昼下がり、勇者志望は昼寝の邪魔を嫌がる
昼下がりのリグラードは、最近、やけに静かだ。
迷宮入口前の行列は相変わらず途切れないが、怒鳴り声は減り、ギルドの受付前で胃を押さえてしゃがみ込む新人も減った。
代わりに増えたのは――
「本日、リグラード協同休業日のお知らせでーす!キノコ料理屋さんは三軒ほどお休みですが、そのぶんベックさんちの野菜が安くなってますよー!」
ギルド前で、ミナが明るく板札を掲げている光景だった。
その横を、フォルク市長――元ギルド長が、ぶつぶつ言いながら通りかかる。
「……誰が市長になっても仕事量は変わらん、という事実だけは確認できたな」
「お疲れさまです、市長」
「やめろ。その呼び方は肩が凝る」
フォルクは頭をかきながら、市庁舎代わりになった旧ギルド棟へ消えていく。
その背中を見送りながら、ミナはくすっと笑った。
(でも、前よりみんな顔色いいよね)
街は、少しずつ「休むこと」に慣れ始めていた。
そこへ――地下へ続く階段の方から、見慣れた白衣の集団が上がってくる。
「あ、ハルド先生だ」
ミナが手を振ると、ゴーグルを額に上げたハルドが、眩しそうに目を細めた。
「ふむ……やはり地上は、光が強すぎるな。菌糸には優しくない」
「先生、人間の目にもあんまり優しくないっすよ、直射は!」
カムランが慌てて白衣の裾を引っ張る。
「それよりほら、ミナさん。今日うち、ちゃんと休業札出してますからね!」
胸を張って振り向いたカムランの背中には、
《本日仕込み日につき屋台休業》と書かれた札がぶら下がっていた。
「協同休業日なのに、みんなで菌床ひっくり返してた、とも言いますね」
ミナが苦笑する。
「休ませているのだ、菌を」
ハルドが即座に反論した。
「新しい共同洗浄設備のおかげで、人間の手は休ませつつ、環境だけ整えるという贅沢が可能になった。これは大きな前進だぞ、カムランくん」
「はい先生! 今日は人がサボってる間に菌がよく育つ日ってことですよね!」
「言い方を選びたまえ」
ミナがくすりと笑う。
「でも、協同休業日できてからですよね。カムランさん、前みたいに寝落ちしながら鍋振るの、減りました」
「そ、そりゃあ……」
カムランが頭をかきながら、ちらりと通りを見回す。
「お客さんも、なんか顔つき変わりましたし。今日は空いてる店でのんびり食べるか、みたいな余裕のある顔っていうか」
「休む日が決まっていると、客の流れの計算もしやすい」
ハルドが頷く。
「設備も、人も、菌も――どこで手を抜き、どこで集中するか。あの怠惰な少年の発想にしては、実に合理的だ」
「褒めてるんですよね、それ?」
ミナが念のため確認する。
「もちろんだ。楽をするために、どこを徹底的に真面目にするか――この街は今、その実験のただ中にある」
カムランが、ふっと笑った。
「アルさん、また裏庭で寝てるかなぁ」
「寝ていてくれた方が、我々は仕事が進む」
ハルドが即答する。
「制度さえ整っていれば、英雄は寝ていてよい。……菌も、人もな」
「名言っぽいです先生!」
「っぽいを外したまえ」
そんなやり取りを交わしながら、キノコ組合の一団は地上通りへと歩いて行った。
休むことを覚えた街で、休むことを研究する連中が、今日もきちんと働いている。
ギルド裏庭の木陰で、怠惰な勇者志望は――堂々と昼寝中だった。
リュシエルの太ももを枕に、アルが仰向けに転がっている。
頭の後ろで組んだ手、半分だけ閉じた目。
木漏れ日と、かすかなキノコのポタージュスープの匂い。
「……で?」
視界の端に、リュシエルの黒髪と、こちらを覗き込む金の瞳。
「王都ブランドの罠をぶっ壊して、税も衛生も組み替えて、フォルクを市長に押し上げて――」
わざとらしく指を折りながら、これまでの経緯を並べていく。
「街をここまでひっくり返しておいて、なんで今、昼寝してるわけ?」
