敵を味方にする交渉術、枯れた井戸はドラゴンが叩けば水びたし
森が道を飲み込みはじめたころ、低い口笛が三度。
茂みから三、木陰から十――包囲は悪くない。
「金目の物を置いてけ!」
片目の大男――頭ガロ。
縫い手袋の女――ミナ。
枝に止まる鳥みたいな少年――チト。
剣の錆じゃなく、腹の音がする連中だ。
ライネルが半歩前に出て、柄に指をかける。
「下がれ、アル」
「第二章。剣を抜く前に口を開け」
アルは古書を抱え、笑って一歩。
「ガロ、肩。斧投げの可動域、出てる」
ぴくり。
「ミナ、その縫い、逆返し。切れにくい」
眉が跳ねる。
「チト、風下。気配の流し方が上手い」
目が合う。
「……何者だ」
「寝て強くなる系の勇者見習い」
「系ってなんだ」
ミナが鼻で笑う。
「褒めて油断させる? 安い手ね」
「安くない。期待が乗るから高い。――提案、三つ」
アルは指を三本立てた。
「一。護衛は前金じゃなく歩合。『盗賊が出なかった日』が稼ぎ日。証拠は見回り日誌。チト、字は?」
「……少し」
「書記、決まり」
「二。隣村の畜産と保存食を回す。自警団に定期配給。空腹に剣は持たせない」
「三。赦免の枠。初犯は不問、以降は働きで返す。ギルドの臨時治安協力書で正面から名乗る。条件は三つだけ――
〈村から盗まない/仲間から盗まない/夜に酒を飲まない〉」
カン、と金貨が一枚、土に跳ねた。リュシエルが指で弾いたやつだ。
「最初の一枚は保証金。次が欲しければ、記録と評判で取りに来い」
小さな音が大きく響いた。分配じゃない、担保だ。
ガロの喉仏が揺れる。
「……俺たちを、信用するのか」
「信用は過去、期待は未来。俺は未来贔屓」
「三日だ。盗みゼロ、見回り六回、護衛二件。できたら……頭は降りる」
「頭は今はいらない。重いから。――頭は村。みんなで持てば軽い」
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その夜、村の広場。アルは石板に大書きした。
> 臨時治安協力書(草案)
> ・三原則:村から盗まない/仲間から盗まない/夜に酒を飲まない
> ・支払い:見回り・護衛の実績に応じ歩合
> ・監督:ギルド暫定枠 違反→通報/出禁+罰金
> ・合意方法:白石/黒石による投票
――コトン。最初の白石。
次いで、コト、コト、コト。白が音で増える。
結果:白、過半。
ガロは帽子を取り、深く頭を下げた。
「三日、働く。結果で喰う」
ライネルが低く言う。
「金で殴らず、仕組みで繋いだな」
「殴るって言い方やめよう。肩書と記録とごはんで繋いだだけ」
「それを世間では社会契約という」
リュシエルが横目で促す。
「褒めは?」
「もちろん。ガロ、引き際を言える頭は希少。ミナ、縫製はギルド工房で試して。副業になる。チト、今夜のルート、風下に二つ折って。匂いで狼が避ける」
三人の顔に、初めて誇りが射した。
ミナは看板の端に宵星の三本線を刻む――三原則の誓い印。彼女の手袋の甲にも、ちいさく同じ印。
夜更け、アルの古書の余白がほんのり滲む。
> 《約束で結んだ群れには、眠りが戻る》
それに気づいたのは、焔を見張っていたライネルだけだった。
――一日目。白石の音が増え、犬が焚き火のそばで丸くなる。
――二日目。掲示板に日誌。誤字だらけだが、「チト」だけは綺麗。
――三日目。酒場は静かで、外にいびき。夜明け、街道の薄紅。
三日後。掲示板に、拙いが整った見回り日誌が三枚。
行商の婆さまが笑う。
「若い衆が荷車押してくれてねぇ。銅貨三枚、余分に払ったよ」
ガロは広場で斧を地に置いた。
「……頭の椅子、いらねぇ。俺は巡回隊長だ」
「いい名乗り」アルは頷く。
「縫製、村の鎧も見る。銭は相場で」ミナ。
「日誌、毎晩つける。字、練習する」チト。
リュシエルが金貨をごく少し置く。
「初月の基本給。あとは自分で稼ぎなさい」
ライネルが息を吐く。
「……アル、今回は褒めてやる。社会を一個、動かした」
「えっ褒められた! じゃあ昼寝――」
「今はするな!!」
---
昼下がり。
「宵の見張り」が見回りへ出るころ、村長が渋い顔で指さす。
「……井戸が、枯れた。去年から雨が減り、地下水脈が切れたらしい。畑が干上がる」
空気が重くなる。
ライネルは井戸の底を覗く。
「浅い。壁も崩れてる。掘り直すなら人手と時――」
「面倒」
リュシエルが割って入る。「下がって」
彼女は井戸の縁に片手を置き、黄金の瞳を細めた。
「音が、眠ってる」
ひゅ、と空気が締まる。
「氷で、起こす」
地の奥で――バキン。
続いて、低く長いゴウ。
冷たい息が井戸口から昇り、次の瞬間――水柱。
「うおおおおお!」
歓声。石の縁を越えた水が土を濡らし、小魚が光に跳ねた。
リュシエルは無限カバンから金貨を数枚、村長へ。
「修繕費。壁を積み直して水番を。――二度はやらない。同じ流域で続ければ、別の井戸が痩せる」
「宵の見張り」は桶と板を担ぎ、溝切りに散った。
ミナは縄で畦を締め、チトは風下で土の匂いを嗅ぎ分ける。
ガロが肩で笑う。
「巡回のついでに水位も見張るさ」
「アル、お前は何もしていない」ライネルが眉間を押さえる。
「したよ?」
アルは湯気の立つ茶を配りながら首をかしげる。
「お祈りと、昼寝の提案」
「提案って言わない!」
それでも、茶は空気をやわらげた。
村人は手を止めて湯飲みを受け取り、リュシエルは香りを嗅いでから一口。
「……悪くない」
「だろ?」
「うるさい」
夕暮れ。井田に水が満ち、土の匂いが戻る。子らの歓声が畦道を走り、老人は両手を合わせた。
「勇者様、どう恩を返せば」
「ごはんを食べて、よく寝てください。それがいちばん」
「結局そこに戻るのか……」ライネルが肩を落とす。
「うん。やっぱり寝るのが一番だな!」
「解決したのは竜の魔法と人の手間だ!」
リュシエルが頬の熱を風で冷まし、囁く。
「――褒めて」
「今日も最高、リュシエル。水、きらきらで君みたいだった」
「……っ。ま、まあ当然よ」
こうして、枯れた井戸に水が戻り、村に夜の眠りが戻った。
努力はやっぱり最低限。けれど、仕組みと人と少しの魔法で、世界はまた少し良くなる。




