現実から異世界へ3(志保)
フレーメン効果というのをご存知だろうか。
猫科の動物が臭い物の匂いを嗅いで顔を顰めるあれだ。
なぜかは知らないが、寮で同室の美夜がそれをやっているのだ。
汚い男物の靴を机に置き、匂いを嗅いでは離れ、ため息を吐く。その繰り返しだ。
「ねえ、その靴、ちゃんと洗ってあるんでしょうね。こっちまで臭ってきそうよ」
「失礼な。ちゃんと洗ってあるよ~。どうしても匂いは消えなかったけど」
そう言って靴の臭いを嗅ぎ、顔を顰める。なにやってんだか。
「そろそろ説明してくれてもいいんじゃない? なんなの、その靴」
「志保ちゃん。私……、好きな人ができたかも」
「はあ!?」
ここ、私立佃島女学院は中高一貫の完全寮制の女学校だ。
寮も学院敷地内にあり、門限はもちろん就寝と朝の点呼に制服のベレー帽を被る角度まで決まっており、少しでも違反があればオールドミスの寮長から鞭を与えられる。
下手な軍学校よりよっぽど厳しい、そんなところだ。
そんなところだから当然出会いもない。男といえば用務員兼警備員の山下さん(63歳)か選択科目である図工の教員森永さん(年齢不詳だが、みんなに卓郎と呼ばれてる)くらいだ。
申請すれば外出も許可されるが、基本長期休みで家族のところに戻る時以外は寮の敷地から出ることはないし外出しなくても用は足りる。
つまり、クラスから寮部屋から一緒でほとんどの時間一緒にいる私と美夜には、出会いなどないはずなのだ。
私は動揺を隠しつつ美夜に聞いた。
「へ、へ~。どこで知り合ったの?」
「うん、異世界で」
「は?」
「その人はね。私が裸足だって気付いたら自分の靴を貸してくれたし緑色の小さい人の攻撃から私を庇って怪我までしてくれたの」
「そ、それがその靴?」
コクンと頷く美夜。どうでもいいけど、そんな汚い靴を女の子に貸すって、その時点でアウトじゃないだろうか。
つまり、これは、あれか。
嘘彼氏か。
いや、嘘っていうと語弊がある。私にも夢の中にだけ出てくる彼氏「五重院隼人(仮)」さまがいるし。
美夜にも想像上の彼氏がいて、たまたまきったない靴を拾ったことでこじらせ、もとい、想像が爆発してしまったのか。
そうとわかれば話は早い。突っ込みを入れるというのも野暮な話だし、私は美夜の話を聞くことにした。
「それで、異世界ってどんなところだった? 空気あった?」
「それは大丈夫だった。なんか森の中みたいだった。あ、そうだ、志保ちゃんだったら異世界になに持ってく?」
「まあ、愛と勇気は必須ね」
「うん、愛は大事だね~」
それから私と美夜は色々と話し合った。その結果、とりあえず異世界ではそれに見合った格好をするべきだという話になった。
まあ、現時点ではまだ森の中(という設定)だから、森の中を進みやすい格好ということで、トレッキングシューズに登山用の服が必要ということになった。
驚いたことに彼女はそれらを早々にネットで取り寄せてしまった。
登山用のリュックサックから水筒、果ては携帯食料に至るまでだ。
ちなみに、現代というのは便利なもので寮を一歩も出なくてもパソコンで買い物ができるのだ。もっとも、全品寮長の検閲が入るので変なものは買えないのだが、美夜は「今度の長期休みに山登りに行くんです♪」とうきうきして言ってのけ、OKをもらっていた。
そして金曜日、もうすぐ日付が変わるという時間帯で彼女は買った物を完全に身に着けていた。
リュックサックを背負い、靴を履いた状態でベッドに腰掛けている。
「……なにやってんの?」
「ちょっと異世界行って来ます!」
ビシっと敬礼。私も敬礼し返してしまう。
秒針がかちりかちりと動く。
そろそろ突っ込んだほうがいいかな、なんて思ったときだった。
彼女が、一瞬、光った。