努力しない勇者志望、森と洞窟を脅して制度を作る
翠霧の森と鉄山洞窟――そのちょうど中腹、樹冠都リオナの会議用デッキ。
森の匂いと金属の匂いが、風に乗って混ざり合う。
長机の片側には、森の行政院からの代表エルフ三人。
銀髪をひとつに束ねた書記長リーネ。
深緑の軍装に身を包んだ武官――森の長の息子で警備隊長、フェルン・エルファード。
淡い緑のローブをまとった治癒師、サーラ・グリーンリーフ。
反対側には、鉄山評議会の代表ドワーフ三人。
胸板と髭が同じくらい分厚い評議会議長、ドルン・ストンフィスト。
腕組みをしてどっしり座る鍛冶ギルド代理、グラド・アイアンビア。
椅子の上でそわそわしている、小柄な女ドワーフ冒険者、ミリィ・コールハンマー。
真ん中の席に、勇者ユノ。
その少し後ろに、リーネとグラド。
壁際には、腕を組んだライネルとリュシエル。
そして、テーブルの端でひょうひょうと座っているのが――アルだった。
「では、始めましょうか」
セリアが、さらりと議事の口火を切る。
「本日は、『勇者ユノさんに本来支払われるべきだった報酬』について、
翠霧の森行政院、鉄山評議会、双方にご確認いただく場です」
言葉に、場がざわりと揺れた。
「お、お待ちを」
真っ先に声を上げたのは、森側の書記長リーネだった。
「ユノ殿は……その、我らにとって森の守護者であり、名誉職としてだな――」
「名誉だけで生きていけるなら、世の中ずいぶん楽なんですがねぇ」
アルが、さらりと遮った。
彼は、手元の紙束をテーブルに置く。
ユノの依頼記録を、リーネとグラドとフェルンとミリィが、ほぼ血を吐きながらまとめた「実績一覧」だ。
「過去三年分。森の迷子捜索、魔物討伐、崩落現場救助、祭礼の警備、揉め事の仲裁――全部、ユノさんがほぼタダでやってきた仕事です」
鉄山側のドワーフ、評議会議長ドルンが鼻を鳴らす。
「ただとは言わん。食事と寝床は出しとる。武具の修繕だって優先しておる。勇者たるもの、民と山のために――」
「じゃ、聞き方を変えましょう」
アルの声が、少しだけ低くなる。
「同じ量の仕事を、旅の傭兵団や冒険者ギルドに頼んだとしたら、森と洞窟、それぞれいくら払うつもりでした?」
しん、と空気が固まる。
ライネルが、にやりと笑って口を挟んだ。
「勇者価格と傭兵価格、違うって言うなら、はっきり聞いてみようぜ」
エルフの書記長と、ドワーフの議長が、同時に顔をしかめた。
「ゆ、勇者は、民の希望であり――」
「ドワーフの誇りを金勘定で測るのは――」
「はい、出た。便利な言葉でごまかすやつですねぇ」
アルは、あくびを噛み殺しながら、書類を指先でとんとんと揃えた。
「じゃあ、僕の方で仮に計算しておきました」
さら、と紙がめくられる。
「討伐や救助を全部、難易度ごとに区分して、権威ある傭兵ギルドの一般相場に当てはめると――」
アルは、さらっと告げた。
「翠霧の森分、三年でおよそ金貨千四百二十枚。
鉄山洞窟分、三年でおよそ金貨千六百八十枚」
エルフもドワーフも、目を剥いた。
「き、金貨……そ、それは――」
「さすがに、だな……」
フェルンが、眉間に手を当ててうめく。
「……勇者任せにしてたのは、俺たちの怠慢だったな」
ミリィも、椅子の上で思わず立ち上がった。
「ユノ様、そんなに……!? わ、わたし、さすがにむかついてきました!」
「もちろん一括で払えなんて言いませんよ?」
アルは、さらっと手を振った。
「でも、そのくらいの価値の働きを、ユノさんはしてきたって事実は、ちゃんと認めてもらいたいんです」
