努力しない勇者志望は、超真面目勇者の時間をこじ開ける
勇者ユノとの初対面は――正直、最悪だった。
翠霧の森と鉄山洞窟群をつなぐ中層デッキ。
昇降路から飛び出してきたユノは、挨拶どころか名乗り合いすら満足にできない。
「森の北縁、迷子確認しました! そのあと第四坑道に向かいますので、続きは戻ってから――!」
そう一言だけ残して、鎖籠に飛び乗ってしまったのだ。
「……うん、これはダメですねぇ」
ユノの姿が闇の中に飲まれていくのを眺めながら、アルはぼそっと呟いた。
「何が、ダメなの?」
隣でセリアが首をかしげる。
「話を聞く前に、勇者さんの方が過労で倒れそうです。――あの人の予定表、先に見ましょうか」
森側の「行政院」執務室と、洞窟側の「鉄山評議会」事務室には、それぞれ巨大な依頼板があった。
どちらも、びっしりと紙が貼られている。
森側には《迷子》《境界沿いの巡回》《森祭り警備》の札。
洞窟側には《坑道安全確認》《魔鉱脈調査》《鍛冶場増設許可》の札。
そして、そのほぼすべてに――同じ一文が添えられていた。
《※最終確認:勇者ユノ様》
「……はい、アウト」
森側の板を見た瞬間、アルは宣言した。
「勇者ユノ様に確認、勇者ユノ様の許可、勇者ユノ様の同行、勇者ユノ様の最終決裁……」
セリアが読み上げるたび、表情がどんどん険しくなる。
「こっちもだな」
洞窟側の板を見ていたライネルが、肩をすくめた。
「支柱一本の点検から、魔物巣の偵察まで、全部『ユノが見れば安心』で括ってやがる。勇者依存もここまで来ると芸術だな」
書類の束を抱えたリーネとグラドが、気まずそうに視線をそらした。
「……面目ない」
「最初は、勇者様に一緒に来ていただければ皆安心する、って程度だったんだがな。
気がつきゃ、勇者が印鑑と同じ扱いだ」
そこへ、軽鎧の足音。
「状況は見りゃ分かるが……ひでぇな、こりゃ」
森の警備隊長フェルン・エルファードが依頼板を見上げて、低く唸った。
「危なくなったらユノを呼べ、で回してきたツケが丸出しってわけだ」
その横で、淡い色のローブ姿のエルフ女性――治癒師サーラ・グリーンリーフが、腕を組む。
「紙は元気そうに並んでますけどね。中身は全部、ユノの睡眠時間を食べてると思ってください」
洞窟側からも、重たい足音が近づいてくる。
「おい、勇者様の予定を見直すって話はここで合ってるか?」
鉄山連鍛冶ギルド代理、グラド・アイアンビア。
その後ろから、小柄な影がひょこっと顔を出した。
「ミリィ・コールハンマーです! ユノ様の……その……弟子、じゃないですけど! ずっと背中見てきた者です!」
若手冒険者リーダーの女ドワーフは、緊張でかちこちになりながら名乗った。
少し遅れて、立派な髭を撫でつけた年配ドワーフがやってくる。
「ドルン・ストンフィスト。洞窟評議会の議員だ。
『勇者を休ませる』などという話が、本気かどうか見に来てやった」
あからさまに不満そうな顔。
アルは、その全員を見回し――あっさり言った。
「ちょうどいいですねぇ。関係者が揃っている方が、話が早い」
会議用の丸テーブルに、森と洞窟両方の依頼書が積み上げられる。
アルは椅子に腰を下ろし、ペンを一本指に引っ掛けてくるくる回しながら言った。
「では、簡単にルールを決めましょう」
「ルール?」とセリア。
「はい。
一、勇者じゃなくてもいい仕事は、勇者から剥がす。
二、危険度と重要度で三段階に分ける。
三、今日の分だけでいいので――」
親指で自分たちと、周りの面々をまとめて指す。
「お試しで、こっち側で片っ端から肩代わりします」
リーネとグラドが、同時に目を見開いた。
「そんなっ、客人の方々にそこまで……!」
「うちの連中もいるからな」
グラドが顎でミリィを示す。
「若いのに任せる仕事くらい、いくらでもある。問題は、それを誰も分けてやろうとしなかったってことだ」
「……分けて、ですか」
フェルンがぽつりと繰り返した。
アルはうなずき、依頼の束を三カ所に置き直す。
「★A:『本当に』勇者じゃないとまずい依頼
★B:それなりに危険だけど、熟練者なら対応可能な依頼
