努力しない勇者、紙で監査官を黙らせる
翌朝。
ギルド本部の一階ホールは、いつもより静かだった。静かすぎて、書類棚の紙の端が鳴る音まで聞こえる。
受付前のカウンターに、セリアとフィオナが並ぶ。
フィオナは板を抱えたまま、すでに「来訪者記録」の欄を開いていた。
扉が、ガチャリと開く。
入ってきたのは三人。
中央に、灰色の外套を纏った男。背筋の通った歩き方が、剣より先に権限を名乗っている。
左右に二人――護衛に見えるが、動きが硬い。護衛というより監視の足運びだった。
「勇者ギルド、樹石連都アルネリア支部。ギルド長は在席か」
男は名乗る前に、言い切った。
セリアが一拍置いて、柔らかく会釈する。
「おはようございます。ご用件を伺ってもよろしいでしょうか」
男は胸元から薄い札を出した。
金ではない。金属でもない。紙と印章でできた権威だ。
「王都ラグナリア監督局――辺境交易監査班。主任監査官、ドレク・ヴァン=ローデン」
名が落ちた瞬間、ホールの空気が一段乾く。
「本件は辺境開発に該当し、かつ王都を起点とする主要交易線の再編が含まれる。
ゆえに、事前届出の有無、契約条項、関税・税制の適正、労働賃金の妥当性。――監査する」
「監査官殿」
セリアは表情を崩さず、声だけを丁寧に整えた。
「本件はまだ『試掘前の調査段階』であり、正式工事契約の締結前です。監査の対象と範囲を、文書で提示していただけますか」
ドレクは一瞬だけ目を細めた。
「話が早いな」
「こちらも、仕事ですので」
セリアが微笑む。フィオナのペンが、音もなく走る。
そのとき。
ホールの端、壁際に控えていたミリィが、すっと一歩前に出た。
甲冑の金具は鳴らない。鳴らさない歩き方を、彼女は知っている。
ミリィの視線は、監査官ではなく――左右の護衛に落ちた。
「お連れの方々は、護衛でしょうか」
穏やかな声。けれど問いの角度が鋭い。
護衛の男が、反射で肩を僅かに上げた。利き腕側が前に出る癖。剣を抜く者の癖だ。
ドレクが答える。
「監査官の身の安全のためだ」
ミリィは小さく頷いた。
「承知いたしました。ただ――ここはギルド本部です。武器の携行は規則に従っていただきます」
護衛のひとりが、口を開きかける。
その前に、ミリィは丁寧なまま言葉を重ねた。
「ご安心ください。こちらは侮っているのではありません。公平であるために、同じ規則でお願いしています」
セリアが頷く。
「武器預かりの手続きは私が行います。必要なら、預かり証も発行します」
ドレクは一拍、沈黙し――肩をすくめた。
「……よい。預けよう」
護衛の剣が、一本、二本と受付に置かれる。
その音が、監査の始まりの鐘みたいに響いた。
「ギルド長を呼べ」
ドレクが言う。
「在席です」
奥から、ユノが現れた。制服姿。胸の勇者紋章だけが、静かに光っている。
しかし今の彼女は勇者の前線ではない。窓口の顔だった。
「主任監査官殿。ご足労ありがとうございます。ギルド長ユノです」
「噂の勇者か。……そして、噂の怠惰は?」
その視線が、ホールの端へ向く。
「呼びました?」
とぼけた声が、ソファの方から聞こえた。
アルが、マグカップ片手に現れる。
寝不足でもない顔。逆に寝足りてる顔だ。
「主任監査官さん。お茶、いります?」
「いらん」
即答だった。
アルは肩をすくめる。
「じゃあ本題どうぞ。監査ってことは、僕らが勝手に太くしていい線じゃない、って言いに来たんですよね」
ドレクの目が冷える。
「理解しているなら話は早い。王都↔辺境の幹線整備は、税と関税と治安に直結する。民間商会と地方ギルドが独断で動かせる領域ではない」
「独断じゃないですよ」
アルは平然と言った。
「だから今日、あなたが来た。来たってことは、これから手続きに載せるんでしょ。
載せるための紙が欲しいなら、用意します」
ドレクが、僅かに眉を動かす。
抵抗ではなく、受け流し。しかも紙で。
「用意しているのか?」
「はい。昨日の夜、セリアさんとフィオナさんと、ミレイユさんが」
「ミレイユ?」
その名に反応したように、入口側の影が動いた。
扉が開き、金環商会の面々が入ってくる。
先頭はルード。後ろにミレイユとフィオナの同僚書記が一名。護衛のガレスが無言で立つ。
「失礼いたします。金環商会、ルード・ゴールドリングです」
ルードが丁寧に一礼する。
「監督局のご来訪は当然と心得ております。
本件は、正式契約前の調査段階。――ですが、監査に耐える形で進めるつもりです」
ミレイユが、すでに書類束を机へ置いた。