ユノが、慌てたように口を開く。
「ま、待ってくださいアルさん。私は別に、お金が欲しかったわけでは――」
「知ってますよ」
アルは、ユノの方だけ一瞬柔らかい目を向けて、すぐ代表たちに視線を戻した。
「ユノさんが『いいです』って言うからって、じゃあタダで使い倒していい理由にはなりません」
サーラが、そこで静かに口を開いた。
「それに、ユノ」
治癒師の声は柔らかいが、芯があった。
「もう何度も言っているけどあなた、自分の治療費がいくらかかるか、考えたことある?」
「え……?」
「あなたが倒れたら、全身の疲労と魔力枯渇を治すのに、どれだけ薬草と時間がいるか。私はそれを、何度も計算してるの。それを、ありがとうと差し入れだけで済ませるのは、あなたを直す私も事実上のただ働き」
「サ、サーラさん……」
空気に、じわじわと居心地の悪さが広がる。
エルフの書記長リーネが、咳払いをした。
「し、しかしだ。われわれ森の行政院の財政では、それほどの――」
ドワーフの議長ドルンも続く。
「ガンロフの予算だってカツカツだ。勇者が金を取らんからこそ、なんとか――」
その瞬間。
リュシエルの肩から、ぞわりと魔力が漏れた。
赤い瞳に、竜の光が宿る。
「それでよく、平然とした顔でいられるわね。自分たちの街の柱を、三年タダ働きさせておいて――」
空気が一段、重く沈んだ。
木の床が、きしりと鳴る。
エルフたちは青ざめ、ドワーフたちは冷や汗を流す。
「リュシエルさん」
その肩に、アルがそっと手を置いた。
「ここでドラゴンになって踏みつぶしちゃうと、片付けが大変なのでやめてください」
「……ちょっと嚙み殺させてくれたって良くない?」
「ダメです。この人たちは、潰されて痛い目を見ないと分からないバカじゃなくて、ちゃんと計算を見せたら慌てて態度を変えるくらいのバカですから」
「褒めてるのか貶してるのか分からないわね」
そこまで言って、アルは椅子から立ち上がった。
「では――提案を変えましょう」
彼は、きっぱりと言い放つ。
「翠霧の森と鉄山洞窟の両代表に、正式にお知らせします」
リーネとグラドが、ごくりと唾を飲む。
フェルンも真顔になり、ミリィはごくごくと喉を鳴らした。
「ユノさんを――レーヴェルト辺境領の騎士として、月に金貨百枚で雇います」
部屋中が、止まった。
エルフたちの耳がぴんと立ち、ドワーフたちの目が限界まで見開かれる。
「き、金貨百……毎月!?」
「レーヴェルトの領主は気が狂ったか!?」
「多分、僕が勝手にやったって知ったら、父上は頭抱えますねぇ」
アルは、ひょうひょうと笑った。
「でも、うちの領でも人の善意に頼りっぱなしで制度をサボる真似は、させたくないので。ちゃんと働いている人には、ちゃんと払いますよ」
ユノが、真っ青になって立ち上がる。
「ま、待ってくださいアルさん! 私、そんな高額な――」
「ユノさんは黙っててください」
アルは、穏やかに遮った。
「これは、あなたの善意とは関係なく決める話です。あなたの働きに、どれだけ値札がつくのかって話ですから」
代表たちの顔から、血の気が引いていく。
エルフの年長者が、慌てて身を乗り出した。
「ま、待たれよ! ユノ殿は、この森の――」
「そ、そうだ! ガンロフの誇りだぞ! よそになんてやれるか!」
ドルンが吠える。
「強い奴は、一番危ないところに立つべきだ! それが山の流儀だ!」
ミリィが、思わず振り向いた。
「でも、その強いユノ様が倒れたら、誰がその穴を埋めるんですか!」
「ミリィ……!」
