努力しない勇者志望は静かに怒る
リグラード旧ギルド棟――今は「市役所」と呼ばれるその一室は、妙に見覚えのある雑然さを残していた。
壁一面の掲示板には、かつての討伐依頼の代わりに「納税のお知らせ」と「協同休業日カレンダー」が貼られている。
その隅の部屋。
大きな地図と、書類の山と、簡素な丸テーブル。
アルは椅子にもたれ、あくびを噛み殺しながら、目の前の二人を見ていた。
一人は、薄緑の髪をきちんとまとめたエルフの女性――リーネ・エルファード。
もう一人は、どっしりとした体躯のドワーフ、グラド・アイアンビア。
テーブルの上には、セリアが淹れた湯気立つお茶。
ライネルとリュシエルは、壁際に適当に腰を預けて話を聞いている。
「では――改めて、状況を最初からお願いします」
セリアがそう促すと、リーネとグラドは顔を見合わせ、小さく頷き合った。
「まずは、出自からお伝えすべきでしょう」
リーネが、きっちりとした口調で切り出す。
「私たちは……レーヴェルト辺境領から参りました」
その瞬間、アルのまぶたがピクリと動いた。
「レーヴェルト……?」
ライネルが目を細める。
「おいアル、それってお前の――」
「実家ですねぇ」
アルは頭をかきながら、どこか居心地悪そうに笑った。
「続けてください」
「はい」
リーネは姿勢を正す。
「レーヴェルト領は、山と痩せた畑の多い土地ですが……
農作業に向かない斜面を、放牧地に切り替えた勇者の話は、今も領民の間で語られています」
「勇者?」
リュシエルが、楽しそうに眉を上げる。
グラドがそこで、がははと笑った。
「農民どもが勝手につけたあだ名だがな。
川を治めたおかげで、洪水で畑が流されなくなったとかなんとかでよ」
アルは目をそらした。
(川を治めたって……ただ、ちょっと堤防いじって、増水したときに水を逃がす場所作っただけなんですけどねぇ)
リーネは続ける。
「本来、石が多くて耕作に向かない斜面は、貧しい土地として放置されていました。
そこを人間が無理に戦う場所じゃないと言って、放牧と薬草栽培に転用した――と聞いています」
「ついでに、暴れ川の流れを少し変えて、村ごと流される事故を減らした。川に勝とうとするんじゃなくて、川に楽をさせてやれって、妙なこと言ってたって話だな」
グラドが茶を一口飲んで、感心したようにうなずく。
「……それ、うちの領主様が言うセリフか?」
ライネルがじっとアルを見る。
「さぁ。覚えてないですねぇ。昔の話ですし」
アルは、心底どうでもよさそうに手を振った。
「それで、その妙な領主家の若様がリグラードに行ったと聞いて――」
リーネが、まっすぐにアルを見る。
「楽をするために土地を救った人なら、勇者を休ませる方法も知っているかもしれないと。そう噂されていました」
「……誰だそんな恥ずかしい噂流したの、うちの父上か?」
アルが頭を抱えると、グラドが苦笑する。
「領主様はむしろ、あいつはただの怠け者だって苦笑いしてたな。村の連中が勝手に勇者様って祭り上げてたんだ」
「そうそう」
リーネが頷く。
「あいつを褒めるとつけあがるからやめとけと仰ってました」
「父上、変わってませんねぇ……」
アルはテーブルに額をコツンとつけた。
セリアは、わずかに肩をすくめる。
「兄さまがやったこと自体は、領にとっては命を拾ったレベルでしたからね。あの方なりの照れ隠しでしょう」
「へぇ……」
リュシエルは、面白そうにニヤリと笑う。
「じゃ、今ここで怠惰システム回してる変な男は、実家では川と山をサボらせた勇者様扱いってわけね」
「言い方に悪意を感じるんですが」
「事実を詰めただけよ?」
そんなやり取りを挟んでから――リーネは表情を引き締めた。
「……だからこそ、頼りに来たのです」
深く一礼する。
「放っておけば死ぬしかなかった土地を、人と土地が無理しない形に変えた人。
その人なら、勇者が死ぬまで戦い続けるしかない国を、少しはマシな形に変えられるかもしれない――と」
グラドも、拳を握りしめたまま頭を下げる。
「本当なら、こっちでなんとかすべきなんだろうがな。けどもう、こっちの勇者様の顔色見てりゃ分かる。人の善意に頼りっぱなしじゃ、遅かれ早かれぶっ壊れるって」
アルは、そこで一度まばたきをした。
「……で、今どれくらいぶっ壊れかけてるのか、って話ですね」
セリアが静かに問う。
「具体的に、どのくらい過酷なんですか?」
リーネは一度目を閉じ、息を整えた。
「……順番に、お話しします」
最初の依頼は、森の村の「迷子探し」だった。
まだ朝靄の残る森道。
ユノは軽装で駆けていた。
「森の外縁には、最近魔物が出るって言ってたのに……」
小さくつぶやきながらも、足は止めない。
泣き声を頼りに、ユノはすぐに子どもを見つけた。
