陛下撃沈:陛下side
花兎よりやってきた花嫁は、あれからしばらく寝込んでしまっているらしい。
侍女としてやったカリンよりその報告を受けて、香瑛は落ち着かなさげにもぞりと身じろいだ。
カリンは、良く出来た侍女だ。
香瑛が詳しく説明するよりも早く、自力でおおよその事情を見当付け、さらにはその内容を香瑛に報告する、という形で確認しに来た。
有能な人材だ。
母親の代から二代続いて琥狼の王城に務める信用できる侍女であり、なおかつ小柄な下位種ということで花兎の姫付きの侍女に抜擢してみたが、香瑛のその判断は間違っていなかった。
彼女は、新しく自分が仕えることになった花兎の姫君をとても気に入っているらしく、香瑛へと報告に来る度に、いかに彼女が優しく、手がかからず、可愛らしい女性なのかを語る。
そしてそんな花兎の姫君が寝込んでいると聞いて香瑛は慌てて皇室御典医のシーウェイを呼び寄せたのだが……。
診察の結果はシンプルだった。
御自慢の白い髭を手で撫でつつ、ふぉっふぉっふぉ、と笑った好々爺は、笑みに双眸を細めて、
「新しい環境に適応するための反応じゃろうて、気にせんでもええでなあ」
などと、のたまった。
だが香瑛としてはどうも納得できない。
新しい環境に適応するために、気疲れしてしまう、程度ならまだしも、彼女のように部屋にこもって眠り続けるようなことがあるのだろうか。
もしかしたら、香瑛はあの箱の中に収められた人形か屍のような彼女の姿を見てしまっていたから、余計に不安に思うのかもしれない。
己が理解できないような、本当に些細なことで彼女の命が儚く散ってしまうのではないかという不安が、どうしても拭いきれないのだ。
そんな香瑛に対して、シーウェイは呆れたように笑った。
「香瑛陛下は、小鳥や小動物を飼ったことはおありですかのう?」
「……あるが」
「新しい駕籠に移した後、どうしろと習いましたかな?」
「駕籠の上から布をかぶせ、静かなところで2、3日そっとしておけ、と」
「そういうことですな」
「俺の嫁は小動物か」
思わずつっこんでしまった。
しかもしれっと「俺の嫁」と言い切っていることに本人は無自覚だ。
「似たようなものじゃて」
小さくて、臆病で、繊細な下位種の少女。
言われてみたら、そうなのかもしれない、という気もしてきた。
香瑛としても、彼女が部屋で休んでいることが気に入らないというわけではないのだ。ただ、それが何か悪い病気だったりしたならばどうしよう、という不安がどうしても消せないだけで。
「陛下は心配性ですなあ」
「……うるさい」
己がハナタレの悪ガキだった頃よりの知己に、しみじみとそんな風に言われてしまうと余計に座りが悪い。
今はそっとしておくことが一番大事だ、と言われて、香瑛はなるべく彼女のことを考えないように努めた。
「なあ兄貴、なんかめっちゃ眉間に皺寄ってるけど嫌なことでもあった?」
「ほっとけ」
香瑛の強面は筋金入りだった。
☆★☆
そしてそれから数日。
執務室にて、必要な書類に目を通していた香瑛の元に、カリンが顔を紅潮させてやってきた。見るからに嬉しそうだ。きっと彼女に纏わる良い話だろう、と香瑛は手元に広げていた書簡より視線を持ちあげて、カリンへと向き直る。
カリンは皇帝への仰々しい挨拶を手早く、それでいて雑には見えない程度に省略して行う。第三者がいないところであれば、そう畏まらなくても良いと思っている香瑛の意図をくんでのことだろう。
「何か良いことでもあったか?」
「はい。エストーネ様がお目覚めになられまして……」
「そうか。それは良かった。体調はどうだ」
「顔色もよろしく、とてもすっきりとしたお顔をなされていました」
どうやら、シーウェイの言葉は間違っていなかったらしい。
香瑛はほっと内心胸を撫でおろしつつ、カリンへと視線を向ける。
彼女が目覚めたというだけならば、別段通常通り夜の報告でもかまわなかったはずだ。もちろん、良い知らせを早く伝えたい、というのであればそれはそれでありがたいではあるのだが。
