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努力しない勇者志望と、超真面目勇者ユノ

 リグラードを発ってから三日目。

 レーヴェルト辺境領の空気は、アルにはあまりにも懐かしかった。

 痩せた畑と、ところどころに点在する放牧地。

 かつて「不毛地」と呼ばれていた斜面には、今は羊や山ヤギがのんびりと草を食んでいる。

「あれが、放牧地に変えたという……」

 馬車の窓から身を乗り出したリーネが、感嘆の声を漏らした。

「昔は石ころだらけで鍬が折れるだけの土地だったんだぜ」

 グラドがうなずく。

「今じゃあ、うちの里に肉と乳と皮を運んでくれる大事な斜面よ」

 途中で立ち寄った村では、アルの顔を見るなり、小さな騒ぎになった。

「レーヴェルト様の坊ちゃんだ!」

「川をいじくってくれたおかげで、去年も畑が流されずに済んだんだぞ!」

「うちの孫が放牧の仕事に就けましてな、あれも若様の……」

 村長格の老人にまで頭を下げられ、アルはひたすら困ったように笑うしかなかった。

(やめてくださいません? 昔ちょっとサボるために作った堤防が、美談になってるんですけど)

 セリアは、そんな兄を見てくすりと笑う。

「兄さま。自分の楽のためでも、ちゃんと誰かが助かってるんですから、素直に誇っておけばいいのに」

「誇った瞬間に仕事増やされる未来が見えるので遠慮しておきます」

 そうやって村々からパンや干し肉やチーズを押し付けられつつ、一行はレーヴェルト城の見える丘に差しかかった。

 小高い丘の上。

 石造りの、そこまで大きくはないが、紛れもなく「城」と呼べる建物。

「あれが……」

 リーネが思わず立ち上がる。

「レーヴェルト領の本城、レーヴェルト館だよ」

 グラドも、どこか懐かしそうに目を細める。

 馬車の前で、ライネルがそっと問いかけた。

「若様、城下で一泊されますか? 領主様も、きっと――」

「通り抜けで」

 アルは即答した。

「……相変わらずですねぇ、兄さま」

 セリアが苦笑する。

「今寄ったら、どうせ父上に新しい川とか新しい堤防とか頼まれますからねぇ。僕は今、よその勇者さんのサボり方を考えに行く途中なんですよ」

 そう言いつつも、アルは一瞬だけ窓から身を乗り出し、城を振り返った。

 遠く、城壁の上に、人影が見えたような気がした。

 手を振るでもなく、ただじっとこちらを見ている、背の高い男の姿――。

「……行きましょう」

 アルは、自分で視線を引き剥がすように窓を閉めた。

 馬車は、レーヴェルト城を横目に見ながら、そのまま森と山――翠霧の森と鉄山洞窟群の方角へと走り抜けていった。

 翠霧の森は、上と下でまるで別の世界だった。

 頭上には、霧をまとう巨大樹の枝々が、まるで天蓋のように広がっている。

 その中腹――樹冠都リオナでは、幹から張り出した板橋とツリーハウスが何層にも連なり、エルフたちが軽やかに行き交っていた。

 逆に、足もとに目をやれば、森の土は突然切れ落ち、裂け目のような断崖の下から、赤い焔と鉄の匂いが立ちのぼっている。

 断崖の奥に口を開けるのが、鉄山洞窟群。

 その最深部に、ドワーフたちの根の都――根都ガンロフが広がっている。

 森の上の都と、山の下の都を結んでいるのは、巨大樹の幹をくり抜いた昇降路と、崖に沿って上下する鎖付きの籠だった。

「……改めて見ても、よくこれで戦争になってないですよねぇ」

 中層デッキに立ち、アルは手すりにもたれながらぽつりと言った。

 片側は木々の向こうに霧と光。もう片側は手すりの下がすぐに断崖で、その底からドワーフたちの打ち鍛える音が響いてくる。

「上のこの階が、森の行政院のフロアです」

 リーネが説明する。

「そこから少し下った層に、森の警備隊詰所――フェルンの持ち場があります」

「おいリーネ、ちゃんと名前は“隊長フェルンさん”って紹介しろよ」

 聞き慣れない男の声がして振り向くと、板橋の柱に背を預けていた長身のエルフが、ばつが悪そうに頭をかいた。

 深緑の髪を後ろで束ね、軽鎧の上からマントを羽織った、いかにも前線武官といった風貌。

「フェルン・エルファード。森の警備隊長だ」

「リーネの弟さん、ですね」

 セリアがすぐに察する。

「いつもユノ様には、うちの隊が世話になってる」

 フェルンは真面目な顔で頭を下げた。

「危なくなったら勇者を呼べ、ってやり方でずっと回してきたが……正直、最近は胸が痛ぇ」

 その隣には、柔らかな色合いのローブをまとったエルフの女性が立っていた。