若いドワーフの一言に、ドルンが言葉を詰まらせる。
「だったら」
アルは、すっと目を細めた。
「よそにはやれないって言うに見合う待遇を、ここで提示してください。金貨百枚じゃなくてもいい。でも、名誉と飯と寝床だけよりは、ずっとマシな条件を」
リーネとグラド、それからフェルンとミリィまでが、代表たちを睨むように見た。
サーラも、鋭い目で口を開く。
「ユノは勇者である前に、ひとりの患者よ。患者を守るのは治癒師の仕事。――だから私は、これ以上タダ働き前提の治療には付き合わないわ」
エルフの年長者が、額の汗を拭きながら絞り出す。
「……森の行政院として、勇者ユノ殿に――正式な森の守護騎士の地位と、月金貨三十枚。さらに年に一度、森の収穫祭の収益の一部を、報奨としてお渡ししよう」
すかさず、ドワーフの議長が叫ぶ。
「根都ガンロフもだ! 坑道守護者として、月金貨三十枚!それに、鉄山の上がりから、武具と装備を優先供給する!」
グラドが、低くうなずく。
「そいつぁ悪くねぇ。根性の時代は終わりだ。払うもん払って、胸張って頼んだ方が、よっぽど清々しい」
アルは、そこで初めて肩の力を抜いた。
「じゃあ、合わせて月金貨六十枚。……まぁ、レーヴェルト案よりは安いですが。森と洞窟からの両契約なら、悪くないラインですかねぇ」
ユノが、呆然と代表たちを見る。
「わ、私、本当に……そんな……」
「本当ですよ」
アルは、静かに言った。
「あなたが、三年間タダでやってきた仕事の一部に、ようやく値札がついただけです」
しばしの沈黙。
その沈黙を破ったのは、サーラだった。
「ユノ」
彼女は、まっすぐにユノを見つめる。
「あなたが倒れたら誰が治療するの? もう自分が壊れてから休むの、やめなさい。
勇者も、人間なのよ」
ユノの肩が、小さく震えた。
「……はい」
掠れた声が、ようやく漏れる。
アルは、そこで一歩前に出た。
「――で、本題はここからです」
代表たちが、びくりと身を固くする。
「ユノさんの待遇だけ、ちょっとマシにして終わり、なんて話じゃ意味がない。翠霧の森と鉄山洞窟の仕組みそのものを、そろそろ変えましょう」
「仕組み……?」
エルフもドワーフも、同時に眉をひそめる。
「今の構造は簡単です」
アルは、指を一本立てた。
「上に森の行政院。下に鉄山評議会。
その真ん中に、全部を押しつけられている勇者ユノさん」
次に、二本目の指。
「これを――こう変えます」
テーブルの上に、さらりと簡単な図を描く。
「一つにまとめた翠鉄連合(仮)の行政庁を上に。下には、翠霧鉄山冒険者ギルドを新設する」
ライネルが、ふっと口笛を吹いた。
「上が行政、下がギルド、か」
「そうです」
アルは頷く。
「森と洞窟、それぞれバラバラに最後は勇者がなんとかしてくれる前提で動いていたのを、行政庁側は、ギルドに何を依頼するか決める側に。ギルドは、難易度ごとに依頼を振り分ける側に変える」
セリアが、すかさず補足する。
「つまり――今まで全部ユノさんに直接届いていた依頼を、一度ギルドで仕分けする形ですね」
「そう」
アルは、指を折っていく。
「Fランクのお使いレベルは、地元の新人冒険者に。
E〜Cランクの魔物や事故現場対応は、ギルド登録の熟練組に。
B・Aランクは、森の警備隊とドワーフの精鋭隊との合同で。
どうしようもない本物の危機――Sランクだけ、勇者ユノさんに回す」
フェルンが、真剣な表情でうなずく。
「……森のC〜Bは、確かに俺たちで十分だ。今まで危なくなったらユノを呼べで甘えていた仕事も、これからは最初から自分たちで取りに行く」