訝しげにカリンの言葉を待つ。
カリンはとっておきの秘密を打ち明けるようにして口を開いた。
「エストーネ様が――……、香瑛様にお会いしたい、と」
香瑛は素早く立ち上がると、彼女のいる離宮へと向かった。
☆★☆
そして全力で拒絶され、声もなく絶叫されたあげくに卒倒された。
☆★☆
香瑛は執務机で腕を組み、額を押し当てていた。
いわゆるゲンドウポーズである。
「……兄貴どうしたの、なんか未だかつてみたことないぐらいすげえ怖い顔してるけど。どっかの国でも滅ぼしてくるの」
「するか阿呆」
ひょいと顔を出した弟の笙瑛の揶揄に応える声も、陰々滅滅としている。
何せ、拗れた種族間の象徴めいた花嫁を、一生懸命誠心誠意大事にしようと思っていたのに会いに行っただけで気絶されたのである。
しにたい。
この人相が悪いのか、と思いつめれば思いつめるほど香瑛の人相は悪くなる。
目の前で紺色の長衣を翻してによによと人の悪い笑みを浮かべている弟を見る目にも殺意が滲むというものである。
同じ琥狼の一族でありながら、笙瑛の纏う色は香瑛のものよりも淡い。
祖母に花兎の姫がいるため、その血のせいかもしれない。
濃い茶金の髪は、香瑛と同じ立派な体格や彫りの深い顔立ちに本人の性格と同じだけの軽薄さを加味しており、見るものの印象を軽くしている。
この弟であったのなら、彼女にも気絶するほどの恐怖は与えずにすんだかもしれない。
「アレでしょ?
ほら、下位種の子って、上位種の気にアテられてものすごく怖がっちゃうことがあるっていう。俺もこの前ステーキ食ってたら下位種の侍女ちゃんにめちゃくちゃビビられたよ。そういう本能に直結してることしてるときって特に駄目みたい」
だからまあ元気出せよ、と肩をぽん、と叩かれた。
慰められてもため息しか出てこない。
彼女を大事にし、誠実に尽くすことで花兎との関係を改善したいと思っていた。
それがそう簡単なことではないということはわかっていた。
三代にわたって拗れた関係を、香瑛の代ですぐさま正すことが出来るなどとは香瑛だって思っていなかった。
だが、まさか花嫁があんな、香瑛の祖父の仕打ちをほのめかす形で送られてくるとは思わなかったし、花嫁が上位種に慣れていないなんてことも考えてはいなかった。異文化交流とはかくも難しい。
と、そこで扉が鳴った。
「入ってくれ」
声をかけると、しずしずと入室してきたのはカリンだった。
先ほどとは違い、微妙に罪悪感を感じているのかバツの悪そうな空気を滲ませている。
「彼女の様子は」
「シーウェイ様の診察によれば、やはり上位種の気にアテられただけのようです。エストーネ様自体も申し訳なく思っていらっしゃるようで……、こちらの書状を香瑛陛下宛に預かって参りました」
「……俺宛の書状?」
恭しく差し出された書状を受け取る。
こうして書状をわざわざ送り届けさせるということは、本能的な恐怖により香瑛を拒絶したものの、彼女自身は香瑛に対して悪感情があるというわけではないと思っても良いのだろうか。
きちんと押された封を爪でぺり、と剥ぎ、開く。
そして、中に書かれていた文面を読み、香瑛は見事に崩折れた。
「ちょ、兄貴しっかり……!!」
「こ、香瑛様……!?」
何故なら。
どこかぎこちない筆運びで書かれていた文面は。
『先ほどはごめんなさい。
ですが私は貴方の花嫁ではありません。
気にしないでください。
詳しい話はまた改めて』
或架は知らない。
簡潔に要点だけをまとめた結果、その内容が
「私は貴方を夫だとは思っていない。だからこちらに関わらないでくれ」
という絶縁状じみた内容にも受け取れるシロモノになってしまっているということを。
或架は知らない。
調子にのって陛下side。
ちょっと短めにさっくりと。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
感想読ませていただいてます。
ウサギの丸焼き食べたいですね!
陛下いきろ。