「大丈夫、怖かったね。お母さんのところに帰ろう」
優しい声。
子どもを抱えたまま、ユノは村まで送り届けた。
その足で今度は――
『森と洞窟の境界付近に、巨大な猪型魔物出現!』
使いのエルフが駆け込んでくる。
ユノは息を整える暇もなく、子どもを母親に渡すと、そのまま走り出した。
「……これが、よくある一日の午前中です」
現在に戻ってのリーネの説明に、リュシエルがあきれた声をあげる。
「午前中でそれ? そこに、村の修理だの雑務だのが全部くっついてくるわけね」
リーネは、ゆっくりと頷いた。
「森の護りの相談、洞窟の崩落対策会議、祭りの警備、村の揉め事の仲裁……
勇者なら皆の話を公平に聞いてくれるだろうと、依頼は止まりませんでした」
再び、回想が続く。
深夜の洞窟。
崩れた坑道。
ユノは、汗まみれの顔で土砂をどけていた。
「みんな、無事ですか!」
「ユノ様が来てくださったぞ!」
「助かった……!」
そこで、ユノは笑う。
ひどく疲れているくせに、いつも通りの、ほっとさせる笑顔で。
「順番に出ましょう。慌てたら、余計危ないですから」
掘り出し終えたときには、空はすでに白み始めていた。
そのまま彼女は、仮眠も取らず朝の会議に顔を出す。
エルフの会議室で、魔物の分布図を前に、
「ここ数日の目撃情報からすると、森の北側に何か穴ができている可能性があります」
冷静に報告をまとめていくユノ。
だが、椅子から立ち上がった瞬間――足元がふらりと揺れた。
「ユノ様?」
「……すみません、少し、寝不足で……大丈夫です」
そう言って、彼女はまた笑った。
「大丈夫じゃないだろ」
現在へ戻るやいなや、ライネルがばっさり切り捨てた。
「どう見てもアウトだわよ」
リュシエルも眉をひそめる。
「前線にいた頃、ああいう奴が一番先に燃え尽きたわ。自分が一番動けるからって理由で全部背負い込むタイプ」
リーネは、悔しそうに唇を噛んだ。
「それでも……ユノ様は、決して文句を言いませんでした。みんなが助かるなら、それでいいですと」
「だから、余計にタチが悪い」
グラドが、重い声で言う。
「文句を言わねぇってだけで、周りは安心しちまう。そのうち、頼む側もこれが当たり前になっちまった」
部屋の空気が、少し重く沈んだ。
アルは、しばらく黙ってお茶を見つめていた。
湯気が、静かに揺れる。
セリアが、兄の横顔をちらりと見る。
ライネルも、何か言いかけて口をつぐんだ。
やがて――アルは、ゆっくりと口を開いた。
「……僕、こういうの、すごく嫌いなんですよ」
普段の間延びした声音とは違う、低い調子だった。
「人の善意に胡坐かいて、文句言わないから大丈夫って顔していられる仕組みが」
リーネが、はっと顔を上げる。
「ユノさんが本気でそれでいいと思ってるのは、分かります。
真面目で、優しくて、頼られたら断れない人なんでしょう」
アルは指先でテーブルを軽く叩いた。
「でも、それを都合のいい勇者として使う側は、その人の善意に乗っかって楽してるだけです」
ひと呼吸、置く。
「自分の仕事を勇者に丸投げして、
あの子がいるから大丈夫って安心してる連中と――
何も変わらない制度のまま、勇者偉いねって褒めて終わる世界」
そこで、アルは小さく首を振った。
「僕はそういうの、嫌です」
静かな言い切りだった。
「誰か一人の善意とか根性の上に、街や里を乗せて、
平気な顔して座ってられる神経が、理解できない」
リュシエルが、じっとアルを見て、口の端を上げる。
「……あんた、ほんとそういうところだけは、真面目よね」
ライネルも、肩をすくめながら笑った。
「怠惰システムの開発者が一番嫌うのが、
他人の善意に頼った怠惰ってのは、皮肉だけど筋が通ってるな」
アルは、少しだけ力を抜いた笑みを浮かべた。
「僕が楽するためには――ちゃんと仕組みでみんなを楽させる必要があるんですよ」
そして、リーネとグラドを見据える。
「だからまずは、その勇者さん本人に会わせてください。全部自分でやるのが当たり前って思ってる頭から、ゆっくり直していかないと」
その声音は、面倒くさそうでいて、逃げる気配は欠片もなかった。
「……今回も、やることはひとつです」
アルは指を一本立てる。
「勇者がいなくても回る仕組みを作る。
その上で、勇者がいてくれたらもっとラクで楽しいくらいの位置まで、押し下げる」
いつもの調子で、ニッと笑う。
「……それができるなら、話くらいは聞きますよ。長い目で見れば、僕の昼寝が増える方向の仕事みたいですし」
グラドが吹き出す。
「やっぱり噂通りだな。自分が楽するために世界をマシにする男ってやつだ」
「勝手にキャッチコピー作らないでください?」
ライネルとリュシエルが同時にため息をついた。




