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努力しない勇者、サボるために山に穴を開ける

 ミレイユが帳面をめくり、淡々と言いかけた。

「今の道を整備し直しますと――」

「その今の道が問題なんですよねぇ」

 アルが遮り、卓上の地図にペン先を置く。

 アルネリアからレーヴェルトへ。崖道の蛇行に沿う線を、わざと無視した。

 そして――山の上を、一直線。

 す、とペンが走り、途中の稜線を貫くように線を引いていく。

 最後にレーヴェルト城の印へ、カツンと当てて止めた。

「……え」

 ユノが声を漏らす。

 セリアは嫌な予感に目を細めた。

「まさか、兄さま……」

 アルはにこりともせず、当然の顔で頷いた。

「そうです。山に穴を開けて――トンネルを掘りましょう」

 一拍、沈黙。

「おい待て。発想が土木官僚のそれなんだよ」

 ライネルのツッコミが飛ぶ。

 リュシエルは口角を上げた。

「怠惰っていうか、もう大事業じゃない」

 その横で、ミリィが腕を組んだまま、静かに頷いた。

「……大事業ですね。でも、私は賛成です」

 甲冑の金具が、小さく鳴る。

「崖道を守り続ける前提で動くのは、もう終わりにしたい。

 冬のたびに、誰かが怯える道である限り、街は休めません」

 そして、まっすぐ前を見た。

「穴を開けるのでしたら――私が先に入り、安全を確認いたします」

 ミレイユは眉を動かしたまま、逆に冷静に聞き返す。

「……費用が跳ねます。工期も読めません。なぜ、その案を?」

 アルはペン先で、崖道のくねりをトントン叩いた。

「整備し直しても、ここは冬に落ちる。雨で崩れる。護衛を増やせば増やすほど、人件費で物資が高くなる。――永遠に損する道です」

 次に、さっき引いた直線をなぞる。

「トンネルなら、距離が短くなる。勾配も一定にできる。積雪でも通せる。崖落ちの保険料も下がる。要するに――人が頑張らないでも回る道になる」

 ルードが、初めて露骨に笑った。

 あの商人の目。金勘定と未来を同時に見ている目だ。

「……辺境で、山を抜く気ですか」

「抜きますよ。だって、抜いたほうがラクなので」

 アルは平然と続ける。

「先に面倒をやって、あとは何十年もサボる。それが、僕の得意分野です」

 バルグが腕を組み、岩肌を想像するように低く唸った。

「鉄山の掘り子どもを借りるか。岩質次第じゃが……面白い」

 セリアがため息をつきながらも、目だけは真剣だった。

「……兄さま。トンネルを掘るなら、測量と排水と換気と――安全規格が要ります」

「うん。だから商会が必要なんです」

 アルはルードを見る。

「資金と人と道具と、役所と契約書。これ、勇者が剣振るより向いてる仕事でしょ?」

 ミレイユがペンを走らせた。

 紙の上で数字が増える音がした。

「――今の道を直すではなく、新しい道を作る。投資の性格が変わりますね。これは……長期回収の案件です」

 ルードは静かに頷く。

「交渉の土台が固まりましたな。まずは岩盤の調査――そして、掘れるかどうかを確かめる」

 ユノはまだ呆然としていたが、アルの線を見つめて、少しだけ呼吸を整えた。

「……また、街がひとつ先へ行く音がします」

 アルは肩をすくめる。

「音じゃなくて、風ですよ。トンネルが通れば、冬の風も、荷車も、昼寝も――全部、通りますから」

