る理由は様々だよ。走るのが好きな人もいるし、ダイエットの為の人もいる。Aさんみたいに記録向上を狙う人もいる。しかし、共通して言えるのは、走るのを自分で決めていることだ。コーチもつけずに『自分で自分の尻を叩いて』走っている。その自分の尻を叩く能力が高いんだよ」

「あっ」

 佐々木は理解した。佐々木にとって『好きでないのなら意味が分からない』ことをやっていること自体が、彼らの能力なのだ。


「自分が下に見られてるってのは、言わなくても伝わるものさ。もちろん競技力が高いってのは良いことだ。一方で、競技力が高い者ほど競技力以外の部分で相手をリスペクトする感度が必要になる。これはトレーナーにとって指導方法以上に重要な腕だよ。いい勉強になったな」

 佐々木は無言で頷いた。言葉に現れないメッセージを発していたのは自分の方だったのだ。それも『無意識に見下している』という最悪のメッセージを・・・


「Aさんな、今日は縄跳び、ボクササイズ、エアロビクスで追い込んだよ」

 うつむく佐々木に対して、その話は終わりとばかりに声のトーンを上げて世良が言った。

「なるほど、長時間跳ねる動作にアキレス腱と内臓を慣らすんですね。基本両足付いているから、ランニングよりもアキレス腱の負担が少ない」

「そう。それ心拍数的にも追い込めるし、体重増を防ぐ意図もある。更にはボクササイズとエアロビクスの教則DVDもお買い上げいただいた」

「最後が無ければ人格者なのにな・・・」

「うるせぇ。とにかく新走法で5km走れるようになったらお前に戻すって伝えてるから、その時はバキバキに追い込んでやれ!」

「了解です!それでいいなら、引き出しは山ほどありますんで」


 その後、二人は小一時間かけて、Aさん目標達成までの詳細なプランを作り上げた。  

お読みいただきありがとうございます。

本作は、これだけで独立した話として書いたつもりですが、一応、拙作の連作短編「トレーナー世良の議事録」の数年前という設定になっており、登場人物も共通しています。

興味がありましたらそちらも是非。

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