チクッとします
128回。
私の献血カードに記載された2018年1月現在の献血回数である。恥ずかしいので何年でかは書かないが、10年をスキップで軽く超える年月なのは間違いない。
怪我や病気で服用した薬が引っかかり、完治まで献血できない時があった。慣れぬ仕事に忙しくて、気がついたら半年献血していないなんて時もあった。かと思えば、献血可能になり次第、すぐに予約を入れたなんて時期もある。
私が初めて献血をしたのは忘れもしない……いつだったっけ? まぁ、学生の頃なのは間違いない。場所は東京・秋葉原。秋葉原の献血と言っても、akiba:Fではない。当時、そこはまだなかった。
秋葉原駅前。今はガンダムカフェの前にある広場。当時、再開発前のそこはただの駐車場だった。その駐車場の隅に工事現場にあるようなプレハブの建物があり、そこが献血センターだった。いや、献血小屋というべきだろう。
気にはなっていたが入ったことのない私は、ちょっとした好奇心から献血をした。初めてなので、一番軽いと考えていた200ミリの全血。簡単な血液検査の上、その場で献血、献血自体はあっさり終わったのだが、自分としては何かものすごい偉業を達成したような気分だった。今にして思えば、この興奮がいけなかったらしい。
献血が終わり、ベッドから下りて一歩踏み出そうとした途端、倒れた。体に力が入らない。頭どころか全身に血が回っていないような感覚。
貧血。いや、この症状は正しくは貧血ではないらしいが、一般には貧血という名で呼ばれている現象。それで私は倒れたのだ。
私はついさっきまで寝かされていたベッドに再び横になり、小一時間ほど休むことになった。ちょうど昼休みだったので良かったが、そうでなければ献血に来た他の人達に笑われるところだった。
「時々いるんですよ、献血直後に倒れちゃう人。特に初めてですとね」
そう言われたが、情けなくてしょうがなかった。実際、そういう人が100人に1人ぐらいの割合でいるそうだ。だが、献血直後に貧血で倒れる。いや、貧血ではなくて……まぁいい。混乱するので以後、貧血で通す。
そんな屈辱の貧血の後、私は食生活に気をつけ、健康を保ち、数ヶ月後に再び献血をした。今度は問題なく終わり、私は密かにガッツポーズをしたものだ。その後、食生活の緩みから会社の健康診断で「尿酸値高すぎ。ダイエットしなさい」と言われるようになるのだが、それは置いておく。
その後、私にとって献血は習慣に近くなった。献血をすると、そのときの血液成分を知らせてくれる。健康診断に比べれば簡単なものだが、私にとっては手軽な健康確認法となっている。特にコレステロール値が記載されているのがありがたい。
1度だけ血が薄いとか何とかで献血が出来なかったことがある。それ以後、献血の予約を入れた後は食べ物に気をつけ、献血前日はレバニラを食べるのがお決まりのパターンになった。ちなみに、私は豚レバーよりも鶏レバーの方が好きだ。
100回をこえる献血をして来た私だが、いまだに慣れないことがある。
注射である。献血できる状態かを調べるための採血と、実際に血液を採るための2回、左右の腕で1回ずつ行われるのだが、どうしても慣れない。
「チクッとします」
の声に合わせて針が迫ると、どうしても目をそらしてしまう。なんと言われようが慣れないものは仕方がない。時期によっては、刺す方もまだ不慣れだったりする。しかし、いくら不慣れでも新人さんに経験を積ませなければ一人前にならない。血管が太く、刺しやすいと相手に思われるような人は覚悟が必要だ。
それでも採血の時はまだいい。針が細いから。
ご存じの方には今更だが、献血には全血献血と成分献血の2種類がある。簡単に言えば全血は血をそのまま抜き取る。成分献血は一度血を抜き取ってからその中の特定成分だけ抜き取り、後は体に返す。
成分献血の方が体の負担は軽いのだが、抜きっぱなしの全血と違って、抜いて、取って、戻す分時間がかかる。全血が10分とかからないのに対し、成分献血は1時間前後かかる。
そしてなのより成分献血は……針が太い。
どれぐらい太いかというと、細めの焼き鳥の串ぐらいある。これを肘の内側のところを走る血管にぶすりと刺すのである。すると針から伸びた管を自分の赤い血液がすーっと吸い上げられていく。半透明の管を赤い血液が伸びていき、機械に吸い込まれていく様は見ていて複雑である。この機械の仕組みはわからないが、上のところがぐぃんぐぃんと回転する様子はアナクロっぽくて好きだ。