「仕組みが回ってる時に働いちゃダメなんですよ」
アルは目を閉じたまま、のんきに言った。
「サボってても街が回るようにするのが、僕の仕事ですからねぇ」
「うわ、開き直った」
リュシエルは呆れたように笑う。
「ルク、ノクティアに帰るとき、相当怖い顔してたわよ?怠惰を制度に組み込む街なんて報告書、父親にどう説明するのかしらね」
「大丈夫ですよ。ルクさん真面目だから、きっとちゃんと説明してくれます」
アルは、リュシエルの膝の感触をちょっとだけ確かめるように頭をずらした。
「それに、フォルクさんもベックさんも、もう自分たちの街って顔してましたし。僕が出る幕は、しばらくないです」
「……ふーん」
リュシエルは、指先でアルの前髪をくるくるいじる。
「じゃあ、あたしの膝の上でサボってる今が、いちばん世界のためってわけだ」
「そうなりますねぇ」
「ほんっと、ろくでもない理屈を通す天才よ、あんた」
口ではそう言いながら、その声にとげはない。
アルは、薄目を開けてリュシエルを見上げた。
「でもまぁ――おかげで、死ななくていい奴らは、だいぶ減ったわ」
リュシエルは空を見上げる。
「前線にいた頃なんて、役に立つ奴ほど潰れてったもの。今のリグラード、便利そうな人間が一人いると、その人が休める仕組みから考えるようになってる。……あれは、あんたの病気ね」
「良性の流行病ってことで、ひとつ」
アルが笑うと、リュシエルも肩をすくめた。
しばし、風の音だけが流れる。
葉擦れ、小鳥の声、遠くで聞こえる迷宮入口のざわめき。
街は動いている。
けれど、ここだけは、世界から切り取られたみたいに静かだった。
「……そういえば」
不意に、リュシエルがぽつりと言う。
「なにかありました?」
「最近――」
彼女は身をかがめ、アルの顔を覗き込んだ。金の瞳が近い。
「最近あたしをほめてないぞ」
アルは、ぱちりと目を開けた。
「え」
「え、じゃない」
リュシエルはじっと見下ろす。
「街の制度がうまくいってるとか、フォルクがいい市長になりそうだとか、ルクが有能だとか、ベックの野菜がどうとか――そういう話ばっかりでしょ、ここ最近」
アルは数秒考え、それから素直にうなった。
「……確かに」
「でしょ」
リュシエルは、むっとしたふりをする。
「膝貸してやってんの誰だと思ってんの。
戦場じゃなくて、昼寝の最前線まで付き合ってあげてる、このあたしをだな」
「それはもう、世界でも指折りの功績だと思いますよ」
アルは、真顔で言った。
「リュシエルさんの膝枕がなければ、僕の怠惰システムは、あと三割は効率が落ちていたでしょうねぇ」
「……うん?」
「要するに――」
アルは、にこりと笑う。
「リュシエルさんのおかげで、この街は今日も平和です」
数秒の沈黙。
「……よろしい」
リュシエルは満足げに胸を張った。
「それなら、もう少し膝貸してやる」
「ありがとうございます。これで今週分のほめポイントは支払えましたかね」
「足りなくなったら利子つけて請求するから、覚悟しときなさいよ」
そんな他愛ないやり取りのあと――
アルは再び目を閉じ、リュシエルは彼の髪を指で梳いた。
世界は今日も忙しい。
けれど、怠惰な勇者志望とドラゴンの少女だけは、しばらくのあいだ、木陰の小さな世界で立ち止まっていた。
――その静けさを、
「勇者様! どうか我らをお救いください!!」
地面がびくんと震えるくらいの大音量がぶち壊した。
アルは、ぴくりとも動かず、しばし沈黙する。
(……今、すごく聞かなかったことにしたい単語が聞こえましたねぇ)
「兄さま、起きてください。勇者様という単語にだけ反応して目尻が痙攣してますよ」
いつの間にか隣に座っていたセリアが、冷静に指摘する。
「セリアさん。世の中には、聞こえないふりをすることで平和を守れる瞬間があるんですよ」
