表
柿喰恵子、12歳の誕生日。その日、自分に時間を戻せる力があることを知った。
「どういうことなのー!」
恵子は驚きの声を上げた。朝からあらゆるデジャヴを感じて携帯で日付を見てみると7月19日と白い文字で示されていたからだ。7月19日は昨日のはずだった。それが間違えるはずのない電子のカレンダーが示すのだから驚くのは無理もない。
起きてすぐくしゃみをしたこと、目覚まし時計のアラームがならなかったこと、外を歩く人の姿、テレビのニュース。どれも恵子の記憶通り。昨日のことはしっかり覚えている。いや、昨日は今日だから今日というべきか。今日は恵子の誕生日だった。普段なら月曜日は学校がある日だが、創立記念日ということで休みとなっていた。そのこともあってか恵子は今日という日を特別に思っていた。恵子は混乱する頭を抱えながら母にそのことを伝える。
「おかぁさーん」
「んー?」
「今日って20日だよね?」
「なにいってるのよ。今日は恵子の誕生日よ」
恵子の母は台所で朝ご飯を作りながらそう答えた。まな板の上のネギを細かく刻んでいる。おそらくは味噌汁を作っているのだろう。火にかけた鍋から湯気が出ている。レンジからは昨日の……18日の晩に食べた煮物の匂いがした。どれも19日の朝に食べた料理であった。柿喰家は普段食パンだったがこの日は恵子が家にいることから母もゆっくり朝ごはんを作っていた。父はすでに仕事に行っており、夜まで会うことはない。
母に言われたかその時、恵子は19日がループしていることに気がついた。あまりにも非現実的な事実に言い知れぬ恐怖とわずかな嬉しさを感じていた。今日がもういちど体験できるということは晩のケーキがもう一度食べれる、休みが増えたようなものだと思った。同時にいつまで続くのかとも思ったが無意識のうちに消えてしまった。
いつのまにか出来た朝ごはんを食べるよう母から促され、恵子は椅子に腰掛けた。その時、朝から驚いたせいか気が抜けた拍子にくしゃみが出た。
「クシュンッ!」
「あら、風邪ひいたの?」
風邪じゃないよと恵子はそう言って味噌汁を啜った。そういえば、昨日の朝も今日の朝もくしゃみをしていたと、ふと恵子はそのことが頭に引っかかった。何ともないことだが妙に頭に絡みついていた。
昨日の夜はどうだったっけと煮物を口に含み考える。いつものように少しだけ動画サイトを見て友達と連絡をとり、床についた。その時恵子はあっと声を出した。
(そうだ、昨日学校が嫌で時間が戻ったらなって寝る前に言ったんだ)
あまりにも馬鹿な発言で、本当にそうなると思わなかった。他の要因があるかも知れないと考えることもなく恵子は妙な確信を持った。それを確かめようと恵子はつぶやいた。
「時間が戻ったらなぁ」
「クシュンッ!」
「あら、風邪ひいたの?」
恵子のくしゃみにそう反応した母の顔を恵子は驚いたように見た。恵子の母はそのことを疑問に思い尋ねたが、恵子は何かを思案するように険しい顔をした。
(まさか私、時間を操ってる!?)