この針、もちろん終わるまで刺しっぱなしなのだが、さすがは相手もプロ。刺して1分と経たないうちに気にならなくなり、針が刺さっていることすら忘れてしまいそうになる。それぐらい負担にならない刺し方をするのだ。もっとも、月に一度ぐらいのペースで成分献血を続けたら、針の跡が腕にハッキリと残る。これをネタに殺人事件で被害者の腕に針の跡があるのを「被害者は覚醒剤の常習者」と勘違いするシーンを考えたが、すぐに献血カードを見つけてお終いになりそうなので止めた。
ちなみにこの約1時間、退屈かと思えばそうでもない。個別にテレビがあるので見てても良いし、片手の操作さえ苦にならなければ、スマホを使って小説家になろうの原稿を書いてても良い。本の持ち込みも可。もちろんオードソックスに寝るのもOKだ。
ただ、成分献血の場合、現在の作業によって頭の調子が変わるので注意が必要だ。血が抜き取られていくと頭がぼーっとなって半分寝た状態になり、必要成分が抜かれて体に戻されると、頭がハッキリしてくる。ぼーっとした時は何をするにも集中できないので、私はこの時は素直に寝ている。
さて、こんな思いをして血を抜かれるわけだが、一応お礼というか感謝というか、いろいろくれる。ウェットティッシュや絆創膏のセットなどが多いが、赤十字の携帯メール倶楽部というものに登録していれば献血ごとにポイントがたまり、そこそこ良いものをくれる。
私の母などは「献血するといくらくれるの?」「献血していると、必要な時には優先的に輸血してもらえるんでしょう」などと、いつの時代かと突っ込みたくなることを言う。もちろん、お金なんかくれないし非常時における輸血の優先権もない。
もらえるのは献血センターのマスコットキャラ「けんけつちゃん」のグッズその他である。季節に合わせて中身を変えてくれて、夏場のレジャーシートは花火見物に役立ってくれたし、冬のブランケットもなかなか暖かい。年末になると卓上カレンダーがもらえる。ただ、どれもでかでかとけんけつちゃんのイラストが描かれてあるのが少々恥ずかしい。
グッズ以外にはのど飴、ハンドソープ、入浴剤など。これらはまだわかるが、湯飲みやマグカップ、なぜか丸美屋のふりかけやカップヌードルをもらった時がある。何でもありだな献血センター。そのうち秋葉原名物美少女フィギュアとか、ビームライフルの代わりに注射器を構えたガンダムとかくれるかもしれない。
けんけつちゃん登場前は、ナース姿のキティちゃんグッズだった。今はもらえないが、ボールペンやピンバッジ、血液型別ストラップセットとか、なかなか楽しかった。当時はきっと全国のキティラー達がせっせと献血していたに違いない。
ちなみに、ナースキャップをかぶったキティちゃんの顔が無数に刻印されているパスケースは、今も使っている。
こうして書くと謝礼目当てに献血しているみたいだ。その一面があるのは否定しない。しかし、それだけというか、何というか……お役に立っています的な自尊心を時々起こさせてくれるのである。
献血する際に時々「HLAが一致する人が輸血を必要としています。ご協力いただけますか?」と言われるのだ。
誰だか知らないが、私のHLAと適合する人が困っているらしい。
HLAと言われても、ピンと来ない人もいるだろう。私も最初聞いた時「何それ?」と思った。
調べたところ、私たちがよく使うABO型というのは赤血球の型であり、HLA型というのは白血球の型である。白血球にも型があるのか……
それで、臓器移植や何度も血小板献血を受けた患者さんの中には、一般の血小板献血では効果が出なくなってしまう人がいるらしい。同じ薬をずっと飲み続けると次第に効果が弱くなるような感じなのか?
そういった患者さん達には、ABOの他、HLA型も一致した血小板血液でなければ駄目らしい。だが、このHLA型、適合する確率は兄弟姉妹間で4人に1人、非血縁者間で数百人から数万人に1人という結構厄介なシロモノなのだ。
考えて欲しい。数百人から数万人に1人と言われている適合者が、輸血を必要としている時に合わせて献血に来る。その可能性は何%ぐらいだろうか? 1日にどれぐらいの人が献血するかは知らないが、それでも決して高い数字とは言えまい。
それを考えると、とても「いやです」とは言えない。もともと献血に来たのだ。
こんな時は、献血の後
(誰だか知らないが、頑張れよ)
と思いつつ、水分補給のジュースをちゅうちゅう吸うのである。
とりあえず、献血定年の69才までは献血ルームに付き合うとしよう。
でも、最後まで「チクッとします」の声に目をそらすんだろうな。