ひらめき
朝目を覚ますと、微かなかなのベースの音が耳に入る。
「かな? ちゃんと寝た?」
「うん、寝たで? どう? 結構いい感じになったと思わへん?」
朝早く起きて練習していたのだろうか?
だいぶフレーズが出来上がっている様に思えた。
「ちょ、かな? 右手大丈夫?」
かなの右手の親指と薬指には豆が破けた跡が出来ている。かなは指をペロッと舐めると、
「ちょっと痛いねんけど、まぁ、大丈夫やろ」
俺は知っている。本当は大分痛いはずのその手で、かなは躊躇無く弾くのは辛いはずなんだ。
ちょっと待って、かないいのがある!
そう言って俺はギターケースから瞬間接着剤を取り出す。
「ちょっとそれ、めちゃめちゃ沁みそうやん」
「それが意外と沁みないんだよ!」
経験のある人ならわかるだろう、液体絆創膏と違い本当に沁みない。ただちょっと余計に固くなってしまうのが欠点なんだけど。
俺はかなの手をとり、ボコボコにならないように丁寧に塗ってあげた。
「ほんまや! 思っていたより全然沁みない!」
シンナー的な物が入っているのは沁みるけど、入っていないのは本当に固まるだけ。
「ちょっと違和感有るけど大分痛く無くなったわ! まーちゃんいつも使ってるん?」
「うん、時々ね……」
時々切れたり豆になったりするので、俺は緊急用に愛用していた。
朝の支度を済ますと俺たちは待ち合わせの場所に向かった。
♦︎
今日の移動は長く、高速を使っても丸一日かかる距離だった。
かなは、クリックを聴きながらリズムを確かめ、ひなはスティックでイメージトレーニングしている。
俺は、流れていく景色を見ながら、メンバー紹介以外で何か出来ないかを考えていた。
ひなやかなはスキルアップ自体が成長につながる。だけど俺は? 限界のレベルのフレーズに挑戦したとしてバンドの価値を高める事は大して出来ないだろう。
今まで見てきたライブやビデオを思い出し、俺たちが今出来るパフォーマンスを考えるのが一番バンドの為になると思った。
俺はいくつか方向性を絞って考える。
1つ目は視覚的な要素。
グリーンデイの(たしか)デビュー前のPVでのステージングは回りながら演奏するのが印象的だった。 そんなインパクトのある動きを入れられないだろうか?
2つ目は音的な要素。
現状の機材でも出来る部分として、マイクの距離を使った見せ方や、ボリュームやゲインを使った演出がある。
3つ目はストーリー性
ステージ自体に流れを持たせる、MCも定番のセリフではなく、曲の内容に繋げるようにしたり、それに向けた演出を入れる。
色々考えた結果、俺はこの3つ全てを取り入れてみようと考えた。
視覚的には一部振り付けを付けて、かなと動きを合わせるか。音的な要素は、曲によってかなと掛け合いにしてもいいな。ちょっとかなに負担をかけてしまうけど……。
ギターの演出は、すぐ出来る。後はステージのストーリー。これは今晩も相談が必要になりそうだな。
休憩を挟み仙台に着く頃には、外はもう暗くなっていた。
移動の疲れもあり、ホテルに荷物を置きに行こうとすると、アキさんが俺たちの方に小走りで向かってきた。
「ちょっと遅くなっちゃったんだけど……」
「アキさんどうしたんですか?」
「時子に言われた事で根詰めちゃってるんじゃないかと思って……」
少し心配そうに俺たちを見る。
「時子さんがゆうてたのはうちらも納得してるんで気にせんといてください!」
かなは責任を感じているのかハッキリと言った。
「時子、ああ見えて結構考えて動くタイプだから、何か意図があると思うから……」
アキさんは少し濁した。
「他になんか思う事があるんですか?」
「うーん、ここでのライブはわたしらはみんな思い入れがあるの」
少し黙ったアキさんが話しだすのを待って、
「あたしらが最初に来た時は、まだ震災の前の年で、その時に知り合った人達が……無事ではあったんだけど、事実上夢を絶たれた感じになっちゃって ね……」
「そうだったんですか」
「まぁそれもあって、時子も勇気付けられる様な、何か助けになる様な事。 うん、わたしらには音楽でしか出来ないけど、わたしらにしか出来ない事をしたいの」
「……」
「だから、時子を悪く思わないで?」
「はい、もちろんです。 なんか気にかけてもらってすいません……」
「また、何があったら言ってね? あと、かなちゃんちょっと後でロビーに来て?」
そう言うとアキさんは戻っていった。
♦︎
部屋に入ると俺はお風呂に入り、Tシャツとパンツで"マスたん"を手に取って特に何を弾くわけでなく、ギターを触っていた。
かなはアキさんの所に行ったのか、少し長いな……。ひなのシャワーの音が微かに聞こえた。
窓から少し見える灯を見ながら、アキさんの言葉を思い出した。
そうか、この街はあの震災を乗り越え、今があるんだな。離れた地で暮らしていた俺は大きな災害程度にしか思っていなかった。
多分、ここだけじゃない。今までライブをして来たそれぞれの街で、それぞれのストーリーが有る。ただ遠くの出来事で気づいていなかっただけなんだ。
俺はギターを鳴らした。
アンプに繋いでいないギターが微かに流れ、切なく、すこしノスタルジックなBGMになる、ふと思い浮かんだメロディを口ずさんで、感傷に浸っていた。
「まーちゃん? その曲誰の曲?」
お風呂から上がったひなが髪を拭きながら言った。
「ん? この曲? 適当に弾いて歌っていただけだよ?」
ひなは驚き駆け寄ると、
「その曲しよ! 違う、やりたい!」
ひなが珍しく叫ぶ様に言った。
◯用語補足
・クリック
一定のテンポを鳴らす機械。メトロノームもクリックの一つ。