嘘を食べる鐘と眠らない橋、勇者は上手に怠ける仕組みを作る
その村では、報告のたびに数字だけが膨らんでいた。
収穫高、納入額、被害件数、寄付金――。
帳簿はどれも立派なのに、倉庫は空っぽ。
紙の村と呼ばれ、人々は紙の上でだけ豊かだった。
村長は胸を張る。
「うちは繁盛してる。よそより立派だ!」
だが現実は、働き手は減り、畑は荒れ、子どもたちの靴底は破れていた。
そんな村に、アルたちは立ち寄った。
丘を越えた先に、場違いなほど立派な村門が立っている。
彫刻と金箔の看板には〈栄光の穀倉村〉の文字。
けれど、門の向こうに広がる畑は草だらけだった。
「……看板の方が立派ですね」
ライネルが小声で漏らす。
「虚飾の門。史書に出てきそうな名前だわ」
リュシエルが鼻を鳴らした。
アルは無言でしゃがみ込み、土をつまむ。
湿り気はなく、風にさらわれていくばかり。
「数字は豊かでも、土は飢えてる」
ぽつりとそう言って、村へと歩き出した。
◇
村長宅の壁一面には、整然と表が貼られていた。
「これが今年の納入実績。去年比、一五〇%増だ!」
村長が誇らしげに指さす。
けれど、窓の外に積まれた麦束は、たったの数本。
「この村の繁栄は、誰が数えているんですか?」
アルの問いに、村長の笑顔が一瞬だけ固まる。
「役所の者が毎月……いや、もう長いこと顔を見とらんがね」
紙の匂いと一緒に、部屋の空気が重く沈んだ。
アルは静かに言う。
「鐘楼はまだ残ってますか?」
「鐘楼? ああ、昔は鳴らしとったが……もう鳴らさんよ。村の誰も、真実を告げる鐘の音なんて聞きたがらん」
「じゃあ、鳴らしてみましょう」
アルは椅子を押しのけ、外へ出た。
鐘楼は苔むし、蔦が絡みついている。
かつて祈りを受け止めた鐘は、今や風鈴より軽い存在になっていた。
アルは古びた綱を握る。
乾いた麻縄のざらつきが、指先に残る。
呼吸を整え、目を閉じ――
――カーン……。
重い音が、村の空に転がった。
空気が震え、鳥たちが一斉に飛び立つ。
風がざわりと草を撫でた、そのとき。
広場に積まれていた帳簿が、まるで息を吸うように波打った。
書かれた数字がゆらぎ、薄く透けはじめる。
子どもが泣き出し、書記役の男は帳簿を抱えてうずくまり、村長は青ざめて立ち尽くした。
鐘の音が鳴るたび、紙に書かれた嘘が、少しずつ溶けていく。
風の匂いが変わる。
焦げたインクみたいな、現実の匂い。
「これが……嘘を食べる鐘」
リュシエルが小さく呟いた。
アルは淡々と頷く。
「鐘は正直だからね。紙より重い音を持ってる」
鐘が鳴り止んだあと、村には静けさだけが残った。
透けてしまった帳簿を前に、誰も声を出せない。
風がページをめくり、陽光が紙の裏側を透かす。
人々はようやく、自分たちの空っぽを見た。
アルは鐘楼の下で、村人たちを見渡した。
「嘘を罰するのは簡単です。でも、嘘をつかなくていい仕組みの方が、長持ちします」
棒で地面に線を引きながら続ける。
「これから――透明帳簿制度を作りましょう」
村人たちが顔を見合わせる。
「帳簿は、ガラス張りの箱に入れます。毎週の数字を透明板に書いて、広場に吊るす。
誰でも見られるけど、触れない。
書くのは三人一組。計算役・確認役・鐘役」
「鐘役……?」
「嘘が混じったと思ったら、鐘を鳴らす係です。それが修正開始の合図になる」
ライネルが腕を組み、唸る。
「……つまり、嘘に気づいたとき、鳴らせる勇気を制度の中に組み込む、ということか」
「そう。人間は完全じゃないからね。嘘をゼロにするより、嘘が見える仕組みの方が誠実なんです」
その言葉のあと、村に夕陽が落ちた。
鐘楼の影が長く伸び、透けた帳簿をやさしく包む。
村人たちは手を動かしはじめた。
透けた帳簿を束ね、新しい透明板を吊るす。
ガラスみたいに光る数字たちが、風に揺れた。
――カン……。
鐘がもう一度、優しく鳴る。
今度は濁りのない、澄んだ音だった。
その日から、村には「鐘の日」が生まれた。
誰かが嘘をついたら、鐘を鳴らす。
罰ではなく、訂正の音として。
新しい帳簿を抱えた村長は、少し照れたように笑う。
