あなたがほしいの
あなたが欲しいの
土曜の遅い朝。一人アパートの部屋で俺は人を待っていた。
めずらしく、俺は緊張していた。女の子をこの部屋に上げるのは初めてだからだ。
ピンポーン
『あけてー、私だよ!』
古びたインターホンから声が響いて、俺は玄関に急いだ。
「あっ、しゅうくん。えへへ。入っていい?」
ドアを開けると、笑顔の彼女が立っていた。大人っぽい顔立ちの彼女が、はにかんだように目を細めて笑っているのはなんとも可愛らしい。
「どうぞどうぞ・・・散らかってるけど」
「おじゃましまーす」
大学を出てから10年以上一人暮らし、彼女なしの俺の部屋には、いたるところに趣味の物があふれていた。
壁一面に置かれた棚には、今まで作ってきたたくさんのプラモデルが並べてあり、作業机の上はそれに使う塗料や用具で埋め尽くされている。加えて自作のパソコンが2台に、三脚に乗せた一眼カメラが1台。
それ以外にも本やら積みプラモやら物があふれていたのだが、彼女が来るのでなんとか片付けた。
「すごーい、緑の飛行機に・・・戦車?これぜんぶ、買ったの?」
彼女は珍しげにプラモデルを見て言った。
「うん。キットになってて、買って作ったんだよ」
「そうなんだ。しゅうくん器用なんだね」
しばらく部屋のものをあれこれ見ていた彼女だが、やがて一眼レフを手に取った。
「大きいカメラ!これって、プロのカメラマンが持っるようなやつじゃない?」
それは、たしか5年前にボーナスをはたいて買った一眼だ。
「まぁ・・・写真が趣味でさ」
彼女の目がキラリと光った。プラモデルよりもこちらのほうが興味をそそったらしい。
「どんな写真撮るの?やっぱり人?」
俺は首を振った。
「いいや・・・もともとあちこち車で行くのがすきでさ。だからカメラは、風景を撮りたくて買ったんだ。記録用みたいな?」
「いいね、旅行の写真かあ。見てもいい?」
「ああ、うん、もちろん・・・そうだ、パソコンにつなごうか」
俺は彼女が見やすいように、SDカードを抜いてパソコンでファイルを開いた。
日付のついたフォルダが50以上は入っている。今までの旅行の思い出だ。
「どれが見たい?山とか海ばっかだけど・・・」
「自然がスキなの?」
「自然もだけど・・・廃村とか、廃墟を訪ねるのが趣味でさ」
「廃墟?!へぇー・・・怖くないの?」
俺は首をふった。
「ぜんぜん。山の中で朽ちた大きな工場とかさ、けっこう綺麗なもんだよ。廃墟の写真集もあるくらいで」
「そうなんだ!そういわれると見てみたいなぁ・・・あ、これはどこ?7月19日って」
フォルダのアイコンには緑の豊かな古民家の写真表示されていた。
「ああ、これは・・・・たしか去年に旅行に行った時の・・・」
俺はひょいとそのファイルを開いた。とたんに少しひるんだ。
「どうしたの?」
「いや・・・これを見せるのはやめとこう。ちょっと・・・怖い話だから」
彼女はずいっと身を乗り出して写真を眺めた。
「え!なにそれ!気になる!私怖い話とか好きなんだよね」
「いや・・・面白くもなんともない話だよ」
「それでもいいから、ききたいなぁ。だめ?」
彼女は小首をかしげて言った。このせまいワンルームのアパートに初めて訪ねてきてくれた女の子。
正直気は進まなかったが、彼女にそこまで言われると話さないわけにはいかない。
「なら、話すけど・・・・」
それは去年の夏のことだった。
その時はたしか四国に行ったのだった。車中泊の気ままな旅をたっぷり満喫した帰り道、ふと思い立ってG県に寄った。
なぜかと言うと、かねてから気になっていた場所があったからだ。
