どこの世界でもいい加減な仕事は不正よりもたちが悪いのです
丘道の先で、砂埃がゆれていた。
四頭立ての荷馬車。十数人が取り囲み、怒号が風に削られていく。
「あれは微税人の馬車ではないか……」
ライネルが柄に手を添える。「襲えば死刑だぞ……」
リュシエルが翼を半ば広げた。
「援護するわ。あの太鼓腹、金切り声で“始末しろ”って叫んでる」
「――うるさい」
リュシエルの一喝が空気を割り、微税人は喉を詰まらせた。
「待って、リュシエル」
アルが両手を広げ、一歩前へ。
「その人たち、悪人じゃないよ」
「あにさま、前に出るのは――」セリアの制止は半歩遅れる。
ライネルは歯噛みしつつ、いつでも飛び出せる距離を保った。
アルは盗賊たちの前に立ち、笑う。
「話、聞かせて」
先頭の痩せた男がためらい、拳がわずかに開く。
「……俺たちは盗むんじゃない。取り返そうとしたんだ……」
「もう少し、詳しく」
男は荷馬車を振り返る。帆布の隙間から、干し肉の束・種袋・布包み。
太鼓腹の微税人が喉を鳴らす。「そっ、それは未納の追納である! 王令で――」
「その王令の文書番号と、決裁者名を言える?」アルが淡々。
「そ、それは……」
リュシエルの冷気がひと刷け。微税人の声はキィ、と氷の音で止まった。
痩せた男がぽつりぽつりと継ぐ。
「去年の水害の免税状があった。なのにこの役人が“特別徴収”だって、村の婚礼の持参金まで積ませた。種もみまで、だ。……春が死ぬ。だから、取り返すって決めた」
セリアが通行証をちらり。
「免税状の年月日と印は?」
「去年の黒月、村印は三ツ柏。役所の印は……欠けてた」
セリアは頷き、手帳にさらさら。
「印影欠損は無効の可能性。黒石」
ライネルが低く続ける。
「王令では“非常災害免税”の間、徴税は現物じゃなく記録で受ける。種もみ徴収は違法だ。……だが、だからといって暴力で奪えば山賊と同じ理屈になる」
「うん」
アルは荷台によじ登り、帆布を大きくめくった。嫁入り道具の箱、子どもの服、古びた鍋。
「証拠がある。なら、手順を作ろう」
「手順?」男が眉をひそめる。
「現場査定の公開審問。ここでやる。白石/黒石で早決。
村から代表三名、こちらから三名、道中の旅人一名を“第三者”に。
『種もみ・婚礼金・必需品』は黒石で即時返却。
納める品は『余剰・贅沢品』に限る。白石なら積み直して持っていっていい」
ざわめき。旅人たちが行列から顔を出し、石を拾う。
セリアが無言で石の桶をこしらえ、リュシエルは“念のため”と金貨一枚を微税人の前にカンと置いた。
「それ、保証金。黙って見てろの料金」
微税人は額に汗を浮かべ、頷くしかない。
審問は速かった。
種袋=黒石。嫁入り箱=黒石。干し肉=半分黒石(冬の備え)。毛皮=白石(納めても良)。酒樽=白石(ただし一本は祝いに残す)。
セリアがまとめる。
「結論:徴収は過剰。返還を命じます。
ここに第三者立会い印。村代表、旅人代表、そして……勇者アル」
「勇者さま!」誰かが先に言う。
アルは苦笑いしつつサイン――というか、でかい丸を描いた。
痩せた男が深々と頭を下げる。
「助かった。盗賊から自警へ、俺たちも切り替える。……筋を通すために」
「いいね」
アルはにっこり。
「肩書は取り返し屋。不当徴収の返還請負。武器はしまって、書類で闘う。旅人の荷も守れるし、訴状の書き方は……セリアが教える」
「勝手に私を巻き込まないで。……文案は用意します」
ライネルが微税人に向き直る。
「お前はこの現場記録とともに役所へ戻れ。始末書を書け。印影の再鑑と名寄せ帳の写しを三日で返送しろ。遅れたら職権停止だ」
微税人は蒼白のまま、ぶんぶん頷いた。
風が変わり、荷馬車の帆がふくらむ。
「はい、お茶!」
「場が締まるの、毎回それね」セリアが半眼。
「事実、落ち着く」とリュシエルは湯気をすする。
