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川は曲がる、妹はついてくる

 山あいの村に着いたとき、空は晴れているのに、家々の柱には泥の線が残っていた。

 低い所ほど濃い。そこが水の高さだったのだと、無言の印が語る。

「大雨のたびに川が氾濫して、家も畑も流されるんです!」

 声に泣く力はもう残っていない。

 ライネルが川べりに膝をつき、土を握った。

「護岸や堤は年単位だ。資材も人手も足りない」

 ため息が風みたいに往復する。

 アルは地形図を逆さに眺め、首をかしげた。

「ふむ……じゃ、川の流れを変えちゃおうよ!」

「言うのは一秒、治水は百年だ!」ライネルの叫びが谷に跳ね返る。

「そんな大工事、どうやって……」村人は呆然だ。

「ほら、この丘の肩――昔の側流跡が残ってる。ここ、低いよ。水、行きたがってる」

 アルが指した先に、草の色がわずかに違う筋があった。

 リュシエルが前髪をかき上げ、ため息を一つ。

「しょうがないわね。どきなさい」

 彼女は指を鳴らし、黄金の瞳を細める。

「氷の楔、三つ――表土は残す」

 空気がきん、と張った。

 次の瞬間、山肌がえぐれない。代わりに、見えない楔が地中に刺さり、古い溝の詰まりだけを割る。

 木は立ったまま、岩は歌い、土がゴゴゴと喉を鳴らして、眠っていた筋が息を吹き返した。

 細い水筋が、ためらいがちに、しかし決めたようにそちらへ傾く。

「……動いてる」

 小川はやがて筋を太らせ、旧河道の泥を洗い、新しい川筋へと身を翻した。

「自然じゃねぇぇ! 竜の力だぁぁ!」ライネルは額の汗を拭きつつ、半分歯ぎしり。

「今回は元の流路を起こしただけだ。基盤岩は動かしていない。二度はやらない。地脈が怒る」

 リュシエルは先に釘を刺す。

 アルは川面をのぞいて、目を細めた。

「いやぁ~自然ってすごいなぁ。水、ちゃんと下に行くんだね」

「水はだいたい下に行く!」ライネル即ツッコミ。

 どよめきが、やがて歓声に変わった。

「洪水の恐れが減った!」

「勇者様が川を……!」

 リュシエルは涼しい顔で爪を磨く。

「褒めてもいいのよ?」

「今日も最高だよ、リュシエル。川より君の髪がさらさら」

「……っ(耳まで真っ赤)」

 ライネルは咳払いして現実に引き戻す。

「流路が変わっても運用が要る。旧河道は遊水地に、柳を土手に植える。護床は川石で敷き直し。

 月一の草刈り/出水後の土砂吐き/柳の伏せ木は春先――板に書いて掲げるぞ」

「名前をつけよう!」と村人。相談は一瞬で終わる。

「この川を――正式名:曲川まがりがわ、通称:アル川!」

「え、僕の名前? 恥ずかしいな」

「当然でしょ、アルのひとことで世界が曲がったんだから♡」リュシエルが肩を寄せる。

「……胃薬をくれ」ライネルは空を見た。


 夕方、柳の若木が等間隔に差され、子どもらは泥の中で笑う。

 アルは湯を沸かし、みんなに茶を配った。

「はいお茶。川ってね、見てると眠くなるんだ」

「眠る前提で語るな」


 日が落ちるころ、旧河道には最初の小さな池ができ、どこからともなく鴨が二羽、浮かんだ。

 リュシエルは満足げに鼻を鳴らす。

「ねえライネル」アルが言う。

「明日は橋もかけよう。丸太二本を三点固定、親柱は柳で根張り補強――」

「図は俺が描く。お前は寝る前にだけ発想を出せ」

「うん。寝るのがいちばんひらめくからね!」

「最後の一行が余計だ!」

 笑い声が谷に広がる。

 川は曲がり、村の運命も、少しだけ曲がった。


 その夜、アルの古書の余白が、薄く滲む。

 《水は低きに眠り、人は約束に眠る》

 焚き火を見張っていたライネルだけが、それを見て胃を押さえた。


 王国軍幹部グラウヴァルトの執務室に、家臣が駆け込む。

「ご報告! アルノルト様が竜を従え、盗賊団を改心させ、井戸を蘇らせ、牧畜を始め、川を曲げました!」

「……は?」父の眉が不自然な角度で止まる。

「あのバカ息子が?」

「はい。村人からは勇者アルと」

「なにやってんだあいつはぁぁ!」

 机上の地図に、新しく白い糸が伸びている。

「監視役ライネルを付けておいたのに。くそ、あの真面目戦士め、胃を壊して倒れてるに違いない」

「倒れてはおりませんが、しきりに胃を押さえているとの噂です」

「知ってる!」

「セリア。お前が見に行け。兄がまた馬鹿やって死なれても困る」

「……承知しました」

(内心:あにさまがまたとんでもないことを――ちょっと楽しみ)

 黒い封蝋の通行証が手渡され、セリアは踵を返した。


 丘を越えた先、川が曲がっていた。柳の若木、遊水地、泥の足跡。村は笑っている。

「あにさま……やっぱり無茶してたわね」

「おお、セリア! 久しぶり! 元気だった? ほら、リュシエル! うちの妹だ!」

「……妹? へぇ……」リュシエルが横目で値踏みする(妙にライバル視)。

「やっと常識人が来てくれた……!」ライネルの肩から重荷が三つ落ちる音がした。

「じゃーん、紹介するよ! この子はリュシエル、すっごいんだ! 竜なんだぜ!」

「……へぇ。あにさま、ペット飼ったんだ」セリアはにこやか、瞳は冷たい。

「……(ぴくり)……今、何と?」リュシエルの耳が赤くなる。

「ペット。大きくて手間はかかるけど、頭は単純そう」

「ふ、ふんっ。あにさまって何よ? あなた、この娘は何者?」

「妹のセリアだよ。可愛いだろ?」(にこにこで油を注ぐ兄)

「可愛い? この小娘が?」

「小娘……ですって?(にっこり)兄をたぶらかす不審者が何か言った?」

「アンタ、あたしの晩御飯になりたいの!」(黄金の瞳ギラリ、見えない尾がバシン)

「……ドラゴンスレイヤーは、強者にとって最大の名誉」(さらりとナイフ、瞳は氷)

「なにおおっ!?」

「兄を惑わす不審者なら、この場で名誉をいただくわ」

「ふざけるな! 兄を守るのはわたし!」

「……その言葉、妹の前で言えるのかしら?」

「おお~、なんか二人ともすごく仲良くなってるなぁ!」

「どこがだバカぁぁぁ!」ライネルが二人の間に体を入れる。「火花見えてる!」

「はいはい、お茶どうぞ~」アルが湯を配る。空気が一段落ちる。

「……落ち着く」リュシエル。

「事実、落ち着く」セリア(不承不承)。

 セリアは刃を納め、リュシエルは爪を引っ込める。

「兄の前でだけ、刃は収める」

「じゃあ、爪も。」

 夜、焚き火の明かりで、セリアは短い報告を書く。


> 宛:父上

> 兄は依然として努力していません。

> しかし、なぜか人も竜もついてきます。

> 評価不能。


 封をする前に、一行だけ追記する。


> 追記:胃薬をライネルに支給願います。


 翌朝、報告を受け取った父は机を叩いた。

「評価不能ってなんだ……! どうなってんだ、あのバカ息子……」

 それでも――地図の白い糸を、彼は指先で一度だけ、やさしくなぞった。


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