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花兎の花嫁:陛下side

 花兎かとの民より、花嫁を送り届けると言われていたその日。

 琥狼ころうの王である香瑛こうえいは朝から憂鬱な気分を晴らすことが出来ずにいた。

 

 その原因は至って簡潔だ。

 香瑛は花兎の花嫁を望んでなどいなかった。

 むしろ、出来ることなら――…己の側に近付いて欲しくないとすら思っていた。


 誰か別に想う相手がいるわけではない。

 琥狼の王として、伴侶を欲しいと思わないわけでもない。

 ただ、香瑛は己が狂うのではないか、ということが一番恐ろしかった。

 

 

 

 琥狼の王、蘭の皇帝香瑛。

 黒銀の髪に琥珀色の瞳、均整のとれた長躯、整った顔立ち。

 若干他の種に比べると人相が悪い部類に入るかもしれないが、それは琥狼の民特有のものなので、琥狼の王として香瑛の価値を損なうものではない。

 むしろ、その一見恐ろしげな迫力に満ちた顔は、天下に名を響かせる琥狼の王としては相応しいものだと言えた。

 人々は香瑛の顔に琥狼の誇りと、威厳を見て自然と頭を垂れる。

 香瑛はその人柄もまた、琥狼の民の形質を良く顕していた。

 その凶悪な人相に反して人柄は明るく朗らか、人に優しく己に厳しい。

 民に慕われる良き王になるだろうと皇帝の座に着く前から、その名は高く評価されていた。

 少々腹芸に慣れぬ部分もあるが、そこはよく出来た側近が固めれば十分にフォローできる範囲内のことである。

 香瑛は、理想的な王だと言われていた。

 

 

 

 そう。

 建国の始祖王の再来だ、と言われるほどに。

 

 

 

 そして、それこそが香瑛の恐れの正体だった。

 

 

 

 

 賢王にして建国の始祖、慧瑛けいえい

 もともとは狩猟の民として定住を嫌い、横のつながりが希薄な自由の民として生きてきた琥狼の民に『帰る場所』を与えた偉大な名君。

 周辺諸国が次々と領地を主張し、国境線を引きあう中、慧瑛は琥狼の民を束ね、初めて部族の中に「国」という概念を持ち込んだ。

 今、琥狼の民が古くから住まう土地から追い出されることもなく、昔ながらの豊かな生活を保てているのは全て慧瑛のおかげだと言うことが出来るだろう。

 他の種族に比べ、優れた身体能力を誇る琥狼の民は、数は少なくとも一騎当千の兵士でもある。

 国境を侵し、己らの領地に手を出すものがあれば、皆家族を守るために懸命に戦い、そして一度勝敗が決したならば、決して敗者に無駄な血を流すことは許さなかった。

 そうして大きくなったのが、らんと呼ばれる帝国だ。

 あまり統治に興味のない琥狼の一族に代わり、実際の行政は蘭の方々から集まった有識者たちによって行われている。

 豊かで美しく、平和な桃源郷。

 まだまだ成長過程、欠点もあるが住んでみればいずれそこも克服するだろう、と明るい未来を夢見ることが出来る国。

 それが、蘭の周辺国からの評価だ。

 

 その国を担う三代目の王として、香瑛にとって始祖の王の再来というのは決して悪い言葉ではないはずだった。

 人々は決してその言葉を悪い意味では使っていない。

 民は皆、蘭のますますの発展を願い、祈り、香瑛のことを始祖王の再来だと嬉しげに口にしている。

 

 最初は、それが嬉しかった。

 当然プレッシャーも感じたが、祖父に似ている、というのは香瑛にとってはとても誇らしいことだった。

 

 そこに、忌まわしい影を感じるようになったのは――……、仲睦まじい夫婦だと思っていた祖父母の真実を知ってしまってからだ。

 

 祖父が花兎より娶ったという祖母は、病弱でほとんど人前には現れることがなかった。

 孫である香瑛はおろか、息子である香瑛の父ですら、成人してからはほとんどその姿を見たことがなかったらしい。

 香瑛の記憶の中にある祖母は、年を経てもなお少女のような透明感を残した不思議な女性だった。

 祖父の隣でたくさんのクッションに埋まるようにソファに腰掛け、たおやかに微笑む、どこか生き物の気配を感じない女性だった。



 祖母が亡くなり、その後を追うようにして祖父も他界し――……。

 そして初めて、香瑛は真実を知らされた。

 

 祖父は、「祖母の後を追うように」ではなく文字通りその後を追ったのだということを。

 

 祖父は祖母を溺愛し、その愛情故に祖母から足を奪い、声を奪い、外界から隔絶してひたすら自分だけのものとして愛を注いでいたのだということを。

 

 

 

 

 

 

 それを知っていたからこそ、祖父も父も、花兎の国を自らの国に組み込むこと良しとしなかったのだろうと思った。

 歯止めのきかぬ己の慾が、狂気となることを恐れたが故に。

 そして偉大な始祖の賢王と呼ばれた祖父ですら抑えることが出来るのほどの執着を恐れ、香瑛の父は自らの伴侶に花兎ではない者を選んだのだ。


 それを知って以来、香瑛は己のことが恐ろしくてならない。

 己は愛した女を不幸にせずにはいられないのではないかと、それが何より恐ろしい。


 そもそも、祖母は祖父の檻の中で幸福だったのだろうか。

 それとも不幸だったのだろうか。

 

