狼と兎偽の齟齬
私が陛下との謁見に失敗した日から数日。
陛下は何故か音信不通になった。
カリンさんに聞いても、シーウェイ先生に聞いてもやんわりとした笑顔で誤魔化されてしまう。
何故だ。
私が花嫁ではない、ということは伝えたはずなのに、音沙汰がない。
すぐにでも本人がやってくるか、事情聴取のための人物を派遣してくるかと思ったのに、一切何もなかった。
困った。
手紙を限りなくシンプルにしたのは、簡潔な事実だけを告げれば、きっと陛下の方から事情を聞きに来てくれるだろうと思ったからなのだ。
今の私の言語力では、今私の置かれている事情をきちんと文章に書いて説明できる自信がない。リアルタイムでの質疑応答形式ならまだなんとかなるかと思っていたのだが……、まさかノーリアクションでそっとしておかれてしまうとは思わなかった。
といっても完全に放置されていたわけではなく、シーウェイ先生の診察と治療は続けられていたし、私が上位種の気に慣れられるように、といった気遣いは次の日にはすぐに手配されていた。
綺麗に、私の送った手紙のことだけがスルーされている。
どうしたものだろう。
もしかしたら陛下は、私への処分を決める前に、アクトーネに確認をとろうとしているのだろうか。
それはものすごく私の死亡フラグだ。
私は陛下の花嫁として差し出されるためにこの世界に召喚され、「彼女」の死体と合体させられて兎偽になったのだ。
その私への対応を見ている限り、もしも私がアクトーネの元に送り返されたりなどした場合、間違いなく用済みとして処分されるだろう。楽に殺してくれたならばまだマシな方で、アクトーネのことなので死んだ方がよほどマシだというようなことになる可能性は限りなく高い。
何としてでも強制送還だけは避けたいが、どうしたらそのフラグを折ることが出来るのかがわからない。
この首の皮一枚がかろうじて繋がっている、といった状態は、いったいいつまで続くのだろう。
陛下の動きが、とてつもなく怖くて仕方ない。
★☆★
それからさらに数日が過ぎた頃、カリンさんは、陛下からの返事だという立派な書状を私へと渡してくれた。
狼の紋章が押された立派な封蝋を丁寧に剥して開く。
「…………」
思わず眉間に皺が寄った。
流石、というかなんというか陛下の手紙の文面はしっかりと作法に乗っ取ったとても美しい文面だった。筆跡も綺麗だ。流麗でありながら力強さを感じる。
おそらく誰に見せても恥ずかしくない内容なのだろうと思う。
が、整いすぎて私には難易度が高い。
どうしよう。内容が頭に入らない。
「彼女」の知識があるので、読めないことはないのだ。読めないことはないのだが、つるっと理解することが出来ない。
例えば日本語でも、きちんとした手紙を送るとなると冒頭に時候の挨拶が入ったりする。あれ、日本語が母国語でない人にとっては非常に面食らうものであるらしい。何故季節の話をするのか、何故いきなり繁栄の祈られるのか。日本語への理解を深めつつあるので文章の意味はわかるものの、それを書くことで何を伝えようとしているのかの「意図」がわからなくて混乱するのだそうだ。
日本人的感覚だと、英語における「break a leg」にぎょっとする感覚だと言えばわかりやすいだろうか。なんで「足を折れ」で「頑張れ」の意味になるのか、まったくもって解せぬ。何も予備知識がない状態で、笑顔で「足折れ」なんて言われたら間違いなく怖い。誰の足を折ればいいのか。自分のか。
ぐぬぬぬぬ。
カリンさんに音読するなり、意訳してもらえば一番早いのだろうが、本人の許可もなく手紙を人に読んでもらうのはアウトだろう。
「あの、エストーネ様」
陛下の手紙を凝視して眉間に皺を寄せていた私へと、カリンさんがそっと声をかけた。顏をあげる。
「……こんなことを聞くのは大変失礼なことだとわかってはいるのですが……、一つだけお聞きしても良いですか?」
こくん、と頷く。
「エストーネ様は……、陛下のことがお嫌いですか……?」
「?」
思わず首を傾げてしまった。
私が陛下のことを、嫌い?
