328日後に奪われる唇
「よろしくお願いします!」
空手部にやって来た一年はずいぶんと弱そうだった。
190センチの私の首ぐらいまでしかないな。
160センチギリギリ。50キロってところか……。
ま。退部しないように優しくしてやろう。
この高校の空手部には三年の私しかいない。
こいつを逃がしたら空手部は来年には廃部になってしまう。
「全国大会で優勝した先輩の姿に憧れて入部しました! 押忍!」
「あー。はいはい」
これが私と「ヒョロ」との出会いだった。
・
30日後。
「コヒュー……こっ……ビュー」
「無理するなって言ったろーが!」
私のトレーニングに付いてきたいと言ったヒョロと一時間トレーニングをした。
あーあ、チアノーゼだ。
私はヒョロに酸素缶を渡した。
……明日からこいつもう来ないかもな。
「……悔しいっす。明日はもっと走れるように頑張りますれ」
あ、来るのか?
・
100日後
部員は6人に増えていた。
『空手ダイエット』の貼り紙に釣られてやって来た女3人にその女狙いの二人の男。
和気あいあいと好きな時に来て好きな時に帰る。
「押忍! 押忍! 痛くない! 痛くない! 痛くないぞー!」
ヒョロは狂ったように 巻き藁を叩いていた。
短期間で空手の拳を作るのは地獄だ。
豆が出来ても血が出てもヒョロは拳を止めない。
スネがボロボロになって真っ青なアザが出来ているのも知っている。
こいつは本気だ。
私も本気で教えよう。
私はヒョロを朝練に誘った。
ヒョロは嬉しそうに『押忍!』と言った。
・
176日後
『……』
ヒョロは脚をう抱えうつ向いて声を殺して泣いていた。
初めての試合。
相手のつま先がヒョロのみぞおちを突いた。
あのめり込み方は相当な激痛だったろうがヒョロは
『痛みに負けて立てなかった自分に悔しいっす!! 押忍!』
と自分を責めた。
私はヒョロが泣き止むまで側にいてやった。
・222日後。
ヒョロと私は体育館で私の作ったおにぎりを食べていた。
昼飯を忘れるとは呆れた奴だ。
私が大量のおにぎりを作ってこなければ昼飯抜きだったぞ。
「最高のおにぎりです! 毎日毎食でもいいっす! 押忍!」
「大袈裟な奴だ。しかしおかずもなくてすまんな。私はおにぎりしか作れないんだ。いてっ!」
肩がジンジンと痛む。
気を抜いた。
ヒョロの上段蹴りが肩に当たったのだ。
こいつの身長がもう少し高かったらアゴに当たっていただろう。
そういえば身長……かなり伸びたな? 170ぐらい?
ずいぶんといい蹴りを撃つようになったなぁ。
体つきも良くなって……む? 顔もいい? これは女にモテるだろうな……
「……うわ」
「なんすか?」
小さく声が出てしまった。
身長や顔つきだけじゃない。腕、胸板、腹筋、見える部分が入学式のあの頃のヒョロとはまるで別人の様に逞しくなっている。
そこから流れる汗……こ、これが男のいう『せくしぃ?』または『エロい』なのだろうか? いかん!
「なんでもない! 食い終わったら練習だ!」
「押忍!」
・310日後。
「先輩がぁーー! 好きであります! 彼女になってくださーい! 押忍!」
「はぁ!?」
部活終わりにいきなりヒョロに告白された。
他の部員(ヒョロ目当ての女含む)も目を丸くして私たちを見ている。
「はじめはーー! ただの憧れと思いましたが~! 先輩と約一年一緒に過ごしー! これは恋だと気づきましたー! もうすぐ先輩は卒業です! 卒業したら会えないなんて嫌です! なのでー! 彼女になってこれからも毎日会ってくださーーい! 押忍!」
「この……バカたれがーー!」
「おすぅっ!?」
私の上段蹴りを食らったヒョロは棒立ちになって真横に倒れ、失神して泡を吹いた。
私は逃げた。
顔が熱い! 熱い! 熱いぞ!
『イケメン空手家が全国三連覇の巨大女に告白した』
というニュースは学校中に広がり、恥ずかしくなった私は自由登校期間を全て欠席し、卒業式を迎える事になった。
……部屋に引きこもってる間はずっとヒョロの事を考えていた。
何時間でも何日間でもアイツの事ならいくらでも考えられる自分に驚いた。
まさか恋か? これ恋か?
327日後。
母が私の部屋に入ってきた。
『なんか男の子が来てあんたに渡してくれって』
ヒョロからの手紙だった。
「……バカなのかあいつは」
『果たし状』
「私に勝ったら付き合ってください……か。やってやろうじゃないか」
『わざと負ける』
そんな考えが頭に浮かんで消えない。
328日後。
卒業式が終わった後。学校の裏山にある神社で決闘は行われた。
決着までの時間は3秒。
驚いた。
ヒョロが近づいて来た! と思った時には額に痛みが走った。
『かかと落とし』……考えたな。
20センチの身長差を埋めるための隠し技だったのだろう。
脳天に当たったら終わっていた。
だが私は片足でバランスを崩しているヒョロの顔面に容赦なく膝を入れた。
手加減や八百長は空手家として出来なかった。
ヒョロは仰向けになって泣いている。
こいつが入部してから何回も見た光景だ。
「……勝ちたかったな」
「……一回ぐらいで諦めるなよ」
「諦めなくていいんすか?」
「……諦めて欲しくないんだ。勝つまで諦めるな。勝て! 勝ってみせろ!」
「俺が先輩に勝つなんて奇襲しか……ん? あれ?それって? おかしくないですか?」
「……なんだよ」
えっーと……ヒョロは私と付き合いたくて……勝ったら私と付き合えて……私が勝つまで諦めるなと言うことは……
「……私はヒョロの事が好き?」
「せ……先輩!」
「バカ! やめろ!」
ヒョロが私を抱き締めた……まぁ私の方が20センチ背が高いのでわたしが抱き締めている様にしか見えないだろうが……。
「押忍。すみません。少し膝を曲げてもらっていいですか?」
「……こうか」
空手バカの私でもこれから何をされるかぐらい分かる。
ヒョロの顔が私の顔に近づいてくる。
最初のキスは1秒もない唇が一瞬触れるだけの拙い物だった。
お互いに物足りなさを感じたのを目と目で確認して二回目は5秒間唇と唇を重ねた。
・
××××日後。
「約束覚えてる? 俺が勝ったら……」
「おう! お嫁さんになってやる! 勝ってこい!」
「押忍!」
私はヒョロの背中を叩いた。
さあいよいよ試合開始だ。
日本国民がヒョロを応援しているが『彼女』の私が一番応援してやるからな!
『オリンピック男子空手決勝は日本の⚪⚪とブラジルの⚪⚪となりました。185センチの⚪⚪に対してブラジルの⚪⚪は2メートル! この身長差をどうするか!? 金メダルをかけた試合が今始まります!』
『はじめいっ!!!』
ヒョロがかかとを振り上げた。
そのかかとは対戦相手の脳天にめり込んで……。