おにいさま
夢を、見ていた。
「琥狼の花嫁となれば、待っているのは畜生にも劣る奴隷の待遇です……!」
「私をそんな恐ろしいところにやらないでください……!」
「大叔母様のような目にあうのは嫌……ッ!」
「私は……ッ、私は……ッ」
不思議な夢だった。
確かにその言葉を言ったのは「自分」だという自覚はあるのに、響く声はまるで心当たりのない他人のものだ。
人間、自分の声というのは脳で聞いているものらしい。
なので、自分の声を他人として空気を介して聞くと別人のように聞こえる……という話は知っていたが、それにしても違いすぎやしないか。
悲痛な慟哭はひび割れてはいたものの、それでも鈴を転がすように可憐で、それが自分の声だとはどうしても思えない。私はカラオケにいっても高めの女性ボーカルは1オクターブ低くしないと唄えない程度には声は低めだ。とはいっても男性ボーカルをセクシーに歌いこなせるほどに低いかといえばそうでもないので、単に音痴なだけかもしれないが……。
「どうしても私にあのけがらわしいケダモノの元へ嫁入りせよと言うのですね」
私がぼんやりとカラオケ事情について思いを馳せている間にも、夢は場面を変えていた。
先ほどまではどこか室内だったのが、外になっている。
どこか、高い塔の上なのだろうか。
びょうびょうと吹きすさぶ風が煩い。
そして、そんな風に喧嘩を売るように、「私」は叫ぶ。
「どうせ物言わぬ己のいうことを聞く玩具が欲しいのなら、あのケダモノには私の屍でもくれてやればよいのです!」
あ。それは。まずい。
止めたいけど止まらない。
「私」は泣きそうな顏でこちらを見つめ、懸命に手を伸ばすアクトーネに向かって、意地悪く笑った。
「さようなら――…おにいさま」
そして。
「私」は必死になって捕まえようとするアクトーネの手をすり抜けて、自由を求め、たん、と軽やかに塔の縁を蹴った。
もちろん、いかに花兎といえど魔法を使わなければ空を飛べるはずもなく。
「私」の身体はぐしゃりと地面に叩きつけられ――。
★☆★
「……ッ……!!」
叫び声と共に私は目覚めた。
私、葛方或架は――……って。
今の夢はもしかしなくても、私と合成させられたという死体の持ち主、もともと嫁入りするはずだった姫の記憶だったりするのだろうか。
おにいさま、かー……。
なんだかヘビーな事情を知ってしまったような気がする。
アクトーネは目の前で自分の妹に死なれ――……、その死の切っ掛けとなった婚姻に怒りをぶつけることもできず、花兎という一族を守るために、妹の死体ですら道具にせざるをえなかった、のか。
少しだけ。
本当に少しだけ、平和ボケした私の感性は、アクトーネに同情してしまった。
もしかしたら、この体の半分ぐらいを構成している「アクトーネの妹」のせいかもしれない。
いや、アクトーネ嫌いだけど。怖いけど。できれば二度と会いたくはないけど。
そんなことを考えつつ、私はそっと体を起こした。
ここはどこだろう。
箱の中に人形よろしく詰め込まれ、琥狼の王の元へと贈られたところまでは覚えている。そして箱が開かれて……、どうなったんだっけか。
『ッ生きてる……!』
耳の奥に、じんわりと甦る深い声音。
低く、迫力のある声だった。
そうでありながら、本気で焦っているかのような、焦燥に掠れた声だった。
あの人が――…私の夫となる琥狼の王、なのだろうか。
夢の中で、『私』は相当彼のことを嫌ってボロクソに言っていたようだったが……、そんな酷いことをするような人には見えなかったんだけれども。
どうなんだろう。
今私が置かれている状況としても、決して酷いものではない。
アクトーネたちのところにいたときの方が百万倍酷かった。人権はどこいった、と苦情を申し立てたいほどだった。
それに比べたら、ふかふかのベッドで痛みとも苦しみとも無縁で目覚められたこの状況の方がよっぽど恵まれている。
さて。
せっかく目覚めたのに、傍に誰もいないともなれば、やはり人を探して状況を説明してもらうしかないだろう。
このまま待ってる、という手もあるが、それは少し退屈だ。
アクトーネやアクトーネの妹が言っていたように、「花嫁=性奴隷」のような感覚で娶ったにしろ、それなら逆に命は保障されていると考えても良いだろう。
部屋の様子を見てまわっただけで折檻、なんてことにはならない……はず。
……ならないよね?