 足を奪われ、声を奪われ、祖父しかいない世界に閉じ込められてもなお、たおやかに微笑んでいた彼女は――……、何を想っていたのだろう。


 だから、香瑛は伴侶を得ることをあまり考えないようにしてきていた。

 祖父によく似ていると言われる自分だからこそ、執着故に狂う可能性が高いと、

理性を失うことを恐れ女性を遠ざけてきていた。

 そんな香瑛に、事情を知らぬものは次々と縁談を持ち込んだ。

 一人の女に縛られるのが煩わしいのであれば、後宮を作ったらどうかという声も多く上がった。

 そのどれもを、香瑛は黙殺した。

 香瑛には弟がいる。

 自由気まま、王の座は兄に任せるさと気楽な弟だが、弟にはすでに妻がある。

 いざとなれば王位は弟か甥にでもやれば良いと思っていたのだ。

 自分が無理に子を成す必要はない。

 

 それがどうして因縁の花兎から香瑛が娶ることになってしまったのかと言えば、もはや祖父の呪いとしか言えない。

 あの香瑛が未だに妻を娶らないのは、かつての慧瑛と同じく花兎の美姫を手に入れるためなのだ、という噂がまことしやかに流れるようになったのだ。

 そして――……、そんな噂を本気だと考えた家臣が動いてしまい、花兎の一族へとプレッシャーをかけることになってしまった。

 

 たおやかで美しい、争いごとを嫌う民、花兎。

 琥狼の主であり、琥狼に傅かれ、守られる民であった花兎。

 互いが一種の民族であった頃ならそれで良かったのだろう。

 だが、琥狼は慧瑛に導かれ国を作った。

 国として力を得てしまった琥狼と花兎の関係は、三代の変遷を経て完全に拗れてしまっていた。

 祖母のことも、間違いなく両種族の関係に影を落としている。

 

 花兎にしてみれば、国力にものを言わせて一族の姫を搾取した憎きケダモノ、という風にしか見えないのだろう。

 そう思われても仕方ないだけのことを、愛に狂った慧瑛はしてしまっている。

 それ故の不可侵だった。

 琥狼は花兎に花嫁を求めず、花兎もまた琥狼の庇護にある以上慧瑛の罪を追求することはしない。

 後ろ暗い均衡が両種族の間には存在した。

 

 

 

 

 それが――……香瑛が花兎の花嫁を求めている、という話により打ち崩された。

 

 

 

 

 花兎を束ねる一族の長、アクトーネ・ラース・ウルから嫁入りの打診を受けたときのことを香瑛は未だに覚えている。

 硝子玉のような双眸が、香瑛を嗤っていた。

 いかに賢王と呼ばれ、もてはやされようとその性はただの獣にすぎぬと空色の瞳が無言のままに香瑛を責め、嘲笑っていた。

 

 断ろうとしても、もはや香瑛ですら止められぬところにまで話は進んでしまっていた。

 かくなる上は、花兎の花嫁に誠心誠意尽くし、幸せにすることで花兎の怒りを解くしかないと――……そう決意していた。

 

 祖父の代よりの呪いを、己の代で食い止めねばと香瑛は覚悟していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 花兎の花嫁は、花兎がその婚礼を良きものだと思っていないのだとあからさまにわかるほど、ひそやかに輿入れした。

 

 形ばかりは豪奢であったものの、身一つで花兎の花嫁は蘭の王城へと足を踏み入れた。

花兎の下人が、花嫁が中にいるのだという箱を玉座に座る香瑛の前へと献上する。


 美しき花嫁姿、最初に見るのは王であり夫である香瑛であるべきだという考えにより、周囲からの視線を遮断する箱の輿に乗っての嫁入りなのだと、使者は口上を述べた。


 

 

 

 そして、箱を開いて――香瑛はその箱は棺だったのだと、思った。

 

 

 

 

 箱の中に敷き詰められたかぐわかしい花々。

 そこに埋もれるようにその少女は横たわっていた。

 茫洋と虚空を見つめる黒色の濡れた瞳は、薄い紗でもかけたかのように何も映してはいなかった。

 華奢な手足を彩る銀の装飾が、花嫁を飾るというよりもまるでその自由を戒める鎖のように見えた。

 

 

 

 

 

 

 美しい屍。

  

 

 

 

 

 

 それが、香瑛が己に嫁いだ少女に対して抱いた最初の感想だった。

 だが、凝視している中で、その少女の長い睫毛が微かに瞬くように震えたのを、

香瑛の目は見逃さなかった。


 いきている。


 おそるおそる手を伸ばしてその頬に触れれば、微かなぬくもりが手に伝わった。


「ッ生きてる……!」


 香瑛のその言葉に、花兎という一族の恨みの権化めいた花嫁の輿に時を止めたかのように静まり返っていた広間にざわめきが広がった。


「誰か!医者を早く……!!」


 そう声をあげたのは香瑛の側近であり、親友でもある怜李れいり

 医者が来るのなど待ってられない、と自ら運ぶと宣言した香瑛に、ちょっと待った、とばかりに声をあげたのは、弟の笙瑛しょうえいだ。

 

 箱の中から少女を抱き上げた際に、ほろほろと箱よりこぼれ落ちた花が、崩れて砂になる様に、震えるような恐怖を感じた。

 この腕に抱いたあんまりにも軽く、あんまりにも命を感じられない少女が、その花のよう箱から出した瞬間に崩れてしまったならばどうしようと、そんな阿呆のような恐怖に胸が震えた。

 

 「…………」

 

 その恐怖を打ち消したのは、香瑛の腕の中で小さく身を震わせて泣きだした少女の嗚咽だった。

 ほろほろと零れる涙は、花のように崩れたりはしなかった。

 酷い話かもしれないが、泣いている彼女は、先ほどよりもよほど「生」の匂いがした。

 

 

 

 嗚呼、いきている。

 

 

 

 かよわい命を抱いて、香瑛は医師の元へと駆けた。


 

ものすごく陛下語り。

香瑛さんは見た目よりはるかに繊細で不器用な人――…に、なる予定。

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