 明るい栗色の髪を後ろでまとめ、片腕には薬草を詰めた布袋。

 首からは、小さな癒しの紋章が下がっている。

「サーラ・グリーンリーフです。森の治癒師をしています」

 彼女は、リーネたちより一歩前に出ると、リグラード組に丁寧に会釈した。

「ユノの無茶が過ぎたときの、後始末係でもあります」

 その声は穏やかだが、言葉の端にわずかな棘が混じっていた。

「下は、鉄山評議会と鉄山連鍛冶ギルドのフロアだ」

 グラドが断崖を顎でしゃくる。

「評議会の議員部屋があって、その隣に鍛冶ギルドの詰所。……で、そのどっちからも勇者への呼び出しが飛んでくる」

 ちょうどそのときだった。

「ユノ様ぁぁーっ!!」

 上から、甲高い声。

「ユノさまぁーッ!!」

 下から、がなり立てる太い声。

 同時に、昇降路の木の扉が勢いよく開いた。

 中から飛び出してきたのは、一人の少女だった。

 肩までの髪を後ろでひとつに束ね、軽装の鎧の上から簡素なマントを羽織っている。

 胸元の紋章だけが、ささやかに「勇者」の証を主張していた。

 額には汗。

 目の下には、薄く疲れの影。

 マントの裾には、洞窟の土と煤。

 それなのに、彼女はいつものように柔らかく笑っていた。

「お待たせしました、どうしましたか?」

 先に駆け寄ったのは、エルフの若い使いだった。

「ユノ様! 森の北縁で、また迷子が――!魔物の気配もあるって、斥候が!」

「北縁?」

 フェルンの表情が引き締まる。

「俺の隊も向かわせる。だが住民が、勇者様に見てもらわないと落ち着かねぇって……」

「分かりました、すぐ向かいます」

 ユノは即座に頷きかけ――

「ユノぉ!! おいユノ!!」

 今度は逆側、崖沿いの鎖籠から、ドワーフが身を乗り出した。

 顔中煤だらけの坑夫、その横からは、小柄な女ドワーフが必死に手を振っている。

「下の第四坑道だ! 支柱の一本がきしんでやがる!」

 煤けた男が叫ぶ。

「評議会の連中がな、『勇者様に見てもらえば安心だ』って騒いでてよ!」

「ユノさん!」

 小柄な女ドワーフも続ける。

「ミリィ・コールハンマーです! 坑道近くの警備に入ってるけど、評議会が『ユノ様の許可が出るまで中止』って……!」

 鎖籠の中、その後ろでは、立派な髭を撫でつけた年配ドワーフが腕組みをしていた。

 刺繍入りの上着に、評議員章。

 彼が、ふん、と鼻を鳴らす。

「当然だ。勇者が全部やるのが、一番早くて確実だろうが」

「ドルン・ストンフィスト評議員……」

 グラドが、眉間に皺を寄せる。

「お前、またそれを人前で言うか」

「事実を言って何が悪い」

 ドルンは開き直ったように胸を張った。

「勇者が大丈夫だと一言言えば、皆安心して動く。だったら最初から勇者を呼べばいい。それだけだ」

 二つの声が、真ん中のデッキで勇者一人を挟み込む。

 ユノは、ほんの一拍だけ目を閉じた。

 すぐに、いつもの真剣な表情。

「……分かりました。では――まずは第四坑道を見てから、北縁に向かいます。その間の巡回と警戒は、それぞれの隊でお願いしますね」

 そう告げて一歩踏み出した瞬間、足がふらりと揺いだ。

「ユノ」

 すかさず、サーラが肩を支える。

 間近で彼女の顔色を見て、治癒師の瞳が細くなった。

「顔色が悪すぎる。昨夜、眠った?」

「少しだけ……でも、大丈夫です」

 ユノは苦笑いを浮かべながら、いつもの台詞を口にしかける。

「みんなが協力してくれているなら、私は走るだけで済みますから――」

「大丈夫な顔じゃないから、聞いてるの」

 サーラがぴしゃりと言った。

「あなたが倒れたら、誰が治療するの? 自分が壊れてから休むの、いい加減やめなさい」

 一瞬、ユノの表情が揺れた。

 だが、坑夫たちと、迷子の報告を抱えた使いの不安そうな視線が、一斉に彼女に突き刺さる。

「……大丈夫です。サーラさんがいてくれますから」

 冗談めかしてそう返し、ユノはそっとサーラの手を外した。

「第四坑道を確認してから、すぐ森に向かいます。ミリィさん、あなたたちは入り口の安全確保をお願いします」

「は、はいっ!」

 ミリィは、尊敬と心配が入り混じった目でユノを見上げる。

「ユノ様が来てくれるなら、きっとなんとか――」

「なんとかなる前に、なんとかしなさい」

 低い声でつぶやいたのは、グラドだった。

 しかしそのぼやきは、もう鎖籠に乗り込んだユノには届かない。

「ユノ!」

 フェルンが最後に呼びかけた。

「森の北縁には、俺の隊も向かわせる。全部一人で抱え込むな!」