「あなたのおかげで、嘘が減りました」
アルは首を振った。
「いいえ。嘘が鳴るようになっただけです」
セリアが手帳をめくり、細字で記す。
観察:
兄、鐘と透明板で村の監査制度を再構築。
行動前の思考時間=昼寝一時間。
評価:発想は怠惰、結果は精密。意味不明。
ライネルは苦笑を浮かべた。
「……お前の兄さま、もう一国くらい動かせそうだな」
「そうなったら、父上の胃が持ちませんわ」
セリアが淡々と返す。
夕陽の中、鐘の音がもう一度、遠くで響いた。
それは、人が誤魔化さなくてもいい世界への、最初の音だった。
◇
その橋は、昼には立派で、夜には崩れた。
だから村人は「橋が眠らぬ」と呼んで恐れていた。
渡るたび、真夜中になると板が割れ、杭が抜け、翌朝には職人が修繕する。
直しても、祈祷しても、結果は同じ。
何十人もの職人が頭を抱えた。
「まるで呪われた橋だ」と噂され、村は孤立していた。
そんな橋を前に、アルたちは立っている。
川面が夕陽を映して赤く揺れていた。
橋は白木造りで、見たところ欠陥はない。
風にきしむ音すら、心地よく感じるほどだ。
「……見た目は完璧ですね」
ライネルが板を叩く。
「昼はね」
リュシエルがつぶやく。
「夜になると、どこかの仕組みが狂うのよ」
「仕組み……」
アルは川の流れを見つめながら呟いた。
「夜だけ壊れるってことは、人が見てない時にだけ本性を出す構造なんだ」
セリアが頷く。
「つまり、昼と夜で状態が変わる材質か、負荷の方向が違う」
「そう。じゃあ――寝ずに観察すれば、わかるかも」
「……また寝る気でしょう」
ライネルの即ツッコミに、アルはにっこり。
「寝ながら見るんです。橋の音を聞くには、耳が静かじゃないと」
◇
星が昇り、風が止む。
焚き火のそばで、アルは横になったまま川音を聞いていた。
セリアは手帳を開き、リュシエルは宙に浮かんで月を眺める。
ライネルだけが、警戒の姿勢で立ち続けていた。
「……アル。寝てるんですか」
「半分」
そのとき――カシン、と小さな音。
橋の中央部が、わずかに沈んだ。
すぐに、支柱の片側がぐらりと傾ぐ。
「崩れるぞ!」
ライネルが駆け出した。
だがアルが、手を伸ばす。
「待って。崩れてるのは下じゃない。上だよ」
リュシエルが目を細め、魔力で橋を照らす。
月光の下、梁がきしみ、接合板が片側だけ外れていた。
釘の頭は、すべて外側に出ている。
「……おかしいですね」
セリアが呟く。
「橋の設計では、内側から打つ釘が安全基準です。外から打つと、温度差で木が縮む夜間に抜けやすい」
「つまり――設計図の反転ミス」
ライネルが呻く。
「施工図を鏡写しで刷って、そのまま組んだんだな……!」
アルはのんびりと頷いた。
「夜だけ壊れる理由、それですね。日光で木が膨らむ昼は噛み合って、夜は縮んで緩む。壊したのは呪いじゃなくて、昼と夜の温度差」
リュシエルが指を鳴らすと、外側の釘がすべて抜けて宙に浮いた。
セリアが図面を書き直し、ライネルが内側から打ち直していく。
「梁を反転、継ぎ目を締め直す……これでよし」
「今度は夜でも、眠らせないぞ」
アルが橋の端で頷く。
「いや、眠らぬ橋のままでいいんです」
「は?」
ライネルが振り向く。
「眠らないってことは、見張ってるってこと。
この橋が崩れたおかげで、村は嘘をつけなくなった。
夜にだけ見える間違いって、一番正直な真実だから」
沈黙。
風が流れ、橋は静かに鳴った。
今度は崩れる音ではなく――木が生き返るような音だった。
◇
翌朝、村人たちは目を丸くした。
夜が明けても、橋は無傷。
その上に掲げられた看板には、〈昼も夜も働く橋〉の文字と、アルの落書きが添えられていた。
リュシエルは呆れ顔で笑う。
「……働く橋って、人のことも言ってるでしょ」
「まぁ、ちょっとだけ」
アルが伸びをする。
「でも僕は、寝ながら働く派ですから」
セリアが手帳にさらさらと書き込む。
観察:
・兄、寝ながら構造欠陥を発見。
・原因=設計図反転。修繕指揮も的確。
評価:知識運用は完璧。努力ゼロ。やはり意味不明。
ライネルが苦笑しながら橋を渡る。
