人道上の王子様
王子様、これが世界です。
この世界には、貧富の格差があり、ひどく貧しい暮らしをしている人が多くいます。
ほとんどの人が持っている身体的な能力や精神的な能力を持っていない人もいます。
例えば足の悪い人は、走ったり歩いたりするのが、王子様よりも遅いでしょう。
王子様には簡単にできることを、必死に努力してもできない人々がいます。
そしてそれを見下し馬鹿にして笑うのは、人として恥ずかしいことです。
そして世界は広く、王子様が必死に努力してもできないことを簡単できる人達がいます。
そのような人達の中に、王子様を見下し馬鹿にして笑う者は少なくないでしょう。
しかし、見下され馬鹿にされて笑われた人が憤る必要はどこにもありません。
なぜなら、見下して馬鹿にして笑った者こそが、人として恥ずかしい人だからです。
ですから結局、人として恥ずかしいと自覚できない愚かさこそが人として恥ずかしい。
つまり、何が人として恥ずかしいことか分別できる知性こそが人としての知性なのです。
王子様が持っているものを持っていない人々も世界にはいます。
王子様には個人的な資質や社会的な地位が与えられていますが、力はただちに責任です。
力ある者が残忍に振る舞えば、多くの人や命を不幸にすることができます。
ならば力には、多くの人や命の幸せを守る責任も伴っているのです。
人として恥ずかしいことを分別できる知的資質は、人道を歩むべき責務を伴っているのです。
この世界が理想郷かどうか、現実をよくご覧になってください。
幸運にも立場に恵まれた人々が、立場の弱い人々を侮辱して楽しんでいる姿を見てください。
努力不足と罵って弱者をいたぶる娯楽が、広く行われている事実を見てください。
貧乏人や恋愛敗者の尊厳が底なしに軽んじられている様子を見てください。
人間社会が世俗主義つまり生存と繁殖こそを権威として崇拝する様子を見てください。
そして、弱者を弱者だという理由で軽んじることが人として恥ずかしいと知ってください。
弱者を軽んじて楽しむ人々は、それが人として恥ずかしいことだとは思いません。
それが人として恥ずかしいことだと思う人々は、思います。
そして、恥ずかしいと思わない人々は、恥ずかしいと思う人々がいることに気づかない。
世間の善意や良心にいかに依存して安寧を味わっているか、自覚するだけの知性がない。
だから結局、人格的な問題は知的資質の問題と独立ではありません。
いわゆる学歴が知的能力の尺度とされるようになったのは、愚者が増えすぎたためにすぎません。
この世界に生存し遺伝子を栄えさせるためには、一定の私欲と残酷さは必要でしょう。
しかし、生き残ることに無限大の価値があるわけではありません。
王子様の血統を残すこと自体が最大の目的になってしまってはいけません。
生存主義とは、人としての恥ずかしさの末路なのです。
私利私欲に生きて満足することは、人としての恥ずかしさの完成なのです。
王子様には、私の申し上げる言葉が理解できないかもしれません。
しかし、一部はわかるかもしれませんし、すべてすでにご承知かもしれません。
その理解力の程度に応じて、人道を歩むべき責務もそこにあります。
義のために利を損なう者に友は多く、義のために命を損なう者に喜びは伴います。
くれぐれも、世俗的な安寧だけが幸福の定義だとは騙されませぬように。
人として恥ずかしくないか、その自省によって言動を律するとき、万国で誤りは犯しません。
この爺が教示します武技や術技も、お伝えしたい魂は一事あって他になし。
王子様としてのご自覚はひとえに、人道としての恥を知るところにございます。