「分かってます。……みんなの力を借りますから」

 ユノはそう言って、笑った。

 そう言うしかなかった。

 鎖籠の扉が閉まり、鎖がきしんで鳴る。

 勇者を乗せた籠は、洞窟の闇へとゆっくりと降りていった。

 アルたちは、その一部始終を少し離れた場所から見ていた。

「……これが、日常ですか?」

 アルの問いに、リーネは苦い顔で頷いた。

「はい。森の行政院も、鉄山評議会も、本来は自分たちで決めるべきことまで、最終的にはユノさんが判断してくれるからと、依頼をそのまま積み上げてきました」

「今では、ほとんどの案件に『勇者承認』の欄ができてしまって」

 サーラが、疲れたように笑う。

「勇者の判がなきゃ動かない役人なんて、本当は要らないんですけどね」

「強い奴が一番働くべきだ」

 ドルンが、さも当然のように言い放つ。

「弱い奴や頭の鈍い奴に任せりゃ、間違いも事故も増える。勇者が全部見れば、早くて確実。何か問題があるか?」

「……問題しかないですよ」

 アルは、さらりと言った。

 ドルンが「なんだと?」と眉を吊り上げるより早く、セリアが口を挟む。

「兄さま」

 制するような視線。

 アルは肩をすくめた。

「今のは、ちゃんと整理してからにしておきましょうかねぇ」

 昇降路の鎖がきしむ音。

 どこかで鳴る警鐘。

 樹冠都リオナの上からは、子どもの笑い声。

 鉄山洞窟群の下からは、鉄を打つ音。

 それらが全部、一本の糸――勇者ユノに結びつけられている。

(……構造の問題ですねぇ、これは)

 ようやく口を開いたアルの声は、妙に淡々としていた。

「勇者さんが真面目で、優しくて、がんばれるからって――上と下の二つの行政機関が、共通リソースとして使い倒してる構図です」

 リーネも、フェルンも、サーラも、何も言えなかった。

 グラドだけが、小さくうなずく。

「ユノを責める気はまったくありません。でも、これはあの子の善意と根性に丸乗りしてる制度側の怠惰ですよ」

 アルは、そっとため息をつく。

「誰か一人の善意とか根性の上に、街や里を乗せて、平気な顔して座ってられる神経が、僕はどうにも理解できない」

「……あんた、ほんとそういうところだけは真面目よね」

 リュシエルが、口の端を上げる。

「怠惰システムの開発者が一番嫌うのが、よその誰か一人に押しつける怠惰ってわけだ」

 ライネルも、肩をすくめた。

「筋は通ってる」

 アルは、少しだけ力を抜いた笑みを浮かべた。

「僕が楽するためには――ちゃんと仕組みでみんなを楽させる必要があるんですよ」

 そして、森と洞窟の代表者たちを順番に見据える。

「だからまずは、その勇者さん本人に会わせてください。全部自分でやるのが当たり前って思ってる頭から、ゆっくり直していかないと」

 サーラが、わずかに目を伏せた。

「……あの子に、『勇者も人間だ』って言ってくれる人が、ようやく来てくれた気がします」

 フェルンも、拳を握りしめる。

「俺たちも、覚悟決めねぇとな。危なくなったらユノを呼べ、なんて甘えた合言葉から、いい加減卒業しなきゃならねぇ」

 ミリィが、おそるおそる手を挙げた。

「あ、あの……わたしたちも、やれることはあります。ユノ様みたいには強くないけど、勇者様の背中ばっかり見て育ってきたわけじゃないって、ちゃんと証明したいです」

 ドルンが何か言いかけたが、グラドが横から肘で小突く。

「黙ってろ、ドルン。今は若ぇのと客人の話を聞く番だ」

 アルは、ようやくいつもの間の抜けた笑みで指を一本立てた。

「……今回も、やることはひとつです」

「勇者がいなくても回る仕組みを作る。

 その上で、勇者がいてくれたらもっとラクで楽しいくらいの位置まで、押し下げる」

 にやり、と笑う。

「それができるなら、話くらいは喜んで聞きますよ。長い目で見れば、僕の昼寝が増える方向の仕事みたいですし」

 グラドが吹き出す。

「やっぱり噂通りだな。自分が楽するために世界をマシにする男ってやつだ」

「勝手にキャッチコピー作らないでください?」

 ライネルとリュシエルが同時にため息をついた。

(あの人が、少しはサボれる世界にしてから帰りましょう)

 アルは、心の中でだけ、小さくそう決める。

 翠霧の森と鉄山洞窟群――

 上と下に分かれた二つの行政機関を、ひとつの「街」として、いずれは一つの窓口としてまとめ直す、面倒くさい仕事が始まろうとしていた。

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