ライネルは空を見た。「……胃薬は後で」
痩せた男――もと盗賊、今日からは取り返し屋の親方――が照れくさく笑った。
「勇者アル、借りができた。道で困ったら、俺たちが証人になる」
“悪人”という言葉が、ほんの少し、軽くなる方向へ。
「ねぇ君たちの村に寄らせてもらえないかな?」
親方は即座に頷く。「もちろんです、勇者さま。みんな礼を言いたがってます」
「あにさま、街へは?」とセリア。
アルは少しだけ真面目な顔をした。
「気になることがある……さっきの荷の種もみ、袋が三種類あった。三ツ柏・二ツ柏・無印。
印がバラバラってことは、村が誰かに“分割”されてる可能性がある。分割されると免税が帳簿上で消える。……誰かがわざとやってる」
セリアの目が細くなる。
「村名分割。古いやり口。現地で印影と名寄せ帳を照合しましょう」
リュシエルは爪を見て肩をすくめた。
「行くならさっさと。退屈は敵」
「退屈してないだろ、毎回爆破してるのに」ライネルが即ツッコミ。
夕刻、村の木柵が見えた。
藁屋根の軒に空になった穀袋、井戸端では花嫁衣裳の帯が結び直されている。
「戻ったぞー!」親方の声に、人々が集まった。
アルは帆を上げ、返還分をひとつずつ手渡していく。
「これは黒石分。必需品。すぐ返します」
「婚礼金は花嫁のもの。返します」
「干し肉は半分返還。冬の備えだよ」
泣き笑いが落ち着くのを待ち、セリアが前へ進む。
「公開確認をします。村印の現物を。『三ツ柏』『二ツ柏』『無印』、押印の日付も」
古い木箱から印台と古綿。セリアは薄紙で拓本を取った。
「ふむ……三ツ柏=本印。二ツ柏=欠け印。無印=私印。役所に出ているのは“二ツ柏”のほう。意図的に欠けを使っている可能性が高い」
「つまり帳簿上は小村に分割され、免税が切れていたわけだ」ライネルが腕を組む。
アルは頷き、村長の手をそっと包んだ。
「帳簿の“名前”で、現実の“腹”が空く。それは嫌だ。だからここに村の掲示板(白黒板)を作ろう。
毎週の出入り(収入・支出・徴収)を白石/黒石で貼る。旅人一名に“第三者役”をお願いして印をもらう。
見える化すれば、分割の嘘はすぐバレる」
「旅人の目、か。俺たち取り返し屋の見張りにもなる」親方がうなる。
「相互監視は善」セリアは即メモ。
「掲示板には名寄せ帳の写し常備、第三者印の偽装=罰金二倍と但し書きも」
リュシエルは退屈そうにしながらも、無限カバンから板・釘・油紙を出した。
「雨に強い掲示板にしなさい。……褒めてもいいわよ?」
「今日も最高だよリュシエル。板より君の横顔がまっすぐ」
「っ……(視線が泳ぐ)」
「毎回照れるな」ライネルはぼそり。口元だけ緩む。
アルは最後に子どもたちへ向き直る。
「石、拾っておいで。白いのと黒いの。一人三つ。大人の数字は嘘をつくことがあるけど、石の数は嘘をつきにくいからね」
子どもたちが駆け出す。村長は深々と頭を下げた。
「勇者アル……いや、アル殿。ここまでしてもらって、どう礼を――」
「ごはん食べて、よく寝てください」
アルは湯気の立つ急須を掲げ、にこり。
「それがいちばんの礼です」
夜。新しく立てられた掲示板に、最初の白石と黒石が並んだ。
『返還:種もみ=黒石/婚礼金=黒石/毛皮の納め=白石』
旅人の印が月明かりに小さく光る。
セリアは焚き火のそばで短くまとめた。
> 観察:
> ・“村名分割”の悪用を疑い、公開帳簿+第三者印で対抗。
> ・兄、努力はしていないが、人の手を最短で正しい位置に置く。
> 評価:効率的。意味はやはり不明。
閉じた手帳の上に、アルがお茶を置く。
「温度、合格」セリア。
「味も、悪くない」リュシエル。
「それなら、今夜は眠れる」アルが笑う。
そのとき、アルの古書の余白が薄く滲んだ。
《雑な帳簿は、眠りを盗む》
ライネルだけがそれに気づき、そっと胃を押さえた。