それは、廃墟を紹介する本に記されていた、S病院だ。木造で、戦前のものらしいが、過疎地帯にあり今でもかなり綺麗に残っているらしい。
夕刻、その本にのっていた地図の場所までたどり着いた。
「ここか・・・」
車を降りて見渡すと、そこは小さな村落のようになっていて、林の中に古びた木造の民家が立ち並んでいた。
その奥に、神社と病院がある。本の通りだ。
(よし、行ってみよう)
目的は病院だ。ぜひ写真に収めたい。俺はそう思って歩き始めた。
過疎地帯とはいえ、ここは廃村ではない。誰かが住んでいるはずなのだが、見たところ人の気配は・・・ないな。
そんな事を考えながら歩いていると、ふいに視界が悪くなった。
「霧か・・・」
なんだかそれっぽムードじゃないか。のん気にそんな事を思いながら、神社に足を踏み入れた。鳥居も本殿も朽ちかけていて、相変わらず人の気配はない。その奥の木々の陰に、木造のやや大きな建物がたたずんでいた。
(お、あれが病院だな)
わくわくとした気持ちで、俺はそこに足を踏み入れた。
さすがに建物はガタがきていて、柱や床板が裂けたり、はずれたりしている部分が多かった。
が、本に書いてあった通り、中には色んなものが当時のまま残されていた。
「すげぇ、薬に・・・注射器?」
古びたガラス棚には、戦前のものであろう茶色いにごった瓶に入った薬品が並び、放置されたワゴンの上に、注射器やさびたメスが無造作に載っている。
年を経てもなおそこにあり続ける道具たちをカメラに収めながら、俺はどんどん奥へと進んでいった。
そのうち、最奥の部屋、おそらく院長室にたどりついた。立派なイスと机があり、壁には訓示のようなものがかけられてある。
「健全なる国民の安心と健康のため・・・か」
いかにも戦前の古めかしい訓示から机の上に目を移すと、紙の束が無造作に置いてあるのが見えた。それを手にとった俺は興奮した。
「すげぇ・・・これ、昔のカルテだ!」
この病院には色んな患者がいたようだ。おばあさんに、おじいさん、子どもや若い人も・・・。
(この人たちは、どんな人生を送ったんだろうか)
そんな事を考えながらセピア色に色あせたカルテの写真を眺めていると、一枚のカルテが目についた。
(わお・・・美人だな)
昔の時代なので髪はひっつめられているが、そのカルテの写真の女性はきりっとした切れ長の瞳をしていて美しかった。泣き黒子が色っぽい。
(中島房子・・・さん。病名はなんだろう?ああ、結核か・・・)
昔は結核は死の病だったと聞く。この人は無事退院できたのだろうか。だがカルテにその情報はのってなかった。
(おかしいな・・・)
だがめくった次のページは別の人のカルテだった。中島秋人とある。
(同じ姓・・・生年月日から察するに、旦那さんかな)
だが写真は色あせてほとんど白くなり、その容貌はわからなかった。
死因は頭部外傷と、くも膜下出血とある。ぶつけたのか、戦争で撃たれたのかわからないが、結構長い期間この病院にいたようだ。
(・・・きついだろうな)
結核はなったことがないので想像がつかないが、頭が痛む辛さはわかる。俺自身が偏頭痛もちだからだ。
偏頭痛は本当に辛い。頭の奥が鈍く痛み始めて、それがどんどん大きくなると仕事も何も手がつかなくなる。
(あ・・・やめろよ、こんな時に)
頭痛について考えてしまったからか、はたまた霧の出る不安定な天候のせいか、自分の頭に頭痛の予兆を感じた俺は額をおさえた。
「っ・・・・・!」
次の瞬間、俺は頭を抱えてしゃがみこんでいた。
この頭痛はやばい。いつもとは違う。まるで見えない手で脳みそをねじられているような、異様な痛みだ。
(まずいまずい、こんなところで倒れたくない・・・!)
