すべてお兄様の言う通りに
お兄様には不思議な力がある。これから起こることも、すべてお兄様が教えてくれた。今日、出席したパーティーで起こったこともそうだ。
婚約者であるゼフェル・イベルード王太子殿下の誕生日パーティーで、婚約破棄を言い渡されたら、「こう返しなさい」と教えられた台詞を、私はそのまま口にした。
「もう一度、おっしゃっていただけますか?」
目の前にいるゼフェル殿下は、私ことフォートレル公爵家のフレデリカを見据えながら、フンっと鼻で笑った。
(その反応も、お兄様から聞いていたから気にならないけれど)
ゼフェル殿下に寄り添っている、金髪の少女、マリエル・クレマン男爵令嬢が小馬鹿にした顔を向けたのには癪に障った。けれどお兄様は、「どんな反応を二人が見せても、僕の言う通りにするんだよ」というのだから、私はそれに従うだけである。
(だってお兄様の力は本物なんだもの)
それを今から証明できるのかと思うと、私の方が楽しくて仕方がなかった。
一週間前。お兄様は私に、こうおっしゃった。
『フレデリカ。とうとうこの日が来た。ゼフェル殿下はご自身の誕生日パーティーで、フレデリカとの婚約を破棄すると宣言するだろう。だからフレデリカを迎えに行くことも、エスコートもしない。でも怒ってはいけないよ。ゼフェル殿下は、そんなフレデリカを見たいんだから、絶対に見せてやることはない。いいね』
『勿論ですわ、お兄様。それで、エスコートはお兄様がしてくださいますのよね?』
『あぁ。可愛いフレデリカを一人で入場させるつもりはないよ』
お陰で私は、周りに不思議がられずに、パーティー会場に入ったのだ。なにせゼフェル殿下が私をエスコートしないことは、日常茶飯事だったからだ。代わりにマリエル嬢をエスコートしては、私を無視し続ける。
ゼフェル殿下と私は、出会った時から、すでにこのような状態だった。
(いずれ私を捨てる人間と、わざわざ仲良くする必要なんかないもの)
パーティー会場の人々の視線が、再びゼフェル殿下へと向けられる。そしてお兄様が教えてくれた通りの言葉を口にした。
「いいだろう。俺は真実の愛を見つけたのだ。これ以上、そなたと婚約をし続けるのは苦痛でしかない」
(あら、偶然ですわね。私もずっと苦痛でしたの。お兄様以外の方と婚約していること自体が)
「故に婚約を破棄し、ここにいるマリエル・クレマン男爵令嬢を婚約者とする。不満があるのなら、言ってみろ。俺は寛大だからな」
「不満はございません」
ゼフェル殿下は得意げに言うが、あるはずがない。
(だってお兄様が教えてくださったことだもの。やはりお兄様は間違っていなかったんだわ)
真顔で答えたつもりだったが、口角が上がっていたのだろう。ゼフェル殿下が鋭い視線を向けてきた。
「なんだその態度は。少しでも弁明があるのならば、側妃にしてやろうと思っていたが、気が変わった」
「まぁ、私を側妃にしようとしたのですか?」
信じられない、とばかりに口元に手を当て、怯んで見せた。すると私が臆したと思ったのか、ゼフェル殿下がニヤリと笑う。逆に私の手で隠れている口元も、同じ形になっているとは、相手も思っていないのだろう。
パーティー会場の者たちだけが、私たちのやり取りをハラハラしながら見ていた。
「父上も母上も、この婚約破棄に反対していたのでな。破棄できないのであれば、しかたがあるまい。だが、正妃の座はマリエルのものだ」
「っ! 嬉しいです、ゼフェル様ぁ~」
マリエルは甘えるように、ゼフェル殿下に抱きつく。それを羨ましいとは思わないけれど、マリエル嬢のオーバーリアクションにはイラッとした。けれどお兄様の言う通り、ここで怒るのは得策ではない。
(どこかでお兄様が見ているはずだもの。ちゃんとやり遂げて見せないと)
お兄様を失望させたくない。そんなグッと堪える仕草を、ゼフェル殿下は別の意味に捉えたようだった。
「今更、後悔しても遅い!」
「後悔などしていませんわ。婚約者の座も、正妃の座も、私はほしくありませんから。当然、側妃の件も、お断りさせていただきます」
「なんだと。人が下手に出れば、調子に乗りおって」
どの辺が? と思ったが、これ以上この茶番を長引かせておきたくなかった。
(私だって、マリエル嬢のように、お兄様のところへ早く行きたいんだもの。だけどここで最後の台詞を言わないと、お兄様の元へは行けない)
