いきなりエンディング!? 勇者志望、ダンジョンを市場に変える
大迷宮の都リグラード――そう呼ばれていたのは、もう昔の話らしい。
王都から西へ馬で七日。
街道がぷつりと途切れ、乾いた草地の向こうに、石造りの街がぽつんと浮かんでいた。
「おお~~~!」
門が見えるなり、アルは荷台から身を乗り出した。
「来ましたよ! ついに! あの《リグラード大迷宮》ですよ! 冒険者たちの聖地ですよ!! 僕もついに冒険者デビューですよ!!」
「うるさい。句点を使え」
手綱を握るライネルが、額を押さえてため息をつく。
「いいじゃないの、夢くらい見させてあげなさいよ」
空を滑るように並走していたリュシエルが、翼をすぼめて笑う。
「元・聖地、だけどね」
「え、いま過去形入りました?」
アルの笑みが引きつる。
「……嫌な予感しかしないな」
ライネルの予感は、大体当たる。
石畳はところどころひび割れ、道沿いの家には〈売却〉〈貸店舗〉の札が目立つ。
大通りの真ん中には、豪華すぎる英雄像がそびえていた。両手に剣と魔導書、胸板は無駄に厚い。
「立派な像ですねぇ……」
「像だけな」
ライネルの視線の先、英雄像の足元には閉じたままの宿屋と、板で打ち付けられた酒場の扉。
通りを行き交う人影もまばらだ。
それでも石壁の一角、〈冒険者ギルド〉の看板だけは、まだ残っていた。
「よし! まずは登録ですね!」
アルが勢いよく扉を開ける。
カラン、と鈴の音。
中は、思った以上に静かだった。
広いホールにテーブルが数卓。
壁の依頼掲示板には、紙が数枚、寂しく揺れている。
カウンターの奥で、茶色い髪の受付嬢が頬杖をついたまま、ぼんやり宙を見ていた。
「すみませーん、新規登録を――」
「はいはい、登録ね。えっと、身分証と推薦状と、死亡時の連絡先……」
受付嬢は慣れた調子でしゃべりながら、顔だけ上げた。
そして、固まった。
「……え、新人?」
「はい! これでも一応、勇者志望です!」
アルが胸を張る。
隣でライネルが、こっそり咳払いした。
「志望を大きく強調しておいてくれ」
「え、ええと……その、そのですね」
受付嬢は台詞を失くした役者みたいに口をぱくぱくさせたのち、現実に戻った顔で言った。
「いまどき、この街で冒険者になりたい人なんて、まだいたのね……」
「まだ? まだってなんですかまだって」
「だって――」
彼女は、申し訳なさそうに肩をすくめる。
「リグラード大迷宮は、もう十年前に完全踏破されてます。いまはモンスターも罠も、ほとんど残ってません。探索依頼も、ほぼゼロ。残ってるのは、古い石と、たまに小銭を拾う観光客くらい」
「…………」
アルの笑顔が、ゆっくりと固まっていった。
「じゃ、じゃあ、あの最深部の魔竜とか、五層同時殲滅戦とか、英雄たちの死闘とかは……」
「全部、過去形です」
受付嬢が胸元から小さなペンダントを取り出す。
そこには、あの英雄像と同じ男の肖像画。
「父が、最後の攻略メンバーでした」
「お父様、伝説側の人!?」
アルは背筋を伸ばしてぺこりと頭を下げた。本人いないのに。
「それで、完全攻略してからは――」
「街は、こうなりました」
受付嬢がギルドの奥を指す。
ひっそりした酒場。
磨かれたまま埃をかぶるカウンター。
壁に掛けられた古い地図には、赤い印がびっしり。
その全てが〈踏破済〉の印だった。
「……なんか、冒険者デビュー前にエンディング迎えた感じなんですけど」
「派手な戦いは終わったのよ。残ったのは、行き場のない街と、やることのないギルド」
受付嬢の声は淡々としていたが、その奥に、悔しさが少し混じっていた。
「……ふーん」
隣で、アルが急に机に肘をつき、顎に手を当てる。
目が、きらきらしている。
「ねぇライネル」
「なんだ」
「モンスターがいない、罠もほぼ解除済み、構造調査も完了――」
「そう言っているな」
「つまり、安全で、涼しくて、頑丈で、広くて、上下に区画がたくさんある地下施設が、丸々余ってるってことですよね」
「その言い方だと、急に宝の山みたいに聞こえるのやめろ」
実際に見に行こう――というアルの一言で、一行はギルド裏口から迷宮入口へと案内された。
◇
重厚な石造りの階段を降りる。
ひんやりとした空気が頬を撫で、足音が壁に二度三度と跳ね返る。
「温度、一定ですねぇ……湿度も悪くない。夏は涼しくて、冬は暖かいタイプの空気ですこれ」
「感想がおっさんの倉庫管理人なんだよな」
ライネルがぼそりと突っ込む。
第一層。
かつて猛獣がうろつき、罠が冒険者の足をすくったという通路は――