封蝋はまだ固い。昨夜の熱が残っているようだった。
「条項案です。監査対象の明確化、責任者の線引き、賃金規定、武器携行規定、税務処理の暫定指針――仮ではありますが、すべて記録してあります」
ドレクは、書類の厚みに僅かに目を細める。
「早いな」
「金は、曖昧さが嫌いです」
ミレイユが淡々と言う。
「曖昧な責任は、費用になりますから」
ドレクがページをめくる。
紙が擦れる音だけが、ホールに落ちる。
アルは、横から口を挟んだ。
「監査官さん。あなたが一番欲しいのは、これでしょう」
アルが指したのは、条項の中の一行。
本件の意思決定主体は、樹石連都評議会および鉄山評議会、森警備隊、ギルドは窓口機能を担う。
勇者個人への特別枠・特別決裁は設けない。
ドレクの目が止まる。
「……勇者優先を禁止する条項か」
「はい」
ユノが、まっすぐ頷く。
「私は窓口です。街の意思決定は、街の仕組みで行います」
ドレクは一拍、考え――書類を閉じた。
「なるほど。勇者依存を避けるための条項、か」
アルは笑う。
「倒れると止まる仕組みは、国だって嫌いでしょ。あなたも」
その言葉に、ドレクは答えない。
答えないまま、次の頁を開いた。
日雇い賃金はギルド標準以上。危険作業は割増。
募集広告は誇大禁止。食事提供は契約に明記。
「二倍賃金の件」
ドレクが顔を上げる。
「治安への影響は?」
その瞬間、ミリィが一歩だけ前に出た。丁寧な声。
「影響は出ます。必ず。ですので、最初から混ざる前提で護衛と規則を整えます」
ドレクが視線を向ける。
「君は?」
「ギルド・アルベリオ所属、ミリィです。調査隊の護衛にも同行いたします」
ミリィは小さく頭を下げた。
「募集が増えれば、人も増えます。人が増えれば、善意だけでは回りません。だから規則を先に作り、守ります。――それが、街のためです」
アルが横で、さらっと言う。
「ほら。ミリィ隊長は綺麗な言葉で殴るのが得意なんですよ」
「殴っていません」
ミリィが即座に、柔らかく否定する。
「整えるだけです」
そのやりとりに、ルードが小さく笑う。
ドレクは笑わない。だが表情が、ほんの僅かだけ仕事になった。
「よい。では次だ」
ドレクが告げる。
「幹線整備――山を抜く。これは工事だ。事故が出れば、責任は誰が負う」
セリアが、机の端に指を置いた。
「責任は、役割ごとに分けます。測量は商会。護衛はギルドと森警備。掘削は鉄山側。意思決定は評議会。ギルド長は窓口として報告の取りまとめを行います」
フィオナが板を掲げる。そこに書かれた一覧。
責任の線が、紙の上で区切られている。
アルが続けた。
「責任者が曖昧だと、みんな不安で余計に働く。不安な働き方は、事故と疲弊を生む。だから線を引く。線を引けば、休める」
ドレクは、じっとアルを見る。
「休める、か」
「ええ。休めない仕組みは壊れます。壊れたら監督局の仕事が増える。……あなたも休めない」
ドレクは、初めて口元だけで笑った。
しかしそれは好意ではない。理解の合図だ。
「――では結論だ」
ドレクが言った。
「本件、監督局として即時停止はしない。ただし条件がある」
ホールの空気が、さらに硬くなる。
「第一。試掘は許可制。監督局へ事前届出。
第二。賃金二倍募集は、治安計画とセットで提出。
第三。関税・税制は暫定指針に従い、月次で報告。
第四。勇者特別枠の禁止条項は、正式契約書にも残すこと」
ユノが静かに頷く。
「承知しました」
ルードも一礼する。
「当然の条件です。守ります」
ミレイユは、淡々とメモを取った。
条件が工程に変換される音だった。
ドレクが最後に、アルを見る。
「怠惰。ひとつ聞く。なぜ、そこまでして道を通す」
アルは少しだけ考え――いつもの顔で答えた。
「昼寝のためですよ」
一拍。
だが、アルは続ける。
「……昼寝できる街は、倒れない。倒れない街は、投資に耐える。投資に耐える街は、子どもが字を覚える時間も作れる。そういうラクの連鎖が欲しいんです」
ミリィが、静かに頷いた。
「私も同じです。守る人が守り続けなくてよい街が、欲しい」
ドレクは外套を正し、言った。
「ならば――紙の上で証明しろ。剣ではなく、契約で」
「得意分野です」
アルが笑う。ルードも笑う。セリアは既に次の紙を出している。
監査官が帰ったあと、ギルド本部の机の上には、また地図が残った。
線は太くなる。
だがその線は、今度は勝手にではなく――通すべき手続きを通した線として、刻まれていく。
道を通す戦いは、剣よりも静かに、そして確実に、進んでいた。