私は舞台俳優さながらに、両手で顔を覆い、先ほどのマリエル嬢さながらなオーバーリアクションで言い放った。
「酷いですわ。私はただゼフェル殿下の意向に従ったまでのこと。未練がない方が、お二人にとっても良いことだと思っただけなのに……そのように受け取られるなんて」
「な、何を言っている。俺は酷いことなど言ってないだろう」
こんな公衆の面前で婚約破棄を言い、私に恥をかかせているだけでも、十分に酷いことをしていると思うのだが、どうやら自覚がないらしい。
(婚約破棄されて、本当に良かったわ)
けれどパーティー会場にいる貴族たちの反応は、私の気持ちとは違い、世間一般の考えと同じだった。あちらこちらで、ゼフェル殿下とマリエル嬢へ非難する言葉が聞こえてくる。
当然だ。真実の愛というふざけた理由で、婚約破棄をしようとしているのだ。王太子として考えが浅はか過ぎて、逆にご自分の醜態を晒したようなものである。
私は逆に、お兄様からのアドバイスで、怒ることも、醜態をさらすこともなく。ただ王太子の我が儘を聞いた可哀想な婚約者、という立ち位置に見えるだろう。私は一度も、ゼフェル殿下とマリエル嬢に不平不満を言っていないのだ。ただ受け入れただけで。
(マリエル嬢と二人の世界に入って酔いしれているゼフェル殿下は、まったく気づいていないようだけど)
むしろ好都合とばかりに、私は敗北した者だと分かるよう、顔を覆ったまま、その場を走り去った。
***
会場を抜けて、建物の外へと出る。さすがに中にいると、人目が気になるというか、一人になりたい場所は、だいたい相場が決まっているのだ。
緑に囲まれた庭園。王太子の誕生日パーティーを開ける会場の庭園は、王城並みに広く、花々の甘い匂いが漂っていた。
日中なら、日の光を浴びた葉の緑と、色とりどりの花が出迎えてくれたことだろう。けれど今は夜。庭園の美しさは半減されていた。
「フレデリカ」
噴水の近くに来た時だった。後ろから、聞き覚えのある声に名を呼ばれた。すぐに振り返ると、そこにいたのは、スラっと伸びた長身の男性が立っていた。
夜の暗さよりも黒い髪に、星を思わせるような金色の瞳。間違いない。
「お兄様っ!」
私は走って乱れた銀髪と薄紫色のドレスも直さずに、お兄様の元へ駆け寄った。両手を前に出すと、お兄様も両手を広げて迎え入れてくれる。
もうそれだけで、さっきまでの憂鬱が消えるようだった。
「どうでしたか? 私、上手くやれていまして?」
「まずはお疲れ様。嫌な場面にわざわざ立ち会わせてしまって、すまなかったね」
「そんなの構いませんわ。すぐに褒めてくださらない、ということは、失敗でしたの?」
不安げに見上げると、お兄様は「そういうわけじゃないよ」と優しく頭を撫でてくれた。その手つきで、髪が乱れていたことに気がついたが、今はそれどころではない。
では何が? と首を横に傾けた。
「まぁ、僕が考えていたシナリオ通りではなかったけど、フレデリカが側妃になったり、追放されたり……最悪なエンディングにならなかったんだ。それだけでも良かった、と思っただけだよ」
「ですが、お兄様の……その、シナリオ? 通りではなかったのでしょう?」
時々お兄様は、まるで脚本家のような表現をすることがある。なんでもお兄様は、ご自分が書いた小説の登場人物にテンセイしたのだそうだ。
主人公は残念ながら、先ほどパーティー会場で、ゼフェル殿下の腕の中にいた、マリエル・クレマン男爵令嬢。私は彼女に婚約者を奪われただけでなく、人生さえも滅茶苦茶にされる。いわば、マリエル嬢が幸せになるための悪役令嬢なのだという。
そんな理不尽な運命を、お兄様はまだ六歳にしか満たない私に語り、助言をしてくれた。
最初はゼフェル殿下との婚約を回避する方法。これは国と家同士の話であるため、回避できなかった。次に勧められたのは、退路の確保だ。
婚約を回避できない以上、私の未来はほぼ確定。仮にゼフェル殿下と親しくなることも勧められたが……。
(どうして、いずれ私を捨てる人と親しくなる必要があるの? 両親よりも、私の心配をしてくれる人が目の前にいるのに)
婚約者として王城に行くことがあれば、その日の注意事項を教えてくれて、上手い回避方法を助言してくれる。私のことが気に入らない令嬢からの嫌がらせも、同じ。どのように振る舞えば、どのような台詞を言えば、上手くやり込める。失敗することもない。
そう。お兄様は、常に私の味方なのだ。
(すぐに恋になるなんて、当然でしょう?)