「……何もないな」
本当に、何もなかった。
古びた松明台と、ところどころ壁に残る焼け跡。
ようやく残っていた罠は、「足を乗せるとバネがきゅぽんと鳴るだけ」という誰かのいたずら改造済み。
床には、昔のものと思しきチョークの印が残っている。
「こっち宝箱、こっちボスって……かなり親切ですね。攻略済みマップそのまま貼ってくれてたって感じですよ」
「だから誰も来なくなったんだ」
ライネルが肩をすくめる。
リュシエルは、翼をたたんで天井を見上げた。
「でも、柱も梁もまだ生きてる。魔力の傷も浅い。ここ、あと百年くらいは持つわよ」
「百年!」
アルが思わず声を上げる。
「百年も使える構造物放置してるとか、もったいなさすぎません? 地震にも強い。雨も風も届かない。棚板さえ置けば、なんでも置ける。ここに市場作ったら、絶対流行りますよ」
「市場?」
案内についてきていたギルド職員――壮年の元冒険者が眉をひそめた。
「ここは、血と汗と涙を流して攻略した戦場だぞ。屋台を並べる場所じゃない」
「血と汗と涙が流れたのなら、今度は水とお金を流しましょう」
アルの声は軽いが、目は真剣だった。
「役目を終えた剣は、壁に飾るだけが仕事じゃありません。刃を丸めて鋤に変えれば、畑だって耕せる。ダンジョンだって同じです。戦場の後始末まで含めて、僕たちの仕事だと思うんですよ」
元冒険者は、何か言いかけて、飲み込んだ。
◇
夕方。ギルドの会議室。
長机を囲むのは、ギルド長、数人の元冒険者、街の商人、役所の役人たち。
壁には、今は動いていない〈迷宮攻略状況板〉が寂しく掛けられている。
その前に、アルが立っていた。
「というわけで――《大迷宮再利用計画(仮)》のご提案です」
ぱん、と板書用の棒で図を叩く。
描かれているのは迷宮の断面図。
一層ごとに〈市場〉〈訓練場〉〈倉庫〉〈避難区画〉などの文字が踊っていた。
「第一層~第二層は地下市と夜市。
昼は市場、夕方以降は飲み屋と軽食。地上の空き家を減らす代わりに、地下に人を集めます。
第三層は訓練迷宮。元冒険者のみなさんを教官にして、実戦訓練コースを作る。
第四層以降は倉庫と、非常時の避難所に」
ギルド長が、長い白髭を撫でた。
「そう簡単に人が集まると思うかね。地上の商人たちは怒るぞ」
「怒りますね。でも、怒り方には順番があります」
アルはにっこり笑い、別の板を出した。
「まずは試験運用です。
第一層の一画だけをお借りして、一ヶ月の限定市を開きます。
出店できるのは――」
棒が、条件を書いた部分を指す。
「一、地上で店を維持できなくなった商人。
二、職人見習いで、まだ自分の工房を持てない人。
三、この街に住むことを約束する者」
商人の一人が手を上げた。
「安売り市を地下でやられたら、既存の店が潰れるじゃないか」
「だから、違う層にします」
アルはさらりと言った。
「地上の店は、高級路線と専門店。
地下の市は、小規模な屋台と新規参入。
価格帯と客層で棲み分けしてしまえば、ぶつかる部分は少なくなります」
「そんな器用にいくかね」
「いきません」
あっさり即答。
「だからこそ、見えるようにする必要があります」
板に、見慣れた言葉が並んだ。
一、売上・客数・事故件数は毎日掲示。
二、地下市の収支は、ギルドと街に同時報告。
三、階層ごとに白石/黒石で評価をつける。
「白石/黒石?」
「はい。役に立った/問題があったを、誰でも石一つで示せる仕組みです。数字が読めない人でも、白と黒の数くらいは数えられますから」
「また石か……」
ライネルが小さくぼやく。
セリアは隣でこっそりメモを取っていた。
(兄さまの石シリーズが、また増えましたわね……)
ギルド長はしばし黙していたが、やがて深く息を吐いた。
「――反対意見の者は?」
元冒険者の一人が、ゆっくりと手を挙げる。
額に古い傷が走る、中年の男だ。
「俺は、あの迷宮で仲間を失った。酒場に替えられるのは、正直、腹が立つ」
アルは逃げなかった。
「はい。腹が立つと思います。だから、一層まるごと――《追憶階層》として残しませんか」
「追憶階層?」
「そこだけは、昔のままの姿を保存します。英雄たちの記録、装備、当時の地図、肖像画。
若い冒険者志望が来たら、まずそこを見せる。ここがあったから今があるって、ちゃんと知ってもらうために」
中年の男は、唇をかみしめた。
「……あんた、ずるいな」
「よく言われます」
アルは笑った。