★C:正直、勇者が出るほどでもない依頼」
セリアが手元の紙にABCと書き込み、すぐに書類を仕分ける準備を整える。
「Aは、うちのドラゴンさん担当」
「はいはい」
壁にもたれていたリュシエルが、ひらひらと手を振る。
「Bはライネルさんと――」
アルはフェルンを見る。
「森関係は、警備隊長さんのところで受けてください」
「……ああ。元々、それが俺の仕事だ」
フェルンが、きっぱりと言った。
「勇者任せにしてたのは、俺たちの怠慢だったな」
その言葉に、リーネがわずかに目を見開き、それから誇らしげに弟を見た。
「Cは――」
アルはミリィの方を向く。
「若手冒険者パーティーの出番ですねぇ」
ミリィはびくっと背筋を伸ばした。
「わ、わたしたちでやれるなら、なんでもやります!ユノ様がいつも一人で走り回ってたの、見てきましたから……E~Cランクくらい、全部こっちに回してください!」
「いい心意気だ」
グラドが豪快に笑う。
「鍛冶屋の仕事もな、いつまでも親方一人に頼ってると潰れるんだ。若いのが叩いてこそ、技も残る」
そのとき、ドルンが鼻を鳴らした。
「だがなぁ――」
嫌な前置きに、全員が「来たぞ」という顔になる。
「強い奴が一番働くべきなんだ。勇者が全部やるのが、一番早くて確実だろうが。弱いのに任せりゃ、事故だって増える。間違いだらけになる」
「出た、『昔はそれでうまくいった』理論ですねぇ」
アルがさらっと返した。
「ドルン評議員。勇者ユノさんが、ここ数ヶ月で倒れた回数、覚えてます?」
「……倒れちゃいない。ただ、その場に座り込んだくらいだ」
「それを『倒れた』と言います」とサーラ。
治癒師が、じろりとドルンをにらむ。
「ユノが倒れた回数、私は全部覚えてます。治療したの、私ですから。そのたびに、『まだやれます』って言いながら、あの子はまた前に出て行った」
アルは、そこで軽く指を鳴らし、セリアに目配せした。
セリアは素早くノートを一冊、テーブルの真ん中に置く。
「こちら、リーネさんとグラドさんからの聞き取り、およびサーラさんの記録をまとめた簡易表です」
そこには、ユノの出動回数、倒れた回数、その翌日の仕事量が簡潔に記されていた。
「勇者が全部やるのが一番早い――短期的には、そうかもしれません」
アルは、静かな声で言った。
「でも、そのやり方を続けた結果、勇者の稼働時間はすでに限界を超えている。
ここから先は、『早い』どころか、『いつ止まってもおかしくない』状態です」
「…………」
ドルンは何も言えず、グラドが代わりに口を開く。
「根性で押す時代は終わったんだ、ドルン。俺たち鍛冶屋だってな、一本ぐらい折れてもいいや、じゃなくて、折れねぇように仕組みを変えなきゃいけねぇ時代だ」
「人間もよ」
サーラがきっぱりと言った。
「ユノは、もう充分すぎるほど『強い奴が一番働く』をやってきた。ここから先は、『強い奴が一番休む権利を持つ』くらいでちょうどいい」
アルは、そこでようやくいつもの調子に戻った笑みを浮かべた。
「というわけで、仕分け開始です。勇者さんの今日の予定――こっちで勝手に組み替えます」
そこからは、ほとんど作業だった。
「森北縁の斥候ルート確認」
「これはBだな」
フェルンが地図を覗き込みながら言う。
「元々うちの巡回ルートだ。ユノには『最終確認』だけしてもらってたが……今後は俺の隊の仕事で十分だ」
「ではB、担当:フェルン隊長とライネルさんで」
セリアがペンを走らせる。
「村祭りの警備計画案の相談」
「Cですね」
セリアは迷いなく判断した。
「事前調整だけしておけば、当日の現場は若手でも回せます。ミリィさん、こういうのは?」
「や、やらせてください! うち、盾役多いんで! 客どかすの得意です!」
「物騒な言い方をやめなさい」
サーラが苦笑する。
「第四坑道・支柱異常音の再調査」
「Aだ。地竜が暴れてる可能性もある」
グラドが表情を引き締める。
「本当ならユノに頼みたいところだが……代わりに、ドラゴン嬢ちゃんとライネル殿が行ってくれるなら十分だろう」
「A、担当:リュシエルさん+ライネルさん+鍛冶ギルド選抜、ですね」