俺は必死にこらえて病院を抜け出し、なんとか車に戻った。
幸いなことに、少し目を閉じて休んだら頭痛は引いた。
(なんだったんだろ、まったく・・・・)
そこから自宅のアパートに帰り着いたのは、深夜を回ったころだった。
明日から仕事だ。とっととシャワーを浴びて寝ようと俺は助手席に置いたカメラをひっつかんで車を降りようとした。
が、カメラの下に妙なものがあることに気がついた。
(これ・・・・・あの、カルテだ)
そう気がついた瞬間、俺の全身は総毛立った。
なんでこれが、ここに・・・!?
(頭痛で気が動転して、うっかり持って帰っちまったか!?)
持ってきた覚えはなかったが、そうとしか思えない。
触るのも不気味だったが、一応それも家の中に持って帰ることにした。
(まっずいもん、持って帰っちまったな・・・ま、いっか)
もともと、幽霊だのたたりだのは信じるほうではない。だがこれはいずれ返しにいこうと思いながら、俺は布団に入った。
長時間の運転で疲れていたので、体は驚くほどあっさり眠りに入った。
プルルルルルルル――
ところが、無粋なスマホの着信音に俺は叩き起こされた。
(なんだ?おかんか?それともタカシか。アイツ、酔うと変な時間に電話してくるからなぁ)
俺は寝ぼけながら電話に出た。
「もしもし?」
「・・・・・・」
相手は無言だ。間違い電話かなにかか。俺はバカらしくなって電話を切った。
すると、きった瞬間にまた電話がかかってきた。
「どちら様で?」
イライラしながら俺は訪ねた。イタ電につきあっている暇はない。明日は仕事なのだ。
「・・・えして」
細い女の声のようだった。よく聞き取れない。
「はい?」
「・・・・かえして」
やっぱりイタ電か。俺は切ろうとした。だが。
「カルテを、かえして」
その言葉に、再び俺の全身は総毛立った。カルテとは、まさか。
「カルテを、かえして、ください」
怖い――
受話器の向こうにいるのは、一体どこの誰なのか。
何か言わなくてはと思うが、声が出ない。
「あ・・・・あ・・・・・」
出たのはそんな情けない声だった。
すると、ブチっと一方的に通話が切れた。
俺は呆然と携帯の画面を見つめた。通話相手は非通知だ。
(なんだったんだ・・・寝ぼけてんのか、俺。うん、きっとそうだ、寝ぼけてんだ)
再び横になろうとした俺だったが、次の瞬間身体が凍るように固まった。
道路に面した窓。カーテンに透けて、黒い影が見える。
外に誰かが立っている。
(・・・・・・・・!!)
何も考えることができず、俺は頭から布団をかぶった。
(誰だ!?誰だ・・・・!??)
すると影は移動し、どこかへ消えた。
(何だ・・・・ただの通行人か・・・?)
だが次の瞬間、暗い部屋にピンポーンをいう音が鳴り響いた。
(っ・・・・・・・!)
こんな夜中にインターホンをおすのは、どう考えてもまともな人間ではない。
俺は布団をかぶりなおして目をぎゅっとつぶった。
ピンポーン・・・
ピンポーン・・・
ドンドンドンドン!
ドンドンドンドン!
安アパートのうすっぺらいドアを叩くその音に、俺は心底震え上がった。
(た、たのむ、たのむ、・・・やめてくれぇ・・・・!)
その心の叫びに答えるように、声が聞こえてきた。電話の向こうから聞こえてきた、細い声だ。
「入れて・・・入れてください・・・・」
ドンドンドンドン!
ドンドンドンドン!
「ドアを・・・開けてください・・・」
ドンドンドンドン!
ドンドンドンドン!
「かえしてかえてしてかえしてかえして」
ドンドンドンドン!
ドンドンドンドン!
