第二話 私と彼
私に微笑み掛けながらその指に赤い毛糸で三本線の川を作って見せている彼は、何も返事がないことに僅かに眉を顰めると、再度言った。
「今日子さん? おかえりだよ」
「おかえりだよ。キャハハ」
その青年の右肩に両手を載せて笑い声を上げながら飛び上がるのは、五歳の頃の私だ。けれど本当ならそれは、私以外に見えるはずのないIF、イマジナリーフレンドだった。
「ねえ……あなたって、何者?」
外灯の明かりでスチール製の階段に座っている彼の姿がぼんやりと見えているけれど、その白い肌の所為か、薄っすら浮かんでいるようにすら感じる。サラサラの細い髪がアイドルグループの誰かみたいに眉の上で切り揃えられていて、二重のころころとした瞳が小動物を思わせた。
「宮内翔太郎という名前に心当たりはある?」
当然聞いたことはないし、仮にその名を知っていたとして、彼と何の関係があるというのだろう。私は小さく首を振る。
「それは残念。ボクの名前が宮内翔太郎なんだ」
「からかってるんですか?」
「そっちこそ、大事な約束、忘れたのかな?」
約束、というワードに一瞬軽い目眩がした。
彼、宮内翔太郎は立ち上がるときょう子に毛糸を渡し、階段を降りる。私の前に立つとほぼ目線の高さが同じだ。黒目の大きなとても澄んだ瞳がぼんやり照らされ、じっと向けられた。
「どうしてきょう子が見えるんですか?」
けれど彼は首を傾げ、意味の分からない苦笑を浮かべる。
「あの子は私のIF……つまりイマジナリーフレンドなんですよ?」
「それって小さい頃に空想上の遊び相手が見えるってやつでしょ? でもさ」
彼は振り返り、一人で階段に腰掛けて綾取りをして遊ぶきょう子を確かに見ていた。
「ちゃんとボクの目からは赤い糸で綾取りをしている女の子が見えているよ」
嘘や冗談の類で私をからかっている訳ではなさそうだ。
幽霊?
そんな可能性を思いついて恐くなり、私は慌てて彼を迂回すると、
「さっさと家に入って」
口を結んでほっぺを膨らませたきょう子の手を取り、階段を駆け上がる。
二階まで登り終えると一度だけ振り返って視線を向けたが、彼は困ったように私を見上げながら後頭部を掻いている。
けれど追いかけてくるような素振りはなく、まるで地縛霊のように動かないでいてくれたので、私は「行こ」ときょう子に口早に言って二〇四号室まで急いだ。