ベッドから出る勇気がだいぶ削がれてしまった。
思えば、最初この世界で目覚めた時にしろ、祭壇から降りて部屋から出掛けたところでアクトーネらに出会ったのだ。
それを考えると下手に動くと酷い目にあうかもしれない。
うーむ。うーむ。
ごろん、とお布団の中で寝返りをうって、横向きに丸くなる。
私は眠るときは胎児のポーズ派だ。
この方が落ち着く。
……と。
こんこん、とドアが鳴った。
「失礼いたします」
続いて響いたのは柔らかな女性の声。
知らない声だ。誰だろう。
ガチャリ、と音を立てて扉が開く。
彼女はしずしず、とと室内へと足を進めて、お布団の中でぱち、と瞬いている私と目が合うと、「まあ」の形に口を開けた。
そして、すぐさま私の元へと駆け寄ってくる。
「お目覚めになられたのですね、エストーネ様……!」
アクトーネの妹の名前はエストーネ、というらしい。
「彼女」の記憶を知識として私はもっているものの、その全てを網羅出来ているかといえばそうでもないらしい。
まあ、そうだよね。人ひとり分の一生を知識として詰め込まれたわけだし。
自分の経験、記憶ですらままならないのが人間なのだ。
他人の分の記憶なんて、言うまでもない。
「御気分はいかがですか? どこか痛いところ、具合の良くないところはありませんか?」
「……、」
彼女の問いかけに、「大丈夫です」と答えようとして声が出ないことを思い出した。ヴィクトールのせいである。あの野郎がすっぱりと斬りやがったのだ。すぐによくわからない魔法的なもので傷は塞がれたが、声が出ないあたり意図的に声帯だけ断ったままにしてあるのだろう。
「申し訳ございません。エストーネ様が声に不自由してらっしゃることを存じておきながら、不用意な問いかけを致しました。お許しください」
彼女は私の様子にはっと息を呑むと、すぐに深く腰を折って謝罪の言葉を口にした。そんな風に謝られてしまうと、私の方がどうして良いのかわからなくなってしまう。日本にいたときだって、こんな丁寧な扱いを受けたことは数えるほどしかない。私は慌てて首を左右に振る。声による意思の疎通が出来ないというのは、結構大変だ。
私の表情と仕草から、それを「許し」だと察してくれたのか、彼女はほっとしたように口元に小さく笑みを浮かべて私へとさらに距離を削った。
「私は、エストーネ様のお世話を香瑛陛下より申し付かりました、カリンと申します。背を起こさせていただいても?」
彼女、カリンさんの問いかけに頷くと、彼女はそっと私の背に手を差し入れて、体を起こすのを手伝ってくれた。別段体が弱っているというわけではないので、それぐらい自分で出来るような気もしたが……、手伝ってくれるというならしてもらっても良いかな、と思ったのだ。甘えているとも言う。
体を起こしてもらって、改めてカリンさんへと視線を流す。
栗色の柔らかそうな髪に、同じ色をした丸っこい耳。
髪の長さは肩につくかつかないか、といったところだ。
黒と白を基調にしたメイド服っぽいトーンのドレス。
メイド服、というにはフリルや装飾がシンプルで、どこか中華風な雰囲気を感じる。
そういえば、私を箱から出してくれた男性は、いかにも中国っぽい長衣をまとっていた。アクトーネはきらきらした絵本に出てくる西洋風の王子様風だったが、この国、蘭では中国的な文化がメインなのかもしれない。
そして彼女の外見を説明するのに、一番忘れてはいけないのは……尻尾だ。
もっふもふ、もっこもこの髪や耳と同じ色をした巨大なしっぽ。
ほぼ彼女の背丈と変わらないんじゃなかろうか、と思うような大きな尻尾が、彼女の背後でふわふわと揺れている。
栗鼠だ。
どこからどう見ても栗鼠である。
私の視線に気づいたのか、彼女は小さく笑って、ゆらり、とその尻尾を揺らしてくれた。
「見ての通り、私は銀鼠の出身です。母の代から、この国に仕えさせていただいております。銀鼠だけあって小柄なので……、エストーネ様が御安心できるのではないかと、陛下が私に声をかけてくださったのです」
なるほど……、と納得しかけたが、彼女は小柄と言いつつ私よりも背が高いような気がしてならない。この世界では、皆170超えがデフォルトなのだろうか。160ある私は日本だとわりと背が高い方に分類されていたのだけれども。
ぬ、と難しい顏をした私に彼女は不安そうに眉尻を下げる。
「陛下の花嫁たるエストーネ様につく侍女が私一人ではご不安でしょうか。陛下は急に大勢に囲まれてはエストーネ様が落ち着かないのではないか、とまずは私一人にエストーネ様につくよう命じられましたが、エストーネ様が望むのでしたらすぐに他の者を……」
いやいやいやいやいや。
私は再び頭を左右にぶんぶん。そうじゃないんだカリンさん。
私はただ単にみんなおっきいなあ、と思っていただけで。
……やっぱり声が出ないというのは不便だ。
表情だけでこちらの感情を読み取ろうと頑張られてしまうせいで、誤解が生じやすい。なるべくマイナスな感情は出さないようにしなければ。
カリンさんのような優しげな女性を慌てさせたり、困らせたりはしたくない。
「……、ッ」
お気遣いなく、優しくしてもらえて、気を遣って貰えてとても嬉しいです、と根性で伝えようと試みたが、派手に咳き込んだだけで終わった。情けない。根性論でなんとかならんのか。
げふんごふんと咳き込む私の背を、カリンさんの手が優しく撫でる。
「ご無理をさせてしまい、申し訳ございません……!」
いやいやだから違うんです。
悪いのはガッツの足りないこの喉なんです。
咳き込んだせいで涙目になりつつ、まっすぐにカリンさんを見つめて頭を横にふる。伝われ私の心の声。
「エストーネ様……」
ほんのりと、カリンさんの頬が赤く染まった。
いやまて、何か違う感じで伝わっちゃったっぽいぞ?
大丈夫か。
っていうか今の何が伝わっちゃったんだ。
「エストーネ様のようなお優しく、可愛らしいお方に尽くせることを本当に嬉しく思います。至らぬ身ですが、よろしくお願い致しますね」
こちらこそ、よろしくお願い致します。
「彼女」の記憶があるとはいえ、私にとってこの世界は異世界だ。知らないことばかりだろうし、何より現状私の身体にはいろいろと不具合がある。
喉もそうだし、足もそうだ。
きっとこれからカリンさんに助けてもらうことは多いだろう。
深々と頭を下げ返した私に、カリンさんは慌てたように声をあげた。
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