アルがまとめる。
「森の迷子捜索――ただし、最近頻発している決まった場所で迷う案件」
「それ、ただの迷子じゃないわね」
サーラが顔を上げた。
「その辺り、昔から霧が濃いのよ。魔力の流れが変わり始めてるのかも」
「じゃあ、これはB寄りのCかな」
アルが指先で机を叩く。
「セリアさんとフェルン隊長、現場確認しながら迷子パターンを集めてください。場合によっては、地形そのものをいじった方が早いかもしれません」
「了解しました」
セリアがうなずく。
「……こうやって見ると」
リーネがぽつりと言った。
「本当に、全部にユノさんが出る必要はなかったんですね」
「勇者だから『できる』ことと、勇者じゃなくても『やれる』ことを分けてなかっただけですよ」
アルは肩をすくめる。
「ユノさんが真面目に全部受けてくれるから、誰も仕分ける窓口を作ろうとしなかった。だから今回は――」
ペンをくるりと回して、にやりと笑う。
「臨時『森と洞窟合同冒険者ギルド』の先行試験運用ってことで」
「名前がそれっぽくなってきたわね」
リュシエルが笑った。
「……で、肝心のお前は何をするんだ、アル」
ライネルが問う。
「僕ですか? 僕は――」
アルは手帳をぱらりとめくる。
「ユノさんと話すための面談枠を、今日の予定にねじ込みます」
「ねじ込むのね」
セリアがため息混じりに言う。
「勇者さんの今日の仕事、ABCに分けた結果――優先度Aを三件、Bをいくつか、Cを十数件、こちら側で引き受けました」
アルは淡々と続けた。
「そのぶん空いた時間を、勇者個人のカウンセリングに充てるのは、そんなにおかしい話じゃないですよ」
「言い方のわりに、やってることが真面目すぎるんだってば」
リュシエルが肩をすくめた。
夕刻。
第四坑道の緊急点検を終えたユノが、昇降籠から地上デッキに戻ってきたときだった。
「ユノさん、お疲れさまです。次の予定の前に、こちらへどうぞ」
待ち構えていたのは――アルだった。
「え、あの、次は北縁の――」
「もう終わりましたよ」
アルはさらっと言う。
「フェルン隊長と森の巡回班、それからライネルさんが対応しました。ついでに、迷子の発生ポイントも地図に落としてありますので、後で一緒に確認しましょう」
「えっ?」
ユノの目がまん丸になる。
「それから、洞窟側の支柱の異音案件は、リュシエルさんとグラドさんたち鍛冶屋チームが現場で処理中です。崩落の危険はなくなりましたので、評議会にはそう報告しておきますね」
「リュシ……エルさん……?」
混乱するユノの耳に、崖下から陽気な声が飛んできた。
「支柱三本、ついでに補強しといたわよー! あんたんとこの鍛冶屋、腕はいいけど材料ケチりすぎー!」
「余計なこと言うな!」
グラドの怒鳴り声も混じる。
「森の揉め事と祭りの警備案は、セリアさんとミリィさんがまとめてくれてます。
村同士の調整と、当日の配置案もほぼ完成してますよ」
「ユノ様!」
ミリィが、緊張で頬を赤くしながら駆け寄る。
「村の人たち、最初は『ユノ様は?』って言ってたけど……『ユノ様が休めるように、今度は自分たちでやってみる』って、皆、言ってくれてます!」
「…………」
ユノは完全に言葉を失った。
そこへ、サーラがすっと歩み寄る。
「というわけで、ユノ」
治癒師の声は、いつになく冷たかった。
「あなたは、ここで一度、止まりなさい」
「と、止まる……? でも、まだ――」
「ユノ」
サーラは、ユノの目の前でぴたりと立ち止まると、その胸ぐらを軽くつかんだ。
静かな怒りを湛えた瞳。
「ユノ、あなたが倒れたら誰が治療するの?私がどれだけ縫って、どれだけ薬を盛ってきたか、分かってる?」
「それは……でも、皆が――」
「『皆が』じゃない」
サーラは言葉を切った。
「あなたが倒れたら、森も洞窟も混乱する。その混乱を片付けるために、またあなたを呼ぶ。――それを、何度、繰り返すつもり?」
ユノは、何も言い返せなかった。
「もう、自分が壊れてから休むのやめなさい。治癒師として、これだけは絶対に譲れない」
サーラの声は、怒りと心配と、長年の疲れが混ざり合って震えていた。
