四万年の幻想
黒濃ゆい深緑が硬い地面を撃った。
音は爆撃を彷彿とさせる…
僕は街を眺めていた、街を透かした幻影は僕に苦い想いを投げかける、匂いがしていた。
それは…一瞬にして街を…世界を侵食してしまう甘く苦く激烈な酸味!その独特な匂いを立ち放つもの、雨……
雨は世界を豹変させた。
そして暗い雲が世界中を不気味に動き回って…
それは『天雷』と呼ばれすなわち死を意味するのだった。
悪魔に魅入られた天才、破壊者であり鬼畜でありまさしく狂人であったかつての独裁者が、死刑台の上で断末魔を上げながら世界へと。
人工の雲…
それは自然の悪天候をも引き連れた、地獄の帝王であり、皮肉にも天架ける龍で…
それでも僕はそんな世界を愛していた。
たったヒトツの宝物が僕に生きる目的を与える、そして僕は生きた!
地獄でも、生き地獄でも良かった…
思い出…
それさえあれば僕に広がる世界はすなわち幸福を意味していた……
君と逢った記憶、それから始まった距離感の歴史。
君と僕は見詰め逢っていた、永遠だった。
君は僕に四万年の真実を教えてくれた…
君の精神は心は、実に四万年の歳月を抱えていた。
「でもいつしか、君は死んでしまうの?」
君は少しだけ微笑んで、しかし悲しい眼で遠くを見ていた。
君はなにも話すことはなかった、たったひと月、君は突然死んでしまったんだ。
君が抱えた四万年の歳月を、近頃僕は様々な風景に透かして見るようになったんだ。
だから。君が言っていたその難解なイメージを、ようやく僕は理解し始めているのさ。
奇しくも…
世界に、死が迫っている…
この凶悪で逃れようのない不運な運命を、創造したあの幾世紀の破壊者はすぐに消えてしまったというのに、それから辿った遺された人々や世界の具現者たちは、あの無責任な夢追い人セカイ系の究極形の、想像も出来ないような凄惨な地獄絵図の只中を生きている。
街は脆弱な虫の息、肺病をやんだものだけに訪れるデカダンスと幻想風景のように、僕には増々鮮明にあの素晴らしい場所が見えていく……
人と人…
君と僕…
たった百年でしかない人生と人生の交錯の繰り返しで、僕だけが、勿論君だけが、知ることの出来た奥深い真実は、闇と永劫の宇宙のように…
君はあの時、僕にプロポーズをした。突然のことにはぐらかした僕に、君はそれ以降興ざめした冷たい態度をとるようになった。
僕は後悔しているよ、たった一つの心残りかな…
あの時僕がそれをまっとうに受け入れていさえすれば、僕は、君と結婚できたんだろうか?
僕は時々想像してみた。
辛い時…死にたい時…生きていればたまにそんな苦しく先の見えない事が襲い来る。
僕は君を思い出す。君を着せ替え人形のように裸にし、僕の好みの衣裳を着せ替えていく…
花嫁。
純白のドレスに包まれた、美しい幻想のひと…
涙のように…甘く、美しく、儚げな紋白蝶だった…
君を抱きしめる…蝶のように儚く粉々になった君…
幻想の花嫁…空へと…遠いどこかの異世界へと消え去った君…
脳裏にだけ強烈に刻まれた、花嫁姿の君。
君を抱く、脳内だけの自由世界で…
君を嬲る…嬲りながら君を間近で凝視する……
「…造りモノ……」
君は人間ではなかった!
僕の脳内に広がる筈の、究極の魔法の国は、結局叶えることの出来なかった欲望の残滓でしかなくて!
人間そっくりに造られた、慰め用のロボットのような美しさ…
君はまったく動かない!
君は死んでいるように表情を変えず、ただ一点を見詰めながら、遠く遠くをうわの空で眺めて…美しい純白のドレスにアンバランスに飾り立てられて…
偽りの…偽りの花嫁だ……
豪雨が街を揺らし、溶かしていた…
僕も…一緒に溶けそうな気がする。
崩れ去る世界…ぐちゃぐちゃで歪にグロテスクな市街…
街が風景が死を想起させ苛烈で無残に差し迫るほどに…僕の遠くの景色が幻想が…増々色濃く輪郭を放つのは何故だろう?
ここは終末か?
何度も何度も同じ問いかけを自らの内面に流す…
僕は百年の意識だけ生きる事が出来るのか!
残酷な問いかけは世界へと顕われ出していく…
「君…」
僕が見たものは世界の最後のメッセージだろうか?
僕は本当に君を見ているんだろうか??
君が僕に残した究極の謎解きを、僕が生涯を賭けて挑戦したんだ。
君は四万年を駆けて、僕に逢いに来たのか?
僕は…四万年を生きたというのか…
まるで、四万年のサイクルで、僅かな距離感を縮めたり遠ざかったりしていくミランコビッチ・サイクルのような、そんな壮大な精神の旅を遭遇を、君は僕へと教えてくれたというのだろうか…
崩れていく……
僕は…とうとう…四万年の精神の旅を経て…君の姿を…本当の…具体的な実体を持った…美しい肉体を備えて…本当の、花嫁姿として、美しい純白のドレス姿で、僕の眼前に現れてくれているんだね?
四万年の精神の旅は…もうすぐ…僕の百年の生涯を架け橋として…僕を…あの…向こうの風景…幻想の国へ…連れ出してくれるんだろう……
崩れゆく街は激しく轟音を立て!
鮮血のようなおどろおどろしい赤!!
ドロドロと溶けていくすべて……
僕が透かした幻影世界のこちら側では…
…ひらひらとひとひらの紅葉ゆらりゆらゆら……