「彼女」は見ず知らずの陛下に対してものすごい偏見があったようだが、異世界からやってきた私にはその前提がない。なので、「よくわからない」というのが正直な感想だ。一応陛下が花兎に花嫁を求めたことが諸悪の根源ではあるのだが、まさかこんなことになると予想していたわけではないだろうし。むしろ、エストーネやヴィクトールと比較して酷いことをしないだけ良い人、という部類に分類されている。
……めちゃくちゃ怖いではあるが。
だが、それにしたってお互いどうしようもない部分の問題だ。
陛下は私を怖がらせようとしているわけではないし、私だって好き好んで陛下を怖がっているわけではない。上位種と下位種の本能的な問題であるなら、それを理由に陛下を嫌いになるのは早計だと思う。
「お嫌いではないのですか?」
食い付き気味に聞かれて、私はやっぱりきょとんとしつつ首を横にふる。
カリンさんがそんなに心配するのは、やはり私が陛下が怖すぎて気絶する、ということをやらかしてしまったからだろうか。
それとも、花兎族と琥狼族の関係故に、だろうか。
私が首を傾げていると、カリンさんはぽつぽつと口を開いた。
「その……陛下は、エストーネ様に嫌われているようだ、と気にしてらして」
「???」
私の中でクエスチョンマークが増えた。
が、すぐに解決した。
陛下は琥狼族と花兎族の当事者だ。
それに私がどんな状態で嫁入りさせられたのかも知っている。
花兎が蘭の圧力に負けて花嫁を差し出し、その花嫁を意図的に奴隷娘のように仕立ててよこしたのだ。そりゃ恨まれている、嫌われていると思っても当然……
「エストーネ様から放っておいて欲しいと言われたから、と言ってお返事を書かれるのにも躊躇われて」
……ぬ。
どういうことだ。
陛下的には「花兎の花嫁」が、ではなく「私」が陛下を嫌っている、と思っている?
放っておいて欲しいなんて言った覚えはない。
何故だ。どうしてそうなった。
「…………」
「…………」
クエスチョンマークが乱舞している私と、同じく解せぬ、という顔をしたカリンさんとで二人で見つめあう。
「その……陛下は、エストーネ様からのお手紙を受け取ってから、非常に沈んでらっしゃいまして……」
言外にカリンさんが、原因は私が陛下に送った手紙にありそうですよ、とヒントをくれた。が、考えてみても何故あの手紙が陛下にダメージを負わせることになったのかがわからない。というか、私は言葉の知識だけはあっても、実際に使うだけの言語センスが欠けているのだ。そんな私がいくら考えたって、きっと答えはわからないままだろう。
私はそっと、テーブルの上に置いてある羊皮紙を引き寄せた。
紙が高級品である可能性を考えて、カリンさんとの会話は基本的には今までと変わらずカリンさんの問いかけに私が仕草で答える、という形のままだ。「はい」や「いいえ」では答えられないようなことが出てきた時や、何か私の方からカリンさんに伝えたいことがあるときのみ、紙とペンの出番がやってくる。
かりかり、とペンを滑らせる。
『陛下に手紙を書きたいんだけど、また届けてもらっても良い?』
「もちろんですとも。なんなりと御命令下さい」
『ありがとう』
こうして。
私と陛下の文通が始まった。
前回の主人公から陛下への手紙がひどすぎる、という突っ込みが多かったので、あわててフラグ回収を。
異文化コミュニケーションのもどかしさや難しさをうまく表現できず誤解させてしまい申し訳なかったです。
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今回短めなので、文通ターンをなるべく早めに更新できたらな、と思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。