その横で、フェルンが静かに口を開く。
「……ユノ」
いつもは快活な警備隊長の顔が、今は真剣そのものだった。
「危なくなったらユノを呼べ――ずっとそうやってやってきたのは、俺たちの怠慢だった。
危なくなる前に、俺たちが動くのが本来の仕事だ。
これからは、Bランク程度の森の依頼は、俺たちが受ける。
お前に頼るのは、本当に、本当にどうしようもないときだけにする」
「フェルンさん……」
ミリィも、拳を握りしめて一歩前に出た。
「ユノ様。わたしたち、ユノ様に憧れて冒険者になったんです。『強いから』じゃなくて――誰よりも前に走って、誰よりも最後に帰ってくる、その背中を見て」
丸い瞳が、真っすぐユノを見上げる。
「でも、ユノ様にずっとそんな背中をさせてるのは、違うなって。次は、わたしたちが前に出る番です。E~Cランクの仕事は、全部わたしたちでやります。ユノ様には――わたしたちが潰れないように、上から見ててほしい」
「…………」
ユノの喉が、かすかに鳴る。
そこへ、わざとらしく咳払いが一つ。
「……ふん」
ドルンが、腕を組んだままぼそっと言った。
「強い奴が一番働くべきだ、ってのは、今でも間違いじゃねぇと思ってる。だが――強い奴が一番最初に死んじまったら、残りはもっと弱ぇままってことも、分かった」
視線をそらしながら、しぶしぶ続ける。
「今回のやり方が上手くいくかどうか、まだ信用はしてねぇ。だが、数字と現場がそうだって言うなら、一度は試してやる。
勇者を潰してから後悔するより、先に制度の方をいじる方がまだマシだ」
グラドが「それでいい」と短く言って、肩を叩いた。
アルは、ようやく一歩前に出る。
「――というわけで、ユノさん」
いつもの間延びした声音だが、その目は笑っていなかった。
「今から一刻分、ユノさんは強制休憩です」
「きょ、強制……?」
ユノは完全に目を白黒させる。
「はい。ちなみにこれは、翠霧の森・鉄山洞窟群・臨時勇者ギルド・治癒師ギルド(サーラさん)の四者合意による、勇者保護条項の試験運用です」
「そんな条項、いつの間に……」
「さっき作りました」
悪びれずに言い切る怠惰な勇者志望。
周囲を見ると、リーネもフェルンもサーラもグラドもミリィも、皆うなずいていた。
「ユノさん。これは怠けるための休みじゃありません」
アルは、少しだけ真面目な声で続けた。
「勇者がちゃんと休めない国は、いつか本当に死にます。
あなたじゃなく――国の方が」
ユノは、小さく息を呑んだ。
「だから今は、国と制度の方をサボらせる時間だと思ってください。
勇者一人の善意で無理やり回してきたツケを、勇者じゃない連中で払う時間です」
しん、とした空気の中で――ユノは、ようやく、ほんの少しだけ肩を落とした。
「……そんなふうに言われたの、初めてです」
かすかな笑み。
「でも、一刻だけですよ?」
「もちろん。その一刻をどう使うかの相談をするために、これから話をしましょう」
アルは、にっこり笑った。
「努力しない勇者志望として、超真面目勇者さんのサボり方を、全力で考えますから」
サーラが、ふっと息を吐く。
「……ユノ。今日はちゃんと『休む練習』をしなさい。それができたら、明日からの仕事の配り方を、一緒に考えましょう」
フェルンがうなずく。
「これからは、『危なくなったらユノを呼べ』じゃなくて、『危なくならないように、皆で動く』だ」
ミリィが、勢いよく手を挙げる。
「ユノ様がちゃんと休めるギルド、絶対成功させます!」
ドルンは、ぼそっと付け足した。
「……まあ、うまくいったら、『勇者に全部やらせてた時代もあった』って酒の肴にはなるだろうさ」
ユノは、くすっと笑った。
「……分かりました。一刻だけ、捕まっておきます」
「いい返事です」
アルは満足そうにうなずいた。
――こうして。
勇者ユノと怠惰な勇者志望アルの、最初のまともな対話の時間は、エルフの武官隊長と治癒師、ドワーフの鍛冶屋と若手冒険者たち、そして保守派議員までも巻き込んで、勇者に振られたクエストを、周囲がかき集めて肩代わりすることで、ようやく「こじ開けられた」のだった。