「いいじゃないですか、一層くらい。その代わり、他の層で街ごと稼ぎましょう。英雄の街が廃墟の街で終わるなんて、もったいないですよ」
会議室の空気が、すこしだけほどけた。
◇
一ヶ月後。
第一層の一画――かつてオークがうろついていたという広間は、すっかり姿を変えていた。
天井から吊るされた灯り。
壁際には小さな屋台が並び、パン屋、串焼き屋、古道具、錬金薬の試作品、見習い仕立て屋の服。
元冒険者のじいさんが、子どもたち相手に木刀の素振りを教えている。
「いらっしゃい! 冷たい地下水で冷やした果実酒だよ!」
「こっちは階段下の謎スープだよ! 安全だけど味は冒険だよ!」
「説明が不安でしかないんだけど」
ライネルは人ごみをかき分けながらぼやく。
「でも、賑わってるわね」
リュシエルが、楽しそうに翼をたたむ。
地上で店を維持できなかった商人たちが、地下で小さな店を出している。
地上では目立たなかった見習い職人たちが、自分の作った品を並べている。
入口には、透明板の〈本日の集計〉が吊るされていた。
来客数:三百二十七
事故件数:ゼロ(継続十日)
白石:七十二/黒石:四
「黒石四は?」
セリアが尋ねると、受付嬢――例の英雄の娘が答える。
「床がすべる、匂いがきつい、価格表示が見えにくい、元ボス部屋で鍋をやるなの四件です」
「最後のはもっともだと思う」
ライネルが即同意。
「改善案は?」
「床の敷物を変えて、魔道具で風を回して、値札を大きくして、元ボス部屋で鍋は禁止の札を立てました」
「仕事、早いわね」
リュシエルがニヤリと笑う。
少し離れた場所では、木製の仕切りで囲った訓練区画があり、若者たちが擬似罠や木製ゴーレム相手に汗を流していた。
その脇で、かつての英雄たちが指導にあたっている。
「……悪くないな」
中年の元冒険者が、腕を組んで呟いた。
「戦った場所が、次の世代を育てる場所になってる」
「それが、一番の供養です」
アルは湯気の立つ湯飲みを差し出しながら笑う。
「はい、お茶です。僕はあんまり戦いませんから、せめて場所くらいは整えないと」
「お前はほんと、茶と制度で世界を動かそうとするな」
ライネルは呆れながらも、湯飲みを受け取った。
◇
その日の夜。
元ボス部屋だった一角――いまは《追憶階層》の入り口に、静かな灯りがともっていた。
壁には、昔の仲間たちの名が刻まれている。
中央には、アルが書いた小さな札。
『ここで戦った人たちのおかげで、いまこの街は、雨風と物価と冒険者志望から守られています』
「最後の一行が余計ね」
リュシエルが小さく笑う。
でも、口元は悪くなかった。
◇
その頃――遥か東、魔王城。
暗い玉座の間で、一枚の報告書が静かに捧げられていた。
「《リグラード大迷宮 戦略価値・再評価報告》」
魔王の側近である宰相が、淡々と読み上げる。
「かつての攻略済み廃棄ダンジョンが、現在――
・地下市としての経済活動
・訓練場としての人材育成
・避難所としての防衛拠点
に再利用されつつあります」
玉座の上で、角を持つ影が目を細めた。
「……人間どもは、壊したものすら利用しようとするか」
「特に中心となっているのは、昼寝好きの貴族息子と記録されています。
名は、アルノルト・レーヴェルト」
宰相が報告書の末尾を指で弾く。
「努力しない勇者志望との噂も」
「努力しない、ね」
魔王は、くつ、と笑った。
「怠け者ほど厄介なものはない。自分が楽をするために、世界の形を変えようとするからな」
玉座の横の地図には、小さな赤い印が増えていた。
そのひとつ――リグラードの街に、黒い丸がつけ加えられる。
「要警戒対象に加えろ。世界を楽にしようとする者ほど、戦いを長引かせる」
「御意」
報告書が静かに閉じられた。
◇
そのころ当の本人は――
「アル、もう閉店時間だぞ」
「うん、じゃあ寝ます」
「ここで寝るな! せめて宿へ戻れ!」
地下市の片隅で、丸めたマントを枕にしようとしていたアルが、ライネルに引きずられていた。
「だって、地下って寝るのに最適な温度なんですよ……」
「知ってる。だからこそお前を置いていけないんだ」
リュシエルは二人を見下ろして、ふっと笑う。
「まあいいわ。この街が本当に最強の街になるかどうか――
その前に、あんたの睡眠時間を削る制度でも考えようかしら」
「それは全力で阻止します」
アルはきっぱりと言い切った。
「努力しないで回る街を作るのが、僕の目標ですから」
その目は、妙にまっすぐだった。
誰もまだ知らない。
この廃れかけた迷宮の街から、怠け者が設計した勇者時代が始まることを。