「では、まずは岩盤の調査だ」

 ルードが言うと、ミレイユはもう紙を用意していた。質問ではなく、前提として。

「測量隊、鑑定、排水計画。必要人員は――」

「こっちで編成します」

 セリアが即答した。目線だけでユノに確認し、ユノも頷く。

「ギルドから護衛と調査員。森警備隊から地形の案内。鉄山評議会から掘削担当。商会側は測量具と記録係」

 フィオナがすっと板を出し、セリアの言葉をそのまま書き留める。二人の筆致が、同じ速度で走っていた。

「現場の鑑定は俺が行く」

 バルグが短く言う。

「鉄山の岩は見慣れてる。だが抜ける山かどうかは別だ。ここは誤魔化せん」

「護衛は俺だ」

 ライネルが腕を組む。

「金と道具を持って山に入るなら、狼より人間が危ない」

「私も同行いたします」

 ミリィが一歩出た。

「測量隊の皆さんは足が遅いでしょうし、守りは厚い方がよいはずです。……それに」

 彼女は地図の崖道を指でなぞる。

「この道の怖さを、私はよく知っています。現場の感覚も、共有しておきたい」

「護衛隊長ガレス殿も同行を」

 ルードが添えた。

「働き手が集まれば、同時に盗賊も集まります。嫌な話ですが、現実ですからな」

 ガレスは無言で頷いた。その頷きには「分かってる」の一語が全部入っている。

 ユノは少しだけ固い顔で、アルを見る。

「アルさんは……」

「僕は行きませんよ?」

 アルが即答した。

「山は寒いし、歩くのしんどいし、石は硬いし」

「おい」

 ライネルが睨む。

「ただし」

 アルが指を一本立てた。

「現場でどこを通すかを決めるときだけ呼んでください。僕が線を引きます。線を引いたら帰ります」

「最低限の働きはするのね」

 リュシエルが肩をすくめた。

「サボりのための最低限ですから」

 アルは悪びれもせず笑った。

 ルードが小さく息を吐き、改めてユノに一礼した。

「では――第一期、岩盤調査。開始しましょう」

 三日後。

 崖道の入口に、短い列ができていた。測量具の箱。杭と紐。方位盤。水桶。乾パン。薬草の束。護衛の槍。

「……思ったより、ちゃんとしてる」

 ユノが呟くと、セリアが横で小さく頷いた。

「商会は信用を金で買うのが仕事ですから。形だけは最初から整えます」

 フィオナは既に記録を始めている。日付、天候、同行者、携行品。現場の事実が、紙に固定されていく。

 ミリィは列の少し前――測量具の箱の横に立ち、周囲を見回していた。

 視線が早い。森を見ているのではない。森の切れ目を見ている。

「……人が集まるほど、揺らぎも増えます。ガレスさん、念のため」

 小さく告げると、ガレスと目だけで合図が交わる。

 バルグが地面に膝をつき、石を拾って指で擦った。粉が親指に白く残る。

「石灰岩混じり……いや、ここは違う。割れ目が走っとる。水が通る場所じゃ」

「排水は重要だな」

 ガレスが低く言った。彼は岩ではなく、周囲の木立を見ていた。人の影が潜む場所を、先に潰すような視線。

 ライネルが短く指示を出す。

「前二人、斥候。左右に目を配れ。後ろは間隔を詰めるな。崖は落ちる」

 森警備隊の男が、慣れた足取りで先へ進む。

「この先、風が変わります。岩肌が露出してて、声が返る」

 ユノは小さく頷き、崖の縁を見下ろした。下に川が見える。見えるだけだ。落ちたら終わる距離。

(……この道を、冬に荷車で?)