感動、歓喜、好奇心、様々な感情が渦巻いていたが、そこに恐怖心はなかった。恵子は自分が無敵だと、自分は特別な人間だと思った。この力があればどんなことでも出来ると確信した。
「どうしたの、難しい顔をして」
「あ、ううん。なんでもないよ!」
母の心配する顔に恵子は笑顔で答え、味噌汁を飲んだ。母に力のことを言わなかったのは特別感を味わいたかったことと、言っても信じてもらえないと思ったからだった。母は昔から優しいが、恵子が嘘を吐くと悲しそうに怒るのだ。
「ごちそうさまー」
恵子は朝ごはんを食べ終わると携帯を取り出し、友達にメールを送る。メールといっても件名や差出人を書くようなものでなく友達とチャットを送り合うSNSである。昼過ぎに会う約束を取り付けた後、恵子は何度か力を試し過ごした。
「ごめーん待ったー?」
恵子の腕時計は1時28分を示していた。約束の時間には間に合ったが、それよりも早く来ていた友達に軽く謝る。恵子の友達、達津テトは今来たところだよと優しく言った。恵子はテトの服装と自分の服装を比べてさすがだと内心で褒めた。丸い眼鏡に合うように茶色の髪を三つ編みにし、黒いリボンのある白い帽子を被っていた。服は涼しげな白いワンピースを着ていて、食べてしまいたいほど可愛いかった。
対して恵子は単色のTシャツにジーンズというなんとも言えない格好だった。一度、時間を戻して着替えようかと思ったが、それよりもやりたいことがあったのでそれを優先する。
「それでどこにいくの?」
「ふふふ……よくぞ聞いてくれた。これから向かうのは……駄菓子屋!」
「また変な喋り方……」
高学年の少女たちが駄菓子屋に行くのは珍しいことで、恵子の友達も駄菓子屋の婆も恵子に対して不思議そうな顔をしていた。どうして駄菓子屋なのかと恵子の友達は聞きたくなったが、それよりも驚いたことがあり、聞くことができなかった。
「あー。あーくる。あー。あー」
恵子は鼻にティッシュを細く丸めたものを突っ込んでなんとも無様な顔を曝け出していた。
「なんしとね。こんこは」
「わ、わからないです」
「あーきたきたきた。ハックシュン!」
周りからの反応を知ってか知らずか恵子は大きなくしゃみをした。その後箱に小分けされた駄菓子を一つ取り出し、駄菓子屋の婆にお金を渡すと買った駄菓子を開封した。
「んーハズレか。時間よ戻れ!」
「ハックシュン!」
場所と友達の反応から時間が戻ったことを確認するとさっきと同じように婆にお金を渡し駄菓子を開封する。今度はさっき手にしたものの横にあるやつだ。
「おっアタリー!おばちゃんもう一個」
アタリは無料で同じ駄菓子を交換できる。恵子は新たに手にした駄菓子を開封しハズレであることを確認すると時を戻した。恵子は何度も同じことをし、そして何十周かしたころ友達に言った。
「見てて今からアタリを引き続けるから!」
「えっ。う、うん……」
恵子は婆にお金を渡して一つの駄菓子を買い開封した。駄菓子の包み紙にはアタリと掠れた赤い文字が書かれている。
「す、すごーい!」
恵子の友達が驚いた声を出したが、驚くのはまだ早いと恵子は次の駄菓子を開封する。
「え、またアタリ……!」
少し気分が良くなった恵子はさらに駄菓子を交換していく。
「え?え?え?え!?」
「こりゃ驚いた……」
これで終わりと恵子は婆にアタリの紙を見せて駄菓子を交換した。交換された駄菓子の包み紙にはアタリと同じ色でハズレと書かれていた。これによって恵子は計18個の駄菓子を交換した。そのことに恵子の友達も婆も困惑と驚きの混ざった顔をする。どう?すごいでしょという恵子にはなにも答えられなかった。
「よし、今度はこのアイスで……」
「あんさ悪いが辞めとくれ」
「やめよう?恵子ちゃん」
次の獲物を見つけ鼻にティッシュを突っ込もうとした恵子だったが、駄菓子屋の婆が可哀想に思い止めた。
その後は空が赤くなるまで普通に遊んだ恵子は友達と別れて家に帰る。家に帰ると美味しそうな揚げ物の匂いがした。これも昨日食べたものだった。やがて料理が出来上がった頃、玄関からガチャリと音がして白い箱を持ったスーツ姿の男が入ってきた。
「おっ美味そうな匂いだな」
「おかえりー」
恵子の父は先に冷蔵庫の中へと白い箱を押しやるとあることに気がついた。
「なんだか嬉しそうだな、恵子」
「え、そう?誕生日だからかな」
恵子は言われるまで気付かなかったが、ずっと口角が吊り上がっていたようだ。それを急に恥ずかしく思い笑って誤魔化す。とはいえこんなに嬉しいと思えるのは当然のことだった。なんせ特別な誕生日という日に神様から時を戻せる素晴らしい力を授かれたのだから。恵子は心の中で思う。
ずっとこの時が続けばいいのに。
オチがなくて申し訳ありません。
お読みいただきありがとうございます。