ミリィも、勢いよく手を挙げた。
「E〜Cは、ぜんぶ任せてください!ユノ様みたいにはまだ出来ないですけど、ユノ様が行かなくて済む現場を増やせるように、全力でやります!」
ドルンが、腕を組み直す。
「強い奴が一番働くべきだ、ってのは今も変わらん。だが、強い奴一人に全部やらせるのは、確かに時代遅れかもしれんの」
サーラが、ふっと笑う。
「私はギルドの治療室を預かるわ。ユノ、あなたが戦場に出る回数が減れば減るほど、私は嬉しいの。
勇者がいなくても回る街って、治癒師にとっても理想なのよ」
グラドは、大きく鼻を鳴らした。
「装備と補強は任せろ。ギルドの拠点も、支柱も、俺たちの手で勇者がいなくても崩れないようにしてやる」
エルフとドワーフの代表たちは、しばらく顔を見合わせ――やがて、重々しく頷いた。
「……分かった。翠霧の森と鉄山洞窟、行政だけは一つにまとめよう」
「ガンロフの評議会も、新しいギルドに人を出す。勇者ひとりに押しつけてた分、今度は俺たちが汗をかく番だな」
アルは、そこでユノの方を向いた。
「ユノさん。あなたには――」
彼は、少しだけいたずらっぽく笑う。
「冒険者ギルド《翠霧鉄山》の、お仕事選別係兼ギルド長をやってもらいます」
「えっ」
ユノが盛大に固まった。
「え、ええと、それは……戦わない、という意味ですか?」
「まるっきり戦わないわけじゃないですけど」
アルは肩をすくめる。
「勇者が本気を出すのは、本当に必要な時だけ。
普段は、ギルドに集まった依頼を見て、これは新人向け、これはベテラン向け、これは私が行くべきって分けるデスクワークです」
「で、デスク……」
ユノは、自分の剣を見下ろす。
「そんな、大事なことを……私なんかに……」
「あなた以外、誰がやるんですか」
アルは、きっぱりと言い切った。
「森も洞窟も、あなたの判断を信じて、三年も丸投げしてきたんですよ。だったら、その判断力を、ちゃんと仕組みの中に座らせるべきです」
リーネが、はっとしたように顔を上げる。
「……確かに。ユノさんだからこそ、エルフもドワーフも納得してきた」
フェルンも、素直に認めた。
「勇者任せにしてたのは、俺たちの怠慢だ。これからは、勇者の判断を、仕組みでみんなに共有する番だな」
ミリィが、目を輝かせる。
「ギルド長ユノ様……かっこいいです!ちゃんとサボれるように、わたしたちが前で頑張ります!」
「サボる、という言い方はどうかと思いますが……」
ユノは苦笑したが、その声には、さっきとは違う色が混じっていた。
「……私、サボって、いいんでしょうか」
「サボるために仕組みを整えるんですよ」
アルは、にっこり笑う。
「みんなでちゃんと働いて、ちゃんと休んで。勇者がいなくても回る街を作ったうえで、勇者が横でにこにこしながらお茶飲んでるくらいが、僕の理想です」
リュシエルが吹き出す。
「やっぱり動機が全部、自分の昼寝に帰ってくるのよね、あんた」
ライネルも笑う。
「まぁいい。結果として、勇者一人が潰れずに済むなら――それで十分だ」
サーラが、ふっと微笑んだ。
「ユノ。頑張って休むところから、始めましょうか」
「……はい。頑張って、サボってみます」
「うん、それなら合格です」
こうして。
翠霧の森と鉄山洞窟――
上と下に分かれて勇者をすり減らしてきた二つの行政機関は、ひとりの「努力しない勇者志望」と、その仲間たちによって、「ちゃんと報酬を払い、ちゃんと仕分けをし、ちゃんとサボるための街」へと、ゆっくり作り替えられていくことになるのだった。




