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銀鼠の侍女:カリンside

 私、カリンがお世話をするように命じられたのは、花兎の一族より香瑛こうえい陛下にお輿入れなされたエストーネ・ラース・ウル様でした。

 香瑛様は、眉間に深い皺を刻み、何やら深刻にお悩みなっている様子で、私へとエストーネ様の世話を頼むとおっしゃいました。

 私はしがない侍女にしかすぎず、そんな私に役目を命じる時ですら「頼む」という言葉を使う香瑛様は、本当にお優しい方です。

 琥狼族ということだけあり、見た目は大層勇ましく、険しいお顔をしていらっしゃいますが、心根はとても優しく、柔らかな方なのです。

 香瑛様のそのお顔からして、どうやらその悩みの種が花兎より輿入れした花嫁にあるのだということはすぐにわかりました。

 本当は……香瑛様を困らせるなんて、どんな我儘な女性がやってきたのだろうと最初は思ってしまったのです。

 花兎、というのはとても難しい種族なので。

 花兎と琥狼の関係が難しいのは、私も存じています。

 ですが、私からしてみると……花兎は我儘なように思えてしまうのです。

 琥狼という強い力を持つ一族の庇護下に置かれるのならば、守ってくれる「主」に対して臣下の令を尽くすのが道理というものではないのでしょうか。

 それを琥狼の民が古よりの関係故に甘いのを良いことに、今でも琥狼に対して花兎は対等であるかのように振る舞います。

 対等に振る舞うだけならまだしも、そうでありながら琥狼に対して彼らは手厚い庇護を当たり前のように求めるのです。

 確かに花兎の民はとても美しいのですが……私は、彼らがその美しさを鼻にかけているように思えてなりませんでした。

 彼らも、他の種族から自分たちがどう思われているのかをわかっているからなのか、滅多に自分たちの国―――蘭の中における花兎の自治領という見方が強いですが―――から出てきませんしね。

 香瑛様は私の表情からそれを察したのか、違うんだ、と眉尻を下げておっしゃいました。


『ここだけの話にしてほしいんだが……どうやら彼女は体に幾つかの不自由を抱えているらしい』


 心底心を痛めている、といった風に打ち明けられた香瑛様の言葉に、私が一番最初に感じたのは怒りでした。


 花兎の一族は、香瑛様の一番最初の花嫁に傷物の娘を差し出してきたというんですか!


 そう喉から出掛けた言葉を、飲みこめたのは我ながら自分を褒めてやりたいと思います。それぐらい、私は香瑛様という自国の皇帝を敬愛しているのです。

 ですが、そんな怒りは柔らかに苦笑した香瑛様の御顔を見て、すぐに霧散しました。香瑛様は……酷く、罪悪感に苛まれているよう、でした。

 ああ、と私は心の中で嘆息しました。

 その顔に、もともとこの度の婚姻に香瑛様が乗り気ではなかった、という噂を思い出したのです。

 もしかしたら――……、この婚姻は香瑛様にとっても、そしてお輿入れなさった花兎の姫君にとっても、望まれたものではなかったのかもしれません。

 香瑛様は今年で三十路を迎えられます。

 男盛りの年でありながら、正室、側室、愛人の類いを傍に置かぬ潔癖なお方。

 この度の婚姻も、「陛下が誰も正室に向かえないのは始祖王と同じく花兎の花嫁を迎えるためのものだ」という声が大きくなった結果、花兎の方から申し入れがあってのことだと聞いていました。

 花兎の一族としても、香瑛様に望まれたと言われれば一族の姫を差し出さぬわけにはいかなかったのでしょう。

 例え、――……その姫が体に不自由を抱えていようとも。


 姫様も、香瑛様もおかわいそうに。


 花兎の姫君は不自由な体を押して嫁がねばならなくなり、香瑛陛下は今こうしてその事実に胸を痛めていらっしゃる。

 それならば……私が誠心誠意お二人にお仕えすることで、潤滑剤になることは出来ないでしょうか。

 故郷にいたときと同じように……、むしろそれ以上に不自由なくエストーネ様に過ごしていただければ、エストーネ様の御心は晴れないでしょうか。

 そして、蘭の王城にて伸びやかに過ごされるエストーネ様を見ていれば、香瑛様の御心も晴れるのではないでしょうか。

 私のような侍女の力で出来ることなど、たかがしれています。

 ですが、それで少しでも不幸な婚姻をされてしまったお二人の心が軽くなるのならば――……侍女冥利に尽きるというものです。

 

 こうして、私はエストーネ様の傍付き侍女を拝命したのでした。






★☆★






 エストーネ様の部屋を後にして、私は小さく息を吐きました。。

 想像以上に可愛らしいお方です。

 花兎の民は、自分たちの暮らす国からほとんど出ないし、移住しようとする多種族に対しても排他的だといいます。

 だからなのか、エストーネ様は私が挨拶してからずっと、私の尻尾に目がいって仕方がないようでした。

 私が銀鼠ぎんそであることを名乗るついでに、尻尾を揺らすと、まるで子供のように目を瞠ってました。

 ぱっちりとした黒目がちの双眸がきらきらと輝いていて、私はつい「触ってみますか?」なんて子供を相手にするように聞いてしまいそうになりました。それをこらえられて、本当に良かったと思います。あの可愛らしいお姫様に、何を言っているんだ、と呆れられてしまったらきっと本気で胸が痛みます。