「……せめて、寝る前に飯くらい食え」
「食べたよ」
「いつの間に!」
「夢の中で」
笑い声が朝霧に混じり、
眠らぬ橋は今日も静かに光を浴びていた。
◇
夜明け前。
焚き火の火が細く揺れ、灰の中に赤い光が点々と残っていた。
セリアは膝に手帳を置き、静かにペンを走らせていた。
《報告・その六》
一、嘘を食べる鐘:虚偽報告の防止。
二、眠らぬ橋:設計図反転ミスの是正。
共通項:人の怠慢による損失を、手順と公開で抑制。
書きながら、彼女は首をかしげる。
「兄さまは怠け者のはずなのに、怠慢を治す仕組みばかり作ってます……矛盾してません?」
焚き火の向こうで、アルは寝転がったまま空を見ていた。
「矛盾してないよ。怠け者だからこそ、怠けても回る仕組みを考えるんだ」
ライネルが目をこすりながら近づく。
「……朝っぱらから、また妙な理屈を」
「理屈じゃないですよ、ライネル。構造です」
「構造?」
「世のトラブルの八割は、誰かがサボるか、分かってるのに面倒で放置した結果。
なら、サボっても動く制度を作ればいい」
「……言い方を変えれば、人間を信用していない制度だな」
「違います。人間を理解してる制度です」
セリアがページをめくりながら促す。
「では兄さま、その考えを整理して。構造改革三原則として」
「え、名前もう決まってるの?」
「あなたの怠惰は、制度的に整理が必要ですから」
アルは顎に手を当て、少しだけ考えて――すぐに指を一本立てた。
「第一原則。『見えることは怠けない』」
リュシエルが笑う。
「透明帳簿のことね?」
「そう。人は監視されてるより、見られるかもしれない方が正直になる」
「第二原則。『繰り返すことは自動化せよ』」
セリアがペンを走らせる。
「橋の釘を夜ごと打ち直すより、昼夜に耐える設計を先に作る――そういうことですね」
「そう。努力を続けるより、努力が要らなくなる構造を作る方が賢い」
「そして第三原則」
アルは空を見上げて、軽く笑った。
「『嘘と眠気は、休ませればだいたい治る』」
「……どういう意味だ、それは」
ライネルが眉をひそめる。
「働きすぎも、焦りすぎも、視野を狭めます。
制度を作る側が休まなければ、制度も壊れる」
「つまり……」
セリアがまとめる。
「兄さまの改革三原則はこうですね」
一、見えることは怠けない(透明化)
二、繰り返すことは自動化せよ(恒常設計)
三、嘘と眠気は休ませれば治る(制度の柔軟性)
「うん、いい感じ。眠気のところは、ちょっと削ってもいいけど」
そのとき、野営地の先で村人たちが集まっているのが見えた。
「夜のうちに家畜小屋が壊れたんだ!」
「修繕を頼んでも、職人が逃げた!」
ライネルが立ち上がる。
「またトラブルか……」
「三原則、試すチャンスですね」
アルが笑い、木片と縄を拾い上げる。
「壊れた場所を書いて貼っておく。
見えるから怠けない。
壊れるたびに直すのは面倒だから、柱を丸太一本にする。
繰り返しが減る。
疲れたら寝る。
――それで明日も立ってますよ」
村人はぽかんとしていたが、翌朝には本当に小屋は壊れず、作業の手間も半分になった。
セリアは呆れながら書き留める。
観察:
・兄の怠け者設計は、合理的構造改革の雛型。
・言葉の九割は胡散臭いが、結果は確実。
評価:人類型仕組み改良装置。放置危険。
その報告は、すぐに広まった。
◇
魔王城の宰相は、報告書を読みながらつぶやく。
「『見えることは怠けない』、か……。人間どもが作った制度にしては、実に理性的だ」
玉座で頬杖をついた魔王は、薄く笑った。
「怠け者の息子が、国を怠けさせない仕組みを作るとはな。面白い。
取り寄せろ――透明帳簿の鐘と、眠らぬ橋の図面を」
◇
その夜。
アルは焚き火のそばで、リュシエルの膝を枕にして寝転んでいた。
「なぁリュシエル。僕の三原則、どれが一番大事だと思う?」
「どれでもいいわ。あんたが寝てても回るなら、それで正しい」
「それ、褒めてる?」
「ええ。最高に怠け者らしいわ」
風が焚き火の灰をさらい、星が瞬く。
アルは笑って呟いた。
「――努力しないで世界が回るなら、それが勇者の仕事だよ」