 隣でミリィが、無言で崖の縁に立った。

 そして一歩、小石を落とす。

 石は跳ね、音が遅れて下から返ってきた。

「……落ちたら、戻りませんね」

 ミリィはそれだけ言い、視線を上げる。

「だからこそ、道を変えましょう。

 落ちないことを前提にできる道を、最初から作るのが一番です」

「ユノ様、顔が硬いです」

 セリアが小声で言う。

「怖いなら、怖いでいいです。だから整備する。怖くない道にする。――怖いまま放置しない」

 ユノは息を吐いた。

「……うん」

 そして、彼女は気づいた。ここにいる誰も、「勇者だからなんとかしろ」とは言っていない。

 ただ、やるべきことを、やる。そういう空気だった。

 昼前。稜線の中腹。

 山肌が、ひとつ露出していた。岩の断面がむき出しで、古い崩落跡が洞のように口を開けている。

「ここだ」

 バルグが言った。

「岩が硬い。だが均一じゃない。層がある。――掘れる。ただし、甘く見ると死ぬ」

「甘く見るやつが一番死ぬやつだ」

 ガレスが呟く。

 フィオナが顔を上げる。

「現時点での結論は?」

 バルグは短く答えた。

「試掘だ。小さく穴を開けて、内部の水と空気と層を見ろ。話はそこからだ」

 セリアが頷き、ユノに目配せする。

「アルに、線を引かせる前に――現実の壁の厚さを測るべきですね」

 ユノは迷わず言った。

「やりましょう。試掘の許可を、評議会から取り付けます」

 その言葉が出た瞬間、ユノの中の勇者の声ではなく、窓口の声が鳴った。

 街が動く音だった。

 同じ頃。アルネリアの広場。

 掲示板の前に、人だかりができていた。

「日雇い賃金二倍」「食事付き」「幹線整備」「測量隊募集」

 紙は新しい。インクがまだ濃い。金環商会の刻印が、いやに目立つ。

「おいおい……二倍だと?」

「本当かよ。王都の仕事より出るぞ」

「行くしかねぇだろ」

 ざわつきの端で、ミリィが静かに人の流れを見ていた。

「……人が集まれば、目的の違う方も混ざります。ガレスさん、注意を」

 そのすぐ先で、腕を組んでいる男がいた。地元の小商人――顔に損得の皺が刻まれたタイプ。

 隣に、別の男が立つ。旅の匂い。王都の匂い。役人の匂い。

「……動きが早すぎる」

 役人風の男が低く言った。

「街の評議会は、金環に何を約束した」

 小商人は唾を飲み、声を落とす。

「知らねぇよ。ただ……あの怠惰勇者が、道を通すって」

 役人の目が細くなる。

「怠惰が公共事業を動かす? 冗談にしては臭うな」

 その視線が、掲示板の紙から、街の奥――ギルド本部の方向へ滑る。

「……監査が必要だ。これは勝手に太くしていい線じゃない」

 夕方。ギルド本部。

 山から戻ったセリアとフィオナが、記録を机に置く。

「試掘の提案、岩盤の層、排水リスク、必要人数――ここまでが初日分です」

 ユノはページをめくり、目を見開いた。

「……こんなに、ちゃんと怖いが書いてある」

「怖さを消すためには、まず怖さを記録します」

 セリアが言った。

 そこへ、ライネルが入ってくる。顔が嫌そうに歪んでいる。

「面倒くさい匂いがする」

「何が?」

 ユノが尋ねると、ライネルは顎で窓の外を示した。

「街に、王都の役人っぽいのが入ってきた。掲示板を見て、誰かと話してた」

 セリアの表情が固まる。

「……来るのが早い」

 その瞬間、椅子の背にもたれていたアルが、欠伸まじりに言った。

「そりゃ来ますよ。金が動くなら、権限も動きます」

 ユノがアルを見る。

「アルさん……どうする?」

 アルは机上の地図を指で軽く叩いた。あの線を引いた場所。山。城。幹線。

「どうもしません」

 あっさり言って、続ける。

「来るなら来るで、ちゃんと見える形にしておきましょう。役人が一番嫌うのは、数字がない話と、責任者が曖昧な仕組みです」

 セリアが頷く。

「つまり――監査に耐える契約書を、先に作る」

「はい」

 アルは笑った。

「せっかくサボる道を作るんです。邪魔が入るなら、最初から踏み越えられない線を引いておきましょう」

 ユノは息を吸い、静かに頷いた。

 そして、ギルド本部の空気がまた一段、仕事の顔になる。

 机の上に並ぶのは――剣ではなく、地図と記録と契約書。

 道を通す戦いは、もう始まっていた。

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