 エストーネ様は、とてもお優しい方でもありました。

 私のしてしまった不作法にも目をつぶり、あろうことか私のために声を出そうとまでしてくれました。

 咳き込んだせいで潤んだ目元を紅潮させて間近から見つめられると、女の私ですらくらりとするほど可愛らしく……。


「…………」


 少しだけ、厭な予感が、してしまいました。

 エストーネ様は、私に自分が気分を害したわけではない、と伝えるために声を出そうとされました。

 果たして――……生来声が出せぬお方が、そんなことをするでしょうか。

 これまで声の使えぬ生活を送られてきたのなら……、声を使わぬ生活に慣れているのではないのでしょうか。

 

 ああ、厭な予感がします。

 

 考えるのも恐ろしいことです。

 声が出ないことに慣れていないような、エストーネ様のご様子。

 うつくしいレースの飾り紐で隠された、白く華奢な喉。

 あの飾りの下に隠されたものを想像するだけで、全身の毛が毛羽立つような思いをします。

 

 香瑛陛下は……ご存知なのでしょうか。

 

 私はこの事実を、香瑛様にお知らせするべきなのでしょうか。








★☆★








 悩んだ結果、私はそのことを香瑛様にお伝えすることにしました。

 もしも……、エストーネ様の声や足が奪われたのがつい最近であったのなら。

 きっとそれは……あの方が偽の姫君だからではないかと思ったからです。

 花兎の特徴はあるので、花兎の一族の者であることに違いはないでしょう。

 花兎の一族は、姫君をこの縁談から守るために、身分の低い花兎の娘から声を奪い、自由を奪い、偽の花嫁として差し出したのではないでしょうか。

 香瑛様なら、例えそうだとしてもきっとあの方を悪いようにはしないでしょう。

 そう思ったからこそ、私は香瑛様にお話しすることに決めたのです。


「…………」


 香瑛様は、私の話を聞いて、深く息をつかれました。


「カリン、お前に彼女の世話を任せて正解だった」

「では……」


 やはり、あの方は偽の姫君なのでしょうか。


「お前の考えは、半分当たっている」

「半分……、ですか?」

「彼女が足の自由と、声を奪われたのはつい先日のことだろう」

「……やはり。では、残りの半分は……?」


 香瑛様は、暗く沈んだ琥珀色の双眸に私を映して、重々しく口を開きました。


「彼女は、間違いなく花兎の王女だ。魔力波形が一致した」

「……ッ嘘です!」


 私は、それがどれほど罪深いことなのかわかっていながらも、香瑛様に口答えしてしまっていました。

 魔力波形は、人によって異なります。

 主に計測に使われるのは血液で、どれほど古い血液であっても、優秀な医者であればその血液から魔力波形を察知することが可能です。

 古くから、そうして血液の魔力波形によって私たちは契約を交わしたり、個人を特定したりしてきました。


「どうやって、特定したというのですか……? あの方が本物の姫だという証拠を差し出せるのは花兎だけです……!

証拠ごと捏造した可能性はないのですか!?」

「……シーウェイが、『王家の血脈』で確認した」

「……ッ!」


 私は息をのみ……、そしてうなだれました。

 『王家の血脈』というのは、お家騒動などがあり、それこそ偽の王族が現れた時に備え、王族が生まれた際に登録する書類です。

 生まれたばかりの赤ん坊の血をほんの少し採取し、その魔力波形を記録に残すことで、入れ替えや、偽王族等の詐欺を事前に防いでいるのです。

 それを蘭国の皇室御典医であるシーウェイ様が確認したというのなら……きっとあの方は間違いなく、花兎の姫君なのでしょう。

 

「……では、エストーネ様はこの婚姻のために声と足を奪われたのですか……?」


 嘘であって欲しいと思いました。

 まだ偽の姫君であって欲しいと思いました。

 

 偽の姫君であることがバレないように口を塞ぎ、偽の姫君が逃げ出したりしないようにその自由を奪った。


 その方がまだ幾分か優しい事実のように思えて仕方なかったからです。

 

 

 

 

 

 

 蘭という大国に嫁入りが決まった娘の喉や足を、その兄や父が奪った、と考えるよりはよほど。







「…………」


 香瑛様は、私の問いかけに、苦虫をかみつぶしたような顏で――……慙愧の念に苦しむかのようにして、頷きました。

 香瑛様は、私にエストーネ様の御傍付を命じられた時にはもうこのことを知ってらっしゃったのでしょう。

 だからこそ、香瑛様はこんなにも後悔していらっしゃる。

 ご自分が花兎の花嫁を望んでしまったからこそ、それが事実でないとしても、それを否定しきれなかったからこそこんなことになってしまったのだと、香瑛様は悔いていらっしゃる。

 私の脳裏に、柔らかな寝台に横たわり、あどけなく微笑んだエストーネ様の姿がよぎっていきました。

 あんな小さく、可憐な身で、エストーネ様はどれだけの痛みを受け止めてきたのでしょうか。

 それを思うだけで、熱いものがこみあげてきてしまいました。

 

「俺は……国に害が出ない範囲でなら、どんなことでもして彼女に詫びたいと思っている。カリン。俺に力を貸してくれないか。彼女に、償いたい」

「……はい。私に出来ることでしたら、なんなりと」


ぽろぽろと零れる涙をぬぐうことも出来ないまま、私は香瑛様に頷いたのでした。

大体あっているようで、根本で誤解が生じている、という。


ここまで読んでくださりありがとうございました。

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凄く嬉しいです。

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