だからお兄様に失望されたくはなかった。
「まぁ、お粗末なシナリオではあったかな」
「っ!」
「だけど向こうはフレデリカとの婚約破棄と、マリエル嬢との関係を公表したかったわけだけだから、諸々情報量が足りなくても、目標達成ってことで満足していると思うんだ」
「……つまり、どういうことなんですか?」
「説得力の欠けた発表が、どんな結末を生むのか分かっていないってことだよ」
私としては、ゼフェル殿下とマリエル嬢の今後など、まったく興味はない。幼い頃からの目標だった、ゼフェル殿下から離れることができたのだから。
けれどお兄様の関心は、私よりも二人の方にあるように感じた。
「フレデリカ? どうしたんだ?」
お兄様の胸に顔を埋める。
「大丈夫。フレデリカの身に、火の粉が降りかかることはないから。今日、ここに来る前に、そう言っただろう? 何事もなければ、向こうは勝手に自滅する、と」
「……そちらの心配はしていません。お兄様を信じていますもの」
するとお兄様の優しい手が、私の頭を撫でてくれた。けれど私の憂いなど、お兄様は気づいていない。
「あとは、おじさんたちにどう説明するかだね」
「……お兄様」
「なんだい?」
「帰りもエスコートしていただいてもいいですか?」
「勿論だよ。元々、そのつもりでいたからね」
さすがお兄様、と感心した。まさかとは思うけれど、今のこの状況までも予想していたのだろうか。嬉しくて、さらに抱きついた。
***
馬車に揺られること、三十分。これからお父様とお母様に、婚約を破棄された報告をするのに、お兄様が傍にいるだけで気分が沈むことはなかった。とはいえ、ウキウキした気分で帰るのは、不謹慎というもの。
それでも馬車の中にいる間だけは、楽しみたかった。
「お帰りなさいませ」
すでにゼフェル殿下との婚約破棄の知らせが届いているのか、フォートレル公爵邸の空気が重かった。出迎えも執事のみ。その執事から、「ご主人様から、執務室に来るように仰せつかっております」と言われ、そのままお兄様と共に向かった。
「失礼いたします」
お父様の執務室には、すでにお母様の姿もあった。二人は私と共にお兄様が入ってきても、疑問に感じた様子はない。むしろ、労うような声をかけた。
「テランス君。行きだけでなく帰りまで、感謝するよ」
「いいえ。僕はただ、付き添うだけで、何もできませんでした」
「そんなことはないわ。テランス君がいてくれたから、フレデリカも無事に帰ってきたようなものだし。だけどゼフェル殿下も困った方ね。何もご自身の誕生日パーティーで言うなんて……あなた、ちゃんと抗議してくださいね」
「待ってください。私の心は、最初からゼフェル殿下には向いていませんでした。そのことは、お父様もお母様も、ご存知だったはずです」
「フレデリカ……だけどね、私は」
お母様がさらに不満を口にしようとした瞬間、お父様が制止させるように手をあげた。
「やめないか。フレデリカの今の表情を見たまえ。傷つき、ショックを受けたような者の顔に見えるか?」
「……いいえ」
「無論、王家には抗議する。可愛いフレデリカに恥をかかせたのだから」
「お父様。それなら、この可愛い娘のお願いを聞いていただけますか?」
てっきり怒られるものだと思っていた私は、意気揚々とお父様の傍に駆け寄った。
「なんだい?」
「怒らないで聞いてほしいんですが」
「大変な目に遭ったフレデリカを、怒るわけがないだろう」
その言葉に、胸が熱くなった。今日はエスコートすらしてくれない婚約者の誕生日パーティーに出席して、負け犬のように逃げて帰って来たけれど、後ろにはお兄様がいて、代わりに怒ってくれるお母様がいる。
全然、力になってくれなかったお父様だけど、これでチャラにしてあげる。
「お兄様と結婚させてください」
「っ!」
「構わんが、ずっと兄と慕ってきたのだろう? てっきり、そういう感情はないと思っていたが……」
そう、お兄様は私の本当のお兄様ではない。名前はテランス・アングラード伯爵令息。お母様の兄の息子、つまり従兄弟なのだ。伯父様と一緒に我が家に来たり、お母様が里帰りする時に同行させてもらったりして、交流を深めていた。
だからお父様もお母様も、今ここにお兄様がいても、不思議に思わないのだ。
なぜか後ろから息を呑む声が聞こえたような気がしたけれど……うん、気のせいだろう。
「一応、婚約者がいた身ですから、公に気持ちを伝えたら、お兄様も困ってしまうでしょう?」
「まぁ、そうだが……」
お父様は視線を、さらに後ろへと向けながら、言葉を濁した。けれど私は逃がさない。クルッと体を半回転させ、お兄様に向き合う。
「まさかとは思いますが、ずっと気づいていなかったんですか? それとも気づかない振りをしていた、とか?」
「いや、そういうわけじゃないよ。ただおじさんと同じで、兄と慕ってくれていたとばかり思っていたから……」
「その中に、恋愛感情はない、と思っていたんですの?」
すると申し訳なさそうに、お兄様は頷いた。ならば私がすることは一つだけ。一歩、二歩と近づき、お兄様を見上げ、戸惑う金色の瞳を覗く。
「ふふふっ。お兄様、これからは覚悟してくださいませ。私、フリーになりましたから」
意気揚々とニンマリ笑う私と、冷や汗を垂らすお兄様。フォートレル公爵邸の執務室で、私はお兄様に宣戦布告した。
最後までお読みいただきありがとうございました。
テランス的には、可愛い従姉妹を助けていただけだったんですが、フレデリカは幼い頃からお兄様ラブ。
両親から見れば、それは微笑ましく見えたのかもしれません。
テランスにはその気がなかったから、余計に。
実際にはまだフリーになっていませんが、フレデリカには関係ないようです。
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