「残念ながら、今回それは通用しなさそうです」
セリアが視線で示す先――
ギルド裏庭の入り口に、妙に存在感のある二人組が立っていた。
一人は、薄緑の髪を高く結い上げたエルフの女性。
深い森のような瞳には疲労と切迫感が混じっているが、姿勢は正しく、礼服めいたローブをきちんと着こんでいる。
もう一人は、背の低いドワーフの男。
逞しい両腕、煤けた前掛け。額の汗を拭う暇もなく、ここまで走ってきたような息の上がり方だ。
二人とも、こちらに向かって一直線に頭を下げた。
「エルフ族代表補佐、リーネ・エルファードと申します!」
「鉄山連鍛冶ギルド代理、グラド・アイアンビアだ! 話は聞いてくれ!」
アルは木陰から顔だけ出した。
「……あの、リグラードは昼寝中の人には優しい街として売り出してるんですけど」
「売り出してません」と、セリア。
リーネが一歩、前に出た。
「失礼を承知で申し上げます。勇者様――あなたの怠惰の制度が、我らの里を救えるかもしれないと聞いて、参りました」
グラドが、ぐっと拳を握りしめる。
「うちの英雄様が、このままじゃ潰れちまう!勇者に全部押しつけてきたツケが、一気に来てんだ!」
「……はぁ」
アルは、心の中で深く深くため息をついた。
(やっぱり、どこも同じなんですねぇ……便利な人が一人いると、そこに全部乗せちゃう問題……)
リーネが必死の顔で続ける。
「どうか、勇者様が休める仕組みを教えてください!あなたがリグラードで成し遂げたような、サボる権利を守る制度を――!」
その言葉に、セリアがわずかに目を丸くした。
「……兄さま。いつの間に、そんな立派な看板を背負うことになったんですか?」
「心当たりはまったくありません。僕はただ、昼寝を邪魔されないように工夫していただけで」
そのとき、裏庭の反対側から、ひょい、と顔を出した影があった。
「面白そうな話してるわね」
リュシエルがマッシュルームの串をかじりながら現れる。
「勇者が休めない? 戦場でもよくあったわ。あいつがいれば大丈夫って言われ続けた結果、あいつだけ燃え尽きるやつ」
ライネルも続いてやってきた。
「話だけ聞くと、勇者依存症の社会ってところか。アル、お前の嫌いなタイプの構造だな」
アルは、ゆっくりと起き上がった。
面倒くさい。
できれば断りたい。
知らないふりをして昼寝を続けたい。
――けれど。
(自分が楽するために、知らないどこかの勇者が燃え尽きるってのは……さすがに、寝付きが悪いですねぇ)
アルは、頭をがしがしとかいた。
「……分かりました。話だけ、聞きましょう」
リーネとグラドの顔に、ぱっと希望の色が灯る。
「その代わり、一つだけ条件があります」
「条件?」
リーネが首をかしげる。
「はい。僕は世界を救う勇者とかはやりません。やるとしても、勇者がちゃんと休める仕組みを作る相談役までです」
アルは真顔で宣言した。
「つまり――僕が楽するために、そちらの勇者もちゃんと楽になってもらいます。それで良ければ、お話をうかがいましょう」
数秒の沈黙のあと、グラドが吹き出した。
「……なんだそりゃ。だが――そういうワガママを言える奴の方が、まだ信用できるな」
リーネも、ほっとしたように微笑む。
「はい。どうか、よろしくお願いします。怠惰な勇者様」
セリアが、小さく肩をすくめた。
「……また兄さまの休日日数が減りそうですね」
「大丈夫ですよ、セリアさん」
アルはにっこり笑う。
「休みは減るかもしれませんが、休める勇者が世界に増えるなら――長い目で見れば、僕の昼寝環境もきっと良くなりますから」
「動機が徹頭徹尾、兄さまらしくて安心しました」
こうして。
リグラードで生まれたサボる権利の制度は、
遠い森と山の勇者たちの問題へと、静かに繋がっていくことになる。
怠惰な勇者志望の、次の面倒くさい戦いが、始まろうとしていた。




