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私とわたしとワタシの日常  作者: 凪司工房
17/24

4

 駅前で雪雄さんと別れてから、何だかすぐにアパートに戻る気になれず、適当に大学のキャンパス内をぶらついてから帰った。

 雪雄さんは別れ際に「次の正月は実家に戻ってきて欲しい」と告げ、母親から言付かったという封筒を手渡してから改札へと消えていった。

 封筒には手紙のようなものは一切入れられておらず、ただ数枚の福沢諭吉が新札で揃えられていただけだった。

 まだ日の沈まない明るい空を見上げながら、その意味について思い悩む。

 母は私が五歳の時に離婚し、十五歳の時に再婚した。だから二人だけで暮らしたのは実質十年間だけなのだけれど、二十歳の私にとっての十年というのは結構存在が大きく、特に離婚前後、いつも苛立って私を見ていた彼女の、その目が未だに記憶から薄れてくれない。

 溜息を落としてから顔を上げると、アパートの階段に、翔太郎が座っていた。一人だ。


「なんか、元気ないね」

「そんなことないけど……今日はきょう子と遊んでないんだね」


 そう言い返した私に彼は少し困ったように眉を顰める。


「何? あのよく分からない結婚の約束の話だったら――」

「違う。そのことじゃないよ。ただきょう子ちゃんたちがいなかったってだけで」


 え……。

 私はそれを聞いて慌てて階段を駆け上がる。ドアに鍵を差し込むけれど震えて上手く入らない。やっと入ったと思ったら今度は回らずに、それでも無理矢理に力を入れて解錠すると、勢いよく中に入った。


「きょう子? いる?」


 誰も答えない。


「キョウコは? いないの?」


 私はひっそりと静まり返ったままの部屋に上がり込み、そこに二人の姿のないのを確認すると、一度外に出る。

 階段の下を見たが、そこに彼の姿も見えなくなってしまっていた。



 頭の上で携帯電話が鳴っている。アラームうるさいと思って手を伸ばしても届かない。

 仕方なく目を開けて手に取ると、バイト先からの電話だった。


「岩根さんどうしたの? 何かあった? 体調不良なら明日の分もお休みにしておくけれど」

「すみません鈴森さん。ちょっと夜更ししての寝坊です。今から準備して向かっても大丈夫でしょうか?」


 頭だけは冷静にしなきゃいけないと、何度か深呼吸をする。


「夜更しして寝坊するようなタイプには思わなかったんだけど、今から出かける準備してどれくらいでこっちまで来られそう?」

「えっと……着替えて出るくらいですから」


 地下鉄の駅まで行く時間も考えてプラス十分多く伝えると「わかった」と鈴森さんは承諾してくれた。

 電話をテーブルに置いた私はとにかくと顔を洗う。

 鏡には目元が少し黒ずんで顔色の悪い自分が映っている。だから必死にその焦燥を洗い流そうと、何度も顔に水を浴びせた。

 きょう子たちがいない。

 それは私が一番望んでいたことのはずなのに、何の予兆もなく消えてしまうとこんなに慌てるとは思わなかった。

 ひょっとすると予兆めいたものはあったのかも知れないが、新しく生まれた明日子まで姿を見せず、五歳の時にきょう子が生まれて以来、私は初めてまともに一人らしい一人を体験していた。

 化粧ポーチからベースクリームを出して一気に顔に塗る。とりあえず隈だけでも隠しておきたい。それから少しだけチークを入れて、唇はリップクリームで充分だ。

 顔を作りながら落ち着いていく自分を見ていると、一人というのが本当に心細く生身でしかないのだと実感する。

 だからこうしてお面を作る。しっかりしてなくていい。綺麗でなくてもいい。女の子が化粧を覚えるのは、孤独な生身をさらさないでいる為かも知れない。

 リップを引き終えると鞄を手に、午後の日差しが強い部屋の外へと出る。日焼け止めも塗った方がいいかも知れないと感じたが、体は既に階段を駆け下り始めていた。



 夕方までの勤務を終えると、まぶたの上に重りでも載せられた気分でビルを出た。

 向かいのコンビニには旅行のツアー客だろうか。キャリーバッグを引いた外国人の行列が入っていく様を、私だけでなく他の通行人もやや驚きを持って眺めている。


「他にも旅行客なんて沢山いるのに、どうしてああいう人だけ注目するんだろうね」


 背後からの、耳慣れた声だった。


「翔太郎……なんで」

「今日子が困ってそうだったから……かな」


 そう答えて彼は照れたように鼻頭を指で掻いた。


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