ドアを叩くその音に怯えながら、俺はなんとしてもドアは開けないと念仏を唱えながら自分に言い聞かせた。
こういう時は、あけたらまずいことになるって相場が決まってる。
が、そう決心したとたんに、音は止んだ。
(い、行ったか・・・・・・・?)
俺は身構えたが、それきり何も音はしなかった。
それで俺は無事、夜を明かすことができた。
「え~~~~~~!!!!こ、怖いじゃん・・・・!」
話を聞いて、彼女は大げさに怖がった。
「だから、やめようっていったろ」
「ねぇ、そのカルテは返したの・・・?」
俺はあたまをかいた。
「いや、それがさ・・・まだ返してない」
彼女の目が驚きに見開かれた。
「なんで!?やばくない・・・?」
「その後、仕事がすげぇ忙しくなっちゃってさ・・・気がついたら、カルテはどっかいっちまってた。探すのもなんだか怖くてさ・・・」
「でも、返したほうがいいよ。ここにずっとあるほうが怖くない?」
「つってもなぁ・・・」
「あるとしたらどのへんだろう?」
「うーん・・・書類関係はそっちの本棚か、クローゼットのダンボールに突っ込んでるけど・・・多分そこにはないような」
「でもどっかにはあるよ。ものなんだから、消えてなくなるわけがないじゃない?一緒にさがそ?手伝うよ!そんで返した方がいいよ」
彼女の熱意におされて、俺はしぶしぶ家捜しをしはじめた。俺の事を心配して言ってくれているのだろうとおもうと、悪い気はしない。
しばらくして、ダンボールをのぞきこんでいた彼女が声を上げた。
「あ、あったぁっ!これじゃない?!」
彼女はひらひらと紙を振って見せた。
色あせた2枚のそれは、まぎれもなくあの時のものだった。
「うわ、すげぇ。どこにあったんだ?!」
「このダンボールの後ろ!そこにはさまってたよ」
俺は頭をかいた。
「おかしいなぁ・・・そこは前みたはずなんだけど」
「暗いから見落としちゃったんじゃない?あるあるだよ」
「まぁ、そうかもな。あ・・・写真」
どうしたことか、カルテの写真は2枚とも劣化して、人物は白くかき消されていた。
「これじゃ、どんな人だったかわかんないねぇ」
「いや、俺が見たときは映ってたんだよ、すくなくとも女の人のほうは。美人だったな」
「そうなの?どんな?」
「こう、目がしゅっとしてて、切れ長で。大人っぽい和風美人だな」
「へぇ、しゅうくんは綺麗系がタイプなんだ」
そういえば、目の前の彼女もどちらかといえば大人顔だ。前髪があるので少し幼くは見えるが、切れ長の瞳に、美人の代名詞の泣き黒子。
こんな綺麗な子と偶然お近づきになれてラッキーだったな、と俺はひそかに胸の中で思った。
「ま、まぁそうかもな・・・へへ」
だが彼女はまっすぐ俺を見て言った。
「これさ、今すぐ返しにいかない?」
「え」
さすがの俺も驚いた。
「だって、なんか怖いよ、今夜何か起こったらいやでしょ」
泊まるつもりだったのか?そんな嬉しい想像がふと頭によぎった。
「それはそうだけど・・・」
「ね、G県ならすごく遠いってわけでもないし。デートがてらにさ、ぱっといって帰ってこよう?」
デート。そういわれると、ムゲに断るわけにもいかない。
「そ、そうだな・・・久々に運転したいと思ってたし・・・いっちょ、いってみるか!」
「やった、実はしゅうくんの車、ずっと乗ってみたかったの」
「そうかぁ?」
「うん、黒くてかっこいい」
「ちょっと待ってな、えーっと、カギと、財布と・・・」
俺は慌てて準備を始めた。
彼女は早くも立ち上がり、玄関で靴をはいている。
ドアノブに手をかけた彼女はにこっと笑った。
切れ長の瞳が、しゅっと細くなって、とても魅力的な笑顔だった。
「いこいこー!早くぅ。秋くん!」




